フレイ、マレットとデートする 3
楽しい祭りも永遠に続くわけではない。
午後の遅くから始まった各三大神の大司祭の法話、祭りの参加者による即興の舞踏会などは無事に終わった。そして日没直後から、メインイベントの王国騎士団が先導するパレードが祭りの締めくくりとなる。
もちろん、そのあとも屋台や飲食店はやっているが、宗教行事としての神舞祭は一応パレードを持っておしまいだ。あとは好きに楽しんでくれということになる。
そのパレードがいよいよ始まろうかという宵の口、フレイとマレットは、パレードに備えて歩道に設けられた観覧席に陣取っていた。周囲も人が一杯であり、主に家族連れやカップルで賑わっている。
「あ、マレットさん、その唐揚げ一つください」
その言葉と同時に、フレイは二人で共同で買った鶏の唐揚げが入った袋から一つ摘んだ。見ながら小腹が満たせるように、観覧席の周りで売り子が販売しているのだ。ついでにエールも二杯買っている。
「じゃあ私はこっちの方を」
やや小ぶりの唐揚げを摘み、マレットはひょいと口に放り込んだ。じゅわと脂が衣と肉の間から染み出し、その旨味を味わいつつも冷たいエールで流し込む。お上品とはほど遠いが、庶民の喜びといえばこれだろう。
「いい飲みっぷりすね」
「あんまりじろじろ見ないでくださいよ」
丸半日一緒に行動していたので、最初のぎこちなさも大分無くなった二人である。ちなみにマレットも、フレイと同じ大ジョッキでエールを飲んでいる。彼女は体質的に酒は弱くない。
「前に話したと思いますけど、うちの実家は上級市民なのであんまりお上品ではないですよ。役人やってる手前、行儀作法には気をつけてますけど」
「全然気にならないです。なんか講座の時と違うなーと思って」
自分もがっつりとエールを煽りつつ、フレイは答えた。そもそもマナー云々言うならば、貴族のフレイの方が問われるべきなのだ。なんだかんだいって貴族の絶対数は少なく、庶民に混じって行動することはあまりない。恐らくこの観覧席にいる貴族などフレイくらいだろう。
(ブライアン兄もリーズ姉も貴族用の特等席だろうな)
割と気さくな二人だが、流石にこうした公式行事で一般ギャラリーに混じるほど酔狂ではない。せいぜいが普段お忍びで街に繰り出すくらいである。
「聞いてもいいですか?」
「何をですか?」
こちらを向いたマレットに、フレイは答えた。一口エールを飲んでから、マレットが質問してくる。
「フレイさんのご実家のある地域では、神舞祭の日はどう過ごされてたの?」
「うーん、近くの領主数軒と持ち回りでお祭りしてましたね。今年はあそこの領地で、来年はこちらでというように。それでも参加者が王都より少ないから、もっと素朴な感じですよ」
二人の兄貴は元気かな、と考えながら、フレイは答えた。事実、地方で行われる神舞祭はその土地の土地神や精霊をも含む独自形態へと変更されており、地域によって様々だ。
「でも楽しかったです。三大神の格好して演じる劇とかあるんですけど、俺もディ・ユサールの役で一回出たことありましたし。皆でああいう一つのことやるの、楽しいですよね」
「そういうの、ちょっと憧れちゃいますね。私は子供の頃からずっと王都で育ったので。最初の勤め先だけ少し地方でしたけど」
答えながら、マレットは自分が落ち着いているのを自覚した。祭りの高揚が回っているせいか、昼間感じた陰欝な気分はない。
「自分の生まれ故郷なんで、もちろん好きですけどね。でも自然豊かなだけで何にもないからなあ。産業らしい産業も発達してないし」
「将来、里帰りしたりする予定とかあるんですか?」
マレットの質問にフレイは首を捻った。一番上の兄がデューターの家を継ぐだろうから、フレイの出番はないだろう。まあ、帰れば兄の手伝いくらいはやることはあるだろうが、別に今帰る必要はない。
「先のことは分からないです。でも、当分は王都で経理関係の職に就いて一人立ちが先かな」
「真面目なんですね、フレイさん」
「いや、まあ。いつまでもすねかじりも格好悪いんで」
タハハ、とごまかすようにフレイは笑った。くすくすとマレットもそれに合わせて笑う。
「きっとフレイさんなら大丈夫ですよ。頭いいですし、やっぱり受けてきた基礎教育のおかげなのかな、飲み込み速いですもの」
「マレットさんにそう言ってもらえると励みになります。でも、あれですね」
フレイは言葉を切った。そろそろパレードの先頭がこちらに来るのか、周りの観客から歓声が上がっている。フレイとマレットの位置からはまだ見えないが、もうすぐこちらに来るのだろう。
「なんでしょう?」
「いやー、いつかマレットさんに追いつければな、なんて考えることあるんですけど。無謀ですかね?」
経験の差があるしなあ、と思いながら、フレイは聞いてみた。風に流された髪を整えてから、マレットは慎重に答える。
「今後の努力次第としかいいようがないですけど、不可能ではないと思いますよ。私も簡単に負ける気ないですけどね?」
「うっ......頑張ります」
思わず真剣な顔になるフレイの口に、マレットは最後の唐揚げをぽいと放り込んだ。もごもごと口を動かすフレイを促し、彼ら二人から見て左の方を見る。
「ほら、フレイさん! パレードの先頭が見えてきましたよ!」
「っ、ちょっと待って、ふう」
ようやく唐揚げを飲み込み、フレイはマレットが指差した先を見た。暗くなった空を祭り用に誂えられたランプが照らす中、華やかに彩られたパレードの先頭が遠目に見える。
「こりゃすげー!」
思わず中腰になり、フレイは目を見張る。それも無理はない。神舞祭用の特別仕様の軍服を着込んだ騎士が、同じように華やかに騎馬用の上衣を着せられた軍馬に跨がり進んでくるのだ。その一糸乱れぬ歩調で進む隊列は、魔法で作り出された光球に囲まれこの世の物とも思えぬ幻想的な雰囲気を纏っている。
そこからが見物だった。
同様に着飾った歩兵団が続けば、その後方からは青白い光の紋様で描かれた三大神の巨大な線画が兵達に運ばれてやってくる。後に続く魔術師師団は数こそ少ないものの、空中に作成した魔法陣から生み出した花火を打ち上げ、子供達から歓声を浴びていた。
「生まれて初めてだ、こんなの見たの」
「凄いですよね。私も何回も見てるけど、毎年趣向が違うから飽きないんですよ」
周囲の観客も皆笑顔でパレードを楽しんでいる。祭りの盛り上がりは、今が最高潮といったところだ。誰もかれもが浮世の憂さをこの光の隊列に預けたかのように、幸せそうな顔をしていた。
「いいですね、こういうの。すっごく楽しい」
はしゃぐフレイを見ながら、マレットは嬉しかった。自分が一緒で楽しいのかと誘われた時には心配だったが、これだけ喜んでくれたなら問題ないだろう。
(それに、何だか今日は女の子扱いしてもらったし)
左の中指を見る。パレードの明かりに硝子の指輪が煌めいている。もらった百合の花は途中でしおれたので取ったが、まだポケットに入れたままだ。
(可愛いって本気で言ってくれてるなら嬉しいな)
綺麗とか美人とかは本心かどうかはともかく、たまには言われることもある。だが24歳にもなると、可愛いという言葉はなかなか言ってもらえない。
(この人と付き合えばどうなるのか――真剣に考えてみてもいいかな)
そう思いながらフレイの横顔をそっと見て、マレットも自然と笑顔になっていた。
******
長いパレードが終わり、観客席からぞろぞろと観客が立ち上がる。その中にフレイとマレットの姿もあった。
「うわ、凄い人混みだな」
「一応これでお祭りは終わりですからね」
マレットの言葉を聞きながら、フレイは混雑する観客から彼女を守るようにさりげなく先に立つ。ぶつかられ方次第ではこけかねないと思ったのだ。
(華奢だもんな)
折れてしまいそうな程細いわけではないが、少なくともマレットは頑健にはほど遠い。多少配慮しなければ、とフレイは自然に考える。
(さてどうするか)
正午に会って丸半日一緒にいたのだ。祭りも終わったし、ここでお別れというのが妥当なところか。パレードの間は気づいていなかったが、こうして人混みに紛れながら歩いていると結構疲労していることを自覚する。マレットは尚更だろう。
(帰る頃合いだな。にしても今日のマレットさん可愛いな)
マレットは自分の斜め後ろにぴったりくっついてくる。その気配を感じながら、フレイは思わず顔が綻ぶ。プライベートで会うとこんな違う顔を見せるのかとびっくりした。
(いや、しかしだ。なんでこんな美人が結婚はともかく、付き合ってる人もいないんだ? 謎過ぎる)
そうなのである。今までの付き合いから考えても、マレットの見た目も性格も悪くない。会計府の役人をしている点も、普通に考えれば身元のしっかりした人間というプラス評価になる。よほど男を見る目が厳しいのかとも考えたが、それならまさか自分なんかと神舞祭には来ないだろう。
(ま、いいか。後でゆっくり考えるとして今日は帰ろう。焦りは禁物だよな、というか俺、今日ちょっと調子乗りすぎた気がする)
祭りの雰囲気に気が大きくなったのかもしれない。色々恥ずかしいことを口走っていたと、フレイは反省した。特に最初のデートで花を髪に飾るのはやり過ぎだと今更思うが、後悔先に立たずである。そうこう考えながら歩いているうちに、フレイとマレットは人混みの中から抜け出した。
******
「ぼちぼち帰りますか」
祭りの第一次終了とでもいうタイミングで、フレイはマレットに声をかけた。周囲の人々もまだ残る人と帰る人に五分五分に別れている。確かに昼から会っているなら、良い頃合いだろう。
「そうですね。正直ちょっと疲れちゃいましたし」
「すいません、引きずりまわしちゃって」
フレイが慌てて頭を下げようとするので、逆にマレットが慌てる。
「でも凄く楽しかったですよ。フレイさんに誘ってもらったおかげです」
「本当ですか?」
「ええ。指輪も貰っちゃいましたし」
そう言って、マレットは悪戯っぽく左手の指をピンと伸ばした。ほっそりした中指には、フレイが景品として取ってきた硝子の指輪が輝いている。
「えっ、それ、まさかずっと着けるつもりじゃないでしょうね?」
「さー、どうしようかな。職場に着けていったら、皆に冷やかされちゃいますね、きっと」
「ええー! だってそれ玩具じゃないですかー。着け続けなくてもいいでしょうに」
「でも綺麗なんですけどねえ、これ」
確かにマレットの言う通り、通りの照明を受けて煌めく硝子の指輪は意外にも安っぽくない。少し加工すればそれなりに見栄えするかもしれない、と思わせる程度には美しい。
(うっ、なんだかマレットさんにこっちの気持ち読まれてるのかな)
自分がどう相手に思われているのか、フレイは歩きながら考えた。まず間違いなく悪印象はないはずだ。今日一日過ごしてみた実感がそう言っている。だが、異性として意識してくれているかというとまた別問題ではないか?
(俺が王都でのデートなんて初めてだから、気を使ってくれている可能性も捨てきれないし。とりあえず、次もう一回会えるように繋ごう)
フレイには、自分が祭りで浮かれていたという自覚もある。お互いまずまずの好印象を持っているというのが確認出来ただけでも収穫だ、今回はこれで十分だった。
もしもリーズガルデがこの日の一部始終を見ていたならば、フレイの考えを「なんて弱気なの!」と憤っていただろう。だが、マレットはフレイにとって思慕を寄せる対象というだけではなく、簿記の世界での現状唯一の信頼できる相談相手である。
もし勢い任せで告白して失敗したとしよう。その瞬間、彼は恋愛相手も相談相手も両方失うのだ。慎重になったとしても、無理は無かった。
「マレットさん、今日どうもありがとうございました。とても楽しかったです」
人通りが適度に減ったところで、フレイはマレットの方を向きながら言った。マレットもそろそろ今日のデートは終わりだなというのを察したのか、丁寧に応じる。
「こちらこそ、とっても楽しかったです。フレイさんと来て良かった」
「そう言ってもらえると助かります。あの、マレットさん」
「はい。何ですか?」
いったん言葉を切り、フレイはマレットと目を合わせた。この人ともっと話していたいなと思いながらも、そこは理性を優先する。
「次、また会えますか?」
「はい、いいですよ。でもいつの日かというのは今は約束出来なくてもいいですか?」
「え?」
マレットの返事にフレイはがっくりきた。基本、迅速な連絡手段が一般的ではないシュレイオーネ王国において、次の約束というのは会ったその日の最後に交わす。それにフレイはマレットの家も知らないので手紙も出せない。今聞いてもいいが、一人暮らしらしい女の住所を聞くのは気が引けた。
(暗に会いたくないってことか?)
フレイの不安そうな顔にマレットは素早く反応した。説明不足だったわと思いながら口を開く。
「たまに休日出勤することがあるので、今この日がお休みと言い切れないんですよ。だから私の方から連絡します」
「そうだったんですか。でもどうやって? 手紙なら屋敷には届きますけど」
「最近うちの上司からもらった便利な道具があるんです。今は持ってないので、明日にでもハイベルク家に郵送します」
「はあ。分かりました、それを待てばいいんですね」
ちんぷんかんぷんのフレイだが、とりあえずマレットの言葉を信じることにした。送るということは何かの魔道具なのだろう。自分に使えればいいがと少し不安になるが、今はどうしようもない。
「ええ、楽しみにしていてください。それに、私もフレイさんに話さなければならないことがあるんです」
「それは――今は聞くわけにはいかないことですか?」
フレイが聞くと、マレットは無言で頷いた。街灯の明かりが揺れて、俯いた彼女の顔から一瞬だけ外れる。影が射した。
(黙っているのはアンフェア過ぎるから)
だからその瞬間、フレイはマレットの顔が見えなかった。顔を上げてフレイに向かった時には、いつも通りのニコニコした美しい笑顔だ。
「じゃあ今日はこれで帰りますね。さよなら、お休みなさい、フレイさん。ほんとにいいお祭りでしたね!」
マレットの様子に僅かに違和感を感じた。だが、それが何故なのか分からないまま、フレイは手を振り返す。
「あ、お休みなさい。気をつけて帰ってくださいね!」
フレイに手を振り返しながら、マレットは遠退いていく。まだ人も多い時間帯だ、フレイが見送るうちに、その華奢な後ろ姿は雑踏に紛れ夜の王都に消えていった。
(とりあえず無事に終わったけど)
帰るかとフレイは歩き始めた。マレットとはちょうど反対側の方へだ。
(マレットさん、最後に挨拶した時、なんか変じゃなかったか。気のせいか?)
漠然とした違和感が胸の内に残る。最後の挨拶をした時のマレットの顔だけじゃなく、今日全体を通したマレットの顔をそれに重ねるようイメージしてみる。そのままフレイはしばらく歩いた。
......え?
違和感の正体に気づいた時、思わずフレイは立ち止まっていた。彼の後ろを歩いていたカップルにぶつかりそうになり、「すいません」と謝りながら道を空ける。
普通に話していた時と比較したからこそ、浮かび上がった違和感。
それは。
「なんで、泣き笑いみたいな表情してたんだよ?」




