フレイ、マレットとデートする 2
フレイ・デューターは男性だ。
女性に対してまずまず礼儀正しく、ルックスもそれなりでありまた性癖にも奇妙なところがない男性だ。つまり、全男性を二で割るとモテる方に入る。
自分は貧乏子爵家の三男だと自嘲しているものの、それでもシュレイオーネの国民全体から見れば上等な方に入る。なまじ自分を比較する対象が同じ貴族階級の人間なのでハードルが高いのが、自己評価を下げているだけである。
恋愛に臆病でもないが年齢の割には積極的でもない。そんなフレイが今日のように気になる女性を誘って二人で出かけるのは、立派な一大イベントであった。周囲は(フレイならもっともてるだろうに)と驚くのであるが。
そんな久しぶりのデートで浮き立っているのだ。横に並ぶマレットをちらちら気にするのはむしろ自然だった。その視線が顔だけでなくもう少し下の辺りをチラ見しても、責める人間は少ないだろう。
(マレットさんて意外と着痩せするタイプなのか?)
夏である。隣を歩くマレットに声をかけながら見ると、薄手の白いストールの下は青いトップス一枚であり、その胸の辺りにいやでも目がいく。率直にいえば(割とあるように見える)というのがフレイの感想だった。
じろじろ見てはいかーん! と自分の理性が訴えるのだが、次の瞬間には自分の欲求がまあいいじゃん、チラ見くらいならと囁いてくる。
そして葛藤の末フレイは(三回に一回だけチラ見してもいい)という妥協点を自分の中に見出だし、それに従うことにした。そもそも回数のカウントの基準が曖昧なので、あまり意味はないのだが。
「次、どこ行きましょうか? メインイベントのパレードまではまだ時間があるから、ゆっくり見て回れますよ」
「んー、縁日みたいなのあったら見てみたいです」
神舞祭には何回も来たことのあるマレットが、自然とフレイを誘導する形になった。
「なら、こっちの方に縁日の屋台が並んでいますね。こちらを見に行きましょうか」とマレットは声をかけた。方向転換しながらフレイの顔を見上げると目が合う。微笑すると、ハッとしたように相手は目を見開き笑う。
(ちょっと見られてるかな?)
何やらさっきからフレイの視線が自分の胸の辺りに来ることがあるな、とマレットは思っていた。不躾ではないし本人は気づかれないようにちらちら見ているようなのだが、見られている側からするとバレバレだった。
(やっぱりフレイさんも男性なんですね)
あんまり不躾だと不快だが、この程度ならスルー可能だ。そもそも女性の夏の装いはある程度男性の視線を意識して作られることが多い。むしろ完全無視されれば、いかにマレットでもささやかな誇りが傷つくだろう。
(フレイさんて、女性関係とかどうなんでしょう? でも今日聞くわけにはいかないわよね)
やや眠たげな目つきも、見方によっては男の色気があると評する者もいるだろう。細身ながらもしっかり締まった身体なのは、バーニーズ事件の時の共同調査時に、彼が着替えた時に目撃している。
(もてないことないと思うんだけど。でも遊び人ではなさそうだし)
話してみて分かったが、フレイはまあまあ信頼に値する人間だという点に関してはマレットは自信があった。変に嘘をついたりや二股かけたりというのは出来なさそうだし、そういう意味ではマレットが安心して二人で出かけられる相手である。
まあ――将来的に付き合うことになった場合にではあるが。
そこまで考えた時、マレットは胸の内にズキリと鈍い痛みを覚えた。
(......フレイさんの過去の恋愛をどうこう言えないわ)
自分の過去の恋愛経験を思い出すと、途端に暗い気持ちになる。泥沼みたいだと考えながら正面を向くと、夏の日差しに照らされた屋台街が何故か色褪せて見えて足がすくんだ。
「......さん、マレットさん」
自分を呼ぶ声にマレットは我に帰った。左肩をフレイが軽く掴んで呼びかけてきているのに気づく。いつの間にか屋台街に着いたらしい。ワイワイガヤガヤと言うに相応しい楽しげな喧騒が、自分の周りを包んでいる。
「あの、この辺から屋台街みたいですけど、大丈夫ですか? なんかボーッとしてましたよ」
「ごめんなさい、大丈夫です。あんまり楽しいから、頭がポーッとなっちゃったのかな」
無理矢理作り笑いをマレットは浮かべた。フレイを心配させるわけにはいかない。彼には何の責任もないのだ。
「ほんとに大丈夫っすか? 疲れたならどっか座ります?」
「いえ、ほんとに大丈夫ですよ! ほら、あっち見ませんか? 色んなお店出てますよ」
マレットが指差した方向へ、フレイは視線を向けた。確かにお祭りらしく、簡単な遊戯が出来る屋台や食べ物屋、お土産物屋がずらりと並んでいる。少しの間マレットが黙りこみ心ここにあらずという様子だったので心配したが、今は大丈夫そうだ。ここは祭りを楽しもうと決めた。
「どこから見ようかな。マレットさん、何か希望あります?」
「うーん、いろいろあって目移りしちゃいますね。ここは初めてのフレイさんに合わせちゃおかな」
マレットに言われ、それならとフレイは歩きながら屋台を見ることにした。程なく一軒の屋台の前で足を止める。
「あれやってもいいですか?」
フレイが見ている屋台、それは突き出した幾本かの棒に直径20cm程の木の輪を投げて通すゲーム、つまり輪投げをさせる屋台だった。3グラン払うと一つ輪を投げられると料金表に書いてある。
「いいですよ。入ると景品もらえるみたいですね」
「ちょっと自信あるんでやってきます。何か当たったらあげますよ」
そう言い残し、フレイは意気揚々と屋台の店主に料金を払い、木の輪をもらう。マレットは後ろで見学だ。
慎重に輪を構えてから、フレイがひょいっと輪を投げた。カランカランと音を立て、輪は何本か立てられた棒の中の一番左の一本にはまる。
「入りましたね!」
「よっし、あの棒だともらえるのは......あり?」
歓声をあげるマレット、小さく頷いて当たった景品を確認するフレイ。二人の顔を見ながら、店主は笑顔で景品を店の後ろのケースから取り出す。
「いやー、兄ちゃんなかなか色男やなー! 最初からこの棒狙ってたんやろ、その美人のねーちゃんに! ほら、景品や。ちゃちいかもしれんけどはめたり!」
威勢のいい声でフレイをはやしながら、店主が小さな黒い布張りの箱をフレイに手渡す。片手の手の平にやすやすと収まるサイズだ。戸惑いつつも受け取ってから、フレイがそれをゆっくりと開けた。
「あら、可愛い」
「ど、どーします......?」
黒いビロード張りの箱に収められていたのは、華奢な硝子製の指輪であった。緑と青の中間色のような透き通った色彩が、日差しを弾いてきらめいた。
******
とりあえず往来の真ん中に立っていては邪魔になる。二人は道の端に移動した。大きな木が植えられており木陰が出来ているので、今日のような日差しを避けるには丁度いい。
「すいません、隣の棒なら人形がもらえたんですけど」
「謝る必要はないと思うの」
ちょっと気まずそうに謝るフレイを、マレットはなぐさめる。しかし、マレットは気休めでなぐさめたわけではない。確か貰える人形はノーグ・グイエリテの藁人形だったはずで、つまりはパンプキンヘッドである。貰っても困るといえば困るのだ。
(マレットさんはああ言ってくれてるけど指輪って、ねえ)
思わぬ景品にフレイは数秒思考が固まった。冗談っぽくはめてしまうか、あるいは「こんなちゃっちいの嫌ですよねー」と笑ってしまえば良かったのだ。だが中途半端にこの恋人らしいアイテムを前にすると、上手く頭が回転しなかった。
(いや、考え過ぎ考え過ぎ。おもちゃだしコレ)
フレイはそう自分に言い聞かせながら、もう一度指輪を見た。いかにも屋台の景品だよと主張するような何の飾り気もないシンプルな色硝子の指輪。深い意味など持たせようもないはずだ、とフレイは考え直した。その優柔不断な男の目の前に、すっと白い手が差し出される。
「はめてもらってもいいですか?」
マレットの左手だった。フレイが視線をあげると、穏やかな笑みを浮かべたマレットと目が合う。
「いいんですか? いや、でもこれすっごいちゃちいし、こんなのもらっても嬉しくないんじゃ」
「いえ、それがいいんです。フレイさんが私の為に当ててくれたんですよね?」
違うんですか? とでも言いたげにマレットは小首を傾げた。面白がるように、その鳶色の目が覗きこんでくる。
(っ! そんな表情されたら嫌とは言えないでしょ!)
覚悟を決め、フレイはマレットの左手を己の左手で取った。初めて触れた好意を持った女の手は、驚くほど小さく軽い。
「中指でいいんですよね?」
「薬指だと色々と問題あると思います」
「問題ありすぎですよ」
マレットの返答に、フレイは思わず突っ込む。ぴんと美しく伸びた五本の指の中から中指のみが更に持ち上がり、そこにフレイは右手の親指と人差し指で摘んだ指輪を、ゆっくりとはめていった。
あつらえたようにぴったりのサイズの指輪であった。マレットは左手の中指をぴんと伸ばす。安物の硝子とは思えない透明感のある色合いは、森か海を思わせた。
「終わりましたよ」
「......こうしてみると綺麗ですね」
マレットの手から、フレイが自分の手を離す。それに合わせてマレットは木漏れ日に指輪をかざした。
単なる色硝子だ。きちんとした宝石店で買うアクセサリーに比べたら、金銭的価値など無いに等しいだろう。
だがそれを知っていて尚、マレットは指輪を美しいと思った。赤い顔をしながら、フレイは自分の指にこれをはめてくれたのだ。そんな彼に対して、素直に好意を感じる。
(指輪貰ったのなんて、初めてかな?)
記憶にある限り多分そうだ。こんな玩具みたいな指輪だけど、それでも嬉しい。いや、今のフレイとマレットの関係からすれば、もっとも相応しい指輪ではないかと思う。
「マレットさん」
フレイの声にマレットは振り返った。落ち着きを取り戻したらしく、その青い目は深海を思わせる静けさだ。
「はい?」
「あの、いや、やめときます」
何やら言いかけてから、フレイは言葉を濁す。当然マレットとしては気になる。
「途中でやめられると気になりますよ?」
逃げようとするフレイの肘の辺りを掴み、阻止する。観念したようにマレットの方に向き直ったフレイは、それでも視線をそらしながら言うか言うまいか迷っていた。
(ああー、言ったら彼氏面してみたいに思われちゃうかもな。でも逃がしてくれなさそうだしなあ)
よし、俺も男だ。覚悟を決めよう。
一度目を閉じてから、フレイは口を開いた。
意外にも近い位置にマレットの顔がある。
「もし次にちゃんとしたプレゼント贈る機会があったら――何がいいかなあと」
パチパチと瞬きをするしかないマレット。視線はフレイの顔と指輪の間をいったりきたりである。
(ええと、ええと、それってそういう意味? そういう意味ですか?)
まただ、また不意打ちにやられましたということだけは理解出来た。感情の方が先走っているのか、理性の方が先走っているのか分からない。整理がつかないまま、歩きだそうとするフレイの横に慌てて並ぶ。
「フレイさん」
「あの、深く考えなくていいです。なんか、つい瞬間的にそう思ってしまって」
自分より高いところから降ってくるフレイの声が聞こえる。優しい。さっきは慌てていたけど今は違う。ただとても......暖かい。
「はい」とだけ答えて、マレットは少し笑った。少なくとも今日は、もう暗い考えにはまらなくて済みそうだった。
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神舞祭の日は花屋にとって稼ぎ時だ。なぜなら三大神に花輪や花束を捧げるという慣習があるためだ。王都の一角に設けられた祭壇には三体の神様の彫像が置かれ、そこに人々が花を持って並ぶという光景は、神舞祭が単なるお祭りではなく宗教行事であるという事実を思い出させてくれる。
「というわけで、この日は大いに稼ぐチャンスなのさ」
とわざわざ口に出す一人の女がいるのは、屋台街に並ぶ花屋の一つだ。栗色の髪をポニーテールにした凛々しい少女は、祭り開始からバンバン売上を叩き出している。
「ナターシャ様、いつお仕事終わるのですか?」
「あたし達と一緒にお祭り回りませんか?」
「せっかくですもの、楽しい一日にしましょうよ!」
「――君達、さっきから店先に張り付いて何の真似だい?」
しかしその少女ことナターシャ・ランドローの機嫌は、先程から急降下していた。いつもの三人娘に運悪く見つけられ、屋台の一角を占領されてしまったのだ。別に商売の邪魔にこそなっていない、けれどもピーピーとうるさいことこの上ない。
(あああ、イライラする!! 冷気呪文でその口凍らせてやりたい!)
無意識に指先に得意の冷気呪文を呼び出しそうになり、慌ててナターシャは自制する。これでも客商売だ。往来のど真ん中で自分が冷気呪文など炸裂させれば一大被害を巻き起こし、店が営業停止処分になる。それはまずい。
そもそも店の売り上げが期待できる日といっても、ナターシャとて18歳の乙女である。素敵な男性と二人でお祭りを回ってみたいという願望は人並みにあった。もしそんな人がいたらフルは無理だとしてもだ、夕方からくらいなら屋台は母に任せてお祭りに参加していただろう。
(だが現実は無情。私の周囲にいるのは、可愛いが如何せん女の子三人のみ!)
何がいけないんだろうか。顔は悪くないはずだ。いささか身体が起伏に欠けるのは認めるが、これはこれでスラリとして見栄えはいいとも言える。高身長の女の子が好きという人だっているだろう。
(まさか! 性格か!?)
客と三人娘をあしらいながら自己分析した結果、ナターシャは愕然とする。あまりに男前でサバサバしたこの性格が男性を萎縮させるのかもしれないと考えた時、どっと疲れてしまった。腰砕けになりそうな足を支えたのは、花屋としてのプライドだけである。
(考えてみれば、幼少の頃から背が高く腕力もあった私はガキ大将ポジション。長じては血筋のせいかレベルはがんがん上がり、今や57、か)
もちろん魔物狩士の闇バイトをしていることはごく身近な人間しか知らない。だが、こんな仕事をしていると自然と物騒な気配を全身から発したり、目つきが悪くなってもおかしくない。
「ふふ、そうさ、どうせ私はカッコイイ女にはなれても、可愛い女にはなれない運命さ......ハハ」
「どうしたのかしら、ナターシャ様」
「何か目が虚ろだわ」
「アンニュイよね。素敵っ」
急にブツブツと呟きながら、ナターシャは一枚二枚と不要になった花の花びらをむしり始めた。そして、その背中に突き刺さる容赦ない三人娘の言葉。悪気はまるでないだけに始末が悪い。
「すいませーん、花輪二つ下さいー」
「はい、ただ今! おっと、デューター様ではないですか」
思考を停止させているナターシャだったが、客に声をかけられれば即座に反応したのは流石だ。声をかけたのはフレイである。その横に会ったことのない鳶色の髪の美人がいるのも、当然目に入る。
(おおっ、綺麗どころだ。こんなぽやんとした顔のくせにデューター様やるなあ)
お得意様に対していささか失礼な感想である。ちなみに初めてナターシャの花屋で買い物してからフレイは二度立ち寄っているので、もう名前と顔は完全に一致する。
「一番標準的な大きさの花輪でいいですか?」
「うん。あ、それとこの百合を一輪下さい」
「はい、承知しました。花輪は持って帰るんですよね。百合はいかがされますか?」
神への捧げ物となる花輪は分かるが、百合一輪だけとは奇妙な追加だ、とナターシャは思った。だが客の要望だ。異論はない。
「真ん中くらいで切ってください、あ、それくらいで」
ナターシャから茎を適当な長さに切られた百合を受け取り、フレイはそれをひょいと隣の美女の髪にさした。いきなりのその行動に美女、つまりマレットが「ひゃ!?」と裏返った声を出してフレイの顔を見上げる。
(! 何という奇襲!? これが貴族......)
ナターシャは目の前で展開される恋人同士の戯れに目を奪われた。花に関してはプロのナターシャである。百合の白と女の髪の鳶色は見事にお互いを引き立てあって、その存在感を増している。
「え、これはその。どういう?」
「マレットさんの髪に合う花だと思ったんで。せっかく花屋に寄ったんだしね」
お互い顔を赤くしながらも、初々しい会話をかわすマレットとフレイ。先手を取った分だけ、フレイの方に余裕があるようだ。傍で見ていたナターシャにははっきり分かる。
(もうこれは完全に落ちたな。凄いよ、デューター様。あんまり私の好みじゃないけど、今日のあなたは輝いてるよ!)
「えっと代金は?」
「40グランになります」
「あれ? それじゃ花輪二つ分にしかならないのでは?」
顔に?を浮かべて聞いてくるフレイに、ナターシャは営業スマイル全開で答えた。この幸せ者め、私からプレゼントだ。
「百合はサービスさせていただきます。恋愛の神ルー・ルオンのご加護がお二人にあらんことを」
ナターシャの返事にフレイの顔が赤くなる。今さら人前でイチャイチャしていたことを自覚したらしい。
それじゃせっかくなのでと40グランだけ財布から出してきたので、ナターシャはそれをまたもや完全な営業スマイルで受け取った。
「ありがとうございました、デューター様! またのごひいきをお待ちしていまーす!」
屋台から離れていく二人を見送る。虚しい。ナターシャはふーとため息をついた。目前で恋人とはかくあるべし、というお手本を見せつけられたのだ。平静ではいられない。
「今の何、カッコイイ!」
「髪に合う花だと思ってだって! キャー!」
「絶対あの女の人、目がハートになってたわよね!」
三人娘がキャイキャイと騒いでいるのが耳に届く。しかしそれを咎める意思もその気力も、ナターシャには残っていなかった。なんだか目の前の美しい光景に全てのエネルギーを吸い取られた気分だ。
(いつか私も、かっこいい男性にあんな風に扱われてみたい)
その思いだけが心の中で存在感を占めていった。現実的にいつになるのか分からない。けれども夢想するのは自由だ、と自分を納得させながら。
******
「すいません、残っている花を全ていただきたい」
深みのある男の声を聞き、ナターシャは視線を上げた。もうそろそろ在庫が無くなり始め、店仕舞いしようと考えていた時だった。日もかなり沈み赤みを増している。
「全部、ですか? それは構いませんが結構な量になりますよ」
答えながらナターシャは客を見上げた。相当に背の高い男だ。深緑色の髪を長く伸ばし首の後ろ辺りで括っている。それだけ見ればチャラいが、謹厳さが表に出た硬質な面立ちは十分二枚目である。
(もろにタイプだ! 神様、ありがとう!)
おおっと心の中で喜びながら、ナターシャは残っていた花を全部箱に入れ始めた。花輪や花束になっている物もあれば、一輪ずつになっている花もある。残り物とはいえ全部かき集めると相当な量だ。
「店仕舞いしようと思っていたので、全部で300グランでいいですが、持って帰れますか?」
「何とかします、ああ、領収書を切ってください。ハイベルク伯爵家宛てでお願いします」
代金を払ってから、男はナターシャが花を詰めた箱を屋台の表側に運んだ。一抱えもある箱が三つもある。かなり一人で運ぶのはきつそうだ。
(今、ハイベルク伯爵家って言った? デューター様の下宿先だ)
そうすると――この二枚目はハイベルク伯爵に仕える使用人か、とナターシャは推測した。箱を見る。ついで男を見る。長身を器用に屈めながら男は三つの箱を抱えようとする、しかし花が邪魔してちょっと難しそうである。
(どうせこれで店仕舞いだし。いいや)
「母さん、私この人手伝ってくるよ。一人じゃ運べなさそうだし」
「いいわよ、屋台の方は私が片付けておくから」
後ろにいた母親に一言かけて、ナターシャは男のそばに屈んだ。予想外の申し出に意外そうな顔をしている男に、ニッコリと微笑む。
「最後のお客様なのでサービスです。一つ運びますよ」
「......すまない。感謝します」
一瞬ためらった男だが、実益を優先したらしい。箱のうち二つを抱えて立ち上がる。その長身の横に一つだけ箱を持ったナターシャが並んだ。
「こっちです、お願いします」
「はい、喜んで」
神舞祭の遅い午後の熱の中を、のっぽの男と花屋の娘は歩き始めた。
「ああ、なるほど。使用人の分の花も全て買ってあげようと」
「ええ。ブライアン様の配慮ですね。お優しいんですよ」
ヨイショと声を出しながら、その合間にナターシャと男はぽつぽつと声を交わした。黙って歩くには祭りの雰囲気は明るすぎ、それに荷物があるなら声でもかけないとやってられない。
「それにしてもお一人でって無理でしょう。えーと、失礼ながらお名前を伺っても?」
「ロクフォート。ロクフォート・リザラズです。ハイベルク伯爵家で執事をしています」
「ナターシャ・ランドローです。見てのとおり花屋です。でも、ロクフォートさんがいくら大きいからってねえ」
ナターシャの指摘にロクフォートは苦笑した。その間にも足は止めない。
「まあ、男手が不足していますから。それにブライアン様にはいつもよくしていただいています。これくらいは当たり前です」
「偉いですね、ロクフォートさん」
感心しながらナターシャはロクフォートを見上げた。身長170cmの自分がわざわざ見上げなければならない相手だ。多分185cmはあるだろう。
「いえいえ」と控えめに笑いながら、執事は二つの箱を力強く運ぶ。その姿には中々に男性らしい魅力がある。ツ、と一筋汗がそのこめかみをつたい首もとに流れるのを見て、ナターシャは思わず顔を赤らめた。
(か、かっこいい。神様、ありがとう! 恋人でもなんでもないけど、こんな人と一緒に歩けて私は満足だ!)
心の中で小さくガッツポーズをして「さあ、がんがん運びましょう!」と気合いを入れるナターシャ。その横でロクフォートが(この子凄いなあ)と思っていることなど、彼女は知る由も無かった。
傾いた日に照らされたのっぽと花屋の二つの影が、祭りに沸く王都の石畳に仲良く黒い姿を並べていた。
まだ続くデート回。そろそろフレイは爆発すればいいと思う。




