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講座終了 & フレイ、デートに誘う

 ピッ、と軽快な音が教室に響く。時計代わりに使っていた映像水晶の音だ。それと共にマレットが口を開いた。


「時間です。お疲れ様でした。それでは、早速答え合わせに入ります」


 答案用紙は回収しない。マレットが黒板に答えを書き、それぞれが自己採点する形式である。



 第一問

 在庫(資産) 5,000 / 買掛金(負債) 5,000・・・仕入れ


 売掛金(資産) 10,000 / 売上 10,000・・・売上計上


 売上原価 5,000 / 在庫(資産) 5,000・・・売上の為の出荷


「基本ですね。どの商会でも基本となる取引に伴う仕訳です」



 第二問

 買掛金 (負債) 5,000 / 現金(資産) 5,000


「第一問で計上した買掛金を現金で支払う仕訳です。これもよく出ますよ」



 第三問

 二年目終了時の減価償却累計額=5,400


「まず一年ごとの減価償却の仕訳を作りましょう。(30,000ー3,000)÷10=2,700となるので、一年あたりの減価償却費は2,700になります」


 仕訳にすると

 減価償却費(費用) 2,700 / 減価償却累計額(資産) 2,700


「減価償却累計額は資産ですが右側にくるため、通常左側に記載される資産のマイナス勘定となります。これが年数を経過すると蓄積されていくわけです。さて、二年目終了時の減価償却累計額なのでもう一年分、同じ仕訳を切るため、答えは2,700 x 2=5,400となります」



 第四問

 現金 (資産) 500、貸し倒れ引き当て金(資産) 3,500 / 売掛金(資産) 4,000


「現金500を得たので、それを左に。倒産により売掛金が減少したので、それは右に。左が3,500足りないことになるので、そこに今まで計上していた貸し倒れ引き当て金をあてます」


 第五問

 前払い費用(資産) 6,000 / 現金 (資産) 6,000・・・一括前払い時


 乗馬費(費用) 1,000 / 前払い費用(資産) 1,000・・・毎月計上


「最初に前払いで6,000グランを払ったのでそれは前払い費用で計上します。そこから六ヶ月かけて費用化していくので、一月あたりの金額は6,000÷6=1,000グランですね」


 マレットの解説が終わった。いつの間にか勇者様の映像も止まっている。フレイは自分の答案用紙を信じられない思いで見ていた。そこにあるのは全部丸。つまり全問正解だ。


「全問正解だった人、おめでとうございます。間違えた人も気落ちしないでください。これを踏み台にして、これから簿記の知識をどう生かして行くかの方が大事なのですから」


 朗らかに教壇でマレットが笑っていた。その暖かい言葉に教室の生徒の表情が綻ぶ。


「全問正解おめでとう、フレイ」


「ま、当然だろ? ソフィーもみたいだな」


「当たり前じゃない」


 声をかけてきたソフィーにフレイが答えると、ソフィーはピースサインで返してきた。まかり間違っても将来の仕事に生かそうと思うなら、こんなところで躓いていられないということらしい。


 一息おいていたマレットがふー、と息を吐き、そして神妙な顔で全員を見渡す。自然と教室の空気がそれに合わせて静かになった。


「これで"勇者様に学ぶ簿記"の授業は終わりです。途中で中断期間もありましたが、なんとか最後まで無事に終えることが出来ました。ありがとうございました」


「ありがとうございました」


 深々とマレットが頭を下げたので、全員が慌てて立ち上がり頭を下げた。無料で基礎だけとはいえ教えてもらったのだ、本来礼を言うのは自分達の方である。


 顔を上げたマレットが「もう教室を片付けますよ」と言ったのを合図に全員が退室に入る。横からソフィーが何か話しかけたがっていたような気はしたが、フレイは慌てて教壇の方へ走った。


 (ここでは誘えないから、とにかく後で時間作ってもらわないと)


 そう考えながらマレットの横に立つ。ちょうど黒板を消そうとしていた彼女の手伝いをしようと黒板消しを取り、手の届きにくい上の方へ手を伸ばした。


「あ、すいません。ありがとうございます」


「いえ、これくらいなんともないです」


 何でもない言葉のやり取り、だがフレイの脈が微妙に上がる。ちょっと屈んで黒板の下の方を消そうとした時、マレットとの距離が近づいた。それを利用して小声で囁く。


「......教室出たら裏手で待っててもらえませんか?」


 マレットから言葉は返ってこなかった。ただフレイにだけ分かるようにこくん、と小さく頷いただけ。一瞬だけ目と目が合い、お互いが意図するところを読み合おうと交錯し、そして離れる。


「終わりましたよ」


「ありがとうございました。では私はこれで」


 何でもないように装い、マレットは先に教室を出ていく。それを見送るフレイは、微妙に緊張しているのを自覚していた。


 (すぐ出たら不自然だよな。他の生徒もいるし)


「フレイ、どうしたの?」


「あ、ああ、ソフィーか。何でもないよ」


 斜め後ろからソフィーが声をかけてきた時、フレイはびくっと震えた。まるで気がつかなかったのだ。そしてソフィーは自分が懸念していたことが当たっていたのだな、と内心残念に思う。


 (あーあ、やっぱりマレット先生と話したいんだよね......仕方ないか)


「えっと、あたし帰るね、フレイ」


「帰るのか?」


 正直ソフィーにどう言いくるめるか迷っていたフレイだけに、彼女から言い出してくれたのは嬉しい誤算だ。だが同時に拍子抜けしてもいた。最後だし打ち上げでもいこう、と言われると思っていたのだ。


「うん。明日も早いし。ね、一個だけ約束してほしいことがあるの、フレイ」


「何だよ。いやに神妙な顔してどうしたんだよ?」


 ソフィーの顔が真剣味を帯びていたので、フレイは首を傾げた。それでも、どうせまた飯でもおごってくれとかだろうとタカをくくる。


「......講座終わっちゃったけど、また遊んでほしいな」


「そんなことか、いいよ。私塾で使わなくなったテキストあったら貸してやるよ、だからそんな神妙な顔すんな」


 はは、と笑いながら、フレイはポンポンとソフィーの頭を叩いた。うん、と頷き、ソフィーが先に出口に向かった。振り返ったのは一度だけ。


「じゃあ、またね」


 笑顔を作れただろうか、口許は歪んでいなかっただろうかと金髪の少女は自問しながら教室を出る。正直しんどい。無理にフレイを引き止めようとするならそれは可能だったと思うが、うざい女の子と思われるのは嫌だ。


 だから彼女に出来たのは――ただ一つだけ。


 とにかく今日は、自分が仄かに想いを寄せる男性の邪魔をせず、まっすぐ帰ることのみ。


 (――フレイの馬鹿)


 いつか自分に振り向かせてみせる、とまだ折れない気持ちを胸に秘めてソフィーは空を見上げた。夏の夜空が王都の建物の間から広がり、星達が微かな光を転がしているのが見える。


「ねえ、なんとかならないかな?」


 星に願いを。虫がいいことを承知で、ソフィーは呟かずにいられなかった。



******



「すいません、待ちました?」


「いえ、それほどでもないですよ」


 一方、ソフィーを見送ったフレイは教室を出て裏手に回った。他の建物の陰になる一角があり、そこからマレットがひょっこりと顔を出しているのを見つける。


 他の生徒の姿は周りにない。もう皆帰ってしまったようだ。ちらほらと食事や酒を終えた通行人が二人の横を通過していく。夏である。夜は長く、また暑いからこそ友人と飲む酒もまた美味い季節なのだ。


「あの」


「あの」


 フレイとマレット、二人の声が重なった。気恥ずかしいような、気まずいような気分になり、二人は同時に口をつぐむ。


 そしてこういう雰囲気を敏感に察して先手を打ったのは、マレットだった。


「歩きながら話しましょう。その方が顔を見合わせているより話しやすい気がします」


「そうですね」


 幾分ほっとしたようにフレイは同意した。確かに真正面からマレットの顔を見るよりは、並んだ方が話しやすい。


「講座終わっちゃいましたね」


「初心者用の内容だけですから、そうたくさんのことは出来ないですし。私、ちゃんと分かりやすく話せてました?」


 少し眉を寄せ、困ったようにマレットは顔をしかめる。そんな表情にいちいちドキドキするフレイだが、横目で見ているせいかさっきよりは落ち着きを取り戻していた。


「分かりやすかったです。ほんとに。あの、改めてありがとうございました」


「いいえー、当然のことをしただけですよ。フレイさんにはバーニーズ事件の時も助けてもらったし、こちらこそお礼を言わなくてはいけないです」


 朗らかにマレットが答える。それに背中を押されるようにフレイは意を決した。小さく吸った息を吐き出しながら言葉に変える。


「あの、マレットさん。神舞祭の日、空いてますか?」


「ええ、今のところ特に予定はないですけど」


 サラっと答えながらも、マレットは自分の脈が速くなった気がした。わざわざ講座が終わった後に待たせるくらいだ。何か話があるのだろうとは当然予期していたが。


「もしよかったら、俺と一緒にお祭り行ってもらえませんか。あの、王都のお祭り、俺初めてでよく分からなくて。一緒に行ってくれたら嬉しいなー、なんて」


 右横を歩きながらフレイが話す。少し照れているのか、普段から比べると上擦ったような口調になってしまった。けれども、話しながらもさりげなく、自分が大通りの側を歩いている。女性が交通事故に巻き込まれないようにする為の配慮である。


「いいですよ、喜んで。でもフレイさんは」


 マレットは言葉を切った。誘ってくれた男の真意を確かめるようにその顔を見上げる。


 嬉しいのは嬉しいが、自分でいいのだろうか。


「私と一緒で楽しいですか?」


「はい。マレットさんと見てみたいんです」


 最大の関門を超えたためか、フレイの口調に淀みはない。マレットもここまで言われて悪い気はしない。ティリアに相談した通り、フレイのことが気にはなっていたのだから。

 

 この講座が終わっても、少なくとも一回はフレイと話す機会が出来たのが素直に嬉しかった。


「では、一緒に行きましょうか。神舞祭は大きなお祭りなので、色々と見るところがあって楽しいですよ」


 言いながらマレットは自分の表情がほころぶのが分かった。動機はどうあれ、フレイが自分を誘ってくれたことが素直に嬉しかった。フレイも微笑しているのが分かる。


「あ、そろそろこの辺で」


「そうですね。待ち合わせ場所や時間、どうしたらいいですか?」


 適当な曲がり角に来た時、マレットが足を止めた。それに応じながらフレイがマレットに聞く。少しだけ考えてから、マレットが答えた。マレットも女性としては背は低い方ではないが、フレイを自然と見上げる形になった。


「正午に"勇者様に学ぶ簿記"を行ったあの建物の前、ではどうですか? 神舞祭の日は私の勤めている会計府も休みですし、私塾も休講日ですから」


 フレイが断る理由はない。あっさり承諾して、マレットに向き直る。


「じゃあ、お祭りの日に」


「はい、それじゃ楽しみにしていますね」


 男の青い目と女の鳶色の目が合った。通行人のために街中に設置された街灯に照らし出され、二人の影が石畳に伸びている。クスッと笑ってマレットは手を振る。フレイも自然に笑顔になった。


「おやすみなさい、マレットさん」


「おやすみなさい、フレイさん」


 そして二人はそれぞれの家路についたのであった。



******



 その頃ハイベルク家では。


「帰り遅いわね、あの子......」


「リーズ、ちょっと過保護じゃないか? フレイだっていろいろあるんだよ」


 首尾よく誘えたのかと聞きたい思いでいっぱいのリーズガルデと、そんな妻をなだめるのにいっぱいいっぱいのブライアンがフレイの帰りをまだかまだかと待っていたのは――また別の話である。

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