表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/66

フレイ、偶然出会う

「ふう。とりあえず明日から昼間も用が出来たか」


 "勇者様に学ぶ簿記"の最終日を三日後に控えた夏の日の午後。フレイは炎天下の街角を歩いていた。時折そよ風が吹くのが救いであるが、毎日少しずつ気温が上がっていく気がする。正直げんなりしている。


 夏バテしやすい体質なのだ。そんな彼が何故この暑い中、わざわざ外出しているのか。それは、会計を学ぶ為に私塾の入塾手続きを済ませたからであった。


 以前見学させてもらった時に分かっていたが、授業は週三回、どれも午前中だ。こういう私塾は経理業務の外注も引き受けているため、希望者はそれを行うことも出来る。


 通常のそういった仕事から得られる賃金の水準より安い。だが、私塾の生徒からすると、実戦経験を重ねながらお金が貰えるため、希望者は少なくない。また外注を頼む商会の立場から見れば、やや割安で発注可能であるため、双方にメリットがある。もちろん未経験者だけで仕事は出来ないので、経験者と組ませてこういう外注業務はこなすというのは鉄則だ。


 フレイもこれをやることにした。具体的には私塾の授業がある日及びもう一日、つまり週四回は昼から夕方までこの外注の経理業務を行うのだ。これだけ働けば、私塾の学費を払ってまだお釣りがくる。実家からの仕送りと合わせれば、そこそこゆとりがある生活が送れるだろう。


 (今日聞いた限りだと、とりあえず王都の公式認定の簿記試験に受かるのが第一目標かな)


 シュレイオーネ王国は能力、知識の客観的な測定の為に数々の資格試験制度を導入していた。

 当然、受験希望者はこれに伴う受験勉強が必要になるし、また「簡単に試験に受かるためのテクニック」を看板に、受験希望者からなけなしの金をもぎとる悪徳業者がはびこる要因となっているため、一概にいいとばかりは言えない。


 それでも資格の導入による知識の可視化、体系だてられた試験勉強を通して必要な知識を効率的に身につけることが出来ることには違いない。この制度は概ね成功だという見方がメジャーであった。


 やや蛇足かもしれないが簿記、会計、経理の意味について、ここで整理しておこう。

 簿記とは、個人や商会が行う経済活動を仕訳にして帳簿に記すことを指す。フレイが今習っているのがこれに当たる。

 会計と経理はほぼ同じ意味であり、しかも簿記に密接に関係するのだが、もう少し大きな意味となる。経済活動を数字に表して外部の人間が見やすい所定の様式――これを財務諸表と呼ぶが――にまとめ報告するのが会計だ。


 言い方を変えると、会計や経理を実行するためのメインとなる知識が簿記ともいえる。


 (今日の説明じゃあ、会計の高位専門職の会計士になるには簿記だけじゃ無理って話だったなあ)


 フレイは私塾の塾長の説明を思い出す。彼の言葉によると、会計士とは商会が作成する財務諸表が正しく作られているか、またそれに合わせて商会が不正な経理処理をしていないかを調べ、判断する職業を指すらしい。会計士になるためには必ず会計士試験に合格しなければならず、事実上試験が登竜門となっていた。


 だが簿記知識以外にも数々の法律、経済活動に対する知識を問われる会計士資格試験は相当の難関だ。会計や経理を生業としている人間の憧れの職ではあるものの、多くの者はそれよりぐっと難易度が低い簿記試験に受かることを現実的なラインとしており、またそれでも十分仕事ができるレベルにはなっていた。


 将来的に会計士を目指すのは悪くないが、それを視野にいれつつ現実的にまずは手始めに簿記試験に受かろう。そうフレイが考えるのは、極めて自然なことであった。


 まあ先は長いさー、と嘘ぶきながら歩くフレイの視線が、ぴたりと一点で止まった。街中に並ぶ屋台の一つに目が釘付けになり、それに合わせて足が止まる。


「あいつ、何してんだ?」


 フレイの視線の先、野菜や果物を積んだ屋台の一軒で店番をしている金髪の少女は間違いない、ソフィーである。いつもスカート姿の彼女だが、今日は膝丈までのハーフパンツと飾り気のない簡素なシャツだ。いかにも労働者という姿に、フレイは意表を突かれた。


 急いで帰らねばならない予定はない。そのままそっと様子を見ると、訪れる客への応対をちゃんとやっているようだ。商品――オレンジだったりキャベツだったりなわけだが――を引き渡し、代金をもらいながら「ありがとうございました」と答えている。立派に働いているではないか。


 どうやらお飾りであの屋台にいるわけではなさそうだ。けれども、アンクレス商会のお嬢様のソフィーがわざわざあそこで働く意味がフレイには全く分からない。もうちょい似合う仕事があるだろう、と思うが、何か理由があるのだろうか。


 (はっ! 分かった、あの屋台の主にソフィーのやつ、惚れて頼みこんで働くことにしたんだな)


 夏の日差しで頭が沸いたのか、フレイは短絡的な考えに飛びついた。本気でそう思っているところが恐ろしい。そうと決まれば俺が応援してやらねばと思いながら柱の陰から見ていると、屋台の後ろからゴソゴソと人影がソフィーに近づいたのが見えた。


 ......白髪頭の人の良さそうなおじいちゃんだ。恐らくあの屋台の屋台主なのだろう。いくらなんでも、あのおじいちゃんに片思いするほどソフィーの男の趣味は片寄っていないと思う。もしかしたら両思いなのかもしれないが。


 (ええい、考えるのは面倒だ。直接確かめてやる)


 自分の憶測を見当外れと断定し、フレイが客の振りをしてソフィーに話しかけたのはそのわずか30秒後。驚きながらも、ソフィーは今日のお勧めである巨大トマトと魔法肥料による有機栽培のトウモロコシを「せっかくだから友達価格で販売してあげる」とのたまった。本当にしっかりした店員である。


 友達価格が通常の三割増しであることにフレイは憤ったが、友情の分だけ高いというソフィーのロジックになぜかねじふせられた。情けない男である。



******



「で、なんで屋台で、八百屋の手伝いなんかしてたんだ?」


 一時間後、フレイとソフィーは一軒のカフェで向かいあっていた。フレイが話しかけた時にはソフィーの就業時間が終わりに近づいており、時間を適当に潰してからフレイが誘ったのだ。



 この暑い季節である。バーニーズ捜索の折に倒れかけたソフィーが、屋台とはいえ屋外で働くのはどう考えてもおかしかった。現に今も冷たくしたミルクティーをがぶ飲みしている。


「やっと生き返ったわ。で、ごめんね、なんだっけ?」


「なんであんな屋台でわざわざ働いてるのかって聞いてるの」


「んー、まあ話しは単純なの。うちの父親があたしを後継ぎとして考えていないのは前に話したわよね?」


 フレイは頷いた。確か簿記講座に来ているのは、それに対する反発もあったはずだ。


「でも、あたしは将来何らかの形で商売にかかわりたいの。もうアンクレス商会の後継ぎとは言わないまでもお店手伝ったり、他の商会でお仕事したりとか」


 ソフィーの話をまとめるとこうなる。

 ここ数日間、一時は収まっていたソフィーの将来の進路希望がむくむくまた頭をもたげてきた。それを父親に話したところ、やはり反対され、口論の末に「花嫁修行でもしていろ」と言われてしまい、大喧嘩になったらしい。


「そこまで言われたらこっちも後に引けないから、根性見せてやろうと思って。とりあえずツテも何もないから、市場にお店だしている屋台に片っ端から声かけて"短期でいいから雇ってください"って頼んだのよ」


「無謀っていうか、見上げた根性というか......」


 フレイは呆れながら飲み物を口にした。普段かしましいので見落としがちだが、ソフィーは相当な美少女である。無作為に40人ほど道行く女性を選んだなら、恐らく一番か二番くらいにはなるだろう。

 そんな見目麗しい少女が、まさかきつい屋台の八百屋で働くなど似つかわしくないにもほどがあった。事実、土で頬は汚れているし、細い二の腕は筋肉痛なのか微妙に痙攣することがある。


「で、それで一日いくら貰えるんだよ」


「一日7時間働いて50グランね。賄いつきだから、お昼代は心配しなくていいの」


「多くはないな......」


 普通の宿に一泊したら消えてしまうような金額だ。さすがに家出までしたわけではないソフィーだからそれで納得して働けるのだが、労働対価を考えればやはりきつい。


「ん、でも仕方ないよ。あたし今はなんにも出来ないもの。フレイみたいに私塾行けるわけじゃないし、マレットさんみたいに働いてるわけでもないからね。これくらいしか出来ないんだ」


 はは、とソフィーは笑った。


「とりあえず一ヶ月くらい勤めて、うちの親に自分達の娘はきつい仕事でもやれるよ、ってとこ見せつけてやるの。お金は二の次」


「ソフィー、すまん」


 軽く頭を下げたフレイに、ソフィーが目をぱちぱちとする。


「どーしたの?」


「俺、お前のこと誤解してた。もっとチャラチャラしてると思ってたよ」


「それは酷いなー。でも無理ないか、そこそこ裕福な商会の一人娘だしね。苦労や悩み事とは無縁に思われがちだし」


 だから気にしないでね、と付け足してソフィーは残ったミルクティーを一気に飲み干した。



******


 

 勘定を済ませ二人は店を出た。そろそろ帰る時間である。

 じゃあね、と手を振ったソフィーが家の方に向かおうとした時、ぐいと肩を掴まれた。振り返るとフレイの真剣そうな顔があった。


 不意打ちをくらったに等しい。ソフィーの心拍数が上がる。そろそろ時刻は夕方になり、そよ風が吹き始めている。にもかかわらず、自分の体温が上がったような錯覚を覚えた。


「荷物貸せよ、家まで持ってってやる」


「え?」


 ソフィーの了解を待たずにその肩にかけた鞄を、フレイはさっさと手に取った。財布や着替えなど日用品が入っているだけなのでさほど重くはないが、意外にかさばっているのを見かねたらしい。


「今日だけ特別だからな? 明日はちゃんと自分で持てよ」


「じゃあ、お言葉に甘えちゃおっかな。ありがとう、フレイ」


 ソフィーの返事に短く「おう」とだけ答えて、フレイは歩き出した。ソフィーもその横に並んで歩きだす。




「あたしね、フレイに謝らなきゃいけないことがあるの」


 ソフィーの言葉に対してフレイは無言だ。ただ目だけで先を促す。


「バーニーズ金物店の時に無理矢理調査に加わらせてもらったじゃない。付き合ってるからとか言って」


「ああ、あれにはビックリしたなあ」


 はは、と苦笑するフレイの表情は明るい。怒ってはいないようだ。


「講座もお休みになって、フレイに会う機会なくて。それでたまたま会ったときに話聞いたら、マレットさんとフレイが二人で事件調査してるって聞いて」


 そこでソフィーはちょっと言葉を切った。どういえばいいのか、言葉を選ぶように少しためらってから、再び口を開く。


「自分だけのけ者にされたみたいで、ちょっと寂しくなっちゃって。迷惑だって分かっててもフレイをちょっと困らせてみたかったの」


「......まあ、もういいけどさ。いきなり何言い出すかと思ったよ、びっくりさせんなよな。マレットさんすっげー怖い顔してたし」


 その時のことを思い出したのか、フレイは顔をしかめた。だがそのしかめっつらは一瞬で終わり、青年の右手がぽんぽんと少女の頭を叩く。


「あんまそういう冗談言ってると友達なくすぞ?」


「――ほんとそうだよね、気をつけるよ」


 ソフィーが笑顔で応じたことでフレイは安心した。とりあえず、これで変なわだかまりは解けたらしい。だが一瞬だけ彼女の返事が遅れたことには、全然フレイは気づいていなかった。当然その理由など分かるはずもない。



******



 (謝れたのはよかったけど)


 その夜。

 ソフィーはごろりとベッドに寝転がりながら、ため息をついていた。もう湯浴みも済ませ、寝巻きに着替えている。枕元のランプが彼女の金髪を部屋の闇に淡く浮かび上がらせていた。


 (やっぱり相手にされてないのかなあ)


 二人で肩を並べて帰るという結構親密度の高いシチュエーションであったのに、ああも淡泊な反応をされると流石にめげる。あの時はわざと冗談めかして付き合ってるから自分も仲間に入れろと言ったし、フレイへの説明にも嘘はないが。それでも、もしフレイが少しは自分を意識してくれていたなら、もう少し違う反応をしてくれてもいいのではなかろうか。


 全部冗談扱いだと捉えられたのならば、15歳の乙女が多少落ち込んだとしても無理はなかった。


 (んー、マレットさんにも宣戦布告しちゃった手前、もう後にも引けないけどさ......正直自信ないよお)


 もうじき簿記講座も終わり、自然にフレイと話す機会は無くなってしまう。何とか口実を見つけて会えばいいのだが、そうなると自分の気持ちをある程度真面目に伝えていく必要はありそうだ。


 そして、それには勇気がいる。


「あーあ、あたしって意気地なしだなあ。ケイトのアドバイスどおり、好きな人いるのかどうかさえ今日聞けなかったし」


 ため息をつきながら枕に顔をうずめる。普通に友達としてなら何でもぽんぽんと話せるのに、友達から恋人に至るまでの壁の高さと取るべき手段を選ぶ難しさが立ちはだかる。ソフィーの乏しい恋愛経験では、意地悪なくらい高い壁にしか見えなかった。


 (こういう時、マレットさんならどうするのかな? きっとどうすればいいのかすぐ分かるのよね......大人っていいな)


 綺麗だし仕事は出来るし、おまけにスタイルもいいときている。将来性込みならともかく、現在のスペックでは自分は恋敵に負けているとソフィーは思わざるを得ない。


 しかし悩んでいても仕方がない。とりとめの無いぐだぐだした思考は一旦打ち切った。


「今日はフレイに会えてちゃんとお話出来た、よし、今日はいい日だ! おやすみなさい」


 ポジティブに自分に言い聞かせてランプの灯を消すと、室内が一気に暗くなる。昼間の労働の疲れもあったソフィーは、すぐに眠りの淵へと落ちていった。



******



 同時刻、その憧れの大人の女はどうしていたかというと。


「あらやだ、勇者様ったらこんなお店まで行ってるなんて」


 映像水晶を勝手に動かして、簿記講座では見せられなかったマル秘映像を見て喜んでいた。「18歳以下の者見るべからず」と厳重に封印がされた映像である。特殊な手順で封印を解除しない限り見ることは出来ない。


「え、え、え、そこでそっちの子を選ぶなんて予想外!」


 楽しんだ者勝ちというのを地で行っていた。これもまた大人の女の余裕なのであろう。

韓国ドラマにはまる女子みたいなものです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ