リンも大好きラングドシャ
レアンドロからヴェイン老を紹介された私と花梨の生活は、また少し変わった。
午前中に別行動をして、私は昼食の準備を、花梨が図書室で勉強をするところは変わらないが、午後はヴェイン老から一般教養に似た授業を受けるようになったのだ。
……まあ、授業っていうより、お茶会だけどね。
ヴェイン老の授業は、教室に机を並べて受ける授業とは違う。
私と花梨が不思議に思ったこと、疑問に思ったことをあげて、それにヴェイン老が答えることで授業は進む。
花梨は図書室で知識を仕入れる担当をしていたので、よく勉強をしている、と褒められていた。
私はお菓子を作って持っていくことが多いのだが、やはり甘さは足りないらしい。
ヴェイン老が街でお菓子を買って持って来てくれるのだが、食べ比べてみるとその差は歴然としていた。
エンマは「少し甘さが足りない」と言っていたが、あれは私に対して気の使われたお世辞だったのだろう。
少し甘さを足した程度では、この国のお菓子の標準的甘さにはならないはずだ。
そのぐらい甘い。
とにかく甘い。
「……これは、あれですか? 貴族の財力を見せる目的というか、見栄を張って高価な砂糖をたっぷり使う文化的な……?」
「確かに砂糖は安くはないが……そのような文化がある、という話は聞いたことがないの」
「つまり、菓子職人やこの国の人の素の好みがこの甘さ……?」
「甘さの暴力だ……」
顔を顰めながら、花梨がホットチョコレートをちびちびと飲んでいる。
ヴェイン老の連れて来た従者が淹れたホットチョコレートは、この国の人たちの基準で砂糖が入れられているため甘い。
甘すぎた。
私も花梨も甘いものは好きだったが、甘すぎるものは苦手かもしれない。
とくに、このホットチョコレートは喉が痛くなるほどの甘さだ。
――口をつけたからには、頑張って飲みきるよ。
――レンちゃん、気をつけて! ヴェイン様、たぶん身分ある人だから! お残し文化の罠が待ってる!
一口残さないと、おかわりを足される危険があるぞ、と花梨が『内緒話』で警告してきた。
言われてみれば、身分の高い人たちの間にはそういう文化がある、とエンマが実行していたはずだ。
お残しはしたくない、と頑張るのは危険かもしれない。
「……そして、身分ある者はたいがい読唇術を身につけておるから、内緒話はほどほどにな」
「およ?」
「レアンドロさんが教えてくれた『内緒話』、本当に使えるところが限られてるね……」
読唇術ができる者には通じない、とあらかじめレアンドロから聞いてはいたが、『内緒話』を教えてくれたレアンドロがこの条件に当てはまっているし、ヴェイン老にも通じないらしい。
簡単に使える魔法ではあるが、本当に使いどころがない魔法だった。
「お嬢さん方は、食事を残すことに抵抗があるようじゃな?」
「故郷では『お残しはいけません』『もったいない』って躾けられてきました」
「お残しをすると『おばけが出る』って、子どもは聞かされて育つんですよ」
「ほう、化け物が出るのか。それは怖いな」
ヴェイン老が苦笑いを浮かべ、そのまま話題が『お残し』になったので、この日はお残し文化の話になる。
『お残し』と単純に文字だけを見ると日本人としては抵抗があるが、さまざまな意味や意図があって生まれた文化らしい。
『足りない』という催促に受け取られる場合もあったようなのだが、これは少し古い慣習なのだとか。
エンマは力の強い精霊ということで、イコールで結ぶと精霊の中でも古い精霊ということになる。
だから古い慣習を知っていて、特に指示をしない限りは経験という名の慣れた常識で判断するのだとか。
『足りない』の他には、料理人へのメッセージ、という意味合いもあるらしい。
単純に口に合わなかったから残す。
良い食材を使っているが、使用人の分などないので、主人の『お残し』で主人と同じ食材を試せるように。
主人の食事と見習い料理人の食事が同じはずはないので、主人の残した料理で先輩料理人の味を学べ。
他にもいろいろな意味や意図があっての『お残し』らしい。
残すことに抵抗があり、だからといって『おかわり』を催促しているわけではない時は、普通に口頭で断ってもいいそうだ。
「……それ、最初に知っておきたかったです」
「エンマが持って来てくれた食事、全部食べる必要なかったんだね……」
食事の話題繋がりとして、そのまま食堂のメニューが毎日同じことについても聞いてみた。
途中からなんとなく気が付いていたのだが、やはり毎回同じメニューな理由としては、設備や手間といった物理的な理由だったらしい。
学校給食のように巨大な鍋やコンロを用意するだけなら不可能ではないが、それを人の力だけで扱うことは難しい。
火加減の調整は、鍋の底があたる高さを調整したり、薪との位置関係で変えている。
現代日本のように、一箇所で強火から弱火に変えて使うことは難しいのだ。
巨大な鍋をその都度火力の違うコンロへ、それも調理中に、人力だけで移動するなんて不可能に近い。
人の力だけで大量に必要になる調理を、となった時に、調整として減らされたのが『メニューを考える時間』や『作業の手間』といったところだったのだろう。
食堂がビュッフェスタイルで、魔法師たちが利用する時間が決められていないのも、このあたりが関係しているのかもしれない。
毎食違うメニューを食べられる身になるためには、まず主筋の人間よりも多い数の料理人を雇い、広い厨房にいくつものコンロ、竈、オーブンが必要になる。
鍋やお玉、木べらといった調理に必要になる道具の数も、私が考えるような数ではすまない。
使ったそばから洗い、また違う料理に使う、それをまた洗い、次の料理に使うのは、水道があっても手間がかかるのだ。
当然、一般家庭にもこの条件は当てはまる。
広い厨房など用意できるはずはないし、鍋やお玉といった道具もそれほど数は揃えられないだろう。
ここには百円ショップなどないので、数をそろえようとしたら、それなりどころではない金額が必要となってくるのだ。
結果として、一般家庭で作られる料理は一度に大量に作る大皿料理で、種類はほとんどないらしい。
その代わり、屋台で好きな料理を買って食べているのだそうだ。
「……つまり、汁物だけ家で作って、あとはお惣菜みたいな感じ? パンも家じゃ焼かないみたいだし」
「それでいくと、たまにダンさんが私たちの昼食を別メニューで作ってくれるのって……」
「貴族待遇じゃな」
「うわぁ……」
私と花梨にしてみれば、少し親切にされているな、という程度の気持ちだったのだが。
こちらの世界の台所事情を聞いてみると、厚遇されていることがよく判る。
私たちが子どもと思われているからか、レアンドロの指示によるものかは判らないが、養われているだけの身としては、少々座りが悪い気がした。
ダンとレアンドロにはもう少し感謝をした方がいいらしい。
そうしみじみと実感したので、部屋で菓子を作ることにした。
レアンドロたちの味の好みからは少し外れているはずだが、『物珍しい菓子』という意味では二人にとってそれなりに価値があるのだ。
「……今日はヴェイン様にもらったチョコで甘みを足すよー」
調理台の端へとチョコを載せ、他の材料を保存容器から取り出す。
手際がそれほど良くないという自覚はあるので、料理番組のように最初にすべての材料を量っておく。
卵を卵白と卵黄に分けてボールに入れていると、何を作るのか、と花梨が制服のローブから着替えて調理場として改装された一角へとやってきた。
「リンも大好きラングドシャ」
「他者さまにあげる予定なら、倍の量で! 私も食べる。……卵黄のご予定は?」
「そうだな……夕食にカルボナーラでも挑戦してみる?」
ラングドシャにチョコレートを挟めば甘みが足されるだろう。
その程度の思いつきだったので、卵黄の使い道までは考えていなかった。
卵の白身だけを使おうと思ったら、卵黄の使い道まで考えておくのは必要なことだ。
「卵黄は、私にひとつちょうだい」
「ん? いいよー。何作るの?」
「片栗粉が……や、本当のじゃないけど。お芋の片栗粉があったでしょ?」
久しぶりに卵ボーロが食べたい、と言いながら花梨が『オキルカタク』と書かれた保存容器へと手を伸ばす。
『オキルカタク』は、『片栗粉』だ。
花梨が「本当のじゃない」というように、片栗という植物から作られたものではない。
日本のものと同じように、芋のでん粉から作られた『片栗粉』だ。
卵黄の扱いについては花梨に任せ、ラングドシャ作りを続ける。
プロの菓子職人でもないので、私のレシピは『なんちゃって』だ。
以前SNSで見かけた、驚くほど簡単な作り方である。
「たしか、覚え方はパウンドケーキと一緒。全部同じ分量で……」
卵白を計量し、同じ分量だけ小麦粉、砂糖、バターを用意する。
材料を混ぜる順番には自信がなかったので、勘だ。
勘でなんとかなるだろう。
溶かしたバターに砂糖を入れて混ぜる。
ひたすら混ぜる。
溶かしたバターではなく、室温に戻したバターをクリーム状になるまで混ぜる、だった気もしてきたが、気にしない。
もう溶かしてしまったのだ。
後戻りはできない。
そこへ卵白を投入して、馴染むまで混ぜる。
ひたすら混ぜる。
あとは数回にわけて小麦粉を混ぜたら、クッキー生地の完成だ。
型抜きクッキーどころか、アイスボックスクッキーよりも柔らかい生地が出来上がったが、ラングドシャとはそういうものだ。
薄い生地がサクッと美味しいクッキーである。
アーモンドプードルを使う少し本格的なレシピもあった気がするが、そんな複雑なレシピを私が覚えていられるはずもない。
味の細かな違いが判る舌などしていないので、自分と花梨が食べて美味しければいいのだ。
「リン、私はもう焼けるけど……」
「お先にどうぞー。私はひたすら丸く捏ねてる……」
ラングドシャも簡単なクッキーだが、作ってみれば卵ボーロも意外に簡単なお菓子である。
材料としては卵黄、片栗粉、砂糖の三種類だけだ。
この三種類を混ぜた生地を、ひたすらボーロ状に丸くしていくのが面倒くさい。
いつものようにオーブンの妖精へと声をかけ、いい感じに焼けたら教えてくれ、とオーブンの隅に薪を置く。
エンマが話しかける時のような応答はないのだが、こうしておくと薪を転がして焼き上がりのタイミングを教えてくれるのた。
ラングドシャが焼けるのを待ちながら、花梨の卵ボーロ作りを手伝う。
生地は簡単に作れるのだが、この丸くする作業がひたすら苦痛だ。
ラングドシャの焼き上がりと入れ替わりで、卵ボーロをオーブンへと入れる。
焼き上がりの理想を伝えておくと、オーブンの妖精が焼き上がりを教えてくれるので、もしかしたら家のオーブンやトースターよりも楽かもしれない。
ラングドシャを冷ましながら、湯煎でチョコを溶かす。
溶かして、また固めるだけなので、これは簡単な作業だ。
溶けたチョコをスプーンで掬い、ラングドシャの裏面へとチョコを落とす。
そこへもう一枚ラングドシャを重ねれば完成だ。
「レンちゃん、レンちゃん。見て」
カエル、と言いながら花梨がチョコを挟んだラングドシャに卵ボールをチョコで溶接したものを見せてきた。
いったいいつの間に遊んでいたのか、卵ボーロにはチョコで目玉まで書いてある。
この珍妙なカエルボーロはレアンドロにあげよう、と二人の間で意見が一致したところで、オーブンの妖精の取り分としてラングドシャと卵ボーロを保温部屋へと入れた。
久しぶりに薄い本を作りたくなってきたので、しばらく更新お休みいたします。
更新再開は遅くてひと月後です。
飽きたり力尽きたり、気分転換したくなったらもう少し早く復活するかもしれません。
小向ツインズは、大体全体の1/5ぐらいかな、今。
ひたすら平坦に、山も谷もなく進みます。




