美味しいは太る
自室として与えられている部屋へ戻ると、貼り付けていた笑みをひっこめる。
手にした本が不穏すぎて、どちらかというと投げ出したいぐらいだ。
借りた本であるし、借りた本でなくとも本に対してそんな乱暴な真似はしないが。
「リン、とりあえずこれ読んで」
はい、と花梨の机の上へ、分厚い本を置く。
レアンドロ推薦の本については、今は後回しだ。
必要ないので、私の机の上へと置く。
「……『獣との戦争の歴史』とか、タイトルからしてコテコテだね」
「リンが歴史を知りたいっていうから、歴史書っぽいところを見てたら見つけた」
「獣ってことは、たぶん「いる」っていう『獣人』のことだよね?」
パラパラとページを捲り、花梨が見出しを追う。
感覚としてはローマ字読みに近い文字だったが、半日もこれを使っていれば読むぐらいはスムーズにできるようになっていた。
「……あれ? これって、もしかして……?」
花梨も私と同じところで引っ掛かりを覚えたらしい。
問題なのは、ほとんど巻末に近い数ページだ。
「七年前に始まったリオネッラ戦争、終結って書いてないんだけど?」
「だよね? リンでも見つけられなかったか」
パラパラと読んだせいで見逃しただけだと思いたかったのだが。
花梨が読んでも見つからないということは、戦争はまだ終わっていない可能性がある。
そして、ウルスラは勇者を召喚しようとしていた。
もしかしたら、勇者の召喚理由は戦争への投入だったのかもしれない。
「レンちゃん、私もう少しこれしっかり読み込んでみる」
「ん。じゃあ、私は……」
読書のお供に食堂でなにかお菓子でも貰ってくる、と言って部屋を出る。
摘むものが欲しいのも本当だったが、少しこの世界の誰かの声を聞いてみたいと思ったのだ。
……単独行動らしい単独行動は初めてだな。
昨夜のうちに大浴場と脱衣所という短い距離では離れているが。
この世界に来て、完全に花梨と別行動をとるのは初めてだ。
念のため、とレアンドロに教わった『内緒話』を試してみる。
空気の振動を利用して声を対象へと届けているようなのだが、遮蔽物があると声は届き難いようだ。
内緒話には使えるが、距離や障害物がある場での連絡手段としてはいまいち使えない。
……食堂って、ビュッフェスタイルだったのか。
調理場とテーブルの並んだ食堂の間に台が並び、その上に沢山の料理が並んでいた。
並んでいるメニューは、エンマの運んできてくれたものとほぼ同じだ。
パンが三種類に、野菜のスープ。
白身魚のソテーと鶏肉の香草焼き、サラダが二種類に、ジュースとミルク。
謎の赤い菓子だけはテーブルの上に無く、変わりにクッキーが並んでいた。
どうやらこの中から好きな物を好きなだけだけ取るスタイルらしい。
食堂を利用している魔法師の姿がパラパラとあるので、食事の時間は特に決まっていないようだ。
……あれ? 残りものでなかったんなら、なんであんなに大盛りだったの?
朝食――ほぼ昼食だったが――にとエンマが運んできた食事の量を思いだす。
私と花梨が食べる量としては、明らかに多すぎる量だった。
……どれどれ?
まずは食堂を覗いた目的を果たそう、と初めて見るクッキーへと手を伸ばす。
どんな味かと早速口に運べば――
……粉っぽい。
口の中いっぱいに広がる粉っぽさに、二口目を齧る勇気がわかない。
これは飲み物と一緒に食べなければ、口の中の水分をすべて持っていかれる菓子だ。
……あと、あまり甘くない?
エンマが運んでこなかった理由は判った気がする。
あまり甘くないから、私たちのデザートには向かないと判断されたのだろう。
「……およ?」
もそもそと粉っぽいクッキーと格闘していると、台の上にガラスのポットと陶器のポットが並べられる。
陶器のポットは中身が見えなかったが、ガラスポットは中身が見えた。
ガラスポットの中身はハーブだ。
別に用意されたお湯を入れて、ガラスポットでハーブティーが飲めるのだろう。
「こっちは紅茶かな? 葉っぱの色的に」
少し行儀は悪い気がするが、気になったので陶器のポットの中身を覗く。
ポットの中身は赤茶色の茶葉だったので、名前は違うかもしれないが紅茶と考えて間違いないだろう。
私の呟きが聞こえたらしいポットを並べる給仕が、紅茶は人気があるので、早く確保しないとなくなるよ、と教えてくれた。
どうやらこの世界でも紅茶は『紅茶』でいいらしい。
「今日の紅茶はライザッハ産だよ。ルズベリー産のが飲みたかったら、厨房に注文してくれ」
「その違いはなんですか?」
「値段」
給仕の説明によると、ライザッハ産の紅茶は普通の値段で、ルズベリー産の紅茶は高級品なのだとか。
高級な茶葉をがぶ飲みされても困るので、ローブの色によって飲める回数は制限されているそうだ。
制限以上に飲もうとすれば、実費を要求されることになる。
「私のローブの色だと、何回ぐらい飲めますか?」
「ローブを貰う時に聞かなかったのか?」
見習いといえども、白のローブなら週に一度は飲めるらしい。
多いのか少ないのか判らなかったのでさらに聞いてみると、普通は見習いはもちろんのこと、黒のローブでも飲めないものだと教えてくれた。
灰色のローブを纏うようになって、ようやく月に一度の贅沢として飲めるようになるのだとか。
「えっと……もしかして、すごくお高い?」
「紅茶なんてお貴族様の嗜好品だからな。もしかしなくても、すっごくお高い」
ルズベリー産と比べれば『普通』と言われるライザッハ産の茶葉も、結局は嗜好品だ。
これもそれなりにお高かった。
「……ちなみに、厨房を少しお借りすることとかって、できますか?」
「厨房を? そりゃあ……、うん。大丈夫じゃないか?」
ただし、髪を縛り、手をしっかり洗えばな、と私を頭のてっぺんから足の先まで見下ろして、給仕は答える。
やはり食品を扱う場所への出入りに関することだからか、衛生面を気にするようだ。
「ここの男連中なら絶対に断るが、女の人は基本的に身奇麗にしてるからな。一応厨房に聞いてはくるが、まあ大丈夫だと思うよ」
自分で料理をしたがる魔法師は珍しいな、と言いながら、男であった場合は絶対に断るという理由を給仕は教えてくれた。
男性の魔法師は、ほぼ研究職についているらしい。
そのため自分の研究に没頭していて、風呂に入らないことも珍しくないのだとか。
さらには、身だしなみを整えることにも無頓着で、髪を櫛で梳かさない者も珍しくないのだとか。
……それは確かに厨房に入れたくないや。
入れたくないし、入ってほしくもない。
給仕に伝言を頼むと、すぐに厨房からは使用許可が下りた。
とはいえ、自分たちの職場へ素人をうろつかせるのも心配だったのか、料理人が一人、エプロンを持ってやって来る。
間違いなく、お手伝いという名の見張り役だ。
「あるものなら、なんでも材料は使っていいぞ」
「お砂糖の使用制限とかありますか?」
エプロンを付けて髪を綺麗に纏めると、料理人は私の姿を見て大きく頷く。
料理をする者として、一応の合格点を出せる姿になったらしい。
砂糖はもしかしたら高級品か、と確認をしたら、魔法棟内で消費する分ならそれほどうるさくは言われない、と回答をいただく。
作った物を街へ持っていって売る、となると材料費を請求されることになるようだ。
「安い方の紅茶も使えますか?」
「使えるぞ。材料は何が必要か、決まっているのか?」
「えっと、お砂糖、小麦粉、オリーブ……植物性のオイル、紅茶の葉、それから少しのお湯……だった気がします」
「どのぐらい必要だ?」
「たしか、小麦粉は40グラムだったと思うんですけど……?」
クッキーを作る予定である、と伝えると、小麦粉の重さから他の材料の量を「このぐらいだろう」と用意してくれた。
茶葉についてはクッキーに混ぜ込むには大きすぎたので、小さくしようとすり鉢の有無を聞いたのだが、すり鉢が私の目の前へと差し出される頃には作業が終わっている。
お手伝いという域は完全に越えていた。
「小麦粉って、こんなに少なかったっけ?」
「砂糖と量を覚え間違えている、ってこともあるかもな。オイルもバターと間違えているだろう」
「いえ、オイルは間違ってないです。バターで作ったクッキーは美味しいですけど、これはカロリー控えめなので」
「かろりー……? なんだ?」
どうやらカロリーという概念はないらしい。
正確な説明はできなかったので、「美味しいは太る」と曖昧に答えておく。
この説明にもなっていない説明で、一応は納得してくれたらしい。
オリーブオイル――植物性のオイルと言ったら普通に出てきた――はバターの代替品だ、と。
「……で、手順は?」
「全部混ぜます」
「そりゃ、最終的には全部混ぜるだろうがよ……もう少しこう、あるだろう? 料理は手順が大事だぞ」
「ですよねー」
小麦粉の量から修正されていく材料を眺めつつ、これは完全に『お手伝い』じゃないな、と料理人の作業を見守る。
これは完全に彼が作るつもりで、エプロンを用意されていても私が材料に触る機会はなさそうだ。
「たしか、茶葉はお湯に浸して紅茶の風味を出します。それから、オリーブオイルと砂糖を混ぜて、そこに紅茶を茶葉ごと入れて、最後に小麦粉を混ぜた……はず?」
「んで、最後に生地を切って焼く、と。ってことは、オイルをもう少し減らすか、小麦粉を増やすかしないと、紅茶が入ってるせいで生地が柔らかくなるな」
「あ、それは確か生地は冷やして固めてから切るやつだったので……」
柔らかめの生地ができるのは予定通りである。
問題があるとすれば冷凍庫の有無だったが、これは魔法で冷やせばいいので、問題にならない。
結局――というか、途中から判ってはいたが。
作業はほぼ料理人が行った。
私がしたことといえば、生地を棒状に伸ばしながら冷やして固め、5ミリ幅に切ったぐらいだ。
あとは鉄板に並べるのも、オーブンで焼くのも、料理人がやってくれた。
……まあ、子どもに見えるらしいしね。
子どもにオーブンを使わせることに不安があったのかもしれない。
前向きにそう受け止めておく。
「……少し硬すぎないか?」
「こんなものだと思いますけど……もう少し柔らかくてもいいかな、とは思います」
食堂で食べたクッキーと比べれば確かに硬いが、アイスボックスクッキーとしてはこんなものだろう。
今回は5ミリ幅で切ったが、もう少し薄くしてもいいかもしれない。
「材料の分量は自信なかったけど、おじさんのおかげでなんとかなりました」
ありがとうございます、と礼を言うと、『おじさん』ではなく『お兄さん』だ、と訂正された。
この世界の人は私から見た場合と実年齢に差があるが、私自身子どもに見られているようなので『おじさん』と呼んでみたのだが、違ったらしい。
訂正ついでに年齢を教えてくれたのだが、二十六歳の妻子持ちとのことだ。
この主張のあと、自分の子どもの年齢を思いだして、私ぐらいの年齢の子どもであれば確かに『おじさん』かもしれない、と肩を落としていた。
最終的な判断としては『おじさん』呼びで正解だったようだが、レアンドロよりたった三歳上だと聞いてなんとなく微妙な気分になる。
私と花梨は若く――むしろ幼く――見られるが、この世界の住人は私たちからは老けて見える。
そのくせ、ある程度の年齢になると今度は年齢が判らなくなるというのか、聞いてみると意外に若かったりもするようだ。
焼きあがったクッキーを鉄板から下ろし、網へ並べて冷ます間に、今度はミルクティーを淹れることにした。
料理人が茶葉とミルクを用意している間に、小鍋を確保して放さない。
クッキーではほぼ何もさせてもらえなかったので、これぐらいは自分でやりたかった。
「鍋で紅茶は淹れないだろ」
「いえ、これはお鍋で淹れるミルクティーです」
「鍋で?」
納得がいかないのか変な顔をした料理人に、小鍋へと水を薄く入れる。
その中へ紅茶の葉を投入しようとすると、慌てた料理人に両手を掴まれた。
「いやいやいやいや、待て待て。茶葉に熱湯を入れるんだよ。水に茶葉を入れるんじゃない」
「それはポットで淹れる方法ですよ。これはお鍋で淹れるから、これでいいんです」
「ええぇえええぇ!?」
どうしてもこのまま突き進むのなら、と茶葉を取り替えられる。
どうやら今度は飲むものとして、高価な方の茶葉を用意してくれていたらしい。
それが交換されたということは、料理人は私が失敗すると思っているのだ。
……まあ、ミルクティーは好き嫌いが別れるって聞いたことあるしね?
紅茶にミルクを入れると濁る。
せっかくの紅い色が台無しだ、とそれだけでミルクティーを否定する人が世の中にはいるのだとか。
個人の感性を否定するつもりはないので、私の感性も否定しないでほしい。
これはこれで良いものだと、私は思っている。
安い方の茶葉を使うことにして、私の両手は解放された。
鍋で入れるミルクティーについては、料理人は静観することに決めたらしい。
踏み台を用意してくれたので、ありがたく使わせていただく。
日本ではそれほど背が低かったわけではないが、この世界の人はみんな背が高い。
そのため、この世界の厨房を使おうとしたら、必然的に踏み台の世話になる必要があるのだ。
「弱火で濃い目に紅茶を煮出しまーす」
料理人の視線がチクチクと刺さるので、工程を口に出しながら茶葉を鍋に入れる。
弱火で、と口にしたからか、小鍋をコンロへ置いたら、その隣のコンロへと小鍋を移動された。
どうやらこの穴の位置で火力が違うらしい。
「沸騰してもグラグラ煮ます。真っ黒になるまで煮たら、ミルクを投入ー」
「……ミルクの入れすぎじゃないか?」
「私はこのたっぷりミルクのミルクティーの方が好きだからいいんですよ」
ミルクと紅茶が混ざり合い、薄い茶色に変わっていく。
その様をじっと見守っていると、次第に茶葉が表面へと浮かび上がってきた。
茶葉は揺らすと苦味が出る、と聞いたことがある気がするので、あとは見守るだけだ。
鍋のふちに小さな泡がいくつも集まり始め、沸騰する直前で火から下ろす。
ミルクに膜が張るか張らないか、というギリギリのタイミングが一番おいしくできる気がした。
もちろん、紅茶の良し悪しが判る訓練など受けていないので、これは完全に私の好みの話である。
「ポットください」
「ほいよ、温めてあるから、気をつけろよ」
「はーい」
茶漉しで茶葉を受け止めながら、ポットへと出来上がったばかりのミルクティーを移す。
家で飲むのなら小鍋から直でカップへ移してもいいが、厨房から部屋までは少し距離がある。
カップに注いでそのまま運ぶ、というのもなんとなく行儀が悪い気がするので、ポットを借りていくことにした。
「……確かに、香りはいいな。鍋で淹れるとか言った時は、どうなるかと思ったが」
「ミルクティーには香辛料を入れて飲む地域もあるそうですよ」
だから鍋で入れるぐらい普通だ、ポットに入りきらなかったミルクティーを料理人へとだす。
香辛料を入れた紅茶など想像もできない、と言いながらもミルクティーを口へと運んだ料理人は、紅茶と名乗らなければ有りかもしれない、と難しい顔をしていた。
そういえば、赤い謎の物体は、先日グレー●ルのかまどで見た『レヴァシ』がイメージ。
粉っぽいクッキーは、昔フィリピンのお土産に、と貰った思い出。
ミルクティーは冬の友だち。




