白と青と赤と
「あ」
「あ」
ばったり会った。
夜、西本願寺の井戸だった。
「お、おい総司…、こんな夜中に出歩いて、風邪引くぞ!」
「眠れないんだ。風邪ってゆうか、労咳(肺結核)だし。」
新選組八番組隊長、藤堂平助は、どうしても眠れなかった。
故に、井戸に水を飲みに来た訳だが。
思いもよらぬ先客がいた。
「……。」
同じく新選組一番組隊長、沖田総司はニコニコと笑っている。
しかし平助はそんな冗談ともつかぬ冗談を総司に言われ、困惑した表情で押し黙るしかない。
「そんな顔しないでよ。つれないなぁ」
総司はそう言って頬を膨らます。
「つれないの?俺…。だって、まだ少し肌寒いのに…」
平助は整った顔をしかめて、はぁ、とため息をついた。
ため息1つに、生まれつきの品の良さが見える。
「平助こそこんな夜中に起きてていいの?明日、寝坊して伊東参謀たちに置いてきぼり喰らっちゃうよ」
総司は、ずっとニコニコと笑ったままだ。嫌みな程に、純粋に、笑うのだ。
彼にしても生来の純粋な心が見えるような笑顔である。
「……。」
平助はもちろん、再び黙るしかなくなる。
(俺だって、眠れないんだから)
平助は明日の朝、新選組を抜けることになった。伊東参謀と共に。
(総司は意地悪だ、子どもだ)
「お前の方が子どもじゃないか、実際」
総司が、ふい、とそっぽを向く姿はやはり子どもの様で。
「2つ違うだけだろ。一を見てみろよ、あいつ、俺と同い年なんだぜ?年齢だけで決めつけるもんじゃないだろ…。」
平助は口を尖らせながら井戸の水を汲んだ。
そんな彼の姿も、やはり子どもの様だった。
そして一、とは無論、新選組三番組隊長、斎藤一である。
「ていうか人の心を読まないでくれよ」
そして自らの分と、総司にも水を渡した。
「分かり易いんだもん平助は。一君と違ってさ。あ、水ありがとう」
総司は水を受け取り、ちょっと飲んだ。
「一君と仲良くしなよ。離隊する面子の中で試衛館からの友だちは一君だけなんだし」
友だち、と言う所がなんとも総司らしい。
「いきなり兄貴面するなよ…。だから…2つしか違わないんだしさぁ」
さっきからずっと、平助はしかめっ面である。
「でも、23歳と25歳、ってのは大きな差だと思うけどなぁ」
総司はそう言って横目で平助を見やると、
「…なんだよ、寂しくなっちゃったの?」
眉じりを垂れ、優しく笑った。
「……。」
また、絶句。
平助は思わず水をこぼしそうになった。
「何?」
平助のそんな様子にお構いなく、総司は水を飲みきった。
「…それ、わざと?…やっぱり、絶対総司は意地悪だ」
(なんだよ、その笑顔は)
平助も、飲み干した。
「わざと、って何?だって寂しそうだったし、僕も寂しいし。」
「……。」
「そんなに怒るなよ。もしかしたらさぁ、今この時が僕と平助の最後の会話かも知れないんだよ。短気は損気、って言うでしょ?」
この時の総司の笑顔が少し寂しそうに見えたのは、きっと平助の見間違いではない。
「総司は狡いよ。お前が羨ましい。それに、縁起でもないこと言わないでくれよ」
平助は大げさにため息を吐いた。
「縁起でもないのは確かだけど、僕は狡くもないし、僕こそ平助が羨ましいけどなぁ」
総司はまた、平助を絶句させた時と同じ笑顔を浮かべた。
「…俺のどこが、羨ましいって言うんだよ。お前は、みんなと一緒にいられるじゃないか」
あ、やってしまった。口が滑った。
…と言っても、後の祭りである。
もういいや、と諦めてしまえば、途端に、複雑だが、悲しみとか怒りに似たような感情が込み上げてきた。
もちろん、新選組からの離隊を決めたのは、平助自身である。
今日の新選組は、平助が描いていた理想の物とは違ってきていた。
そして、その理想を平助と同じように描き、実現させようとしていたのが、伊東甲子太郎であった。
彼は離隊を割にすぐ決めた。
彼には理想や、思想があった。
だが今この瞬間、この心持ちは何だろうか。
(武士が、この有り様か)
まるで、家族と今生の別れをする前の幼子のような気持ちでいる自分が、情けなかった。
幹部最年少の平助は、不本意にも、たくさんの兄達と別れるような気持ちだったのである。
(信じられない、総司にこんなこと言ってしまうなんて)
自己嫌悪や自嘲みたいな感情が沸き上がる。
「僕は平助と違って、思想なんて物、無いもん」
総司は不意に平助に背を向け、夜空を見上げた。
その姿を見た平助は、もうどうでもいい、といった自暴自棄のような気持ちになった。
それは、平助を素直にさせた。
「でも羨ましい。やっぱり総司は素直だしさ」
「君に言われたくないよ、そんなの」
「それに、優しい」
「……」
「それに、強い」
「………」
「それに……―」
ハッとした。
平助も、総司もである。
異様な雰囲気が漂った。
驚いた。
「僕こそ、君が羨ましいのに」
「……」
平助は、最早泣きそうだった。
(俺は、武士だ)
―だから、迷いなんて無いし、俺は死なない。
「僕はもっと近藤先生の為に働きたい。土方さんの為に戦いたいのに、」
総司はそれ以上の言葉を呑み込んだ。
「…うん、」
「…お互い様かなぁ、やっぱり」
「……うん」
2人は、この上無い笑顔で笑い合った。
お互いに、思った。
彼は、…彼の心は真っ白だ。
(もう23なのに)
(もう25なのに)
((真っ白))
「また、会いに来てよ、平助」
「うん。行く。ていうか、総司も会いに来てくれよ」
「あぁ、絶対だ」
これから彼らに降りかかる残酷な運命を、この時誰も知るはずがなかった。
(俺は、新選組で、青春を過ごしたんだ。本当に、楽しかった)
「「またきっと、みんなで会おうよ」」
油小路、
目の前が真っ赤に染まって、平助は思った。
―天子様の為にもっと戦いたかった。
でもきっと、俺はやりきったんだ。
…しかし、最後に浮かんだのは、天子様でも、大樹公でもなかった。
―俺の、大切なひと。
遠い昔自分を育ててくれた、家族の顔。
人生で最も長い時を過ごした試衛館や新選組の仲間たち。
…その仲間たちに斬られて死ぬなら、何も悔いる事はない。
そして、ふと、あの時の事を思い出したのは何故だろうか。
『僕こそ、君が羨ましいのに』
「…お前は、生きて、俺はお前の隣に…いるから…みんなと時間を、いーっぱい、…過ごして…くれ」
お前がみんなと共にある時間を、俺も共に過ごさせて。
俺は、そうだなぁ。
まずは山南さんと、酒でも飲むよ。
向こうに行けば、伊東先生もいるし…
きっと、寂しくなんか、ない。
俺は、ずーっと、みんなを見守って、魂は、心はずっとそばにいるんだ。
そして、みんなが寿命を迎えたら、俺が寂しくないように出迎えてやる。
俺の兄貴たちが、寂しくないようにさ。
「…平、助?」
声が、聞こえた気がした。
「ぐっ!ごほっ、ごほっ」
…目の前が、赤い。
「また、みんなで会うんだよね、平助。僕らがそう言うんだから、きっと会うんだよ」
そしてゆっくり、目を閉じた。
――白い心、
――青い春、
――赤い…血。
end




