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【完結】婚約破棄を3時間で撤回された足枷令嬢は、恋とお菓子を味わいます。  作者: 青波鳩子 @「婚約を解消するとしても~」電子書籍発売中!


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【23】行き着いた先の牢(デズモンド視点)


「ほらっ、入れ! ここでの態度も罪に加算される。せいぜい大人しくしているんだな。本来ならば×××なところ、イクバル殿下の温情でこの牢になったことを感謝しろ」


牢の中に蹴り入れられ、体勢を崩して膝をついた。広くない牢の中、そのまま膝で奥まで進み壁にもたれて座る。

今言われた言葉のうち、聞き取れない部分があったがシャーリドに来てからはずっとそんな感じだ。シャフラーン語は王太子時代にかなり学んだと思っていたが、実際聞き取れないことも多かった。


フォートナム王国の第一王子に生まれながら、行き着いた先がこの牢だ。

思わず乾いた嗤いがこぼれる。

王子だった頃は何一つ自分で選べなかったが、シャーリドに入ってからはすべて自分で物事を決めてきた。

おそらくどの道を選び進んでも、行き先はこの牢だったのだ。


僕が間違ったのは『初めての恋』をどう昇華させるかだったと、今にして思う。

王家によって定められた婚約者ではない女性に恋をしてしまった。

儚げでおとなしく、守ってやりたくなる雰囲気だった。

あれからさほどの月日は経っていないが、今なら解る。

恋心などという不確かで命の短いものは胸の奥底にしまい込み、婚約者の手を取って国の第一王子としての責務を全うすればよかったのだ。

でも僕にはそれができなかった。

『恋』はあらゆる判断を鈍らせ、平素ならば物事の裏側まで考えていた時間を愛しい顔を思い浮かべることに奪われてしまった。

その結果がこのありさまだ。


──公爵令嬢との婚約を破棄して、御心のままに愛しい人の手をとるべきです。

──王太子殿下だからといって好いた女性と生きる権利もないなんて。

──相手になんの罪もなく婚約破棄ができないなら罪を作ればいいのです。

──それが王太子殿下の罪というなら一生をかけて国のために働けばいいのです。

──国に身を捧げる時に隣にいるのは愛する人であるというだけのこと。


こんな甘言に流され、何の罪もない婚約者の人生を土足で踏み躙った。

誰かを陥れたその上に己の幸せを築こうとしても、そんなものは少しの風雨にも耐えられないと何故気づかなかったのか。

僕が愚かな選択をするように企んだ者たちの言葉を、何故自分のためのものだと信じてしまったのか。

儚げに見えた恋の相手は、僕が王太子だから近づいただけの貪欲な女だった。

その貪欲さを彼女も利用されたようだが、まったく見抜けなかった。

死ぬまで後悔しても元婚約者の令嬢に謝罪し続けても、まるで足りない。

僕のここからの人生すべてを後悔と贖罪の時間に充てても、まったく足りないのだ。

もうそれほど僕の人生は残されていない。


国から追放される時、最後の挨拶に来てくれた母上が去り際に上着を一枚落としていった。

母上の姿が見えなくなってからその上着を拾うと、裏側の胴の部分に硬貨がみっしりと別布で覆われて縫い付けられていた。

国を出て最初に入った宿でそのひとつをほどいたら、金貨ではなく銀貨が出てきた。

一つの当て布の中に音がしないように布が挟まれて、二枚ずつ縫い込められていた。

国外追放となった身で金貨を使う危険性を考え、母上は銀貨にしてくれたのだと解かったとき、初めて涙がこぼれた。

卒業パーティという公の場で婚約破棄を突きつけた後に父上に張り飛ばされてから、母上が一針一針銀貨を縫い付けてくれたのか。

そんなことは侍女に頼むわけにはいかなかっただろう。


見知らぬ土地を這うような生活の中で、母の想いを一か所ずつほどいては食べ物に替えたり夜露を凌ぐ場所代に充てたりした。

そうして少しずつ生きる方法が分かり始めた。

最後の銀貨二枚を縫い付けた糸をほどくことはできなかった。

ちょうど左胸にあたる部分の銀貨を残した。

シャーリドに来てからも時々左胸に手を当て、後悔で塗り潰した過去とあがなうには短すぎる未来のことを考えた。


ガズワーン殿下に繋がる人物と知り合ったのは、蓄えた髭にやっと慣れた頃だ。

シャーリド領の端の街で、建物を作るための土を運ぶ仕事をしていた。

子供の頃から建物建築に興味があった。

どうして巨大な建物が倒れずにできあがるのか、自分が育った城がどうやって造られたのか、そうしたことに興味を持ち、好んで学んだ。

もっと国政や外交に役に立つことを学べと父上に言われたものだが、平民となった今ではその当時は不要とされた『趣味』が生きるのに役立ったとは皮肉だ。


シャーリドで来る日も来る日も砂と土と枯草を混ぜて壁になる材料を作った。

一日の肉体労働で得られる金はたいしたことはないが、母の最後の銀貨に手を付けないで生きられる程度にはなった。


建物の壁を作るのにその現場では『版築はんちく工法』を用いていたが、版築の材料に『ある物』を入れず砂と土、それに枯草と石灰だけで壁を作っていた。

フォートナムではそこに『にがり』を入れていた。海水を煮詰めて塩を作った後に残る液体が『にがり』で、これを入れることによってより強く固めることができる。

シャーリドには海が無い。だから塩は輸入に頼り、塩精製の時に生じる『にがり』とは縁がないのだと気づいた。

その時の現場を仕切っている人物に版築の材料には『にがり』を入れればさらに強い壁が作れると進言すると、ひとかどの人物だったようでさらに上の人間に会わせてくれた。


その人物にはフォートナム王国から来た、それだけを明かした。

元は王太子だったと知られればロクなことにならないから迂闊には言えない。

一介の平民の話を真摯に聞いてくれ、『にがり』が手に入るようにしてみようと言った。


それからその人物は僕を『高貴な人』に会わせた。

目元に少しの幼さが残るものの、立派な体躯を持つ威圧感さえ覚えるその高貴な人こそが、シャーリド第二王子のガズワーン殿下だった。

もしや元の身分が露呈したかと震えたら、まんまとその通りだった。

だが彼は、僕の今に心を寄せてくれ、王都に小さな住まいを提供してくれた。小さいが清潔で機能が整っており、独りで暮らすには十分すぎるほどだった。

王都では建築現場を束ねる仕事を与えられ、時々諜報のような仕事をすればよかった。

諜報の仕事のために、移動式テントの店も任された。

王都に連れて来られ格段にその生活水準は上がったが、同時に己が行く道の終点が見えてしまった。

かつては諜報を命じる側の人間だったのだ。

さすがに自分でその命を下す立場にはなく、父上がそうしている姿を傍で見ていただけだったが、精度の高い情報を得た人間、主が求める仕事を成し遂げた人間の行き着く先はいつも一つだ。

僕はこの国の第二王子の『駒』となった。

生き永らえたいという希望は無かったから、それはそれでよかった。


ガズワーン殿下からの命のすべては、イクバル第一王子の名を貶める為のものだった。

僕には兄弟がおらず、そのため立場の重さを一人で耐えねばならなかった。何度も一人でも兄弟がいてくれたらと思ったものだったが、それはそれで厄介なものだと知った。

血を分けた兄弟の間に、時に他人よりも憎しみが生まれる。

それにしても腹違いとはいえ、兄が座ろうとしている椅子をそんなにも奪いたいものなのか。

かつては自分もそこに座る未来があったが、それに固執する気持ちは正直解らなかった。

きっと王の嫡子が自分だけだったという、事実が故の無欲に過ぎないのだろう。

まあ、世の中で誰かの思いをそのままの形で理解できることなどありはしないものだ。


視察に訪れるヴェルーデ第一王子の婚約者令嬢を攫えとの命を受けた。

普通なら命令するときに攫う相手の名など明かされることはない。場所や時間と風貌などを聞かされるくらいだ。

だが、敢えてガズワーン殿下はそれを明かした。

知ってしまえば成功しようが失敗しようが、待つのは死のみ。

その状況でこの命を遂行するのか、僕自身が決めたのだと思わせるためのものでしかない。

生まれた国を追放されてから、いつだって自分のことは自分で責任を取るしかなかった。

選択を間違えば痛い目に遭うが、正しいほうを選んでもさほど変わらない。


攫うのはヴェルーデの王子の婚約者と聞いて、かさぶたを雑に剥がされた気がした。

ヴェルーデの第一王子について記憶に残っているのは、女が好む本に出てくる『王子様』そのものの容姿をしていたことくらいだ。

どんな人物だったか、その中身はまったく思い出せない。どこかのパーティで何度かは言葉を交わしたはずなのに。

思い出せないのではなく、そもそも情報が入っていないのだ。

その頃の僕は、他国の王族について何も知ろうとせず、王太子としての役割を果たしていなかった。

そのヴェルーデの王子が婚約者を大切にしていて仲良くシャーリドの視察と称した旅行にやってくると聞いて、久しぶりに何かどろりとしたものが腹の中でぐつぐつと煮える感じがあった。

腹を立てるのはお門違いだという事は分かっている。

もしも僕が恋に浮かれず婚約者を大切にしていたら……そこにあったはずの未来を見せつけに来るのかと、そんな思い違いをした。


デーツの店にやってきたヴェルーデの令嬢は二人いた。どちらも利発そうで美しく、その利発そうなところがかつての婚約者に似ていた。

生意気で男の前でも平気で意見をする、僕が最も嫌いなタイプの女だ。

そもそも女だけで視察と称して他国の街をうろついていたのがいけないのだ。婚約者であるアルフレッド王子と一緒にいればよかったのだと、そう僕は自分に言い訳をした。


それなのにアルフレッド王子は、婚約者を助けに火が放たれた建物に入ってきた。

僕ならば絶対にそんなことはしない。

王族が自らの命を危険に曝すことなどあってはならないと教えられてきた。

自分が何かをして傷でもつけば、自分を守る職種の者が命を落とすことになる。

アルフレッド殿下は王子としては愚かだ。

だが、人として愚かだった僕とは違い、彼はこの先うまく生きていくのだろう。

あの生意気で聡明そうな婚約者令嬢と手を取り合って……。


僕より年下なのに僕よりずっと賢そうに思えたガズワーン殿下は、陥れたい異母兄イクバル殿下のてのひらで、哀れなほどにただ踊らされていた。

僕はそんな踊り子の足首の鈴のようなものだった。


***


少し眠ってしまったようで、牢番の兵士の声で目を覚ました。


「これを食べたらここを出て、おまえは話を訊かれる。パンの横のデーツは兵長からの温情だ」


兵士は鉄格子の小窓から、水とパンの皿を置いて出て行った。

前の食事からかなり時間は経過したと思うが、不思議と空腹を感じてはいない。

だが、のろのろとパンを手に取った。

奥に小さなテーブルもあるが、その場で床に置かれたパンをちぎって口に運ぶ。

タオルをちぎって食べているのかと思うほど、何の味もしなかった。

最後にデーツを口に入れて噛んだ。

任された店で乾燥させたデーツを売っていたが、正直に言って美味いと思ったことはなかった。

シャーリドの者たちは、老若男女、貴賤も問わずデーツを好んで食べるが、噛むと歯がぐにゃりと沈む食感が自分は好きになれなかった。

だが今、初めてデーツを美味いと思った。

噛むと甘味が染みだしてくる。

その控えめな甘味が郷愁を連れてきたのか、母のことを思い出した。

美しく、いつも黙って父を立てている控えめな母。

どんな辛いことがあっても涙を見せなかった母が、最後に僕に面会に来てくれたとき、目じりを中指でそっと押さえた。

その姿を見て、この先どんな辛いことがあろうとも泣く資格さえないと思った。

母が産んだたった一人の息子の僕が、母から未来の希望を奪ったのだ。

あの銀貨が縫い込められた上着は、部屋の壁に掛けたままだ。

あの上着を、もう一度手にすることはできるだろうか。



ほどなくしてまた兵士がやってきて、空の食器を鉄格子の傍に置けと言われその通りにする。

そして小窓が開けられ食器が回収されると、今度は檻の扉を開けた。


「これから別の場所に移動する。逃げようとしたり暴れたりしても無駄だから、余計な手間をかけさせるなよ。何か言うことはあるか?」


「パンの皿にデーツを乗せてくれた君の上役に伝えてくれ。

ごちそうさま、美味かったと」


兵士は一瞬、驚いたような目をしたが、すぐに僕の腰にロープを巻き付ける仕事に集中した。


***


平民デズモンドはその後シャーリドの法により裁かれ、シャーリド南部の領地に鉄鉱石を採掘する坑夫として送られた。

古いボロ布のような上着をいつも纏い、十五年の刑期を満了してもその地で坑夫として働き続けた。

何年もの間、休みの日でも買い物以外の外出をほとんどしなかったデズモンドが、たった一度だけ十日の休みを取ったことがあった。帰ってきたデズモンドが異国の唄を口ずさんでいるのを聞いた者がいた。

その者が何という曲か尋ねたところ、葬送の唄だと笑って答えたという。

デズモンドはその後も独り身のまま、四十数年の生涯を終えた。


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