【21】救出(アルフレッド視点)
バースィル殿下と共に、アリシアたちが捕らえられているという店の近くまで来た。外からは何の変哲もないただの店に見える。
斜め向かいの店をバースィル殿下が借り、見張っている。
「あの店の地下で、ご令嬢たちは後ろ手に縛られ片足を鎖で繋がれているようです。
我々の手の者が足枷の鍵を上手いことを言って預かろうとしても、デズモンドは自分で持っていると言って渡さなかったようです。
そして、令嬢たちの手はスカーフで緩く縛ったと。ただ……」
バースィル殿下がそこで言葉を濁した。
「ただ……なんでしょうか」
「デズモンドが、ご令嬢たちを閉じ込めた檻の中に、甕一杯の蛇を放ったそうです」
「蛇!?」
「毒の無い蛇です。シャーリドでは、白く頭に丸い模様のある蛇は神の使いとして大事にされています。そうした蛇は貴族たちが高値で買い取ることがあり、それを見込んで白い蛇を捕えて金にしている者がいるのです。
デズモンドはそうした者たちが集めた白蛇をどうやら盗んだらしく……。毒蛇と思っているのか、檻にすべて放ったそうです」
「毒が無いならすぐにどうにかできないのですか! 毒が無いといえど、もし噛まれたら……」
思わずバースィル殿下の言葉を遮るように言ってしまった。蛇を檻の中に放ったなら、足を鎖で繋がれているというアリシアたちは逃げようがない。
毒が無いとは言うが、犬に噛まれて病を発症することはある。それが蛇ならばどんな病気を持っているかも分からないではないか。
「今、中に突入する準備をしています。デズモンドは剣とナイフを持っています。令嬢たちにそれを突きつけているかもしれず、慎重に突入のタイミングを見極めています」
その時、誰かが大きな声を上げた。
「殿下、建物の裏手から煙が出ています!」
全員が待機していた店から飛び出した。
「火を放ったか!」
「アリシアたちは地下に繋がれているとのことですが、地下では逃げ遅れたら大変なことになる! こうしてはいられない、ジャン突入するぞ!」
「殿下それは危険過ぎます! アルフレッド殿下とリカルド殿下はここより安全なところへ退避願います!」
ジャンが俺の前に立ち塞がってそう叫ぶと、バースィル殿下も口を開いた。
「そうですアルフレッド殿下、シャーリドの者が行きます! ですからどうか、殿下は……」
「バースィル殿下、もしもの時は先ほど戴いた剣を使わせてもらいます。私は私の責任下において行きますのでバースィル殿下にもシャーリドにもこの件で何ら咎はありません。ジャン、俺の邪魔をするのか俺を助けるのかどっちだ!」
腰に佩いたバースィル殿下の手製の剣を叩いて言う。
バースィル殿下に話していたのに、後のほうは全部ヴェルーデの言葉になってしまった。
「始末書は殿下が書いてくださいよ!」
「兄上、僕の分も書いてくださいね!」
リカルドまでがそう言って、チーフで顔を覆い始めた。そうか、煙を吸わないようにだな。俺もチーフで鼻と口を覆うようにして頭の後ろで縛り、どうしても先に行きますと言うシャーリドの騎士たちを先頭にアリシアたちがいる建物へ入った。
地下へ続く階段から煙が走るように上がってくる。
パチパチと何かが爆ぜる音、そして何とも言えない生臭い臭いが立ち込めている。
シャーリドの騎士たちが階段を降りていき、俺もその後に続くと男の怒鳴り声がした。
「近寄るな! この女がどうなってもいいのか! 下がれ下がれ、すぐに出ていくんだ!
脅しではないぞ、ガズワーン殿下を呼べ! 今すぐだ!」
「アリシア……」
男は檻の中で一番奥にいるアリシアを立たせて、その首元にナイフを突きつけている。
檻のドアは開け放たれてあるが、狭すぎてそこから一度に入ろうとするのは無理で、一斉に飛びかかるなどはできない。
マイラ嬢とアリシアの侍女は鎖の届く限りの端にいて、デズモンドとアリシアからは少しの距離がある。
デズモンドからは焦りが見て取れる。
おそらく誰か一人の足枷を外して檻から出し、盾のようにしてこの建物から外へ逃げるつもりだったところ、想定より早く地下へ俺たちがやってきたのだろう。
ガズワーン殿下の名前を出してしまうとはあまりにも愚かで、もはやなんの策もないのではないか。
デズモンドが一瞬でもアリシアを離すことがあれば……。
俺はゆっくりと檻に近づいていく。
「女性を盾にするとは、さすが卑怯で名高いだけのことはあるな」
「……なんだと? 騎士ごときが誰に向かって物を言っている!」
「国外追放になったフォートナム王国の元王太子よりも身分は高いと思うが。ヴェルーデのアルフレッドだ。もう王太子時代のことは忘れたか?」
「……ヴェルーデのアルフレッド?……第一王子か……」
「これ以上、罪を重ねて何になる。おとなしくその女性を離せ。最後くらい元王太子らしいところを見せてみろ」
「黙れ!」
「ほんの少し先のことくらい考えろ。もうおまえに逃げ場はない。ガズワーン殿下はおまえを助けには来ない」
「嘘を言うな、ガズワーン殿下は必ず来る。そう約束したんだ!」
「笑わせるな、婚約者との未来の約束を蹴ったおまえが誰かとの約束を信じているのか?」
自分の放った言葉が薄い刃となって戻り、自分の頬をかすめていくような痛みを感じる。
俺はもうアリシアを傷つけないと自分に誓ったのだ。
アリシア、絶対に助ける。
少しずつ距離を縮めていく。
ここまでくると、デズモンドの目が揺らいでいるのがこの煙の中でもはっきりと見える。
婚約者の話はこの男にとって塞がっていない傷なのだろう。
傷をつけたのは自分の癖に。
アリシアに『伏せてくれ』と小さな手ぶりと目で伝える。分かってくれるだろうか。
いや、きっと伝わる。
頼む、アリシア。
その時アリシアがパチパチと意味ありげな瞬きをした。俺はデズモンドの目を見て言う。
「煙が充満してきたぞ。そのままではおまえも煙にやられる。伏せたほうがいい!」
アリシアが小さく頷き、次の瞬間に勢いよくしゃがんだ。
それと同時に俺はデズモンドに体当たりした。
仰向けにデズモンドが倒れ、その手からナイフが落ちた。ジャンがナイフを蹴り、デズモンドの顔に拳を叩き込む。
デズモンドはジャンの一発で戦意喪失したのか、もはや抵抗する気は無いように見えた。
リカルドがデズモンドの手を後ろで縛り上げている。
拘束されたデズモンドを、シャーリドの騎士たちが引っ立てて行き、バースィル殿下が駆け寄ってくる。
「アルフレッド殿下、お怪我はありませんか!」
「私は大丈夫です、それより女性たちを!」
「デズモンドから足枷の鍵を取ってきます」
バースィル殿下はそう言うと、また階段を上って行く。
「アリシア、大丈夫か……しゃがんでくれと伝わってよかった……。あの状況では勇気の要ることだったろう」
「……はい。ちゃんと伝わりましたわ」
上着を脱いでアリシアの肩に掛けながら声をかけた。リカルドとジャンもそれぞれマイラ嬢と侍女殿に上着を掛けた。三人とも怪我などは無いようで心から安堵した。
戻って来たバースィル殿下が心痛な顔で、
「デズモンドは足枷の鍵はここにはないとしか言いません……。乱暴ですが鎖をとりあえず何かで切るしかないかと……」
「バースィル殿下、その必要はありません。僕が三人の足枷の鍵を開けます。
ご令嬢の皆さん、なるべく足に触れないようにしますが、もしもの時はご容赦ください」
リカルドが細い棒状の何かを懐から取り出し、アリシアの足枷の鍵に入れた。
その手元と鋭くなった目を見て、リカルドが自分は陛下の『王の三つ眼』だと言ったことを思い出した。
「開きました!」
父がリカルドを『王の三つ眼』とした理由を考える暇もなく、リカルドは鍵を開けた。
「驚きました、素晴らしいです! では令嬢たちの足枷を外すのはお願いします。火は消し止めましたが煙が充満しています、なるべく早く外に出てください」
「アリシア、どこか痛むところはないか」
抱きしめたかったが、さすがにここでは無理な話だ。
「アルフレッド殿下こそ、このような危ないところにいらっしゃるなんて……」
「アリシアが捕らわれているのに、外で待っていることなどできなかった。一国の王子として不適切な行動だったとは思うが」
「……嬉しいと言ってしまうのは、臣下としてはいけないのかもしれませんが……。
それでも助けにきてくださって、嬉しかったです……」
「アリシア……」
「結果論だとしても互いに無事だったのだから、王子としてとか臣下としてとかいいんじゃないかな、素直に婚約者同士として喜びあっても」
リカルドが面倒そうに言い、マイラ嬢が両手を口に当てて声を出さずに笑っている。
「次にマイラ嬢の足枷を外します。僕の上着を足首のあたりまで掛けてください。触れないように気をつけますね」
リカルドが俺への態度とは別人のように優しい声で言う。
「ありがとうございます。リカルド殿下もシャーリドにいらしていたのですね」
「はい。助けにくるのが遅くなって申し訳ありません」
「いえ、嬉しいです。あっ、嬉しいというのは変な意味ではなく……」
「ふふ……もう、鎖は外れますからね。……はい、マイラ嬢の鍵も開きました!」
「リカルドだってもっと喜びあってもいいと思うぞ」
「兄上、さっきの仕返しのつもりですか!?」
マイラ嬢とリカルドがいい雰囲気だなんて、うっかり思ってしまう。
でも二人を見ていると、あながち間違ってもいないように感じたが、これは黙っておく。
リカルドはすぐにアリシアの侍女の鍵も開けて、これで三人全員が足枷の鎖から解放された。
「では、急いで外に出よう」
「あの、まだ床に蛇がおります。シャーリドの大切な白蛇ですから、一緒にあの甕に戻してもらえませんか」
「分かった、あの甕だな」
すぐに外へ出ようとしたが、アリシアの言葉に床を這うようにして蛇を掴んで甕に入れていく。シャーリドの騎士たちはすでに蛇を捕えては甕に入れていた。
ジャンもリカルドも、アリシアたちもなんだか慣れた手つきで蛇を掴んでは甕に入れていく。
「ヴェルーデの皆さま、こんな時なのにシャーリドの白蛇を助けてくださるとは!
後は我々でやりますので早く外へ!」
騎士の言葉に、俺はアリシアを抱き上げる。リカルドがマイラ嬢を、ジャンが侍女殿を同じく抱き上げた。
「ここはシャーリドの人々に任せて、俺たちは外へ出よう」
抱き上げているアリシアの足がどこかへぶつからないよう、狭い階段を慎重に上がって行く。
俺たちが建物の外へ出ると、拍手が沸き上がった。
このように迎えられてしまうことをアリシアは望まなかったかもしれない。
腕に感じるアリシアの命の重みとぬくもりを離すことに躊躇いがあったが、そっとアリシアを降ろした。
馬車が用意してあり、今すぐ王宮に戻ることも先ほど借りていた建物の中で少し休むこともできると、バースィル殿下が言ってくれた。
アリシアとマイラ嬢は、すぐに王宮に戻ることを選んだ。
馬車の中にも冷たい飲み物や羽織るものなどが用意されているという。
「王宮で部屋を用意しています。食事もそれぞれの部屋に運ばせますのでゆっくりとお休みください。明日の午後に、今回の件について話し合う席を設けるとのことです」
「ご配慮に感謝します」
俺とアリシア、そしてジャンとアリシアの侍女が一台の馬車に乗り込む。
リカルドは、マイラ嬢と先ほど再会したその侍女と三人で馬車に乗った。
馬車は三台用意されていたが、二台で行くことになった。
***
「アリシア、本当にどこも痛むところはないか?」
「ええ、足枷が着けられていたところが少し痛むくらいで、それもどうということはありません」
「……そうか、喉はどうだ? 煙を吸い込んだりしていないか?」
「先ほど冷たい水をいただいたので大丈夫ですわ、ありがとうございます。殿下はいかがでしょうか」
「俺は何も問題ない。問題があるとすれば、自分とリカルドとジャンの三人分の始末書を、全部俺が書くことになったことくらいだ」
笑いながら言ってみたが、アリシアは困ったように少し微笑んだだけだった。
ジャンが何か言いたげな目線を送ってくるが、気がつかないふりをする。
「リカルド殿下がどうしてあの場にいらっしゃったのか、それはお尋ねしないほうが良いのですね?」
「王宮に着いて落ち着いたらいろいろ話そう。君は酷い目に遭って疲れただろう。アリシア、その……隣にいったら迷惑だろうか」
「……迷惑、ということはございませんけれど……」
アリシアのその言葉に侍女が端にずれてくれ、その空いたところに移動する。
侍女は俺の居たところに移動してくれた。
「寄りかかって王宮に到着するまで少し眠るといい。眠れずとも、目を閉じているだけでも休まる」
「……殿下のお言葉に甘えさせていただきます……」
本当に疲れているのだろう。いつものアリシアなら断ってきたかもしれないが、静かに目を伏せた。
そっとアリシアの頭を自分の肩に寄りかからせると、最初はぎこちない感じがあったが、しばらくすると頭の重みが増して、アリシアの身体から力が抜けた。
肩を抱くようにして、馬車の揺れがなるべくアリシアに伝わらないように支える。
アリシアのぬくもりに、やっと心から安心できた。
それにしても、フォートナム王国の元王太子だというデズモンドは、どうしてこんなことをしでかしたのか。
地下でデズモンドと対峙した時、あまりの小者感に驚いた。
帝国内の王族とは皆一応の面識があるが、シャーリドの人のように黒い髭を髪から繋がるように顎まで蓄えた姿はまったくの別人だった。
酷い婚約破棄をしてその理由が新しい女の捏造だったと判明し、王籍を剥奪され国外追放になったと聞いているがシャーリドにいたのか。
国外追放という罰も考え物かもしれない。
すでに王籍に無いとはいえ、元王太子だったという血筋が消えるわけでもない。
こうして他国の王族に利用されてしまっては、フォートナム王国も『あれはもう関係ない人間だ』と言い逃れはできないだろう。
ヴェルーデの公爵令嬢二人への狼藉の責は、フォートナム王国にも求めることになりそうだ。
ただ、黒幕がシャーリドの第二王子だった点はどうしたものか……。
シャーリドとは今後も手を携えていくだろうから、何かと引き換えに事を収めることになるはずだ。
そんなことを考えていたら、馬車が止まった。
今朝、見納めたはずの王宮が窓から見える。
「アリシア、着いたようだ。アリシア」
抱いて馬車から降ろしたいところだが、アリシアはきっと自分の足で降り、歩いていきたいに違いない。
俺がアリシアを守りたい気持ちは、アリシアの凛とした心持ちの前でこれからずっと引っ込め続けることになるのだろうが、きっとそれでいいのだ。
「アリシア」
「……殿下……到着しましたのね、すっかり眠りこんでしまい申し訳ありません」
アリシアは俺から離れ、さっと身繕いをしている。触れていたところが急に寒く感じた。
「大丈夫だ、髪も乱れていない」
向かいの侍女も口元に笑みを浮かべて頷いている。
「では降りよう」
この王宮を出た時に、再びこの絢爛な王宮の中を歩く日は無いかもしれないとコバルトブルーと白の建物を見上げた。
いつか自分もこれほどの物を造ることができる人間になれるだろうか、何かを成せる日が来るだろうか──そんなことを思いながら。
それから一日も過ぎていないというのに遠い日のことのようだ。
隣にアリシアがいてくれることは当たり前のことではないのだと、騒動に巻き込まれて改めて思う。
そしてシャーリドの王宮へと、再び足を踏み入れた。




