【19】シャーリド王国 第一王子(イクバル視点)
同母弟バースィルの『密』が現れ、『我々の“黒鳥”が咥えていた餌を落とした』と短く伝えてきた。
私はすぐに自分の密を動かした。
この日のために編成されていた精鋭の密たちは、時を待たず三人の女を王家の『別邸』へと案内した。
『別邸』と呼んでいるのは王宮の西にある塔で、一度『客』として足を踏み入れた者はここから生きて出てくることはない。
最初は上階の部屋に連れて行く。そこには窓にそれと目立たぬ格子があるが、それなりに豪奢な造りとなっている。そして最期を地下の石牢で迎えることになる。
この『別邸』の在りようを知っているのは王家の男だけで、当然ガズワーンも知っている。
『別邸』へ送った三人の客は、父王の側室でガズワーンの実母サルワー妃。
私の異母妹である第一王女のジャンナ。サルワー妃が産んだのはガズワーンとジャンナだけだ。
そしてガズワーンの恋人のドリーヤ嬢。
ガズワーンには第一貴族の婚約者令嬢がいるが、まったく見向きもせずに一番爵位の低い第七貴族の娘ドリーヤ嬢を傍に置いている。
三人が『別邸』に入ったと連絡を受けてすぐに父王のところへ向かった。
ついにこの日が来たという高揚感に包まれるかと思っていたが、思いのほか何も湧き上がってこない。
いつもどおりの足取りで父王の執務室のドア前まで歩いた。
従者がドアを開け入って行くと、父王が執務中の厳しい顔のまま私に目をやった。
「陛下にご報告申し上げます。サルワー妃とジャンナを別邸へと案内いたしました」
僅かの時間、父王は考え事をする顔になる。
「……おまえが別邸にその二人を送り込んだというならば、明確に何かが起こったということだな」
「はい。弟がシャーリドの大切な客人を拐かしました」
どの弟なのかその名を言う必要はなく、父王はすべてを理解した目をした。
私が帝国の皇女を娶ることを望み此度の婚約が発表されてから、サルワー妃の私を失脚させようとする画策は私と父王以外の目にも留まるようになっていた。
ガズワーンも何やら水面下であれこれ動いている。
父王はこの数か月のサルワー妃とガズワーンのことを、自身の失態だと先だって私に謝罪をしてくれた。
父王の謝罪に驚いたが、父王の話では複雑に絡むここシャーリドの部族間の事情から、すぐにサルワー妃とガズワーンを排除することができずにいたという。
そもそもサルワー妃を側室としたことが過ちだったと言う父王の思いを聞き、それならば何も躊躇う理由がなくなった。
向こうが先にこのようなことをしでかしたのだから、遠慮なくやり返すだけだ。
「……そうか。おまえに私の尻拭いをさせることに忸怩たる思いはあるが、頼む。側室サルワーの実家周りの後始末はさすがに私がやる」
「確と承りました。申し忘れましたが別邸にはもう一人案内しております。弟の情婦です」
「アッセナム第一貴族の令嬢ではないのだな?」
「はい。アッセナムのミリンダ嬢ではありません。
ミリンダ嬢を婚約者としているガズワーンはミリンダ嬢との仲を深めることもなく、ふた月ほど前からバースィルがミリンダ嬢の御父上と懇意にしているようです。
なんでも、剣について話が合うとか。
今回ヴェルーデから贈られた物の中に美しい布がありましたが、私より先にバースィルが持っていきました」
ガズワーンの婚約者ミリンダ嬢は、アッセナム第一貴族の長女だ。
アッセナム家は戦ではなく協議の上でシャーリドの一部となった小国の元王族である。
小国ではあるが肥沃な領土を持ち、今ではシャーリドの主食を支える重要な土地となっている。父王は兵士の一人も動かさずにアッセナムを取り込んだ。
そのアッセナムの元王女を第二王子であるガズワーンの婚約者とし、太い繋がりとすることが協議の際の条件の一つだった。
飲み込んだ小国であるアッセナムを大事にするさまを内外に見せ、これから協議に入る国の不安感を払拭する目的もある婚約だった。
それなのにガズワーンはミリンダ嬢を表向きすら大切にせず、娼婦のような下級貴族の娘にうつつを抜かしていた。
ガズワーンがヴェルーデの公爵令嬢たちを拐わかさなくても、いずれミリンダ嬢に婚約破棄を言い渡せばガズワーンを失脚に追い込めた。
『密』たちの報告からその日は近いと我々は踏んでいたが、ガズワーンはそれより先に破滅へと自ら歩いて行ったのだ。
「ガズワーンはそろそろここにやってくるだろう。すぐにおまえを呼ぶから、とりあえず下がっていろ」
「畏まりました。向かいの部屋に控えております」
父王の執務室を辞去し、その向かいの部屋に滑り込む。
廊下の静けさからは想像できない数の騎士たちが、早くもその部屋に待機していた。
私は目線だけでその者たちにここまでが順調であることを伝え、奥の椅子に座った。
ヴェルーデは無関係であるにも関わらず公爵令嬢たちを恐ろしい目に遭わせてしまい申し訳ない思いだが、最終的にアルフレッド殿下は喜んでくれるのではないだろうか。
ガズワーンの手先と成り果てたデズモンド元王太子のフォートナム王国から、今回の狼藉の後始末として楯状地を抱える土地を割譲させる。
その楯状地の発掘権利の大部分をヴェルーデに譲渡しようと思っている。
鉄は国を富ませる。武力の増強は国を安定させ、農具の革新は良民を増やす。そのための鉄は欠かせないものであり、フォートナム王国の楯状地は素晴らしい資源なのだ。
あれほどの土地をうまく活用できなかった国を取り込み、我がシャーリドはヴェルーデと手を取り合ってさらに国を大きく強くしていく。
しかしそれもこれも、無傷で令嬢たちを救い出した後のことだ。
ヴェルーデの令嬢たちが閉じ込められている場所は、バースィルと精鋭の騎士、そして私とバースィルの『密』部隊がすでに囲んでいる。
ガズワーンはデズモンド元王太子に、ひとりはわざと逃がせと伝えていた。
その者が助けを求める先にガズワーンの配下がいて、我々より先に解決する算段らしい。
なんとも稚拙で杜撰な計画に、今更ながらもっと早い時期にガズワーンをどうにかできただろうと歯噛みする思いだ。
もちろん逃げ出した侍女は、すでにバースィルの『密』が先に確保している。デズモンドが仲間だと思っている者たちも我々が差し向けた者なのだ。
そろそろ、偽の『わざと逃がしたヴェルーデの侍女』から助けを求められたガズワーンが父王のところへやってくる頃合いだろう。
思ったよりも遅いが。




