【18】足枷に繋がれる(アリシア視点)
マイラ様と何か飲みものを売っている店を探していると、カップに入れたお茶を持って通行人に声を掛けている女性がいた。
「カップごと持ち帰れるお茶はいかがですかー。お店の中でも飲めまーす」
面白い抑揚をつけたシャーリドの言葉だ。
「そのお店はどこにあるのかしら」
アリシアはシャーリドの言葉で話し掛けた。
「ありがとうございまーす。この道をまっすぐ行くと左か右にしか行けなくなるので、そこを左に折れてすぐのところにあるオレンジ色の壁の店でーす」
「ありがとう。ところでそのお茶はおいしい?」
「もちろん! シャーリドで一番おいしいですー」
笑顔でそう答える女性に、思わずこちらも笑ってしまった。
店の宣伝をしているのだから、シャーリドで一番美味しいと答えるに決まっている。
「アリシア様、いいお話を聞けましたわね。もう喉がカラカラですわ」
「ええ、行ってみましょう」
シャーリドは乾燥している地域であるからか、街には飲み物を売る店がヴェルーデよりも多い印象がある。
先ほどの女性が言ったとおりに歩いていく。向かう途中も、店頭に並んでいるものを見ながら進んだ。
オレンジ色の壁の店が見えた。
ミルクと香辛料の入ったお茶で、飲み終わったカップはそのまま貰えるらしく、店内で飲んでも持ち帰ってどこかで飲んでもいいと店頭に説明がある。
カップの焼き色にほんの少しのムラがあったりお茶を入れるのに問題はない小さな傷があったりするなど、売り物にはならないカップを安く買い取りお茶を入れてカップごと売っているようだ。
店の前には、持ち帰り用のカップに土が入れられ小さな花が植えてあるものがいくつか置いてある。
お茶を飲んで持ち帰った後はこんな使い方もできるのね。
店先でカップのお茶を買い店に入った。持ち帰る客のほうが多いのか店内に客がいなかった。
敢えて温かいお茶を飲み、喉の渇きが癒されてほっと一息つく。
店の奥には地下へと続く階段があった。
「地下にも席があるのかしら。きっと地下が涼しくて席はそちらから埋まるのかもしれないわね」
マイラ様の言葉に私は大きく頷く。この店内は窓の位置が悪くて風が抜けないようだ。
シャーリドを旅して分かったことだが、窓が対角線に開いていないとこの国の暑さはいっそう酷く感じる。
地下ならば窓がなくとも太陽の熱が届かなくて涼しいのではないかしら。
マイラ様が階段をいくつか降りて地下の様子を伺っているとき、誰かに腕を引っ張られて階段を転がるように降りて行った。
「マイラ様!」
「お嬢様いけません!」
立ち上がって階段のほうに行こうとすると、メリッサに止められた。
メリッサが店を出ようとすると、さっきにこやかにお茶を売ってくれた男性が入り口を塞ぐように立っている。
メリッサはすぐに私のところに戻り、男から守るように私の前に立っている。
じりじりとそのまま時間が過ぎていく。
そして階段から、男が一人上がってきた。
「またお会いしましたね」
下卑ているのに高貴にも見える不快な笑みを浮かべているのは、先ほどのデーツの店の店主だった。
「彼女をどうしたの!?」
「下でお座りいただいている。まあ寛いではいないだろうが。さあ、あなたもどうぞ」
入口に立っていた男とデーツの店主によって、私とメリッサは地下に連れて行かれた。
地下は思ったよりも広く、奥の網格子の向こうに後ろ手に縛られているマイラ様がいた。私たちの後に上から女が降りてきた。
「マイラ様!」
そう声を上げた瞬間、誰かに背を押された。バランスを崩して床に膝をつく。
顔を上げると、先ほど私がお茶を売る店を尋ねた女性だ。
そして女は素早い手付きで私の手をマイラ様と同じように後ろで縛り、メリッサはデーツ店主に縛られた。
「目的はなんなの。どうしてこんなことをするのかしら」
デーツ店主の男が私たちを捕える理由が思い浮かばなかった。
私たちがこの国の人間でないことは先ほどの店頭でのやりとりで分かっているはずで、私たちの解放条件に金を要求しようとしても、シャーリドの外の国を相手にしていては時間がかかる。金のためなら他国の貴族の女をターゲットにするメリットがない。
シャーリドにだっていくらでも貴族はいるのだから。
私たちと引き換えに金を手に入れるまで、時間がかかればそれだけ男の側が不利になるのだ。人を生きたまま監禁するのは手間も人手もかかる。
ということは、身代金目的ではない?
外国の女を攫ってどこかに売り飛ばすつもりなの……?
誘拐して身代金を要求するよりも、売り飛ばすほうが金にはならないだろうけど、そちらのほうが手っ取り早いということなのかしら。
「おまえみたいな、自分は賢いと思っている女を見ると虫唾が走る。そっちの女も泣きもしなかったな。目的だと? そうじゃない、ごめんなさい許してくださいだろう」
何を言っているの……気持ち悪い。
それにしてもこの男、どこかで見覚えがあるような気がするのに……思い出せない。
デーツの店以外にどこかで会ったことがあるような気がする。
少し挑発してしゃべらせれば何か分かるかしら……。
「身に覚えのないことで、あなたに許しを乞う意味が分からないわ」
「……すごいな、まさに俺の嫌いな女の見本みたいなことを言いやがる」
「まあ、それならあなたは世の女性全員が嫌いなのね。別に要らない情報ですけど」
「……おい、おまえあれを持ってこい。俺に対して口の利き方がなってないことを後悔させてやる」
さっき私をこの場に押し込んだ女に顎をしゃくって何かを命じた、女は奥へ向かった。
「おまえらもあの女と同じところへ入れ」
私とメリッサはマイラ様の居る鉄網の向こうへ追い立てられた。
近くでマイラ様を見ると、壁につけられた鎖で足を拘束されている。
すぐに男によって同じように鎖に繋がれた足枷をつけられてしまった。
冷たい足枷に鳥肌が立つ。
思ったより鎖は長く、片足だけなので動こうと思えばこの中を動くことはできそうね。
足枷の鎖の先は壁に固定されているのでそれ以上はどうにもならないけれど。
「マイラ様、大丈夫ですか?」
「大丈夫ですわ、アリシア様も?」
「ええ」
「ベスがきっと助けを呼んでくると信じましょう」
メリッサは壁に取り付けられている鎖の真ん中に繋がれていた。私の背後に回って跪き、口で手を縛っている布を外している。
しばらくすると、手首が動き拘束が解けた。私はそのタイのような長い布を片方の手首に巻きつける。
「手を後ろに回したままで様子を見ましょう」
次にメリッサはマイラ様の手首の布を同じように緩め、私がメリッサの布を解いた。
それにしてもずいぶんと杜撰でいい加減ではないかしら。
私たちの手首を縛っていたのは、シルクの手触りのスカーフくらいの大きさの布で、それを細く折り畳んで使われていた。木綿の布ならもっときつく縛れただろうに、シルクだからかするりと解けた。
そもそも普通はロープを使って縛るのではないの?
誘拐における『普通』なんて変な言い方だけど。
まあ、貴族の女たちの手を拘束するならこれで十分だと思ったのでしょうね。
壁に固定した鎖の足枷をつけたから、手の拘束はおまけみたいなものと思っているとか?
まあいい加減な仕事のおかげで両手の自由を取り戻せたけれど、しばらく後ろで縛られているようにしていよう。
奥からデーツ店主が大きな甕を足で押して運んで来た。甕の口は油紙のようなもので塞がれている。
「……ふざけやがって……あいつら、これだけはできませんなどと言って震えて使い物にならない。蛇は神だなんて、それこそ神の冒涜じゃないか」
デーツ店主はぶつぶつ文句を言いながら、鉄網の鍵を開けると甕を足で押し入れ油紙を剣で破き、力いっぱい甕を蹴り倒した。
その中から無数の蛇が出てきてメリッサが甲高い悲鳴を上げ、マイラ様は言葉もなく目を見開いている。
「さすがにこれには驚いたか。まあ、いつまでもつかな。
蛇の毒が回るまでどれくらいかかるのだろうか。ここは地下だから、大声を上げたって誰にも聞こえない。それにしても生臭くてかなわぬ……」
デーツ店主は袖で鼻を覆い、私たちが驚いた顔をしたことに満足したのか階段を上がって行った。
「……私、蛇だけはどうしてもダメで……」
メリッサが壁に張り付くように少しでも蠢く蛇から距離を取ってそうつぶやく。マイラ様も同じように壁まで下がっていた。
「こんな大量の蛇が大丈夫なんて人は居ないですわね……」
「マイラ様のおっしゃるとおりですね、でもなんとかしなくては」
甕から這い出てくる蛇の多さにたじろいだが、お妃教育のシャーリドの回で習ったことを思い出す。
蛇を見ると、これは『アスクーの祝福』のモチーフにされている蛇ではないだろうか。毒が無く穏やかな性質を持つ白蛇で、頭部に一つ丸い模様があるという。
丸い模様の形によってとても尊いとされる白蛇もいて、一家で大切にするらしい。
そうした白蛇を求める高位貴族がいて、高額で取引されることもあると学んだわ。
『アスクーの祝福』モチーフの白蛇に害を加えると、罰が当たると神格化もされている。
まさに今放たれた蛇たちすべてにその特徴がある。
どの蛇も頭部に丸模様があるわ。
あのデーツ店主を店で見た時に、なんとなく商人には見えなかった。もしかしたらシャーリドの人間ではないのかもしれない。
蛇をこのように乱暴に扱うのは、毒が無くシャーリド人にとって大切な白蛇だと知らないのではないかしら。
噛まれればその歯による物理的な痛みはあるだろうけど、そこから毒を取り込むことがないのであれば、どんどん掴んで甕に戻していけばいいのでは?
「マイラ様、メリッサ、この蛇はたぶん毒を持っていないわ。白くて頭に丸い模様があるでしょう? あれはこの国で大切にされている蛇の特徴よ。噛まれれば普通に痛いだろうけど、うまく頭の少し下を掴んで甕に入れていけばいいと思うの」
「アリシア様……私も蛇はダメですが、毒が無いのなら頑張れそうですわ!」
「もちろん私もお二人を護るためなら!」
「三人で頑張りましょう! なるべく蛇を傷つけないように甕に戻していきたいわ。マイラ様とメリッサでなんとか甕を起こしてもらえませんか? 私からは遠くて届かないの」
三人とも壁に繋がれた鎖を足枷として付けられている。
鎖はそれなりの長さはあるけれど、私がいちばん甕から遠いところにいるから、どうしても甕に手が届かない。甕は蹴り倒されたままだった。
マイラ様とメリッサが甕の口に手を伸ばす。ただ、甕が大きくて重たそうで、中からまだ蛇が出てきている。
甕に一番近いマイラ様は、甕の口を掴もうとするけれど、中から出てくる蛇にどうしても手を離してしまう。
「マイラ様、なんとか甕の口を掴んで手前に引っ張ってください!」
「こ、こうかしら……」
少し甕がこちら側に動いた。
マイラ様の頑張りで、また少し甕がこちらに近づく。
「あとは私が!」
メリッサが少し近づいた甕の口に、繋がれていないほうの足をひっかけ手前に引く。
甕が手前に動き、体勢を変えたメリッサは手で引っ張った。その動きでさらに中から蛇が出てくるがメリッサは怯まずにぐっと甕を引く。
「メリッサ、甕を起こせる? もう少しこちらに寄せてくれれば私の手も届くわ!」
大きな甕はどれくらいの重さがあるのか、メリッサがさらに引っぱり私にも届くようになった。
「起こすわよ、メリッサ」
まだ蛇がいくらか入ったままの甕をどうにか起こすことができた。
「どんどん蛇をこの中に入れていきましょう! 尻尾のほうではなく、なるべく頭の近くを掴めば噛まれにくいかもしれないわ」
近くを這う蛇を掴んで甕に投げ入れる。私だって蛇は苦手だけど得意な人なんてヴェルーデにはきっといないわ。
でもシャーリドの人たちにとって大切な存在の蛇を傷つけないようにしたい。こう言うと聞こえがいいけど、もし傷つけたりしたら呪いのようなものがあったときに怖いという気持ちが大きい。
「アリシア様、私ずっと考えていましたが、あの店主に見覚えがあるような気がするのです」
マイラ様が蛇を甕に投げ入れならがそう言った。
「私もですわ。ここではなくデーツの店でそう感じたのですが……」
「でも、私はシャーリドの方々とお会いしたのは今回の視察と、帝国のパーティに出席した時だけですわ。その時にご挨拶をしたシャーリドの王族や貴族の方々の中に、あの店主はいなかったと思います」
「……あのデーツ店主、シャーリドの人ではないような気がしているのよ……」
私がそう言うと、マイラ様は何か考えるような顔つきになる。
「マイラ様、考え事をしながら蛇を掴むのは危ないですわ。毒はないだろうと言いましたが、噛まれたら痛みはありますもの」
「そうね、ごめんなさい。デーツ店主についてこの辺まで出かかっているのになかなか出てこないものですから」
「私もさっきから落ち着かない気持ちです。でも今はとにかくこの蛇たちをすべて甕に戻すことを優先しましょう」
「お嬢様、あの男を思い出すことから離れて楽しいことでも思い出してはどうですか。美味しかったお菓子とか楽しかったパーティとか」
メリッサが両手それぞれ一匹ずつ蛇を投げ込みながらそう言った。
「そうね、シャーリドのお菓子はどれも美味しかったわね! デーツの入ったクッキーとか……あら、またあの店主に戻ってしまうわ」
マイラ様もメリッサも声に出して笑った。足元に蠢く多くの蛇に対峙しているとは思えないくらい、場違いに明るい空気になった。
「ではパーティのお話にしましょう。私が目を奪われた豪華なパーティ会場と言えば……パーティ……」
マイラ様が途中で黙り込んだ。
「マイラ様、どうかなさった?」
「……そうよ、パーティよ! アリシア様もいらしたはずですわ、皇帝陛下の在位記念パーティに!」
「ええ、一年ほど前の皇帝陛下の在位記念パーティでしたら……ノックスビル公爵家として両親と弟と一緒に出席しましたけど……」
「私もハワード公爵家の養父母と義兄たちと出席していました。そこで、その席でご挨拶をした方々の中にあの店主がいましたわ、シャーリドの王族の方々の中ではなく!」
一年ほど前に、帝国を統べる皇帝陛下の在位記念パーティがあった。
ヴェルーデからは王家と公爵家が参加していて、私も連れていかれた。
お母様が張り切って、いつもの数倍もの値段のドレスを作ってくれた。帝国内の王国が集まるのだからそれに恥じない品格をと、途中からはお母様よりお父様のほうが前のめりになって詳しくもないドレスについていろいろ言ってくださったことを思い出す。
そのパーティにあのデーツ店主がいたのかしら……。
皇太子様とそのご兄弟の方々、各王国の王族の方々や公爵家の皆さまには一通りご挨拶をしたけれど……。
先ほどのデーツ店主が言った『口の利き方がなってない』という言葉を思い出す。
「マイラ様、あのパーティ会場で、ちょっとしたざわつきが起きましたよね?」
「……そう、そうなのです……何かここまで出かかっているのですけれど……」
帝国の巨大なお城の大きなホールでは、あちこちで挨拶を交わす小さな人の輪ができていた。その輪が大きくなったり、小さな輪に分裂したりを繰り返していた中で、異質な声が私の耳に届いた。
『失礼じゃないか! 女のくせに口の利き方がなってない!』
どこかの女性にそんな無礼な言葉を投げた王子がいた。あれはたしか……。
「フォートナム王国の王太子殿下!」
マイラ様と声がかぶった。
その声が大きかったせいでメリッサに『お静かに……』と叱られるように言われてしまったわ。
それから私たちはしばらく話すこともせずに、ひたすら床を這う蛇たちを甕に入れていった。三人で話さなくてはならないことがたくさんあったが、まずは目の前の……いや目の下の蛇たちを片付けなくてはならない。
私たちには確認し合わなければならないことがたくさんあった。
蛇を甕に投げ入れながら、頭の中のノートにもどんどん言葉を投げていく。
『フォートナム王国の王太子殿下とは』
『シャーリドでデーツ店主』
『シャーリドの内情』
うまく言葉が繋がっていかない苛立ちをシャーリド王国民の大切な蛇にぶつけないよう丁寧に、でも素早く片付けていった。




