【15】謝罪を受けて(アリシア視点)
シャーリドの王宮に用意された部屋は豪華すぎて落ち着かないくらいだったが、久しぶりに足を伸ばしてゆっくりと入浴できてありがたかった。
部屋に入って調度品のあれこれを書き留める。
シャーリドがヴェルーデの第一王子の婚約者に与えた部屋の様子を記録して、ヴェルーデに迎える時の目安にしたい。
なすべきことを終えて、ベッドに入ったがなかなか寝付けなかった。
アルフレッド殿下は今頃、イクバル殿下と男同士の内緒話をしているのね。
第一王子同士で話すような何かがあったのだろうかと考えを巡らせようとしても、すぐに途切れてしまう。
王宮の庭でアルフレッド殿下が私に頭を下げて謝ってくださった、あの場面をつい頭の中で再生してしまうせいだ。
婚約破棄をしたいと、いったんは口にしたことへの謝罪があった。
あの日殿下は僅か三時間で慌てて私の家に先触れもなくやってきて、婚約破棄は冗談だったと冗談にもならない感じに撤回をした。
何かあると思っていたが、殿下が婚約破棄だと告げた直後に陛下から、このシャーリド関連の『仕事』を私と一緒にやれと言われたというのが理由のようだ。
そんなことくらいで撤回するだろうかと思ったが、そもそも破棄の理由も私に言わせればまさかそんなことで? というもの。
殿下はその時ご自分のことしか考えておらず、私という人間の人生をあまりにも軽んじていらした、それが率直な思い。
ただ、ならば私自身が殿下のことを……アルフレッド殿下という一人の男性のことや彼の人生を真摯に考えていたかと問われると、そうでもなかったかもしれないと思う。
私は婚約者として求められた在りよう、そして教育に真剣に取り組んでいた。
王家とノックスビル公爵家の間で取り交わされた婚約だから、家のために必死でやってきた。
そのまま結婚し、殿下が晴れて王太子となれば私は王太子妃としてこの王国の民のために生きる。
家のため民のため、それはもちろんアルフレッド殿下のためなのだが、純粋に殿下自身のためと意識したことは無く、意識の優先順位は低かったのではないか。
殿下の美しいお姿をいつまでも見ていられるくらいに素敵なお方と思っていたけれど、その人となりを深く知ることができるような直接お話する機会が、婚約破棄騒動が出るまでほとんど無かった。
そのことも殿下が良くなかったと謝罪してくださった。
「お嬢様、眠れませんか? 何か温かい飲み物でもご用意いたしましょうか?」
「ありがとう、この時間だからハーブのお茶をもらえるかしら。少しおしゃべりに付き合ってもらえると嬉しいわ」
メリッサがいる続き部屋には飲み物が用意できるようになっている。
曇りガラスが嵌め込まれた扉の向こうからそっと声を掛けてくれたのだった。
「ねえメリッサ、忌憚のない意見を聞きたいのだけど、いつも私の傍にいてくれるメリッサにはアルフレッド殿下はどういう人物に見えているかしら。ノックスビル公爵家の使用人としてではなく、私の友人として答えてもらいたいの」
メリッサはお嬢様の友人としてなどと畏れ多いと何度も言いながら、それでも大切なものを差し出すように話し始める。
「……そうですね……第一王子殿下は、お嬢様と反対の気質をお持ちのお方でしょうか」
「私と反対?」
「お嬢様は……物事をしっかりねっとりお考えになるお方です。点在する物事を分かりやすく分類し、見えない線で結ばれているその線を見つけようとなさいます。
第一王子殿下は何事もまずは試してみようとお考えになり、決断力がおありのようにお見受けします。
お二人はまるで我が主、ノックスビル公爵ご夫妻のようです。
ご慎重で、行く道の小石ひとつ見逃さないように目を配られる公爵様と、小石があれば蹴ってしまえばいいのよと歩いていかれる公爵夫人。
私は公爵ご夫妻のように相反する気質をお持ちの『夫婦』という形態が最上と思っておりますので、第一王子殿下とお嬢様は素晴らしい組み合わせと感じます」
「……お父様は小石を見逃さず拾い、お母様は小石を蹴る……。メリッサ、まさにその通りね!」
思わず笑ってしまう。
使用人というのは仕える主のことを、怖いくらいによく見ているものね。
「本当にここだけの話なのですから、そこはもうお願いしますね……」
「うふふ、分かっているわ」
「ただ、この話には続きがありまして、お嬢様は綿密にじっくりとお考えになった後は『あとはなるようにしかならないわ』とドンと構えていらっしゃいます。
第一王子殿下は、素早い決断からこぼれたことを後々お気になさるところがおありではないでしょうか。そこまで含めてお二人は反対の気質をお持ちで、もしもご夫婦になったならば、支え合い補い合える良い関係が築けるように思います」
メリッサに私のことを的確に言われた気がした。
アルフレッド殿下といる時はいつもメリッサも近くに控えているとはいえ、本当によく見ているわ。
たしかに私はネチネチ考えるわりに、最後はなるようにしかならないと開き直る。
そう、開き直り。まさにそれが私だわ。
これはたぶん私が自分に自信がないから、できるだけのことをやったと自分にも他者にも言い訳できるように事前にあれこれ考えているだけなのだ。
婚約者としてきちんとやっていると見せたいだけで、純粋にアルフレッド殿下のためを思ってのこととは言い切れない。
「お嬢様、どうせ最後は『なるようにしかならない』と思われるのですから、お仕事以外あまり難しいことはお考えにならず、第一王子殿下にお任せになってよいのではないでしょうか。今の第一王子殿下はお嬢様に対して誠実ですもの」
「そうね、メリッサの言う通りかもしれないわ。相手のいることだからネチネチと考えたところでなるようにしかならないわね。メリッサの忌憚のない話、とてもありがたかったわ」
「数々の失礼な発言を、本当に申し訳ありません」
「私がメリッサに友人として教えて欲しいと言ったのだもの、謝る必要はないわ。
お茶を淹れ直してもらってもよいかしら。熱いお茶を飲みたいの」
「かしこまりました。シャーリドの街で悪魔も召喚しておきましたのでどうぞ」
メリッサが青い綺麗な小箱を置いた。蓋を開けると小さくて丸いお菓子が入っている。
「こんな時間に美味しそうなクッキーだなんて、恐ろしい悪魔の箱ね」
「シャーリドのデーツを使ったクッキーだそうです。王家の象徴である青い蛇が絡んだこの箱の意匠は、この店だけに許されたものと聞きました」
メリッサのお茶を待たずに、小さなクッキーを丸ごと口に入れる。
サクサクした食感の後にやわらかいデーツの甘さがやってきてとても美味しい。
さすが王家御用達のお墨付きを与えられただけのことはあるわ。
王宮でいただいた焼き菓子とはまた違う美味しさがあった。
シャーリドのご一行を迎える日、従者から馬丁まですべての人たちにデーツを使った菓子が行き渡るように揃えたい。長旅で疲れた者たちすべてに故郷の甘いお菓子を。
帝国に赴き、そこから帝国内の王国をいくつも巡っていれば、単なる疲労とは違う疲れを感じるはず。
気候も違う、言葉も違う、そんな国々を王族に何事もないように細心の注意を払い続ける旅というのは、尋常ではなく疲弊しそうに思える。
そんな一行が最後に訪れるのが我がヴェルーデ。
ヴェルーデの良さを伝えるとか文化を見てもらうだとか、おもてなしに託けた自己紹介ではなく、ただ身体の疲れを解き、故郷までもう少しだから頑張ろうと心を立て直すための憩いの時間を過ごしてほしい。
そんなことを考えていたら、小箱とはいえいつの間にか半分も食べてしまった。
お茶を飲みながらだと、ひとつ食べてすぐまた次に手が伸びる。
止めるには、強い意志で悪魔の小箱に蓋をするしかないのだわ。
メリッサと話をするうち、自分の中でずっと棚上げしていたアルフレッド殿下のことが落ちついた感じがあった。
正直、あそこまで殿下がお気持を言葉にしてくださるとは思ってもみなかった。だからこそ私自身も踏み込んで伝えることができた。
王族や貴族の会話は甲冑の上から脇腹を掻くようにもどかしいものばかりだけれど、あんなふうに飾りなく自分の言動を過ちだったと認め、頭まで下げてくださったアルフレッド殿下のご誠意を今は信じてみようと思える。
殿下が私との未来を考えてくださっているのであれば、私もそれに応じていきたい。
家のため民のためだけではなく、誰よりもアルフレッド殿下のために……。
そうはっきりと頭の中で言葉にすると、それは自分の中でしっくりと温かいものとなった。
(フレディ様……)
互いに愛称で呼び合うのは、まだまだ慣れる気がしない。
特に『アリィ』と呼ばれることは、くすぐったくて落ち着かないわ。
でも、アリィと呼んだ殿下の声がとても優しく心地よかった。
これから少しずつ、少しずつね。
頭の中のノートに、『マイナスからのスタート。殿下も私も』
そう書きつけて、せっかく蓋をした悪魔の小箱から、絶対にこれが最後だからと誰向けなのか分からない言い訳をしながら一枚食べた。




