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エッセイ/創作論集

映画『フロントライン』を観て思ったこと ――あの日、私たちがマスクをして遠くから振りかざした「正義」は、本当に正しかったのか?

作者: すっとぼけん太
掲載日:2025/11/16

なんでもない週末の午後。

リビングのソファで、クラッカーとチーズ。

ワイン片手に、アマプラで一つの映画を観ていた。



――『フロントライン』。


途中でふと、胸の奥に沈んでいた記憶が蘇った。


2020年。

何もかもが前例のない、あの年だ。


正体のわからないウイルス。突然のパンデミック。

ニュースで報じられる死者数に胸がざわつき、「うつったら死ぬかもしれない」という恐怖が心を支配した。


それでも私たちは、頼りないマスクをして電車に乗った。

満員電車で肩が触れ合うのを避けながら通勤し、湿った空気の会議室に入り、商談をした。

“普通の生活を続けるしかない”という圧力の中で、ただ震えながら今日を過ごしていた。


テレビには、あの豪華客船――ダイヤモンド・プリンセス号の映像。

私は心のどこかで、こう思っていた。


――どうか、近くに来ないでくれ。自分や家族のそばには来ないでくれ。


恐怖にとらわれていた。『正しさ』なんて考える余裕はなかった。


船内で命を削って働いていた医師や看護師の覚悟も、

受け入れを決めた病院が負ったリスクも、

当時の私には想像すらできなかった。


ただ「自分の身に降りかかるかどうか」だけを気にしていた。


映画を観て、初めて知ることばかりだった。


専門家が船内の対応を批判するニュースが大きく報じられたあの日。

私は「ああ、やっぱり国の対応がダメなんだ」と思い、

「素人の医師を降ろして、外国の専門家に全部任せればいい」とすら思った。


今、冷静に振り返ると――

なんて安易で、なんて傲慢な批判だったのだろう。


彼らは“専門家ではない”と、自分で知りながらも、

船内で戦うしかなかった。

情報は乏しく、選択肢は少なく、完璧な対応などできるはずがない。


ミスもあれば判断違いもある。

それでも止まれない現場があった。


あの頃の私には、その必死さも、混乱の中で戦っていた人たちの葛藤も、ほとんど想像できていなかった。


日本には、あれほど前例のない事態を想定した準備がほとんどなかった。

そんな状況で、外側から「こうすべきだった」と口にするのは、

今思えばあまりに軽率だった――少なくとも、当時の私はそうだった。


そして――

「自分と家族が死ぬかもしれない」という根源的な恐怖。

あの恐怖こそが、社会全体を“安易な正義”に駆り立てていたのだと思う。


ただし、それは誰が悪いという話ではない。

あの状況では、国民の多くが情報不足と恐怖の中で、

「どうにか今日を乗り切る」ために必死だった。

それは自然で、仕方のないことだったと思う。


当時の私は、その“安全な場所から批判していた側”の一人だった。

後悔しているのは、まぎれもなく自分自身の行為であり、

同じように感じてしまった人たちを責めたいわけではない。

あの頃の判断は、誰にとってもやむを得ないものだった。


だからこそ私は、

「次は同じ過ちを繰り返さないために、

 あのときの自分の行動を教訓にしたい」

そう思っている。



私は映画を見ながら、あることに気づいてしまった。

“恐怖で判断力を失うのは不自然ではない”ということだ。

そして、そこに付け込む人たちがいることを……。


いまは世界が落ち着き、私たちは振り返ることができる。

当時の動画や記事、SNSの投稿は今も残っている。


あの専門家の批判的な発言は、本当に正しい行いだったのか。

冷静に検証できるのは、今になってようやくだ。


同じように、SNSで拡散した感情的な言葉が、

船の中で“死と隣り合わせ”で働いていた人々と、

その家族にどれほど残酷だったか。

――それを誰もが冷静に振り返られる。


映画で心に残った言葉がある。

それはテレビ局内での会話だった。


「今日も政府は地味に働いていて、世の中はほぼ平和です。

 ――なんてニュースは誰も見ないだろ!」


全くその通りだ。地味な真実は、誰の目も引かない。

SNSもYouTubeも、派手な怒りや攻撃のほうが、常に再生数と収益を稼ぐ。

だから、いまも世の中にはいる。


事実を確認せずに情報をばらまき、自分よがりの“正しさ”を武器のように振りかざす人たちが。彼らは「怒りや攻撃のほうが稼げる」ことをよく知っている。


だから、誰かの人生や家族を巻き込むほどの影響力を持つ言葉を、

ほんの数秒の“ノリ”や“感情の勢い”だけで投げつける。


時には、それがまったく事実と違っていても構わない。


正確さより、数字。

誠実さより、バズ。

人の痛みより、自分の収益。


――そんな**“自分の為だけの金稼ぎの行為”**を見るたびに、

胸が熱くなるほど腹が立つ。


もしその行動や言葉が、 誤ったまま拡散され、誰かを追い詰め、

そしてその誰かが命を落としたとしたら――


それはもう、取り返しがつかない。



映画の中の言葉が再びよみがえる。


「そんな地味な真実は、誰も振り向かない」


その通りだ。まったくその通り。


YouTubeでもSNSでも、

“地味な真実”は再生数にならない。

今どき、子供だって分かる。


だからこそ――、

オールドメディアに対しても、

そして即時的で感情の濃いSNSなどの情報にも

**「そういう仕組みだ」と知ったうえで**、

私たち一人ひとりが向き合う必要がある。


そうしなければ、今日の“軽い気持ちの拡散”が、

明日の自分に返ってくるかもしれない。


今の世界は、すべてが残る。

動画も、投稿も、コメントも――

数年後には、誰でも振り返り、検証できる時代だ。


そして後になって、人は必ずこう言う。


――「あのときは、それが正しいと思っていた」

――「誰かを傷つけるつもりはなかった」と。


だが、真実も確かめずに振りかざした“正義”が、

誰かを追い詰め、命を奪うことすらある。


だからこそ、

いまならまだ、自分自身の言動を振り返ることができる。

時間がたち、冷静に向き合える“余裕”があるうちに。


――◇――


そして――次のパンデミックは必ず来る。


十倍、百倍の致死率をもつ新たなウイルスだって、

いつ現れてもおかしくない。


そのとき私たちは、

あの日の混乱を“学び”へと変えられるのだろうか。

それとも再び、怒りや恐怖に流され、

“正しい行い”を妨げてしまうのだろうか。


分岐点は、今ここにある。


あの日の経験も、努力も、無力さも。

あれらを単に「過去の傷」で終わらせてはいけない。


次に同じ危機が訪れたとき――

国は、既に受け入れ施設や医療体制を整え、

現場が孤立しない準備を済ませていること。


医師や看護師、関係者たちが、あの日の教訓を活かせる環境を手にしていること。


そして私たち自身も、恐怖に飲まれず、

学習した知恵で行動できる社会になっていること。


その未来を――

あの日の後悔を胸に抱える一人として、強く願っている。

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