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葵ちゃんのお兄さんには、混乱させてしまったお詫びに、最高級プロテインを贈らせていただいた。
筋肉お兄さんの好きな人はマリさんというそうだ。先に名前を聞いておくべきだった。優しい葵ちゃんのお兄さんは、私のせいではないから気にしないでくれと言ってくれているそうだし、葵ちゃんも私のことは全く怒っていないようなので、とりあえずホッとした。
筋肉お兄さんは周囲の強い反対で、自作ラブソングでの告白は断念したけれど、ギターを毎日弾くのはやめていないようで、「お兄ちゃんが、最近はギター漫談みたいなことをやり始めた…」と葵ちゃんが電話で、途方に暮れた声で言っていた。心を強く持って、葵ちゃん!
そんなある日、鏑木グループ傘下の会社の創立記念パーティーの招待を受けた。
「確か前にその話はお断りしたはずですけど。お父様達だけで行ってきてくださいって」
「そうなんだがね。この前ほかの会社のパーティーで鏑木会長にお会いした時、麗華の話をしたら、では今度のパーティーには、ぜひお嬢さんもご一緒にと言われてしまってねぇ」
狸の編みぐるみをあげて以来、お父様はあちこちで、私がさもファザコンのように言いふらしているようだ。ピヴォワーヌの方から「麗華様はお父様ととっても仲がよろしいそうね」と言われて、何も聞いていなかった私はびっくりした。
上流階級の方々の間では、私は長年ブラコンだと周知の事実のように語られているが、最近はそれにファザコンのレッテルも付けられてしまったらしい。心外だ。
しかし所詮はお父様の自演。ブラコンの噂はそのままだけど、ファザコンの噂はいまひとつ浸透していないようだ。当然だ。事実無根なのだから。
「私はまだ高校生ですし、ご遠慮させていただきたいわ」
「それがもう、出席の返事をしてしまったんだよ。だから一緒に行ってくれるね?麗華」
はあっ?
よりによって鏑木の会社のパーティーなんて、絶対行きたくないのに!
「このパーティーにはもしかしたら雅哉様もいらっしゃるかもしれないのよ!麗華、新しいドレスを見に行きましょうね?」
お母様はウキウキだ。だからそれが一番イヤなんだってば。
これから期末テストの勉強もあるのに、当分はお母様の着せ替え人形状態だな、これは。
「大丈夫だよ。お父様がちゃんとエスコートしてあげるからね」
「いいえ。エスコートはお兄様にお願いします」
なにを頓珍漢なことを言っているんだ、この狸は。
ふんっ。しょんぼりした顔したって、同情なんてするもんか!
一応、サロンで会った時に、今度鏑木グループの会社のパーティーに出席させていただきますと一声掛けておくべきか悩んだけど、結局やめた。鏑木が来るかわからないし、だからなにって言われても困るし。
そんなこんなで、パーティーの日はすぐに来てしまった。
企業のパーティーなんて、面白くもなんともない。どうしても断れない場合を除いて、今までは子供だと言うことを盾になるべく断ってきたけれど、これからは参加することが増えてくるんだろうなぁ。あぁ面倒くさい。そして鏑木は来ていなかった。
宣言通りお兄様にエスコートしてもらって、ひたすら笑顔。中にはピヴォワーヌのメンバーの親御様もいらっしゃるので、ご令息ご令嬢との学院での交流の話などをさせていただく。ほとんどが「とても素晴らしい方で」だけどね。
お父様とお母様も、離れたところで似たようなメタボなおじさん達と挨拶を交わしている。
「疲れた?麗華」
「まだ大丈夫ですわ」
「そう?もう少しだから頑張って」
小声でお兄様に励まされて、気合を入れ直す。「ごきげんよう。吉祥院麗華でございます」
そこへ「よく来てくれたね、貴輝君」と後ろから声をかけてきた人物がいた。
「これは鏑木会長。本日はお招きいただいてありがとうございます」
鏑木会長?!鏑木のお父さんか!
私は慌てて振り向いた。
どっきーーん!!
鏑木のお父さんは、とんでもなくダンディなおじさまだった。
今まで鏑木関連の行事は、ことごとく避けるようにしてきたから、こんなに間近で会うのはほぼ初めてだった。何度か遠目に見かけたことはあったけど速攻で逃げたし。小さい頃には会ったかもしれないけど、よく覚えていない。
たぶん私のお父様と同じくらいの年代のはずなのに、この差はなに?!おなかも全く出てない!目尻のシワすらも、老いではなく渋さという表現に変わる。そしてこの、鋭いだけじゃなく包容力もありそうな眼力!あふれでるカリスマオーラ!かっこいいーー!!っていうか背ぇ高っ!
曲に例えるとベートーベンの”皇帝”だ。息子の“禿山の一夜”とはわけが違う。そう、この方こそ、真の皇帝!
思わずぼけーっと見惚れていたら、
「会長。妹の麗華です。麗華、鏑木会長だよ」
「こんばんは、麗華さん。今日は来てくれてありがとう」
麗しのおじさまが笑顔で声を掛けてくださった。
いけない!ぼーっとしている場合じゃない!
「本日はお招きいただきまして、ありがとうございます。吉祥院麗華でございます」
内心の動揺を押し隠し、丁寧に会釈する。あぁ、この方の前でだけは、ボロを出したくない!
「そんなに畏まらなくていいんだよ。雅哉の同級生なんだってね。あいつが迷惑をかけているんじゃないかな?」
「いえ、そんな。雅哉様は素晴らしく優秀な方ですから」
迷惑をかけられるほど親しくもない。
「麗華さんも優秀だと評判だよ。お父上が自慢するはずだ。いつも大好きなお父上のために、手作りのお菓子をプレゼントしているんだってね。この前は手編みのお父上の人形をプレゼントしてあげたとか。やはり女の子はいいねぇ。吉祥院会長が羨ましい」
お父様、話を盛りすぎだ!
いったい外でどれだけ私の妄想話をしているのか、恐ろしくて考えたくない。
「鏑木会長、先程はどうも」
「あぁ吉祥院会長。今、吉祥院夫妻ご自慢のご兄妹とお話しさせていただいていたんですよ」
お父様達が私達が鏑木のお父さんと話しているのを見て、やってきた。
「麗華さんは実に可愛らしいお嬢さんですね。さすが吉祥院会長の愛娘だ」
「いやぁ、ありがとうございます。鏑木会長」
そこは謙遜しておけよ、狸。
メタボな狸が横に並ぶと、鏑木のお父さんのかっこ良さがさらに光る。お母様は偉いな、こんな素敵なおじさまを目の前にしても、お父様にがっかりしないんだから。
狸はそれからも鏑木のお父さん相手にかなり盛った娘との仲良し秘話を語っていた。誰か止めろ。
心の広い鏑木会長は、笑顔で狸の妄想に付き合ってあげていた。
最後に鏑木会長は、「ぜひまた麗華さんともお会いしたいですね」などと言ってくださった。麗しい笑顔とともに。
あぁ、素敵…。
って、馴染んでる場合じゃないだろ私!
鏑木家とは関わらないっていう誓いから、どんどん離れていっている気がする……。
今こそ初心に帰らなけば!
何日かしてサロンで会った鏑木に、「うちの父親が言ってたけど、お前、ブラコンの上にファザコンなんだってな」と笑われて怒髪天を衝いた。
狸―――!!




