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アルファズル戦記  作者: たつみ暁
第一部:白竜の王女エステル
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第9章:白竜の王女(10)

「『帝国に支配されていた地に住む方々へ』」


 ムスペルヘイム旧首都アーデンの城、かつて王族が使っていた執務室で、窓辺にもたれかかりながら、デヴィッド・ルースは、何度目かわからない、手紙の読み上げを行っていた。


 帝国との戦いは、終わりました。

 皆様を、皆様の治める民を苦しめた国は、大陸から消え去ったのです。

 しかしながら、この大地にはいまだ、争いを願う者が残っております。

 私は、彼らを滅する為、更なる戦いへ赴く事を決意しました。


 この手紙が皆様の手に届く頃、私はグランディアを遠く離れ、ひとの知らぬ地にいるでしょう。

 本音を申して、確実に勝ち残れる戦いであると、楽観視はしていません。

 しかし、ただ座して滅びを享受する訳にはいかないと、大陸盟主国を継ぐ者として、進む覚悟を決めました。


 母ミスティは、語り合う事で、人と魔と竜の融和を目指していました。

 その姿勢を非難する声があった事は、私の耳にも届いております。

 私は、戦う事で平和を勝ち取れると信じて、ここまで来ました。

 私もまた、後の世にどう記されるか。評価は任せるしかありません。


 戦いの日々の中、私一人では、大陸の平穏など、到底勝ち取れるものではありませんでした。

 たとえ私がグランディア女王となっても、大小の争いは続くでしょう。盗賊に親を殺されて泣き、自らも賊に墜ちる子供は、簡単には減らないでしょう。今日のパンに困って、道端でうずくまっている姉弟も、いなくならないでしょう。差別に喘ぎ、誰かを憎む混血の者も、きっといるでしょう。


 それでも、私の歩んだ道の先に、希望の光が灯っている事を、私は信じます。

 その為に、皆様の平和を願う想いが必要である事を、知っています。

 どうか力を貸してください。隣人と助け合ってください。

 そうすれば、憎しみを忘れるほどの時間が流れた頃、涸れた大地にも花は咲くでしょう。


 負の連鎖を終わらせる為に、私は全ての責を引き受けます。

 そうしてグランディアに帰り着いた時、皆様の国で、絶望が消え、笑顔が戻り、どんな相手ともわかり合える未来が訪れる事を、心底より願っております。


 グランディア王国第一王女 エステル・レフィア・フォン・グランディア


「……ほんっと、母親そっくりだなわなあ」

 手紙を読み終えたデヴィッドは、感嘆の溜息をつきながら禿頭を撫ぜる。

 友人アルフレッド・マリオスは戦死したと、手紙を届けてくれたユシャナハ一族の魔鳥騎士は教えてくれた。あの男が、愛する女性から託され、唯一の拠り所として期待をかけた小さな種は芽吹き、大輪の花として大陸の各地に咲き誇ったのだ。

 だから自分もできる事をしよう。翠の瞳に決意を宿していた少女が戻ってきて、女王となった暁には、この北国からでも協力を惜しまない。グランディア王国の誇りある騎士の名に恥じぬよう、ムスペルヘイムだけでなく、周辺国との調和も目指してみせよう。

「隊長、そのお手紙を読む度にご機嫌ですね」

 いつの間にか部屋に入ってきた部下に声をかけられた事で、デヴィッドは、自分がにやけながら王女直筆の手紙に耽っていた事を思い知り、照れ隠しで部下に苦笑いを向けるのであった。


 一面の白い世界だった。

 かつてフィルレイアで、記憶の海を越え、母達と邂逅した場所と似ている。ぼんやり思考しながら歩を進めるエステルの聴覚に、すすり泣く声が届き、視覚がうずくまる人影を映し出した。

 ゆっくりと、噛み締めるように歩を進める。膝を抱えて泣いていたレディウスが、おもむろおもてを上げる。涙でぐしゃぐしゃの顔は、年齢以上に幼くて、『ヴァロール』の化身として振る舞っていた傲慢さは、微塵も見受けられなかった。

「……もう、いいだろう」

 ゆるゆると。弟が首を振る。

「僕はこの世界に要らないんだ。誰も僕を必要としないんだ。僕は誰にも愛されていなかったから」

 諦観に満ちた、捨て台詞のような告解に、わずかに怒りが込み上げ、しかし、すぐに波が引く。この少年は、愛され方も、愛し方も、知らなかった。ニードヘグの野心によって絶望をもたらす為に生み出され、父も母も手にかけ、媚びへつらう輩ばかりに囲まれて、心が歪んでいったのだ。

 だが、いや、だからこそ、知らしめるべきだ。

「本当に、そう思うのですか?」

 小さな子供に言い聞かせるように、エステルは静かに語りかける。

「お母様は、貴方を案じていました。ヴォルツ殿も、きちんと向かい合えば、きっと貴方をないがしろにはしない方だった。それに」

 彼が自分の愛していた人を永遠に奪った、という炎は心に宿っている。それを振り切って、姉として、言葉を継ぐ。

「貴方を愛して、救いたいと想っていたひとは、すぐ隣にいた。それに気づいていたなら、貴方と私の歩む道が、交わる事もあったでしょう」

 濡れた紫の瞳がみはられる。ヒルデ、とその名がぽろりと零れ落ちる。

 ひとしきりの沈黙が流れた後。

「僕を買いかぶりすぎだよ、姉上。貴女は本当に掛け値無しのお人好しだ」

 今までのような嫌味ったらしい呼び方ではなく、どこか親愛を込めて、レディウスは自分を姉と呼んだ。もう、それで充分だ。今なら、彼を『ヴァロール』の呪縛から解き放つ事ができる。いつの間にか手の中にいたドラゴンロードを握り直す。それを見た弟は、小さく息を吐いた。

「僕を弔ってはいけないよ、姉上。僕は悪として裁かれて、貴女は英雄になるのだから。王族の系譜からも、抹消しないといけない」

 最期に遺す言葉が、政治的処理の言伝か。苦笑を浮かべながらうなずき、竜王剣を振り上げる。

 唇が、「ありがとう」を象るのを見届けながら、袈裟懸けに斬り下ろす。レディウスはごぷりと血を吐いて虚空を見つめていたが、やがて、「……ああ」と幸せそうに微笑む。

 彼が震える腕を差し伸ばす先に、赤みがかった銀髪の女性の幻影が見えた。少年を包み込むように覆い被さった彼女が触れた箇所から、レディウスも光の粒になって消えてゆく。

 ただ愛されたかっただけの、孤独な少年だった。頬を流れるものの正体を模索している内に、エステルの意識も、光に拡散してゆくのだった。


「……ル、エステル!」

 必死に呼びかけるクレテスの声が耳に届いて、ゆるゆると目蓋を持ち上げた。至近距離に涙目のクレテスの顔がある事で、彼の腕の中にいるのだと気づく。自分の手を視界に入れれば、人間のそれに戻っている事を認識した。

「……魔王は?」

 自分は竜王の力を解放し、白竜になって、魔王と最後の激突をしたはずだ。そこからレディウスとの邂逅に飛ばされて、現実がどうなったかわからない。

「倒したよ」

 喉を詰まらせるクレテスの代わりに、傍らに膝をつくアルフォンスが、背後を振り返った。

「炎の中に消えた。君が、倒したんだ」

 それまで真っ暗だった空間に、頭上から太陽光が降り注いでいる。それに照らされて、黒い粒子がちらちらと天に向かって舞い上がっている。それ以外、異形が存在した証は残っていなかった。

 あまりにもあっけない決着に、浅く息を吐き出し、そして、もう一人の弟の、穏やかな最期の表情を思い出す。

「レディウスは、人の心を残していました。私は、あの子を、救えたのでしょうか」

 自分自身に問いかけるようにぽろりと呟きを零せば、クレテスが無言で、抱き締める腕の力を強くする。それが、彼が与えてくれた答えのような気がして、エステルも今はただ、この腕に身を任せていたいと願った。

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