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アルファズル戦記  作者: たつみ暁
第一部:白竜の王女エステル
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第9章:白竜の王女(8)

 雷竜ゼノンから伝授された竜の秘術でタロットカードを金属に硬化し、敵将目がけて投げつける。確実に急所を狙ったはずの攻撃は、たしかに相手の首に、腕に、胸に突き刺さった。だが、魔将ヴラドは土気色の顔に全く怖じ気づいた様子を浮かべない。それどころか、瞬時にして傷口が再生し、タロットは紙に戻って頼り無く床に落ちた。

「ヴラドは北の大陸(フィムブルヴェート)から渡ってきた、吸血鬼の末裔すえとも言われています。全盛期は不死とも言われた驚異的な回復力を持っていたそうです」

 今までの敵対が嘘のように、やけに饒舌に語りながら暗器を放つカタラを、モリガンはぎんと睨みつける。

「じゃあ、どうすれば良いっていうの!? 一撃で首を落とすしか無いじゃない!」

「それだ」

 軽やかな槍さばきで、モリガンと、更にその背後のファティマに、ヴラドを近づけさせずにいたラヴェルが、意を得たように声をあげて振り返る。

「聖王伝説では、不死者には生命力を与える魔法が効果てきめんだったって書いてあるじゃあないか」

「つまり、どういう事よ」

 幼い頃に人の世から追放された少女には、聖王の逸話など知る由も無い。苛立ち紛れの溜息を吐くが、ラヴェルは侮る事も無く説明を続けてくれた。

「俺とカタラが奴を引きつける。その間にファティマ様が最大級の回復魔法を放って、君は死神の逆位置を発動させるんだ」

 それで理解した。死のびろうどを反転させれば、生を言祝ことほぐ力になる。

「……やってみる」

 今は騎獣無き魔獣騎士グリフォンナイトにうなずき返し、タロットから死神を引き出す。鎌を担いだ髑髏の黒装束を反転させ、魔力を込める。

 だが、カタラの牽制をすり抜けた魔将が、音も無く床を滑ってモリガンに接近してきた。虚ろな黒い眼球に少女の驚き顔を映し、ぞろりと牙の生えた口を開ける。

 首筋に噛みつかれる。そう直感してタロットを取り落としかける。しかし、咄嗟に二者の間に割って入ったラヴェルが、掲げた腕でヴラドの牙を受けた。舌打ちと共に、槍が床に落ちて乾いた音を立てる。

「貴方!」「構うな、続けろ!」

 踏み出そうとした足は、叱咤によって止まった。正位置に戻りそうになっていた死を、再び生へと裏返す。

 タロットが金属とし、ヴラドの額深くに突き刺さる。今度こそ怯んで、ラヴェルの腕から口を離したところに、ファティマの回復魔法が放たれる。正しき生を与える術を連続して喰らい、不死者の身体がぐずぐずと溶けてゆく。かつて聖王の軍を苦しめた魔将は、四人の戦士の前に泥だまりとなって、永遠に沈黙した。

「何で!?」

 しかし、モリガンはそれを気にするどころではなかった。腕からぼたぼたと血を垂らしてうずくまり、駆け寄ってきたファティマの回復魔法を正しく享受する騎士に怒声を浴びせる。

「何でわたしをかばったの!? 貴方なら避けられたでしょう!?」

「礼より先にご立腹、かい?」

 ラヴェルは軽い苦笑を洩らし、こちらを見上げる。しかしその瞳は、モリガンを通して、ここにいない誰かを見つめているように感じられる。

「俺の力で守れる命があるなら、手を伸ばしたい性分でね」

「何、それ」

 意味がわからない。眉間に皺を寄せて困惑を表している間に、カタラが「こちらを」と、薄ぼんやり光る穴を指し示す。

「恐らく、別の場所へ転移できます」

「皆と合流できる事を願うしか無いな」

 ラヴェルが腰を上げ、ファティマに「ありがとうございました」と軽く頭を下げると、槍を拾い上げ、穴に向かって歩き出す。説明も無しか。憤慨して鼻を鳴らすモリガンに、ファティマがそっと近寄り、「あの」と二人にしか聞こえない声量で囁きかけた。

「彼は、婚約者を、その姉の手によって失っているのです。彼女を、貴女に重ねたのだと」

 一瞬、絶句してしまう。軽々な語り口の裏で、彼はそんな過去を押し隠していたのか。だが、他の女性を思い出していたのだという事が何故かやけに癪に障り、モリガンは唇を尖らせて。

「何、それ」

 先程と同じ台詞を繰り返すのであった。


 びょう、と風の刃が駆け抜けた後には、空間が消滅した気配がする。暗闇の中で消失も何もあったものではないが、たしかにその空間が削り取られた、という空気の乱れを、テュアンは感じ取った。

 四枚羽根を生やして風を纏う姿は、聖王伝説に語られる魔王軍四魔将が紅一点、ネヴィアの姿を彷彿させる。風をもって敵を消し飛ばす術も、伝承の通りだ。

 背後にはリカルドとロッテ、そしてノクリスと言ったか、何故かやたら自分を慕う男。その三人がいる。リカルドとノクリスの得物は槍斧ハルバードで、素早く飛び回るネヴィアを追いかけるには向かない。ロッテの本分は回復で、戦力として頼る訳にもいかない。レインドルの末妹に効いたという魔法封じ(サイレンス)も、さすがに魔将には意味を成さないだろう。必然、聖王家の加護を受けた聖剣『信念フェイス』を持って身軽に立ち回れる自分が、矢面に立つしか無かった。

 ネヴィアが瞳の無いみどりの眼球を向け、右手を突き出す。その動作だけで、また空間がひとつ、削り取られた。酸素も減っているのか、激戦ではないのに、呼吸がしづらくなって、肩で大きく息をする。

 これ以上長引かせても、力尽きて全滅するだけだ。そう判断した女剣士は、大きく一歩を踏み出した。

 聖王伝説に記されたネヴィアとの戦いでは、手練れの剣士がその生命を犠牲にして、ヨシュアに敵将を討つ最大の機会を与えたという。このまま突っ込んで隙を作れば、リカルドかノクリスでもネヴィアを倒せるだろう。

 魔将は無言のまま、テュアンに向けて手を掲げる。見えない攻撃はレディウスの時に嫌というほど味わっている。

 それに、天上ヴァルハラへ行けば、懐かしい顔に会えるだろう。

 見ていて危なっかしいと、まだこちらには来るな、と。勝手に逝っておいて、自分には、死ぬなと、わざわざエステルに伝言を託した男の苦笑を思い描く。まったく、一人の女性ひとしか見えていないように思わせて、周りを良く観察している男だった。だのに、己の幸せを微塵も考えない朴念仁だった。

(二、三発は、殴らないとな)

 まるで傍らに彼がいるかのように、右腕に誰かが手を添える感触があった。一瞬後、ネヴィアの攻撃が撃たれると同時に、聖剣『信念フェイス』は魔法防御の光を放つ。真正面から衝撃を受け、左腕の感覚が死んだが、テュアンはその場に踏み留まり、気合いを吐いて、ネヴィアの魔法を打ち消した。

 すかさず背後から雄叫びが迫り、追い越してゆく。自分の為に生命を懸けてくれたという戦士の怖いもの知らずは健在だ。ノクリスが槍斧を振り回し、ネヴィアの首を、胴体と泣き別れにする。本当に泣いているのだろうか、魔将の両目から血の涙が流れ落ちたが、それも数瞬の事で、その首も身体も、黒い靄と化して空間に溶けていった。

 テュアンは安堵の息を吐き、両膝を床につく。両腕で身を支えようとしたが、何故か固い感触を確かめたのは、聖剣を握っている右手だけ。

「あれ?」

 間抜けな声を洩らしている間にも均衡を崩し、ぐらりと左に傾いで、がつんと頭を打った。

「テュアン様!」

 ノクリスが槍斧を放り出して駆け寄ってくるのが、横様の視界に映る。リカルドとロッテも傍らに膝をつき、真っ青な顔で覗き込んでくる。

 そんなに不安たっぷりで見下ろさなくても、怪我などしていないのに。そう笑って口元を覆おうとして、利き手が意志通りに動かない事を認識する。いや、動かないどころか、存在を感知できない。まさか、の予感に視線を傾ければ、長年の相棒と、それを握っていた腕があるはずの位置には、ただ闇しか存在しなかった。

「テュアン様、大丈夫ですか。回復魔法を、今」

 自分以上に動揺した様子で、ロッテが声を震わせながら魔法媒介の杖を握り直す。ああ、そういう事か。妙に冷静に納得しながら、「いや」と残る右手で少女を押し留めつつ身を起こした。

「痛みは全然無いから、大丈夫だ。それより、この先何があるかわかんないんだから、お前の魔力は温存しておきな」

 強がりではなく、真実激痛も鈍痛も無いのだ。ただ、やけに平衡感覚が狂っている気がするのは、あったものをいきなり失って、身体の釣り合いが取れなくなっているのだろう。その程度の違和感しか無い。

 それでも。

 利き腕だけを犠牲にして守ってくれたのだ、という感慨が込み上げる。ネヴィアの攻撃直前に触れた手は、気のせいではなかったのかもしれない。

 後悔は積もるほどある。本心を伝えておけば良かったと。親友という居心地の良さに甘えていなければ良かったと。いなくなってから、その存在にどれだけ支えられていたのか痛感したのだと。

 いや、恐らく相手もわかっていたのだろう。その上で、まだ来るなと、生を貫けと、言い張るのだ。魂は輪廻するというから、自分が天寿を全うした時、天上に行っても、もう会えないかもしれないのに。

 目の奥が熱くなるのを瞬きで誤魔化し、想いを押し込めて、きっと顔を上げる。

「片手が残ってれば、まだ戦えるよ」

「無茶言わんでください、めちゃくちゃ顔色悪いですよ!」

 ノクリスが太い眉根を寄せて、心底案じる表情を見せたかと思うと、こちらの右腕を取って肩に回し、支える形になる。狩人出身とは聞いていたが、傭兵として鍛錬していた自分よりも随分と筋骨逞しい。そういえばあの男も、一見細身に見えてかなり鍛えていたな、とぼんやり思い出す。

「なんか、ここから別の場所に行けるみたいすよ」

 リカルドが、ぼんやりと白く光る穴を指差す。

「鬼が出るか蛇が出るか、だな」

「これ以上寿命は縮めたくないですよ」

 薄く笑えば、ノクリスも苦笑いを返してくれる。頼もしい身体に身を預けて、テュアンは過去に別れを告げるように、一歩を踏み出した。

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