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アルファズル戦記  作者: たつみ暁
第一部:白竜の王女エステル
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第9章:白竜の王女(1)

 二九九年も五月に入ろうとしている。

 厳しい山岳地帯が国土の大半を占めるカレドニアにも、春にほころぶ花はある。亡き主が愛したアカツツジが咲き誇る庭を、アレサ・セディエルは松葉杖をつきながらゆっくりと進んだ。ジャンヌ王女を失った戦いで深く傷ついた右足の機能は二度と戻らないと言われていたが、持ち前の反骨精神と騎士として鍛えていた体力により、何とか車椅子無しで、世話になっているリードリンガー邸を歩き回る程度までには回復したのだ。

 亡き伯爵夫人マリアナが作り、娘のファティマが受け継いで丁寧に手入れをしていた温室を整えるのは、今はアレサの役目だ。夫人の故郷ウルザンブルンから取り寄せたという養分豊かな土で育つのは、カレドニアの自然では見られない花々だ。余計な草葉を増やしてはすぐに萎れてしまう。今のこの屋敷の主達が帰還した時、枯れ果てた温室で出迎えては、ファティマは明らかに落胆し、それを見たアルフォンスもやりきれない表情をするだろう。そんな顔をさせない為に景観を保つのは、アレサのリハビリの一環でもあった。

 身を屈めて、伸びすぎた枝葉を園芸鋏で剪定していると。

「アレサ殿」

 男にしては高めの声が投げかけられ、顔を上げる。振り向けば、アルフォンス王子の腹心であるジャスター・カーティスが、温室の入口で白い封筒をひらひら振っていた。

「グランディアから今日届いたの」

 彼が近づいてきて、封筒を差し出す。封蝋が押されたそれは、既に開封された跡がある。自分が見て良いのか視線で問いかけると、ジャスターは苦笑いして肩をすくめた。

「一応あたくし宛てだったんですけど、これは、ジャンヌ王女の側近だった貴女こそ、ご覧になる権利があると思いまして」

 グランディアからという事と封蝋の意匠、そして彼がそう言うからには、差出人は推して知るべし、だ。休憩用の椅子に移り、右手を差し出すと、封筒がこちらの手に渡る。中には数枚の便箋が入っており、見た事は無いが、しっかりとした美しい筆跡で文字が綴られている。記名と内容を目で追って、次第次第にアレサは吃驚きっきょうで瞠目するのであった。


 同時期に、ムスペルヘイムの臨時駐在官としてアーデンにいるデヴィッド・ルース、怪我が癒えて再起に励むリヴェールのルディ・ユシャナハ、元帝国兵と共にヨーツンヘイムの治安維持に当たっているブリガンディの街長、ガルドのティファ女王のもとにも、同一人物からの手紙が届いていた。内容は同じだが、筆を取った者が分け隔てや優劣無く、等しく願いを託せる相手として、決して代筆を頼まずに書いた事がうかがえる。

「律儀だなあ」

 冬の間に設立されたガルド自由騎士隊の初代隊長を引き受け、女王の執務室に出入りする事を許されたパロマ・ユシャナハは、ティファから仔細を聞き、苦笑いを浮かべる。

「でも、彼女ならきっとそう言います。伊達に幼馴染じゃあないから、わかりますよ」

 そして少女は、女王と共に、雲一つ無い蒼穹が広がる窓の外に視線を馳せた。続いている空の下、今もこの大陸の為に戦っている、そしてこれからも戦い続けるだろう、友を想って。

「あんたの役目はまだまだこれからなんだから、負けちゃ駄目だよ、エステル」

 若き隊長の呟きは、女王の鼓膜にそっと触れて溶ける程度に小さかったが、そこに込められた友情は、確固たる響きを帯びていた。


 エシャラ・レイの歌による大規模転移術によって、遠征軍は竜の王国フィアクラから、魔族居住区ニヴルヘルの北端、エルモーズ山脈の奥深くへと一気に移動した。

 一年中雪に閉ざされ、猛吹雪に見舞われる事も少なくないの地で、三百年前、聖王ヨシュア率いる四英雄に敗れた魔族は、細々と生き長らえた。幾年月が過ぎ、ラヴィアナ、ソーゾル、バルテスマといった北方の小国では、魔族と共存する人間達が増えてきたが、魔王支配の恐怖が消えなかった、グランディア、ムスペルヘイム、アルフヘイム、ヨーツンヘイム辺りでは、魔族憎むべし、の意見が根強く残っている。

 対する魔族も、英断魔将リグの遺した『憎しみの連鎖を終わらせよ』という言葉を既に忘れていた。特に、魔王のもとで最後まで聖王軍に抗し続けた、グレイツ、ゲーテ、ネヴィア、ヴラドの四魔将に仕えた上級魔族は、万年雪が溶けないかのごとく、人間と竜族への憎悪を募らせ、魔王の復活を夢見続けた。

 その悲願が具現化した姿が、魔王教団だったのだろう。そして今、リグの血を引くはずのニードヘグによって、『ヴァロール』であるレディウスは担ぎ上げられ、北の果てから滅びの雪崩を起こそうとしている。

 二度と大陸を絶望に陥れてはならない。雪煙の向こうに霞む黒の砦を見すえ、エステルは拳を握り締める。

 聖王暦二九九年五月三日。

 シャングリア大陸に住まうほとんどの民がいまだ知らない戦いは、着実に終焉に向かって動き始めていた。

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