第5章:それぞれの想い(7)
「破獣はこうやって作るんだよ。他の生物を素体にね」
今しがた完成したばかりの新作に向け、アティルトは、親が子に教えるようにゆったりとした口調で語った。破獣が製作者の言葉に応える事は無い。褐色の皮膚に覆われた巨大な体躯をゆらゆらと揺るがせ、不揃いな牙の間からは、しゅうしゅうと熱い息が洩れるばかりだ。
妖魔は満足げに深紅の瞳を細め、非情な笑みを口に乗せる。
「さあ、行け。僕の姫君のところへ」
破獣がびくりと動きを止め、苦悶にも似た唸りをあげた。しかしそれも一瞬の事で、破獣は一声咆哮すると、不格好な翼を広げて、アガートラムの空へと飛び立つ。
名前通り破滅の使者を連想させる姿の、その首元には、暁の陽光を受けて輝く物があったのだが、狂喜の笑声をあげて見送るアティルトから、それは見えなかったに違い無い。
リフレックスの杖をかざし、エリンは回復魔法を詠唱した。白い光が放たれ、傷口に吸い込まれてゆく。
「ご気分はいかがですか」
「ああ、大分楽になった。ありがとう」
彼女が静かに声をかけると、カレドニア盟主はうっすら目を開き、ゆっくりと深呼吸をした。
「傷はもう心配無いと思いますが、失われた血液と体力まで完全に戻る訳ではありません。しばらくは、安静になさってください」
「わかっている。これからは歳を考えて自重するよ」
「本当にありがとう、エリンさん」
少女の忠告にアルフォンスは苦笑いし、妻のファティマが謝辞を述べ、
「こらシフィル、安静にって言われたばかりでしょう。お父様に飛びついたりしないの」
歓声をあげて父親に抱きつく息子をたしなめる。
彼らに悪意は無いのはわかりきっている。だが、仲の良い親子を見ると、まだずきりと痛みが心を苛むのだ。エリンはリードリンガー夫妻に軽く会釈をして、早々に部屋を退出した。
「すごい、すごいね、エリンてば!」
「僕も回復魔法が使えれば良かったな」
後方で様子を見ていたイノとリルハがついて来て、両脇から少々かしましいくらいの称賛を送る。
「リルハは薬学知識が充分あるじゃない」
彼らなりに気を紛らせてくれているのだろう。エリンは感謝しながら同期の羨望の眼差しを受け流し、それから、魔族の少女に苦笑を向けた。
「それにね、私がすごいって訳じゃないの。このリフレックスのおかげよ」
そう言ってかざしてみせた杖は、色彩定まらぬ宝玉が先端についただけの簡素な作りだが、込められた魔力の高さは、一端の魔道士ならばすぐに解る。
「リフレックスは『制約を覆す力』を持つと言われているの」
「くつがえすぅ?」
「原理は良くわかっていないけど、要するに、通常の回復魔法では癒しきれない傷や病も治せる、って認識されてきたみたいね」
「えーっ。じゃあじゃあ、それじゃあさ」
イノは難しい言葉を浴びて眉間に皺を寄せていた。ところが、しばし思案した後、突然表情を輝かせ、名案とばかりに手を打つ。
「ひとが破獣になっちゃったのも、元に戻せたりするのかな」
これにはエリンもリルハも、思わず立ち止まりぽかんと口を開けてしまった。確かに、身体の構造を戻すと言う点では回復なのだろうが、破獣を解呪するなど、考えもしなかった手段だ。毎度ながらイノの発想力には驚かされる。
エリンはリルハと苦笑を交わす。それから、リルハが前方よりやって来る人影に気づいて視線を向け、その顔が驚きのまま完全に固まった。
「お、リルハじゃねえか、元気だったか。アルフォンスが重傷だって聞いたが。やっこさんの具合はどうだ」
挨拶もろくすっぽに訊ねてきた妙に馴れ馴れしい態度と、まるで幽霊でも見たような少年の引きつった表情に、少女達は怪訝そうに顔を見合わせる。
(あ、もしかしてこの人は)
エリンが思い至るのを待っていたかのように、リルハが、ノーデ城中に響き渡りそうな絶叫をあげた。
「ちっ……父上ーーーっ!?」
『克己』の聖剣士ピュラ・リグリアスは、息子のそんな反応で、彼らにとって自分はソーゾルで生死不明のままだった事を、ようやく思い出したようだった。
この夫婦は「喧嘩する程仲が良い」の典型例だと、常々思っていた。それにしても、まさか再会の場で、喜びの第一声より頬を叩く音の方が先に出るとは、誰が想像し得ただろうか。
ただただ目を丸くするばかりのイリスとリルハの前で、
「お~、相変わらず強烈」ピュラは半ば嬉しそうに打たれた箇所をさすり、
「当たり前ですよ、これでもまだ現役ですからね」クラリスは怒り治まらずとばかりに畳みかける。
「バイオレット団に助けられていたですって? ならばどうして、せめて一言知らせてくれなかったんですか!」
「悪かった。生きていると敵にも味方にも知られない方が、動き易い事もあったんだよ」
そう言われてしまうと、軍師経験の有るクラリスも反論のしようが無いのだろう。彼女がわざとらしく大きな溜息をついて黙ったところで、イリスはようやく二人の間に入る事が可能になった。
「でも、無事で良かった。ピュラは私の家族みたいな存在だもの、本当に心配したよ」
「よせやい」ピュラは照れくさそうに破顔する。「俺には勿体無い言葉だ」
「そんな事は無い。私は小さい頃から、クラリスを姉のように、ピュラを父のように思っていたのだから」
「尚更だ。俺が父親代わりじゃ、クレテスに恨まれちまう」
苦笑する聖剣士につられてイリスが口元を緩めると、クラリスやリルハも噴き出し、ようやく明るい雰囲気が辺りを包み込む。
しかし、折角温まりかけたその空気を零下へ一変させるかのごとく、緊迫した声が飛び込んできた。
「イリス王女、大変です!」
「何だ!?」「何事ですか」
駆け込んできたカレドニア兵のあまりに取り乱した様子に、ピュラ達も笑みを消し、険しい顔つきになる。だが、兵士の続けた言葉は、彼らの緊張をさらに高めた。
「破獣です! 破獣が突然、城内に侵入してきました!」
何故、を考える余裕は無かった。咄嗟に各々の武器を手に取り、イリス達は部屋を飛び出した。廊下の途中で幾人かの仲間と合流し、破獣がいるという大広間へと駆け込む。
そこは既に戦闘の跡生々しく、傷を負い倒れ伏し、あるいは壁にもたれかかって呻くカレドニア兵達が何人もいる。その中心に傲然と立ち尽くす惨状の主は、新たにやって来た敵に気づくと、これまでの破獣より一回り大きい身体をこちらに向け、鋭い牙の間から唸り声を洩らした。
マキシムが銃を撃ち、リルハが風魔法、イノが雷魔法を詠唱する。破獣は、その巨体からは想像もつかぬ素早さで弾丸を、風の刃を避け、雷球を叩き落とすと、一声吼えて反撃に出た。
ピュラとアルフィンが前列に飛び出し、聖剣で破獣の攻撃を食い止める。固い皮膚に覆われた腕には、大の男二人でも抑えきれない力が込められていて、咆哮と共に二人は跳ね飛ばされ、床を転がった。
聖剣士二人を退けた破獣は、武骨な翼を羽ばたかせカレドニア兵の突撃を易々かわすと、イリスの前に降り立つ。狙われているのが自分だとわかると、どっと汗が噴き出した。
心臓がばくばく鳴るのを、静まれ、とたしなめながら、ドラゴンロードの柄に手をかけて、敵を見据える。その時視界に入った物の存在に、王女は思わず息を止め、目を見開いていた。
破獣の首元にある、その巨体に対してあまりにも小さい、しかし、決して見間違う事の無い、銀製の首飾りと、そこにかけられた、瑠璃の腕輪。
そら恐ろしい予感が、心を支配する。
「アッシュ!?」
悲痛な声に応えるように、破獣は一瞬動きを止め、くぐもった唸りをあげた。




