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アルファズル戦記  作者: たつみ暁
第二部:神への挑戦者イリス
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第4章:魅入られし魂(3)

 アースガルズで一通りの援助活動を終えた連合軍は、一部の兵を治安維持に残し、いまだ残雪が覆うムスペルヘイム、岩石砂漠の地アルフヘイムと、大陸東側を南下し続けていた。その途中、アースガルズが用意した――というよりはアティルトの差し金によるものだろう――部隊や、破獣ビーストの襲撃を何度か受けたものの、ヴェラネシアでの一件を経て統制が取れてきた兵士達は、それらに果敢に立ち向かい、退けた。

 そして夏の初め、まがりなりにも連合軍としての結束力、戦力共に高まってきた頃、大陸南東ヨーツンヘイムに入ったところで、新手の待ち伏せを受けたのである。

 その部隊は、今までイリス達が交戦したアースガルズ軍とは、いくつかの違いが見受けられた。甲冑は緑ではなく青銅で、掲げる旗も、アースガルズのものとは違う、覚えの無い紋様を刻んでいる。

「旧ヨーツンヘイム王国の意匠ですね」

 イリスの傍らで斥候から報告を聞いたクラリスが眉根を寄せた。

「ヨーツンヘイムの王族は、二八二年の帝国樹立とほぼ同時期に、滅びて久しいはずなのですが」

 故郷でよく授業を抜け出していたイリスでも、大陸史の基礎は頭に入っている。

 グランディア帝国支配時代の事だ。ムスペルヘイム王国が侵略を受けた際、時の女王メリアイ・エリューニスと懇意にしていたヨーツンヘイム王ハティ・リュングヴィは、救援の為に出兵した。しかし、既に王国内を蝕んでいた内通者の裏切りに遭い、愛しい者の助けに手が届かないまま、道中で崖から突き落とされたという。帝国に刃向かった罰として、ヨーツンヘイム王族の血に連なる者はことごとく処刑され、首は王都ブリガンディの城門前に無残に晒された。その後、メリアイ女王も支援を得られないまま戦力を削られ、ムスペルヘイムが誇る魔鳥騎士団アルシオンナイツの大半と共に、血の海に沈んだ。

 悲劇の国王と女王の運命は吟遊詩人によって恋愛歌に装飾され、天上ヴァルハラで再会し結ばれるところで終わっている。だが現実には、イリスの母エステルが解放軍を率いて圧政から救うまで、両国の民は帝国の支配に苦しみ喘いだのだ。

「じゃあ、アースガルズ軍が、ヨーツンヘイム王族を騙っているという事?」

「その筋も否定できませんが」

 イリスが推測を口にすると、守役は顎に手を当てて目を細め、天才少女軍師だったという片鱗を見せる。

「本当に、の王家の生き残りがいた、という可能性もあります。姫様から伝え聞くアティルトという男の性格からして、それを見つけ出し焚きつける事も厭わないでしょう」

 アティルトの名を聞く度、イリスの脳裏には、妖魔の憎らしい笑みと口づけのおぞましさが蘇る。そしてあの男のせいで、隣に立つ女性の大事な相手も奪われた事を思い出し、申し訳無さに襲われる。

 しかし、クラリスは個人的な感情はおくびにも出さず、淡々と案を展開してゆくのだ。

「ヨーツンヘイム首都ブリガンディの街長殿は、女王陛下の意向に従い友好的でしたが、正統な王族が戻ったとあれば、掌を返したのかも知れません。戦闘は避けられないものと想定して進軍してゆきましょう」

 クラリスの立案に従って、解放軍は開けた草原で三方向から敵兵を待ち受ける。中央部隊を担う指揮官として前線に出たイリスは、しかしそこで拍子抜けする羽目になった。

 敵軍は、鬨の声をあげて進軍してくるまでは立派だったが、隊列は全くばらばらで、乗り慣れないのか落馬する騎兵がいる。何とか最前線に辿り着いた歩兵も、こちらが迎撃を開始するや否や、あっと言う間に恐れをなし陣を乱してわらわらと逃げ出す。追撃を仕掛ければ、満足に応戦もできないまま、武器を放り出して、泣きながら投降する者まで出る始末だった。あまりにも戦慣れしていない人間達の戦いぶりに、連合軍は誰もが呆気に取られたのである。


「何よ、初心者ばかりじゃない」

 東南北、三方の南から攻める部隊に加わり、魔鳥アルシオンで上空を舞うリディアからは、醜態がより明確に見て取れた。

 頭上から奇襲を仕掛ける飛行戦士に対処すべき弓兵もろくに無く、これまで戦ってきた破獣一体分にも及ばない実力の部隊が総崩れになっていく様は、滑稽を通り越して哀れにすら見える。

「妙な意気込みはあるみたいだけれど、ここまで実力が伴わないのもねえ」

 槍を握り直して再度降下を試みる視界に、きらりと光るものがあって、リディアは咄嗟に魔鳥を急上昇させた。弓矢で狙われているかと思った為だ。だが、矢が放たれる事は無く、光は陽光を反射して明滅を繰り返し、何かを伝えようとしているように見える。

 リディアは安全な場所まで逃れると、じっと相手の意図を汲み取ろうと目を凝らす。やがて、それが見覚えのある信号であると気づいた彼女は、

「……イリス様に報せなきゃ!」

 と、魔鳥の翼を翻すのであった。


「イリス様!」

 上空から親友が魔鳥を飛ばしてくるのに気づいたイリスは、斬り結んでいた敵兵の鳩尾に蹴りを入れくずおれさせると、剣を弾いた。即座にクラリスが相手の首筋に槍を突きつけ無抵抗に持ち込み、主の安全をはかる。

「敵軍の中から、グランディア旧式の信号が送られてきました」

 魔鳥を降り立たせたリディアは、礼式もそこそこに告げた。

「『後退を。見届け次第、炎を飛ばす』」

 それはあらゆる意味でイリスに疑念を抱かせるものだ。思わず眉をつり上げて腕組みしてしまう。

「ヨーツンヘイム軍内で仲間割れがあるとでも言いたいのか? それにどうして、グランディア旧式の伝達方法を知っている者が?」

「どう考えても罠ですよねえ」

 リディアも眉根を寄せたが、クラリスが「いえ」とこうべを横に振った。

「指示に従い、すぐに兵を退かせてください、イリス様」

 やけに確信に満ちた提言をするものだとイリスは小首を傾げたが、この守役が策を見誤った所は見た事が無い。神妙に頷き、伝令を通して後退命令を送った。

 指示を受けた連合軍の兵は、イリスやリディアのように大なり小なり疑念を抱きながらも、本陣に向けて後退を始める。戦いぶりが散々だった敵兵は、これぞ好機とばかりに奮い立って、追撃をかけようとするが、相変わらず隊列は整わず、統制が取れていない。

 それがまがりなりにも団子状にまとまった時、状況は変転した。

 ざあっと音を立てて、草原の草が一斉に揺れた。魔道に聡いリルハとエリン、イノが弾かれたように顔を上げる。特にリルハは、「この魔力は、先生と同じ……?」と、動揺を隠せない様子ながらも、エリンと共に、味方を守るべく魔法障壁を生み出す。

 それを待っていたかのように、敵軍の背後から炎が波となって押し寄せた。なめるように広がる炎はしかし、草や連合軍の兵を巻き込む事無く、青銅鎧の敵兵だけを選んで襲いかかる。たちまち混乱が訪れ、兵士達は悲鳴をあげながら逃げ惑った。

 一分もしない内に、炎は何事も無かったかのように消え失せる。だが、焼死を免れないと恐怖に陥った敵兵達の戦意を削ぐには充分だったようだ。誰も彼もがその場にへたり込んで、子供のように泣き出す者まで出る始末で、勝敗は明らかであった。

 敵軍の後背から援護をしたのは誰か。イリスにはとんと見当がつかなかったが、クラリスには思い当たる節があるようだ。草原の向こうから駆けてくる二騎の人馬をみとめて、「やはり」と口元を緩めた。

 やってきたのは三十代と思しき男女二人組だった。男性の方はオレンジ色の短髪で、軽装に身を包んでいる。女性は薄桃色の髪をゆるく肩に流し、赤みの強い瞳でイリスを見ると、途端に相好を崩した。同じ笑み方をどこかで見た気がして、イリスは記憶を巡らせる。

「初めまして、イリス王女殿下」

 王女が思い当たるより先に、男女は馬を降り、女性が恭しく頭を下げた。

「魔道士のセティエ・リーヴスと申します。こちらはクリフ・マレット」

「やはり、あれだけの炎を扱えるのは、セティエ殿だと思いました」

 既知の物言いをするクラリスに、セティエと名乗った女性がやんわりと笑いかける。

「王女にはクラリス殿がついていらっしゃると聞き及びましたので、グランディア旧式の暗号通信も通じるだろうと、この人が」

 セティエはそう言いながら隣の男性の肩を小突く。クリフと言うらしい男性は、がりがりと頭をかきながら苦笑を見せた。

「賭けだったけどね。昔取った杵柄が役立って良かった」

 そこまで話を聞いたところで、イリスにも得心がいった。この二人は、二十年以上前、母の率いる解放軍に参加していたのだろう。クラリスと面識があるのも、旧式通信を使えるのも、納得できる。

 そして、セティエの名乗った苗字にようやく思い当たる節があって、今度は申し訳ない気持ちに襲われた。

「セティエ殿」

 武器を収め、魔道士の前に立って、深々と頭を下げる。

「申し訳ありません。私は貴女のごきょうだいに助けられたのに、彼の行方を見つけ出す事もできないまま……」

「それ以上はおっしゃらないでください」

 途端、セティエの声が固くなり、片手を差し出される事で、イリスの謝罪は遮られた。

「ティムは、弟は、エステル女王のお役に立つ事を誇りに思っておりました。そのご息女である貴女の為に自分の魔道の腕を振るえたならば、喜びこそすれ、貴女を責める事などあり得ないでしょう」

「まあ、エステル様に絶賛片想いだからな、あれ」

 クリフが飄々と言い放ち、セティエがぎろりと彼を睨んでその足を思い切り踏みつける。「あねさん痛い!」という悲鳴は無視された。どうもこの二人の力関係は、彼女の方が俄然有利なようだ。

「それにしても」

 このやり取りは見慣れているのだろうか。クラリスが、冷静に疑問を投げかける。

「お二人は、アルフヘイムで孤児院を運営されていると聞き及んでいましたが、何故ヨーツンヘイム軍と共に?」

 その質問に、セティエとクリフは顔を見合わせ、神妙な表情になってイリスに向き直った。

「王女様の噂は耳に入ってたからね。無関心でいられないし、オレ達なりに、アースガルズを崩せないか、ムスペルヘイムのデヴィッドさんの力も借りて、調査してたんだ」

 ここで出てくるとは予想外だが、イリスにとっても懐かしい名前を挙げつつ、クリフが肩をすくめて言葉を継ぐ。

「そしたらまあ、ヨーツンヘイムできな臭い動きがあるのを察知してね。孤児院の子供らももう小さくないし、しばらく離れても大丈夫だろうって判断して、協力者の振りで潜り込んだ訳」

「きな臭い動き、とは?」

 クラリスが眉根を寄せると、セティエが険しく目を細めて、その事実をはっきりと告げた。

「ヨーツンヘイム王族の末裔、ミハエル・リュングヴィの、祖国帰還です」

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