第3章:死の黒騎士(8)
最終的には、会議に参加した全員が、イリスに賛同を示し、その内の幾人かは、出席を放棄した国や部族にも、話を取り成してみるとまで申し出てくれた。
「大役お疲れ様でした、イリス様」
自室へ戻る途中、クラリスにそう声をかけられると、イリスはようやく脱力し、大きく息をついた。
「正直、疲れた。肩がこった。国家間の話し合いだから迂闊に物は言えないと思うと、物凄く息苦しかった! 母様の気持ちが、少しだけわかった気がする」
確かにこれは、心身共に並々ならぬ疲労が溜まる。かつて、母の代理として出席して欲しいと頼まれた会議の数々に対し、のらりくらりとかわして逃れていたアガートラムの日々を、イリスは少しだけ後悔した。
「何をおっしゃいますか、十分ご立派でしたよ。グランディア王族として恥ずかしくない態度でした」
「あまり持ち上げるな、照れくさい」
クラリスの賞賛を苦笑で受け流し、あてがわれた部屋に入ろうとしたその時。
「イーリースーさーまー!!」
廊下の向こうから歓声をあげて疾走してくる者がいたので、イリスは怪訝そうに振り向く。直後、首っ玉に思い切り抱きつかれて、大きくよろめいた。
「イリス様、ご無事で良かったあ!」
仮にも王女にこんな大胆な接触をできる知り合いは、思い出せる限り、一人しかいない。
「リディア、そっちこそ無事だったのか」
目を真ん丸くして顔を覗き込むと、相手の少女――リディア・ユシャナハは、ぱっと笑みを弾けさせ、「はい!」と元気一杯の返事をした。
「イリス様が北方にいらっしゃると聞いて、わたし、もう、早くお会いしたくて! ユウェイン父様に頼み込んで、伝令として出させてもらったんです」
「ユウェイン、騎士団も無事なのか」
「はい!」
リディアはイリスから腕をほどき、臣下の顔つきに戻ると、はきはきと報告する。
「アガートラムがアースガルズ軍に占領された時、エステル女王様が奴らの気を引きつけてくださり、騎士団と、幾らかの市民は、城下から脱出する事が出来ました。追撃を受けて離れ離れになった者もいますが、大半はカレドニアに辿り着き、今は、アルフォンス様と父の指揮の下、イリス様と合流する為の準備を整えております」
母や大勢の民の安否はいまだわからぬものの、一部の者の消息や、叔父が助力の手配をしてくれている事を知り、イリスの心は幾分か安らぐ。
「……ですけど」
しかしそれも、リディアが不穏な報せを告げるまでだった。
アースガルズは大陸中に兵を放って、イリスとカレドニア軍の合流を阻もうとしているらしい。カレドニア国の郊外では散発的な戦闘が繰り返され、リディアがロックキャニオンに来るまでにも、各地で、駐留軍らしき濃緑の鎧姿を見かけたという。
「わたしは単騎で、しかも魔鳥で空を飛んできたから、難はありませんでした。けれど、大軍の移動となると、カレドニアまでの道程は、険しいものになるかもしれません」
それはイリスも想定していた事だった。このまま南下し、東方アルフヘイムからガルディア半島を迂回すれば、カレドニア軍と合流するまでの時間は相当かかる。かと言って大陸中央を突っ切るとなれば、現在の自軍と北方諸国から遣わされる連合兵だけでは、占領されているグランディアを奪回する戦力には到底足りず、本末転倒である。
いずれにしろ、アースガルズの仕掛けた戦いをくぐり抜けなければならない事には、変わりが無い。まずは、この北方を、連合軍を率いて無事に脱する事ができるか、それが問題である。
「行くも戻るも、戦闘は避けられないか……」
イリスの気持ちは底無しの暗い沼に沈む一方だ。顎に手を当て、答えの出てこない思案を巡らせる。すると、それまで横でリディアの報告を聞くばかりだったクラリスが、王女に向き直り、「では」と告げた。
「前途が多難ならば、せめて後顧の憂いを断っておくべきでしょう」
守役が、騎士ではなく、策士としての笑みを見せる。それで、彼女は自分に連合軍盟主として最初の決断を求めているのだと、イリスも気づく。
王女がそこに思い至るのを待っていたかのように、クラリスは、目を細めて、低く言い放った。
「叩きますか。アースガルズ皇国本土を」




