第3章:死の黒騎士(7)
「貴国とは、百年の因縁がある! 今更手を組めるものか!」
「先に仕掛けてきたのはそちらだろう、こちらから願い下げだ!」
「他国の難民を受け入れて、我らは困窮している。更に手を貸せと?」
「協力なぞ、まこと馬鹿馬鹿しい」
(……これは無理だ)
アステアには申し訳無いが、北方の共闘など、絵空事かもしれない。
子供の話し合い以下の言い争いを繰り広げる大人達を、冷めた目で見やりながら、イリスは周囲に気づかれない程度にできる限り、大きな溜息をついた。
居並ぶは、北方各国の君主、あるいはそれに準ずる身分の者達である。それも、バルテスマ、ギルデスタン、ココルカ、パレンティアなど。聖王伝説や大陸情勢の話題に必ず上る、シャングリア人なら知っていて当然の、そうそうたる面子だった。
先日の戦闘で、市長であり義勇軍指揮官であったアステアを失ったロックキャニオンは、イリスに新たな主導権を求めた。彼女の遺志だと、あの無愛想な銃士が告げにきたのだ。
「どうかアースガルズ討伐連合軍の盟主としてお立ちください、姫様」
守役のクラリスは、いつに無い真剣な表情で、イリスを諭した。
「エステル女王陛下もかつて、血と罵声を浴びる覚悟で帝国と戦われました。ソーゾルで決意を述べられてからの姫様は、陛下と同じ目をされております」
母親に似ていると言われたら、普通の娘ならばはにかみつつも喜ぶのだろうか。しかしイリスの心中では、複雑な思いが渦を巻いていた。今まで、顔や性格は父親似だとさんざん言われてきた。だが、母と似ているのが、戦いに赴く時の表情だとは、あまり素直に嬉しいとは言えない。
王女のそんな惑いも気づいているのだろうか。「イリス様」とクラリスが語を継ぐ。
「イリス様お一人に全ての責を求めはしません。どうか、戦いにおいては、皆を頼ってください。貴女は孤独ではないのですから」
母の軍師を務めた頭脳を持つ彼女には、何でもお見通しか。目をみはると、守役は真剣な表情で胸に手を当てた。
「戦術ならば、私にお任せを。私の策は、『千を殺すけれど、万を救える』と、遠い昔に、恩人に言われました故」
「その恩人は、今?」
「千の中に入りました」
イリスが興味本位で訊ねると、クラリスは端的に答え、目を細めて、ここには無い天上を見つめるかのように視線を宙に馳せる。立ち入ってはいけない事だったか。ばつが悪くなってうつむくと。
「犠牲が零の戦いなど、ありません。ですが、被害を最小限に抑える事はできます。その為に、私だけでなく、皆を信じてください。私達はその信頼に応え、姫様の前に立って露払いし、背後を守って武器を振るいます」
まだ迷いはある。だが、祖国を、母を取り戻すのは、自分一人の力では到底叶わない。それならば今は、アースガルズ打倒という同じ目的を持つ仲間を、一人でも多く集めるべきだろう。
「わかった」
イリスは力強くうなずく。その翠の瞳に宿した決意が、二十三年前、大陸解放の盟主として立つ事を決意した母と違わぬ事を、知らないままに。
アステアから受け継いだ仕事の中で最初にすべきは、アースガルズに対抗でき得るだけの戦力を整える事。すなわち、いまだ連係の取られていない北方諸国をまとめあげる、という大役であった。アステアの密葬が済んで間もなく、北方各国へ、グランディア王女イリスの名の下、一大会議を招集する旨の書簡が、一斉に届けられた。
祖国では、貴族達の謁見時すらまともに話を聞いていなかった自分に、会議の主席など務まるのだろうか。主催して呼びかけたのだという事実も、そもそも自分は大陸最大国家の後継者なのだから気後れする理由など無い事も忘れ、イリスはかちこちに緊張しながら、指定された席についた。クラリスが背後に控え、ソーゾル代表としてバイオレットが隣にいてくれるのが、せめてもの救いだった。
ところが、会議が始まった途端開始された、利己的で程度の低い罵詈雑言の応酬に、イリスの精神は弛緩を通り越して呆れ返り、冒頭の溜息に至るのである。
かねてから、穏やかではないと言われていた北方情勢は、ここまで悪いものだったのか。
「皆さん、今はそのように過去を挙げ連ねて、いがみ合っている場合ではないでしょう。イリス王女の意志のもと、団結せねばならないという時に」
バルテスマの若き王が会議の筋道を修正しようと発言しても、長年積もり積もった北方国同士の不満は、そう簡単に解消されない。
「レオン王はまだお若くていらっしゃる。まだまだ北方諸国の在り方をご存じ無いようだ」
歳を経たパレンティアの宰相が慇懃無礼に告げると、バルテスマ王の顔がかっと紅潮する。
「イリス王女もご同様。ソーゾルの盗人どもに力を借りねば生き長らえられなかったお方に、果たしてこれだけの諸国を取りまとめるお力があるのやら? ロックキャニオン市長殿も、博打な選択を遺されたものですなあ」
老人の揶揄が飛んだ途端、場に失笑が満ちた。
ここで怒号を返しては相手の思う壺だ。イリスはその髭っ面に文句と張り手を叩き込んでやりたいのを必死に堪えたが、その発言を待っていたとばかりに、若き盟主を立てる事への不平が、あちこちで囁き交わされる。
だが、イリスの堪忍袋の尾が切れる寸前。
「その盗人どもに、飢饉を救ってもらったのは、一体どこの国だった?」
それまで王女の隣で沈黙を貫いていたバイオレットが鋭く発した一言に、パレンティア宰相はぐっと息を呑んだ。
「武器が足りなくなって、泣きついて来た将軍に、物資を流してやった事もあったねえ」
今度は別の国の武官がぎくりと肩を震わせる。
「恩着せがましく言う訳じゃないけどね。あんたたちがこそ泥と見下している連中に、どれだけ助けてもらった? これまでも、北方諸国は、どれだけ他国との関わり合いでもって、成り立ってきた?」
囁き交わしていた連中も、すっかり言葉を失う。
「アースガルズが本気を出せば、最大勢力であるロックキャニオンすら容易に瓦解した。あんたらはそれでも、自国の力だけで守り通せる、と言う自信があんのか?」
机の上に足を投げ出したバイオレットの態度は横柄だが、発言はイリスの意を汲み取り、的を射ていた。女義賊が目で合図したので、間髪入れずイリスは立ち上がり、凛とした声で各国の代表者達に告げる。
「それだけではありません。そのような事態を前にして尚、貴方がたは自国、いえ、己という狭い領域を守る事のみに固執して、愚かな言い争いを続けるのですか」
図星を衝かれ、最前まで騒然としていた議場は、水を打ったように静まり返る。
かなり長い、気まずい沈黙の後、ギルデスタンの大使がぽつりと洩らした。
「確かに、アステア殿も、アースガルズに対抗するには、北方全土の結束が不可欠だと、常々おっしゃっていた」
「お恥ずかしい話だが、初めは馬鹿げた話だと思っていたのだ。だが、アースガルズの度重なる侵攻に我が軍は敗退を重ね、民も疲弊しきっている」
ザラムの執政官がきまり悪そうに発言すると、我も我もと、国の窮状告白が続く。
「北方諸国だけでなく、大陸全土の為には、つまらぬ因習などにとらわれている場合では、無いのでしょうな」
誰かの呟きに、最早反論する声はあがらない。ここにいる者の総意とばかりに、バルテスマのレオン王が、親しげな笑みを浮かべて宣言した。
「イリス王女。正統なるグランディア王家の血と、アステア殿の遺志を継ぐ貴女に、北方諸国の兵と命運、お預けいたしましょう」
北方会議がまがりなりにもまとまったのを聞き届け、マルディアスの銃士は足早に会議室の扉前から立ち去った。人気の無い場所へ、滑り込むように身を隠すと、懐から、金属でできた掌大の某かを取り出し、耳元にあてがう。
「俺だ」
それだけでも十分奇妙な行動だというのに、まるで誰かに語りかける風に、彼は囁いた。
「……そうがなり立てるな。こちらも立て込んでいたんだ」
少しの間を置いて、マキシムはうんざりした表情を浮かべる。
「イリス王女に会った。……ああ。例の英雄女王の娘だ。しばらくは、彼女の連合軍に同行する」
時折、誰かの話を聞いているかのように相槌を交えていた彼は、やや長い沈黙の後、赤銅色の目を細め、姿無き話し相手に、強い口調で言い含めた。
「いや、お前達はまだ動くな。時が来るまでは」
その後も二、三の言葉を発して、彼は手にしていた物を耳から離し、懐に仕舞い込んだ。
もし見とがめられても、一風変わった南の大陸の人間として通っているマキシムだ。やけに長くて大きな独り言くらいにしか、受け取られないだろう。そもそもこの西の大陸には、『遠距離で時間差無しに通信を交わす』などという技術も概念も、存在しないのだから。




