第3章:死の黒騎士(5)
「イリス様。アステア殿。失礼いたします」
王女と市長の会話が一段落ついたところ、クラリスが市長室を訪れ、入口で恭しく挨拶した。
「是非、姫様にお会いしたいと申す二人組が訪ねてまいりまして。ロックキャニオン兵と軽く押し問答になっていたのですが、アースガルズの差し金ではないと判断し、武器を預かった上でお連れしました」
守役の目がそう判断したのなら、安心して然るべきだろう。アステアに向けてうなずくと。
「どうぞ、お通ししてください」
彼女も首肯し、クラリスを促した。
案内されてきたのは、魔族の少女と人間の青年だった。先程の戦闘中に飛び入りで参加し、少女はあどけない外見に似つかわしくない圧倒的な魔力で、青年は鋭い冴えを見せる剣技で、義勇軍を助けたという。
少女はこれっぽっちも怖じ気づかず、きょろきょろとそこら中を物珍しそうに見回している。一方青年の方はといえば、目に見えてかちこちに緊張していた。
「助力に感謝する。貴方がたの名前を、聞いても良いか」
イリスが謝辞を述べ握手を求めると、青年は頬を赤く染めて興奮気味に手を差し出しかける。が、途中でその手が砂に汚れている事に気づいて、半端な笑いを浮かべながら引っ込め、自分の服でがしがし拭いた。
「わ、わ、本物の王女様だよ。どうしようイノ」
しまいには、隣の少女に訳のわからない助けを求める。大都市の出身ではないなと、何となく想像がつく反応だ。
「は、はじめましてお目にかかれまして光栄ですイリス王女殿下様! お、おれ、じゃなくて、私はアルフィン・クローヴィスと申しまするれる……あれ?」
必死に練習してきたのだろうが呂律が回っていない。あまりの狼狽ぶりに、イリスは思わず噴き出した。
「無理しなくて良い。普通になさい」
「は、はい、ありがとうございます、王女様!」
「それもイリスで良いから」
途端に、青年はぱあっと明るく破顔し、王女の手を、意外と逞しい両手でがっしりとつかんだ。
「うわあ、やっぱりイリス様って、思ってた通り、気さくな人なんですね! エステル女王も凄く良い人だって、おじさん達がいつも言ってたの、本当だ!」
「おじさん?」
「おれ、トルヴェール村の出身なんです」
その地名に、イリスは目を丸くするしか無かった。
トルヴェールは、ここロックキャニオンから南東、ムスペルヘイム領にある、何の変哲も無い辺境村だ。だが、両親が打倒帝国を目指して挙兵するまで、少年期を過ごしたのだと、大人達からよく聞いていた地名である。イリス自身が訪れた事はまだ無いが、長閑ながらも良い村で、過去の戦争を両親と共に戦った者が、今も幾人か住んでいるらしい。
「そのおじさんというのが、母の知人なんだね」
「はい!」
すっかり緊張がほぐれたか、アルフィンは勢い良く語り出す。
「おれを育ててくれた人達と、剣のお師匠が、エステル様の友人だったんです。二十二年前の解放戦争では一緒に戦ったって、いっつも話してくれました……って、あ」
そこで彼は初めて思い出したのか、クラリスに預けていた二振りの剣から片割れを受け取って、イリスの前に差し出した。使い込んだ素朴な長剣ではない、田舎青年に不釣り合いなくらい装飾が施された、銀製の方を。
「この紋様は、『信念』。グランディアの聖剣の一振りですね」
改めて覗き込んだクラリスが、怪訝そうに問いかける。「貴方は何処でこれを?」
「おれに剣を教えてくれたお師匠の、親友だった人の、形見だそうです。解放戦争の話を聞いたり、この剣を見る度に、おれもいつか、聖剣士としてグランディア軍で戦えたらって、ずっと思っていたんです!」
クラリスが「……ああ、成程」と呟きながら口元に拳を当て、どこか遠くに視線を馳せた。彼女には、青年の挙げた人物達に心当たりがあるようだ。
そんな反応にも気づかないほど熱っぽく語ったアルフィンは、あ、と照れ笑いで付け加える。
「でもその剣は、おれのじゃないから使ってないですよ、ほんとです。ちゃんとグランディア王家にお返ししなきゃって、手入れしてただけで」
イリスは聖剣を受け取り、すらりと鞘から抜いてみた。
祖国の聖剣士達が所有するのと同じ白銀の刃身には、イリスには解読できない言語で、信念を表す某かの祝詞が刻まれている。その輝きは、二十二年という歳月を経ても尚、傷みひとつ見せていない。魔力が施されている品だから、というだけでなく、目の前の青年が、丹念に保存して来た証拠だろう。
イリスは徐に剣を鞘に戻すと、アルフィンに突き返した。
「貴方が使うと良い」
「ぅええええっ!?」
一拍遅れて意味を理解した青年が、素っ頓狂な叫びをあげる。
「そそそんなおれ、グランディアの騎士でも聖剣士でもないですし。おれなんかが使ったりしたら、元の持ち主に悪いですよ!」
「貴方にこの剣が渡ったのも、それを持って私の元に来たのも、何かの縁だろう」
恐れ多い、と後ずさるアルフィンの手に、聖剣を半ば強引に握り込ませる。
「生憎今は遠征中だし、任命権は本来女王にしか無いから、仮命しか下せないが、私の名で、貴方をこの聖剣の主に任ずる。それは迷惑?」
青年はしばし、ぽかんと手の中の聖剣『信念』を見つめていたが、やがて。
「とっ、とんでもないです!」
と、感極まった様子で叫んだ。
「聖剣士になるのはおれの夢でした。それが叶えられるなら、おれ、イリス様の為に一生懸命頑張ります、命張ります!」
「命まで張らなくて良い。死んだら意味が無いわよ」
勢いで飛び出した言葉のあやだろうが、イリスは釘を刺す。果たして、今のアルフィンに伝わったかは怪しいが。
「姫様にしては珍しく、賢明なご判断ですこと」
「クラリス、一言多い」
「確かに、これだけの名剣を、この戦況下で使いもせず、宝の持ち腐れにしておく方が、元の持ち主に悪いですものね」
王女がむっとして混ぜっ返すのを、守役は微笑で受け流し、それから、もう一人の客を振り返る。
「それで、貴女は? これからどうするの」
それまで蚊帳の外に置かれ、退屈に少々むくれていた魔族の少女は、自分に話が振られたと気づくや否や、勢い良く挙手しながら宣言した。
「はいはい、はーい! ルフィがここで戦うならね、イノもみんなと一緒に戦ったげる!」
こちらもアルフィンに負けず劣らずかしましい。イリスは苦笑いしたが、アステアが不審そうに口を挟んだ。
「だけど貴女は……、その、ロックキャニオンやグランディアとは、関わりが無いでしょう」
言葉を濁したのは、『魔族だから』と言いそうになったのだろう。過去より数段改善されたとはいえ、人間と魔族の交友関係は、決してまだすこぶる良好とは言えない情勢にあるのだ。
「ん~」
だが、当の少女は、種族事情どころか、己の存在がどれだけ危ういものかも気に留めず、呑気に答える。
「ルフィといて楽しいし、ルフィ、いいひとだから好きだし。そのルフィが一緒にいたいって言うんだから、イリス達も、悪いひとじゃないと思う」
あまりに頓狂だが、素朴かつ純粋な理由である。その素直さに、場にいる者は皆、すっかり毒気を抜かれてしまった。
「ま、まぁ、共に戦ってくれる同志だと言うのなら、拒否する理由も無いでしょう」
調子を狂わされる、と少々呆れた表情ながらもアステアが呟いたのが、イリスの考えでもある。同時に、アースガルズに対して少なからぬ憎しみを抱いて戦う自分やアステアと違い、ただひたむきな思いを持って戦えるこの二人に、羨望にさえ近い感情を覚えるのだった。
意図を確かめた所で、改めて二人を歓迎し握手を交わすイリス達の元へ、ロックキャニオンの女性兵が血相を変えて飛び込んできた。
「市長、アースガルズ軍が再度動きを見せています!」
一瞬にして、和んでいた場の空気が、張りつめたものに変わる。
「もう態勢を立て直したというの? 早すぎるわ」
アステアは表情を強ばらせ、顎に手を当てひとりごちたが、部下の手前、落ち着いて迎撃の指示を下す。
他の皆も急いで戦支度に取り掛かる中、イノだけが、何を感じたのかふと立ち止まった。顔をしかめて「む~」と小さく唸っている。
「どうしたの」
イリスが訊ねると、彼女は眉間にいっそう皺を寄せ、胸の辺りをくるくる指し示す。
「ん~、何か変なの。このへんがもや~っとしてて、変な気分。何か、嫌なものが近づいてくるみたい」
「拾い食いでもした?」
大真面目に質問したアルフィンの気遣いは、鳩尾に肘鉄を食らう事で報われた。
「まだ戦に慣れていないから、疲れも出たのでしょう。構わないわ、今回は休んでいなさい」
アステアの勧めもあって、その場に待機する事になったイノだったが、イリスが立ち去る間際に振り返った時も、彼女はまだしかめっ面で外を見やり、むー、うーん、と洩らしているのだった。




