第3章:死の黒騎士(3)
太陽が中天にさしかかる頃、ロックキャニオン軍とアースガルズ軍の戦闘は開始された。濃緑の甲冑で統制された侵略者に対し、服装も武器も多様な、出身の異なる義勇兵達が迎え討つ。
「相手はまがりなりにも正規軍です。ですが、戦闘練度はこちらの方が高いと思われます」
イリスの母エステルの魔王討伐遠征を支えた頭脳を持つクラリスが、敵陣の展開を眺めただけで、彼我の戦力差を見抜く。
「グランディア騎士団で壁を作り、盗賊団が攪乱させ、陣が崩れたところを義勇軍で叩きましょう。各々の得手を活かさない道はありません」
「クラリスが、そう言うなら」
イリスがうなずき、合図を送ると、たちまち伝令がそれぞれの部隊に向かって馬を飛ばす。各隊が指示を的確に受けた動きをすれば、アースガルズ兵はたちどころに怯み、隊列が乱れ始めた。
味方の中でもひときわ異彩を放っていたのは、マキシムと名乗る、大陸外からやって来た男だった。瞳も髪も、羽織る上着まで見事に赤のこの戦士は、『銃』という、火薬と金属の弾丸による武器を用いて、ロックキャニオン市長の身辺を守る。銃は魔法のように遠距離から、弓矢より正確に、敵兵を撃ち抜いてゆく。その銃が火を吹く時に発する音は、前線から離れた場所までもよく響き、彼の存在をより一層強く印象づけた。
「ほらほら、貴方もこんな所で油売ってないで、マキシムくらい戦いなさいな」
後方で負傷者の看護にあたっていたリルハは、銃声が届く度に、エリンにせっつかれて、肩を落としぶるぶると首を横に振った。
「僕は前線向きじゃないよ」
「何言ってるのよ。ティム先生から授かったんでしょう、高位魔法を」
友人の指摘に、リルハの心臓はどきりと脈打った。
たしかに、聖王教会にいる頃、最も優秀な弟子の証として、強力な魔法を師から与えられた。しかしリルハはこれまで、ただの一度もその魔法を使った事が無かった。師ほどの大魔道士が操る術だ。もし制御を過ったら、敵だけでなく味方すら巻き込みかねないという恐怖が、リルハを後込みさせていたのだ。唇を噛み、拳を握り締めた時。
にわかに周囲が騒がしくなった。誰かが、戦線とは別方角を指差している。伏兵が現れ、後方を衝いてきたのだ。戦える者は咄嗟に武器を手にするが、ここにいるほとんどは、負傷者と、実戦に縁遠い看護兵ばかり。
リルハの心臓が、再度跳ねた。
『この術はその威力故に、使い手を選ぶ。君が本当に力が必要だと思った時、その覚悟を決めた時に、これを使うんだ』
自分に術を託す時、師はそう告げた。
必要と思われる場面は今まで無かった。いや、求められたら責を果たさねばならぬと母には言ったが、その覚悟が未だ固まっていなかったのだ。だが今、敵は眼前に迫り、ここにいる戦力は頼り無くて、確実に相手を退けられる力を持つのは自分だけ、という状況である。
リルハはひとつ深呼吸して動悸を静めさせると、先陣に飛び出して、魔法の詠唱を開始した。場に集中し始めた魔力の強さに敵が気づき、慌てて後退するが、リルハが術を発動させる方がそれより早かった。
風が渦巻き刃となって、アースガルズ兵に襲い掛かる。手加減無しに放たれた風魔法ヴォルテクスは、容赦無く敵を呑み込み、地面を抉って吹き飛ばした。
「すごい、すごいじゃないリルハ! やればできるじゃない!」
一瞬で壊滅状態になった伏兵達が、ほうほうの態で逃げ出す。味方は驚嘆をもってどよめき、エリンが背中を叩いて称賛する。しかし当のリルハは、初めて放った高位魔法の強大さへの戦慄と、これだけの力を自分が得たのだという、魔道士としての歓喜が入り交じった興奮状態のまま、しばらく荒い呼吸をして立ち尽くすのみであった。
アースガルズ兵の各部隊は分断されたものの、魔族の血を引く個々の能力の高さに任せて、岩壁の街を容赦無く攻め立てる。だが、ロックキャニオンの戦士達も、圧されるに甘んじるばかりではなかった。
市長アステア自ら戦列に加わり剣を振るう姿は否応無しに周囲の士気を高め、敵を押し返す。最前線に立たぬ者も、街を囲む天然の防壁たる断崖のあちこちをくり抜いて配置した、投石器を操る。攻め上がろうとする敵目がけ、次々と石弾が降り注ぎ、その度に、アースガルズ兵の悲鳴と、ロックキャニオン兵の歓声があがった。
しかし、突如現れた赤い魔獣が、形勢を逆転させた。
突風に煽られ何人かがひっくり返った。崩れた態勢を立て直す暇も無く魔獣が舞い降り、その背に乗る騎士の槍が、次々と投石器を破壊する。あっと言う間に使い物にならなくなった岩場の部隊に追い打ちをかけるように、アースガルズ兵が乗り上げ、彼らを突き落としていった。
アステアが血相を変えて、味方を救う為に馬を走らせ、マキシムはその場から無表情で敵を狙い撃つ。その間にも、魔獣騎士は次々と戦力を奪い、イリス率いる前線部隊の前へ姿を現した。
「図体でびびらせようったってな!」
飛獣の威圧感にロックキャニオンの兵達が怯み、逃げ惑う中、アッシュが一声吠えて、魔獣騎士に打ちかかる。だが、騎士の対応も早かった。槍で剣を受け止めると、手元で回転させた勢いのまま、柄でアッシュの横面を叩く。青年の長身がぐらりと揺れた。
「……の野郎」
アッシュは何とか踏みとどまったものの、相当頭に来たらしい。
「そっちの顔にも一発くれてやらねえと、気が済まねえ。蝿みたいにフラフラ飛んでねえで、降りてきやがれ、オラァ!」
血の混じった唾を吐き捨て、非常に盗賊らしい――要は口汚い――啖呵を切る。
彼らしいと不謹慎に呆れながらもそちらを見遣り、しかしイリスは絶句した。歩兵が主のアースガルズに飛行戦士がいる事自体驚きだったのに、その魔獣と、背に乗る騎士が良く見知った相手であったことが、更にイリスを驚愕させたのだ。
「アッシュ、待て、待ってお願い!」
止めなければ今にも魔獣の頭から背に駆け上がっていかんばかりの青年の前に飛び出し、怪訝そうに見下ろす彼の前で、魔獣騎士に向き直る。
「ユリシス!」
「イリス!?」
ユリシスの驚きはイリスの比では無かった。別れた従妹が交戦中の敵軍にいる事、いやそれ以前に、ソーゾルに移送されてとっくに救出されていた事さえ、彼には知らされていなかったのだろう。
「何でお前がここに……」「それはこっちの台詞でしょうが!」
非難めいた声をあげる従兄を、イリスは逆に畳み掛ける剣幕で怒鳴りつける。
「何故アースガルズの尖兵になっている! 彼らのした事を忘れたのか!?」
「忘れた訳じゃない」
「ならどうして!?」
それ以上イリスが詰問する前に、ユリシスは苦しげに、だが有無を言わさぬ力を声音に込めて、言い放った。
「……俺だって、考え無しに行動した訳じゃない。アースガルズ軍で見て、思った事があって、ここにいるんだ。お前こそ、こんな真似はやめろ。お前は戦になんか向いていない」
唖然とする王女に向け、一方的に、押し付けがましい忠告を与えると、魔獣を羽ばたかせる。
「お前はこの件から手を引くんだ。後は、伯母上の事も、俺が何とかするから、任せておけ!」
そうして、イリスに答える余地どころか引き止める間すら与えないまま、ユリシスは、アースガルズの陣へと飛び去ってしまった。それが合図になったのか、他のアースガルズ兵も進軍を止め、一旦退いてゆく。
いつでも、誰よりも、過剰なくらい自分の意を汲んで行動してくれた従兄の変貌に、イリスは戦闘終了後も放心して、魔獣が去った方角を見ているしか出来なかった。
「イリス」
踵を返そうとしていたアッシュに声をかけられて、ようやく我に返る。
「オレに事情はわかんねえけど、そこでぼやっとしてても、事態は変わんねえぞ」
その言葉に自らも引き上げようとした時、不可解な光景を視界の端に収め、イリスは思わず足を止めた。
この戦いで不運にも命を落とした戦士達の遺体が、敵味方問わず集められている。そこに、件の赤い髪の銃士が、某かの句を唱えながら、まっさらな布を被せ、香油を含ませて火をつけた。たちまち戦士達の骸を色鮮やかな炎が包み、燃え上がる。
死者を燃やす、などという常識外れの行為にイリスが愕然としていると、ロックキャニオンの兵が横から耳打ちした。
「あれは、マキシムの故郷での、死者の弔い方だそうですよ」
そういえば、彼は南の大陸の出身だと、誰かが言っていたか。
「我が軍には身寄りの無い者が多く、戦死したところで、亡骸を引き取ってくれる身内も、埋められる土地も無いのが現状です。それに戦争なんて、よほど名のある将の首でもない限り、敵の死体をわざわざ送り届けてやったりしないでしょう」
ならば、捨て置いて禿鷹の餌になるよりは、こうして敵味方関係無く弔ってやった方が人道的という事で、アステアも認めているのだと、兵士は語った。
シャングリアでは、「マルディアスは蛮族の地」という認識が強い。三国による長き闘争の物語と、闇商人の手による奴隷ばかりしか入ってこないからだ。
ところが、その野蛮だと思われている南の人間が、西の人間達さえ持ち得ていない、戦死者に対する礼儀を弁えている。その事実にイリスは奇妙な感覚を覚えながら、天高く昇ってゆく煙の筋を見上げていた。




