第3章:死の黒騎士(2)
イリスがなりたくないと言った卑怯な将。それが今まさにロックキャニオンと向かい合う、アースガルズ軍の中にいた。
「いいか、ユリシス・リードリンガー。貴様の役目は、ロックキャニオン軍に損害を与え、撹乱する事だ。テルフィネ様に救っていただいた恩を、仇で返すなよ」
「……わかってる」
濃緑のアースガルズ軍制服に身を包んだユリシスは、居丈高に言い放つコルダックには目もくれず、短く返すと、無意識に胸元に手をやった。服の下にある固い感触が伝わる。アースガルズの一兵として出陣すると告げた時、母の形見のお守りだと、銀の首飾りを託してくれたテルフィネの、黒にも近い蒼の瞳を思い出させる。
囚われて安否のわからない従妹や伯母を救い出し、そして何より、あの孤独な少女を解放してやりたい。その為には、こんな馬鹿げた侵略戦争はさっさと終わらせなければならない。たとえ、侵略する側に身をやつしてでも。それが、この一月余りでユリシスが弾き出した結論だった。
だから、今回の敵もあまり抵抗せず、早々に降伏してくれると良いのだが。
望みの薄い願いを抱きつつ、ユリシスは相棒に合図を送る。飛行獣など目にした事の無い者が多いアースガルズ兵の前で、赤い魔獣は堂々とした翼を広げ、ロックキャニオンの大空へ舞い上がった。
そのロックキャニオンからやや離れた街道に、大と小、ふたつの影が落ちていた。腰に二振りの剣をたばさんだ大きい方は、純朴かつ実直そうな顔立ちをした、栗色の髪と瞳の、人間の青年。そして小さい方は、浅黒い肌とくりくりした黒い瞳に、白い髪だけがその種族としては違和感を与える、魔族の少女である。
「もうすぐロックキャニオンだねえ」
「そうだね。ようやく義勇軍に合流できるよ」
小柄な少女の方が、額に手をあて遠くを眺めながら呑気に言い放つと、青年も、ややのんびりとした口調で返し、少女を見やる。
「ありがとう、イノ。君の案内が無かったら、おれ、ロックキャニオンに着いてなかったかもなあ」
「何言ってんの、困った時はお互い様だよ~、ルフィ」
謝辞に、イノと呼ばれた少女はへへっと白い歯を見せて、ルフィと呼んだ青年に笑いかけた。
一人前の戦士を目指して辺境村からやって来た青年と、何となく外の世界へ行きたくなって魔族居住区ニヴルヘルを飛び出したという少女。この珍妙な取り合わせの二人組は、つい十数日前、とある街食堂で、たまたま出会ったばかりだった。
一緒に食事を摂る内に意気投合したものの、少女がうっかり財布を落としてしまっていたので、青年が食事代を肩代わりしてやったのが最初。その後、北のロックキャニオンへ向かうはずの青年がうっかり地図を読み間違えて、南に行こうとしていたので、少女が方向音痴の彼をここまで連れてきてやって、現在に至る。
ようようたどり着いた目的地を前にして、青年の興奮は、最高潮に達しようとしていた。
「よし、ロックキャニオンに着いたら、一生懸命戦うぞ。何たって、グランディアの王女様もいるらしいからね。お目にかなって、父さんみたいな立派な剣士になるんだ」
「ふう~ん、いいじゃんいいじゃん」
拳を突き上げて意気込む青年に対し、少女が感心したふうに返事をする。実は出会った時から彼が何度か繰り返している台詞だが、何度聞いても、少女はつっけんどんに受け流したりしない。それが、この二人の気が合い、上手く旅を続けてこられた理由でもあるのだが。
「そういえばルフィのダディって、どんな人なの?」
「わからない」
「へっ?」
さりげない質問に返ってきた意外な答えに、少女はきょとんと目を見張る。
「おれが生まれた頃、大きな戦争があって、戦死したって以外、顔も名前も知らないんだ。本当の母さんも、小さい内に病気で死んじゃったから、それ以上の事は何もわからない」
そう苦笑をこぼして振り返った青年は、少女が滝のようにだーっと涙を流しているのを見て、思わず後ずさった。
「な、何で泣いてるんだよ!?」
「だ、だっと、かわいそうだびょ~!」
少女は鼻声ですすりあげる。
「イノぼダディ死んじゃってるけびょぉ、抱っこしてぼらった記憶くらびはあるずぉん。ずぇんずぇんわがんないなんで、がわいそすぎるぶぉ~」
「何言ってるかわかんないよ。ほら」
女の子を泣かせたら責任を取らねば男ではない、と育ててくれたおじさんに教えられている。しかしこれは、自分が泣かせた事になるのだろうか。いやそもそも、戦時下だった当時によくある、他人の他愛もない身上話にここまで号泣できるのだろうか。呆れ半分感心半分で、青年は懐から手布を取り出し、少女に差し出す。少女はそれを受け取ると、涙を拭き、ついでに顔も拭いて、更に鼻までかんだ。
「ありがと」
一通り落ち着いた少女は手布を返そうとしたが、青年は片手を振って拒否する。
「いいよ、持ってなよ」
さすがに、汚いから返してくれるなとは言えなかった。知り合って数日の相手に、しかも女の子には。
そんな青年の心情は露知らず、少女は手布を腰のポーチに押し込むと、再度ロックキャニオン方面を見やり、声をあげる。
「ね、あれじゃない、アースガルズと義勇軍が戦ってるのって」
魔族は概ね人間より視力が良い。青年にはまだ見えない距離だったが、少女が指差す先に戦線が展開されているのは間違いないだろう。
「で、どっちに味方するの?」
少女が大きな瞳を悪戯っぽく輝かせ、無邪気に訊ねてくる。
「言うまでもないだろ」
青年は胸を張り、意気揚々と拳を突き上げるのだった。
「おれは正義の味方なんだから!」




