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アルファズル戦記  作者: たつみ暁
第二部:神への挑戦者イリス
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第3章:死の黒騎士(1)

 大陸の中枢たるグランディア王国を制圧し、エステル女王を手中に収めて以降、アースガルズ皇国はその野心的な本性をいよいよあらわにした。

 女王の名のもと、大陸平定の命が下され、緑の甲冑を纏った兵士が各地に散る。無論エステル自身の意志ではなく、彼女を掌握するアースガルズ宰相ドグマ・コルダックの専横だと、気づかない者はほとんどどいない。各勢力は積極的な反抗に及んだ。

 ところが、国土と物量で遙かに劣るはずのアースガルズは、世間の予想に反して、それらをことごとく撃破し、小国を圧していった。その根底には、アースガルズには元より人と魔族の混血が多い事による、個々の戦闘能力差、そして、褐色の大柄な魔獣の存在があった。アースガルズ兵の鎧の濃緑と、破壊の使者たる獣――『破獣ビースト』と呼ばれるその生物は、侵略の象徴として恐れられ、一月も経つ頃には、アースガルズへの抵抗勢力はかなりの数が滅ぼされ、あるいは残存しているものの、ごく小規模にしか過ぎなくなっていた。

 しかしその頃から、とある噂が流れ始めた。

 曰く、消息不明だったグランディアの姫君が、北方で反アースガルズ活動に立ち上がったと。

 親を奪われ、国を追われる。かつて母が辿ったのと同じ悲劇に見舞われた王女に、自然と人々の同情は集まり、噂は噂を呼び、尾びれ背びれをつけて広まり始めた。ある説では、騎士団の残党を率いて自ら勇敢に前線を張っていると言い、ある説では、ソーゾルの義賊達を従えて水面下で解放運動をしていると伝えられ、またある説では、既に彼女のもとに集う志願兵は万を超えたなどとまで囁かれた。

 しかし実際はというと、王女イリスは、確かにグランディア騎士もソーゾルの盗賊も引き連れてはいたが、その数はまだ二百にも満たないまま、小規模な戦闘をくぐり抜けつつ、北方諸国横断を続けていた。

 そして、現在最も有力な反アースガルズ勢力とされる、ロックキャニオン市へ、ようよう辿り着いた所だったのである。


 ロックキャニオンは、その名が示す通り、切り立つ岩山という天然の防壁に守られた、北方有数の自治都市である。市長は民意によって選ばれ、決して世襲制ではないのだが、前市長がアースガルズ皇国との会談帰りに『不慮の事故』で亡くなった後、民に望まれて職務を継いだのは、その娘アステア・キャニオンリバーであった。

 父親の死がアースガルズの陰謀である事は明白だが、彼女は私怨を表にさらす事は無かった。ただ、北方の平穏の為には諸国の団結が不可欠であるとの意見を掲げ、アースガルズに対抗する為の義勇兵を募った。すると、ロックキャニオンの人間は勿論、北方諸国出身ではない者、異大陸からの傭兵まで、様々な者が召集に応じ、幾度も敵の侵略を退けた。

 バイオレットがもたらしたそんな話を頼りに、イリス達は彼らとの共闘を目指してソーゾルを発った。そして、行く手を塞ぐアースガルズの小部隊との戦闘をかいくぐって、ロックキャニオン市長に丁重に出迎えられたのである。

「イリス王女のお噂は、私も耳にしていました。是非お会いして、協力関係を結びたいと思っていたのです」

 侵略に対抗してみせる、という意志を強く持つ義勇兵達の姿を目にしただけでも感心したが、さらにアステアが、初対面のイリスに対し、敬意と友好を前面に押し出して歓迎してくれたので、両者の緊張は自然とほぐれていった。

「『優女王』ミスティ陛下の時代、ロックキャニオンは北方諸国の意思のひとつとして、グランディア王国と友好関係にありました。私の名にお名前(アステア)をいただいたのも、父が陛下に憧れていたからよ。それを知った母の嫉妬といったら、かの魔王イーガン・マグハルトも逃げ出しそうなほど苛烈だった、という話が、今も市民の酒の肴にあがってくるくらいには」

 イリスと、護衛のクラリスとリルハを執務室に案内する為、自ら先導して市長邸の渡り廊下を歩くアステアの振った話題に、イリスはそういえば、と思い出す。祖母のミドルネームはたしかに、前を行く市長と同じだ。自分も、叔父アルフォンスに仕えた女性から、ミドルネームに『アレサ』をもらった。名前の主は解放戦争時代の古傷が元で、数年前に亡くなったが、

『普段は真面目なのに辛辣な本音を言う気の強さは、イリスにも通じるな』

 と、叔父は懐かしそうに目を細めて、自分を見つめたものだ。

 市長邸の渡り廊下から見えるロックキャニオンの岸壁は、雄々しくそびえ立ち、数千年前の地層が隆起して幾層もの色合いを帯びている。もし時間と心に余裕があれば、しばらくここで立ち止まり、眺めていたいと思えるほどに、目を奪われる。岸壁の街、という無骨さを感じさせない壮麗な光景に、もし遊学や観光など、精神的に余裕のある訪れだったならば、どれほどの感銘を与えてくれる場所だろうと、イリスは考えずにいられなかった。

 執務室に通されて、イリス達が応接用のテーブルに就くと、頃合いを完全に見計らっていたかのように、桃色の髪を持つ小柄な少女が、紅茶と茶菓子の載った盆を持って入室してくる。その顔を見たリルハがぎょっと目をみはったので、何事かと思ったが、少女はリルハの凝視に気づく事無く、てきぱきと茶を配り、一礼して部屋を出てゆく。少年はそちらを向きながら腰を浮かせ、イリスの方を向く。

「す、すいません、外します!」

 何故彼がそこまで動揺するのかわからないが、このまま少女を見送らせる訳にもいくまい。イリスが視線で促すと、リルハは頭を下げるのもそろぞろに、慌てた様子で執務室を飛び出していった。

 急いでいてもきちんと扉を閉めてゆくあたりは、何とも生真面目な幼馴染らしい。薄く微笑って紅茶に口をつける。初摘みの茶葉だけを使った一杯は、砂糖もミルクも要らないほどに口当たりが柔らかい。同じ茶葉を使ったクッキーをかじれば、香ばしさが口内に満ち、鼻を抜けていった。

 すると、隣で同じく茶を味わっていたクラリスが、ふと顔を上げて、カップをソーサーに戻し、しみじみと感じ入るように呟いた。

「聖王教会とは違う賛美歌ですね」

 興味深げに窓の外を見やる彼女に倣って、イリスも視線を窓外に馳せる。どこかの聖堂から洩れ聞こえてくる美しい歌声は、執務室にまでよく響く。アステアは、紫の瞳を細めて一瞬考え込んだ後、「ああ」と意を得て答えた。

「あれは、この世界を創られた、創造神を讃える歌ね。大陸西側では聖王教会の影響力が強いけれど、北方には、昔ながらの信仰を保っている地域も多いの」

 それにはイリスもクラリスも思わず、「成程」と感嘆を洩らす。人の世に聖王崇拝以外の信仰がある事は、グランディアの人間にはあまり実感のわかないものだったが、それだけ祖国から離れた場所までやってきたのだという認識を、改めて与えてきた。

 だが、感慨に耽っている場合ではない。イリス達がロックキャニオンにやって来たのは、アースガルズに対抗する戦力を整える為という殺伐としたものであり、アステアと語る内容は、義勇軍とグランディア騎士団が合流した後の対策である。

 そして、それすらも満足に話し合えない内に、敵は動き始めていた。

「アステア」

 いつの間に扉を開けたのか、戸口に影のように立つ男がいた。燃えるような赤髪に赤い瞳を持ち、重たげなコートは制服のようだが、シャングリアのどの国の騎士団とも違うその格好から、義勇軍にいる異大陸の傭兵と思われる。

「郊外に兵が展開している。アースガルズだ」

 ロックキャニオンの盟主であるアステアに対等な口をきく男の素性に、イリスは興味が湧いたが、今は問いただしている場合ではない。アステアが、それまでの柔らかい笑顔を消すと、毅然とした表情に打って変わって、男に指示を下した。

「皆に戦闘の用意をさせて。私もすぐに行きます」

「わかった」

 言葉少なに男が立ち去ると同時、出陣の準備に取りかかろうとするロックキャニオン市長を、イリスは咄嗟に立ち上がって呼び止めた。

「私も共に戦わせてくれ」

「ええ、勿論歓迎します。イリス王女には是非、義勇軍の指揮をお願いしたいと思っていたの」

 王女の申し出をアステアは快諾したが、こちらの意図とは異なる汲み取り方をしたので、即座に訂正する。

「違う。私も一人の戦士として、前線で戦いたいんだ」

 これにはアステアだけでなく、クラリスまでも驚きを隠さなかった。

「戦場を知らなすぎると、貴女も思っているのでしょう。ならば私も、特別扱いされたくない」

「ですが、姫様のお立場は今」

「グランディアの代表意志、だろう。わかっている」

 咎めるような視線を送る守役に対し、イリスは決然と己の意志を述べる。

「ならば尚更、皆と同じ目線で戦いを知っておかねばならない。私は、他人ばかりに死ににゆけと命じて、自分は安全な場所から吼えているだけの、卑怯な将にはなりたくないから」

 胸に手を当てて思い返す。聖王教会でも、ソーゾルの砦でも。自分は守られて、救われてばかりで、無力だった。だが、いや、だからこそ、もう誰かの背後に隠れて庇護を受けるばかりではいたくない。自ら最前線に立ち、血と呪詛を浴び続けて尚戦い、『勇女王』と呼ばれるに至った母エステルの娘であるならば、戦いに身を投じるという現実から、目を逸らして逃げる訳にはいかないのだ。

 イリスの決意を、クラリスとアステアも感じ取ったのだろう。

「姫様が決意されたのであれば」

「わかりました。共に戦いましょう、イリス王女」

 守役は静かに低頭し、市長は不敵な笑みを浮かべて、右手を差し出す。その手を、イリスはしっかりと握り返した。


「エリン、待ってよエリン!」

 渡り廊下で、リルハはようやく先をゆく少女に追いついた。これだけで息切れするとは、自分は本当に体力が無い。

「……リルハ?」

 その間に少女が振り返り、怪訝そうな表情を見せた数秒後、少年の名を言い当てる。

「やだ、随分背が伸びてたから、気づかなかったわ。元気?」

「君こそ、修行の旅に出たとは聞いていたけれど、まさかこんな所で会えるなんて」

 数年前、同じ師のもとで学んだ間柄であり、大司教ディングの娘である少女、エリン・コルセスカは、思いがけぬ再会に、心底意外そうに目を丸くした。当時はリルハもまだまだ身長が小さくて、小柄な彼女と同じ目線だったが、今は相手を見下ろす程度にはなっている。

「聖王教会がアースガルズ軍に取り込まれたって聞いて、心配したわ。皆はどうしているの。うちのお父様は、ご無事?」

 無邪気な問いかけに、まだ肩で息をしていたリルハは、一瞬返答に詰まる。

「知らないのかい」

「何を?」

 不思議そうに首を傾げる友人に真実を告げるべきか、少年は迷った。が、意を決すると、空色の円らな瞳を真正面から見つめて、口を開く。

「アースガルズに寝返った人達を率いているのは、他でもない、大司教殿だ」

「……嘘」

「僕だって、こんな事を君に伝えたくなんかない。でも実際に、僕らはディング殿の子弟に襲われて、ティム先生の行方も、わからなくなったんだ」

 エリンの血色良い顔が一気に青ざめた。唇がわななき、手が震えている。リルハは、彼女が衝撃のあまりに泣き出すか、失神するのではないかと思った。

 ところが、エリンはその手をぐっと拳の形に握り込み、思い切り振り上げると。

「なっに、考えてんのよ、あの馬鹿親父はァ!」

 と、市長邸中に響き渡らんばかりの大声で罵倒するのであった。

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