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アルファズル戦記  作者: たつみ暁
第二部:神への挑戦者イリス
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第2章:生きた証(10)

「……で、山中でブッ倒れて、近くの盗賊団に助けられて目が覚めたのは三日後。その時にはもう、グランディアの騎士団長が死んだって話は、大陸中に出回った後だった」

 語っている間中、ずっと遠くを見つめて目線を合わせようとしなかったアッシュが、ようやくこちらを向く。それで、長い話が終わった。長い長い沈黙が落ち、初夏には早すぎる、虫の声だけがしばらく聞こえる。

「……そうだったんだ……」

 虫が鳴き止んだ時、イリスが最初に洩らしたのは、その一言だった。

 これで得心がいった。少年だったアッシュを逃がした後、父がその命と引き換えに打ち倒したのが、聖王教会に在った破獣ビーストなのだ。そして、自分が名乗った時に青年が「知っている」と答えたのは、別の意味を含んでいたのだ。

 父は最期まで騎士であり、家族を愛していてくれた父だったと、胸が熱くなり、そして一つの可能性に、急速に冷える。父が伯母を探さなければ、この青年が家族を失う事など無かったのかもしれない、と。

「ごめんね、父様がその村に行ったから」

「だから謝んなっての」

 イリスが言わずにいられなかった言葉は、やはり遮られる。額を指で弾かれて、「ぴゃ」と変な声が出てしまった。

「オレが謝らなきゃいけないくいらいなんだよ。あんたの親父さんが命張ってくれたおかげで、オレは生きてるんだから」

 青年は眉を垂れて、決まり悪そうに頭をかいた。

「でも、それならどうしてすぐグランディアに来てくれなかったの」

「こっちも色々あってね。つか、小汚いガキが一人、届け物がありますっていきなり城に行ったって、信用してもらえる訳も無いでしょ」

 まあ、もっともな言い分ではある。それに、突然家族と故郷を奪われ、拠るすべを失った少年が生き延びるには、イリスには想像もつかない過酷な体験があっただろう。その辺りの経緯は、アッシュも必要以上に語らず――語りたくないのかもしれない――切り上げようとした。が、思い出したように、ぶら下げていた銀製の首飾りに手をかける。

「そうだ、会えたならこれ返さなくちゃな」

 太めの鎖についている大ぶりな飾りは、剣十字を象った精巧な造りをしていた。これまでも、その存在はイリスの視界に入っていたが、造形を落ち着いて見るのは初めてだ。しげしげと眺める王女の前で、アッシュは、二重に巻いている輪状の物だけを外した。デザインの一環かと思っていたが、首飾りの銀とは明らかにものが違う。随分と古い紐で編んだ、瑠璃ラピスラズリと水晶の腕輪だ。

「これが一番、失くさないで済む方法だったんでね」

 これこそが青年の話に登場した、父が彼に託した遺品だと、イリスは悟った。のろのろ差し出した掌に、アッシュがそれを落とす。

 そういえば、父は『昔、母さんにもらった、お守りだよ』と、見せてくれた事があったではないか。遺体が戻ってきた時に、母が父の左腕を持ち上げて、『……無い』と愕然と呟いた記憶までも蘇る。そうだ。解放戦争中、誕生日祝いに、母が友人から作り方を習って編んだ品があったのだと、ユウェインの妻リタが、痛ましげに両親を見守りながらイリスに教えてくれたではないか。

 そんな父と母の思い出が、今、自分の手の中にある。

「これが、父様が、生きた証なんだね」

 握り締めると、今だに父の温もりを感じられるような気がした。

「しっかし、お姫様がこんなにいい女なら、言われた通り、さっさと友達になってりゃ良かったぜ」

 すっかり元の調子に戻ったアッシュが、冗談まじりにおどけてみせた。王女が無言で見上げると、また蹴られでもすると思ったのだろう。怯んだ表情を見せる。

「ありがとう、アッシュ」

 しかしイリスは微笑を浮かべ、静かに、だが力強く告げた。

「これで、私が何をしたら良いか、いや、何をしたいか、腹が決まった」


 酒盛り場の扉を開けると、すっかり素面しらふの顔をした騎士団の皆が待っていた。バイオレットが気を利かせてくれたのだろう、盗賊達も今は大人しく隅に寄っている。先頭には、クラリスが立っている。目が合うと、女騎士はいつもの気丈さを顔に満たし、微かに笑んでくれた。

 アッシュが背中を小突く。イリスは、部屋の真ん中へ進み出ると、そこに居並ぶ、決して多いとは言えない家臣達の顔を見渡した。

「まずは、皆に礼と謝罪を述べたい」

 声が震えていないだろうか。意識しながら言葉を紡ぐ。

「アースガルズ侵攻の混乱から今まで、よく戦って、生き延びてくれた。ありがとう。そして、母の不在に皆を導くべき私が城を空け、王族の務めを放棄していた事は、皆を酷く不安にさせたと思う。本当にすまない」

 いきなり王女が深々と頭を下げたので、兵達は驚きどよめいた。中にはこれだけでもう涙ぐむ者もいたのだが、イリスはさらに続ける。

「アースガルズ皇国は予告無く我が国に攻め込み、王都を制圧し、母を拘束した。これは明らかに侵略行為であり、戦における規範を犯すものであり、我々が()の国に対して反撃を行う理由となり得る」

 凜と顔を上げ、続ける台詞で兵達が更に動揺する事を予感しながらも、先を継ぐ。

「だが、彼等は更なる罪を犯した。十四年前の私の父の死は、アースガルズに属する者の手に依るものだったと判明したからだ」

 想定通り、どよめきが大きくなった。長年追い続けた謎の答えを唐突に告げられた戸惑いと、ある程度予想のついていた結論だという諦観と、真相が明らかになってまた新たになる憤りとが、混じり合ったものだ。

「父と母を奪われた。それは私情だが、私にとっては十二分にアースガルズと戦う理由だ。私は彼らを、いや、彼らの背後にいる者を倒したい。父の仇を討ち、グランディアと母を、取り戻したい」

 脳裏に、父の死を告げたあの妖魔の憎らしい笑みがかすめ、唇に氷の感触が蘇る。イリスはそれを払うように頭を振り、左手首につけた父の形見を右手で包み込み、一瞬うつむく。それから、毅然とした表情で顔を上げた。

「だからといって、皆まで私につきあってくれる必要は無い。今後我々が赴く先は、常に戦場になるだろう。もし、離脱したい者があれば、私は止めない。皆を、無理に巻き込みたくなんてないから」

 どよめきはおさまり、かわりに水を打ったような静寂が場を支配する。

 だが、さほどの間を置かずに、兵の中から拍手があがった。

 クラリスだった。瞳は笑っていなかったが、唇の端には、幼い頃から王女のする事を認めた時に見せてくれる笑みが浮かんでいる。彼女に倣うように拍手は広まり、やがて、グランディアの兵だけでなく、バイオレット団の盗賊達まで加わって、イリスを讃える声が響いた。

 丸く収まったところで仕切り直しだと、誰かが陽気に叫んで、その場はあっという間に再度酒宴へと戻ってゆく。結局、部隊を離れる者は、一人としていなかった。

「立派な演説だったよ、お姫さん」

 緊張が解け安堵するイリスのもとへ、バイオレットが満面の笑顔でやってくる。

「正直言って、何にもできないまま、ぴーぴー泣き寝入りするんじゃないかと思ってたんだけど。見直した。バイオレット団は、いやソーゾルの義賊を代表して、あんたに協力する事を、ここに誓おう」

 果実ジュースの入った杯をひとつイリスに渡し、酒がなみなみと注がれたもうひとつは自分で掲げ、片目をつむってみせる。心強い味方を得られた事に感謝しつつ、王女は盗賊と杯を打ち合わせた。

 水のように飲み下すバイオレットに負けじと、勢い良く杯を空けたイリスに、女頭領はヒュウと口笛ひとつ賞賛を送る。

「よし、友好の手始めだ。こいつをくれてやるよ、連れてゆきな!」

 そして、足りないと騒がれる前に酒を注いでやろうと近づいてきたアッシュの腕を、ぐいと引いた。

「ま、多少ガツンとやったって、死にゃしないから。こき使ってくんな」

 イリスはぽかんと口を開けてしまったが、バイオレットの呂律はしっかりしているし、どうも酒の入った勢いではないらしい。事実、同じく唖然と突っ立っているばかりだったアッシュに、頭領は至極真面目な表情で告げたのだ。

「お前は行く義務があるだろ、このと」

 押しやられて、アッシュがイリスの正面に立つ。ぽりぽりと頭をかきながら、彼は言った。

「つー訳で、一緒に行く事になるわ」

「良いの?」

「いいんだよ。あんたの親父さんに恩返ししなくちゃいけないし」

 青年は白い歯を見せ、にっと笑う。

「それにオレ、あんたの事好きだし」

 突然、公衆の面前で恥ずかしげも無く放たれた告白に、イリスは一瞬にして茹蛸のように真っ赤になった。

「は!? 何を言い出す、突然!」

「なに、オレのこと嫌い?」

 子供のように拗ねてみせる表情が、イリスを一層混乱させる。

「き、嫌いじゃないけど、って、そういう事じゃなくてね! ああもうクラリス、この男どうにかして!」

 助けを求めたが、守役はくすくすと笑いを洩らして、こちらのやりとりを見守っているばかり。どうやらリルハや他の者達も、傍観を決め込んだらしい。

「あら、イリス様が男性の告白を受けて狼狽えられるなんて、初めてではありませんか。ユリシス様や、今まで見初めてこられた男性は全員、突っぱねていらしたのに」

「そうなの? じゃあオレ、脈あり?」

 ますます調子に乗るアッシュの胸に、イリスは拳を叩き付ける。ようやく兵士達の間からも、どっと笑いが洩れた。

 顔が妙に火照っているのも、心臓がやたらばくばく言っているのも、先程まで緊張していたせいだ。イリスは、そう思い込む事に決めた。そうだ、こんな調子の軽い男に、こんな事を言われたところで、誰が照れたり、ましてや嬉しかったりするものか。誰が。

 ぐるぐる考えている内に、どっと疲れが襲ってくる。イリスはそのまま目の前の青年の腕に倒れ込んだかと思うと、寝息を立てていたのだった。

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