第2章:生きた証(5)
深い森の中で、いかにも堅気ではなさそうな者達が、戦いの備えにいそしんでいる。それを見渡すざんばら髪も強気そうな瞳も見事な濃紫の女は、見た目から想像できそうな乱暴な言葉遣いで、居並ぶ者達へ向けて怒鳴りつけた。
「野郎ども! その少ねえ脳みそに、段取りきちっと叩き込んだだろうな!?」
応と答えるのは、彼女より遙かに大柄で頑強な男ばかりである。それらをまだ年若い女でありながら屈服させているのは、天性の手腕と人間性があってこそだと、この業界で知らぬ者はいない。
彼女こそソーゾル、否、北方諸国にその名を知らしめる一大義賊団の頭領、バイオレットその人である。
今回バイオレット団は、結成以来最大、一世一代の大仕事に臨む。いつも以上に気合を入れて吼える奴。落ち着かずに得物を何度も鞘から出し入れする奴。武者震いだか痙攣だかもう判別がつかない震えの止まらない奴。十人十色の反応を一通り眺めた後、彼女はその中でも若めな一人の名を呼んだ。
「アッシュ! 手筈はわかってるね」
「へーい」
気の抜けた返事が返ってくる。たちまちバイオレットの、素の美しさは隠せない顔の眉間に縦皺が寄った。
「そんなホニャララした声出すんじゃないよ! 今日はあんたの行動が肝なんだからね。わかってんのかい?」
「はい質問。そんな重要な役目が何でオレ?」
「身軽で腕の立つ奴じゃないと話にならないからさ」
「なら、あんたが行けばいいじゃない」
泣く子も黙る、どころかことさら怯えて泣くような女傑相手に、臆しもしない減らず口。まあそれが、彼女に対するこいつの、いつもの態度だ。バイオレットもふふんと鼻を鳴らして混ぜっ返す。
「女の子を助けるなら、若いイイ男って、昔から相場は決まってんだよ。同じ女や、むっさいオヤジが来たって嬉しいもんかい」
その言葉に、『むっさいオヤジ』に当てはまる一同が、どっと爆笑した。
「そりゃ、頭領の言う通りだ!」「諦めて腹くくれ、アッシュ!」
周りからばしばしと頭やら背中やらを叩かれどつきまわされる当の本人は、迷惑そうだったが、しかしその口には余裕の笑みすら浮かべて、呟くのだった。
「腹くくるまでも、無いっての」
頭が重かった。
唐突に突き付けられた真相を整理しようとすれば、妖魔の冷たい唇の感触が蘇り、吐き気が襲ってくる。それを避けたくて寝台に突っ伏したまま、イリスは何時間も夢と現の狭間を彷徨っていた。
ようやく頭の霞が少しだけ晴れてくると、けだるく瞼を持ち上げ、虚ろに外を見やる。既に陽は沈みかけ、窓から見える空は橙を含んだ赤だ。その色を見てまた鬱屈した思いにとらわれた時、窓から見える景色の中に奇妙なものを見つけて、イリスは閉じかけていた目を、再度開いた。
上方からちょろりと、ロープが垂れ下がっている。明らかに、さっきまでは無かったものだ。すると今度は、にゅっと靴が飛び出してきた。イリスの足より一回り以上大きいそれは、男物。さすがにイリスの意識も覚醒する。唖然と凝視している間に、足の主はロープを伝い、窓枠のキャンバス内に全貌を現した。
四つか五つばかり年上と見える、長身の男だった。袖の破れた上着からのぞく腕、銀でできた大ぶりな首飾りがぶら下がる胸は筋骨逞しく、本当にこの体格でこんな軽業をこなしてきたのかと、疑問すら抱かせる。
口元には不敵さを備え、やや浅黒い肌とは対照的に色薄のくすみがちな金髪は、手入れに頓着しないのかぼさぼさだ。しかし、毛先を揃えてそれなりの服を着せれば、アガートラムの社交場でも通用する美青年に化けるかもしれない、整った顔立ちをしている。
そんな男の、色が深すぎて黒にも見えるほど蒼い、切れ長の目が、イリスと視線を交わらせた。
「よ」「……どうも」
まるで道端で友人に出くわしたかのように、相手が白い歯を見せ陽気に笑った。もう驚くのも忘れ、素で挨拶を返す。
男は窓枠に手をかけると、身体を振り子のように揺らし、勢い良く室内に飛び込んできた。
「貴方、誰?」
「オレ? んー、そうだなあ」
不審感丸出しなイリスの問いに対し、彼は相変わらず笑みを崩さぬまま言葉を探していた。が、やがてとても良い台詞を思いついたとばかり、右の拳で左の掌を打つと、飄々と答えるのだった。
「囚われのお姫様を助けに来た盗賊、ってとこかね。王子様じゃあなくて悪いけど」
「はい?」
突然現れた見知らぬ男に、昔語りの中でしかあり得ないと思っていた文句を浴びせかけられ、イリスはしばし状況整理に苦しんだ。言い放った当の救い手は、にやにやしながら壁にもたれかかり、さらに一言。
「で、いつまでそうやってオレにサービスしてくれる訳?」
言われてようやくイリスは、自分があられもない姿で寝転がっている事を思い出し、がばりと身を起こした。アティルトにはがれかけた胸元はそのままで、裾はまくれて太腿が露になっている。
「ぶっ、無礼者!」
怒りより羞恥心から、イリスは顔を真っ赤にして我鳴りつけ、枕を引っつかむと男目がけて投げつけた。城の自室でさえ、こんなだらしない格好をしていたら、クラリスがえらい嘆くだろうに。
「あっははは! それだけ元気があるなら安心だ」
男の方はといえば、枕を余裕でかわし、けらけら笑いながら歩み寄ってきた。だが、不意に笑みを消すと、顔を近づけ低く囁く。
「脱出は、できるな」
アティルトの時のような総毛立つ思いはしなかったが、その真剣な眼差しに気圧される。イリスは無言で頷き返し、それからふと気になって訊ねた。
「もしかして、貴方が来たのと同じ方法で?」
「まさか! 初心者にいきなりあれやれ、なんてオレも言わないよ。ちゃんとそっちから出てくさ」
男はころりと先程までの軽い調子に戻って扉を指し示し、持参した包みをこちらの腕に押しつける。
「あ、これお土産。あんたのだろ」
中には、奪われたイリスの剣や鎧一式が入っていた。これは今や、自分とグランディアを繋ぐ唯一の、形見のような物だ。壊されたり、処分されたりしなかった事に安堵の溜息をつき、それから、青年を見上げる。
お調子者に見せかけて、ひどく真摯な表情も見せる。かと思えばころころ態度が変わり、つかみどころが無い。今までに出会った事が無い部類の男に戸惑いを覚えつつも、詮索するより先だと、イリスは自分の装備を急いで身に着ける。立ち上がった時、アティルトに引っかけられた足が痛んだが、我慢する事にした。
「よし。じゃあ行きますか」
準備が完了したのを見届けると、男は扉の前につかつかと歩いてゆく。そして、盗賊らしく鍵を暴くのかと思いきや、気合一発、重い蹴りを入れた。立て付けが悪い事をわかっていたのだろうか。扉は向こう側にいた見張り二人を巻き込んで、丸ごと吹っ飛んだ。
開いた口が塞がらないイリスの前で、男はとどめとばかりに戸板を踏みつける。潰された蛙みたいな二重唱が起きて、運の悪い兵士達はそれきり気絶し、静かになった。
「盗賊って、こんな派手なものなのか?」
「非常事態非常事態、気にしなさんな」
胡散臭そうにぼやいたイリスの指摘を軽く受け流しながらも、男は油断無く廊下を見渡し、ついて来い、と合図して走り出す。イリスも、痛む足をかばいつつ後を追った。




