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アルファズル戦記  作者: たつみ暁
第二部:神への挑戦者イリス
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第2章:生きた証(2)

 妖魔。

 その人間離れした容姿を一言で表現するならば、最も似合う単語だった。

 黒を帯びた髪は月光で青白い銀に照らし出され、滑らかな白磁の肌を持つ顔は完璧な美をそなえ、瞳の紅が、闇の中で異様な輝きをたたえている。しかし、それを美しいと見惚れていたら、次の瞬間には殺されているだろう。そんな油断の無い、息苦しいまでの黒い気配が、イリスだけでなく、その場にいる全ての者を氷像のように硬直させた。

 男が転移魔法を終結させたのを合図に、停滞していた時間が一気に動き出す。

 村長の妻が狂ったような悲鳴をあげて、倒れ伏す夫に駆け寄る。それを見た妖魔が半眼になって不機嫌さを露骨に表し、うるさい虫でも叩き落とすかのような仕草で手を振る。それだけで魔力の刃が飛び、半狂乱で叫んでいた妻に、呆気無く夫の後を追わせた。

 本当に虫を落とした程度にしか感じないのだろうか。男は彼らの方にはそれきり興味を失うと、やけにゆったりとした動作で、イリスに向き直った。

 両脇を固めていた兵まで自失しており、手の力は緩んでいる。今なら、彼らを突き飛ばして反撃に出る事も可能だ。だが、妖魔の紅い瞳に射抜かれたイリスの身体は、まるで見えない糸に搦めとられたかのように、微動だにできなかった。

「やあ。やっと会えたね……イリス」

 猫のように細めて笑う瞳。全身を舐め回すようなねっとりとした視線。昔から自分を知っているかのごとく振舞う低めの声。その全てに、イリスは魂の底から凍る恐怖を感じた。

「彼女を迎えにきた。良いね?」

 男はゆるりと部隊長を振り返り、予めの決定事項だとばかりに告げる。

「は……しかしコルダック様は、王女とカレドニア国主の息子、両方をと」

「僕の指示には、従わないという事かい?」

「い、いえ、めっそうもございません!」

 青ざめて低頭する兵達を見て、男は満足げに頷き、再びイリスを()め回す。

 先程まであれだけ高慢な態度を取っていた部隊長が、すっかり萎縮している。妖魔は、表情も、言葉遣いも、見た目は全て、あくまで穏やかな優男だというのに、そこには決して抗えない威圧感が込められているのだ。

 絶対的な敵だと、身体の奥から警鐘が発せられている。差し伸べられる妙に綺麗な手に、身の毛がよだった。

「イリスに近づくな!」

 恐らくユリシスも、同種の危機感を覚えたのだろう。大音声をあげると、周囲の兵に当て身を喰らわせてなぎ倒し、剣を奪った。兵士達は気圧され、自然に妖魔への道は開ける。

 だが、妖魔はユリシスを振り返りもしなかった。ただ、口の端に微かな、しかし残忍な笑みを浮かべると、動けないイリスの頬に右手を滑らせ、空いている左手を、ユリシスに向けて突き出す。イリスの脳裏を恐ろしい予感が駆け抜けたが、警告を発するには遅過ぎた。

 村長夫婦の命を一撃で奪ったあの魔力が、従兄の脇腹を撃ち抜いた。急所を外した一撃だが、ユリシスは言葉にならない叫びをあげて倒れ込む。

「ユリシス!」

 イリスの悲鳴で、妖魔はようやく、ユリシスにちらと視線を送る。

「君の口から僕以外の男の名が出るのは、許せないね……」

 身勝手な発言と同時に、従兄の身体はさらに後方へ跳ね飛ばされ、血の筋が地面に残酷な軌跡を描いた。

「やめろ! ユリシスを殺さないで!」

 王女の懇願に、妖魔は紅の瞳を向け、ゆっくりと笑いの形に細める。

 とどめを刺そうとしている。

 させまいと、自由の利かない身体でイリスが必死にもがいていると、思いもよらぬ方向から助け舟が入った。

「お待ち下さい。この者には人質としての価値があります。殺してしまうのは得策ではないものかと」

 例の部隊長だった。恐る恐る、妖魔の機嫌を伺うように進言する。常時だったら殴り飛ばしてやりたい言い分だが、今はとにかく、従兄の命を救ってくれという願いの方が強かった。

 妖魔は実に不愉快そうな表情で兵を見下ろしていたが、不意に真顔に戻る。

「……わかったよ。だけど」

 一瞬後、代わりにやけに楽しげな笑みを宿して、部隊長の鼻先に、白い指を突き付ける。彼の顔からざあっと血の気が引くのが、イリスにも見えた。

「君は僕に二度も楯突いたね? 楽しみが減った分は、君自身であがなってもらうよ」

 断末魔の絶叫が夜闇に響き渡った。

 血塗れの視界に眩んだか、それとも何か術をかけられたのか。イリスはそのまま力を失い倒れ込んだ。愛おしげに抱き留める妖魔の腕に鳥肌が立ったが、抗えない。

「彼女は僕が連れ帰る。その男は好きにしろ」

「こ、この村はどういたしますか」

「皆殺しにして焼き払え」

 薄れゆく意識の中、こわごわ訊ねる兵達と、あくまで平然と冷酷な指示を下す妖魔の会話が、耳に残った。

「くれぐれも十四年前のように、余計な証拠は残さないように、ね……」

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