episode.88 信じられない目撃情報
近未来的都会を絵に描いたような街ロクマティシスには、朝から晩まで人工的な光がある。それは、自然という恵みによるものではない。しかしながら、それと同じくらい活躍している。人工的な光のおかげで、ロクマティスの人間の活動時間は年々伸びる傾向にある。とはいえ、夜中に活動している者は多くない。一部夜間に働く者は存在するけれど、それは与えられた職務ゆえだ。
両脇に明かりは灯っているものの明るくはない通路を歩く女性が一人。青と白よりの灰色を混ぜ合わせたような色みの短髪をふわりとなびかせながら行く、彼女はプレシラ。白色のブラウスに紺のロングスカートを身につけ、彼女は黙って歩いている。
そんなプレシラが、ふと足を止めた。
彼女が今立っている通路に対しT字になるように在る短い通路の向こうから、夜には似合わない騒がしさを感じ取ったからである。
短い通路の向こう側には、もう一本、プレシラが立っている通路と同じような通路が存在している。プレシラの位置からだと限られた区域しか目にすることができないが、それでも察することができた。騒々しいのはそちらの通路だ、と。
プレシラは耳を澄まし、その場で足を止めたまま様子を窺う。
「……レシアの、元お……やらが、き……な」
「……い」
「そ……なら、こ……れてこい。そ……で、話すこ……う」
少々距離があるため、プレシラはすべてを聞き取ることはできなかった。だが彼女は考える脳を持たぬ存在ではない。それゆえ、聞こえた音から会話の内容を推測することはできる。たとえば、『レシア』というのは『キャロレシア』ではないか、などと。
プレシラは盗み聞きしながら、自然と、誰にも見つからないように壁の陰となる場所に移動してしまった。ロクマティス王女である彼女が通路にいることは何らおかしくはないのに、だ。
その数秒後。
「あ! プレシラ王女!」
若い男性の爽やかな声が響いた。
「あ、あら、ムーヴァーじゃない」
「何してられるんですか?」
突如声をかけられたことに驚きと慌てが混じった感情を抱き、びくんと身を震わせたプレシラ。しかし、声をかけてきたのがムーヴァーだと気づくと、少しばかり安心したような穏やかな表情になった。
「歩いていたら、あっち側の道から何か声が聞こえてきたの」
「声?」
プレシラの言葉に、ムーヴァーはきょとんとした顔をしつつ軽く首を傾げる。
「ええ。それが何だか気になって、少し耳を澄ましていたのよ」
両手を重ねて下腹部の前辺りに置き、プレシラは落ち着いて述べた。
「そうだったんですね……!」
「だから、少し黙っていてもらっていいかしら?」
「あっ。は、はい」
プレシラは引き続き耳を澄ます。ムーヴァーも彼女からの指示に従い口を閉ざした。周辺に音を発する存在はなくなる。すると、少し離れている向こう側の通路から音が届いてくる。ゆっくりめの、男性の喋り声のようなものだ。
「おぬ……が、キャロ……のお……であるか」
「はい、……です」
男性の声に続けて届いてくるのは女性の声だ。
プレシラとムーヴァーは壁の陰に隠れ、耳を澄ましながら、何も言わずに視線を合わせる。
それから十数秒。黙ってじっとし続けていることに耐えられなくなったようで、ムーヴァーは体を動かした。プレシラたちがいる通路と謎の声の主がいる通路、二本の通路を繋ぐ短い通路の方へと足を進める。プレシラはその様子を目にして驚いた顔をしたが、大きな声は出せないので速やかに制止することができない。そのうちに、ムーヴァーが覗き込んでしまう。
だが、ムーヴァーが覗いたことによる状況の変化はなかった。
通路は明るくない。それゆえ、向こうからこちらを見て人の存在に気づくような状態ではないのだろう。それに、向こうはプレシラたちのことを意識して探そうとはしていない。だからなおさら気づかれづらいのである。
少しして、ムーヴァーは再び壁の陰に入る。
「どうやら王様がいらっしゃるようですよ」
「……お父様が?」
ムーヴァーの発言に、プレシラは怪訝な顔。
「それと、女性もいました。でも、知らない女性です」
「見たことのない人?」
「はい。あっ。ま、まさかっ、愛人では!?」
「憶測で物を言わないでちょうだい」
「ですよねー。すみません、ちょっと楽しんでしまいましたー……」
悪気なく調子に乗ってしまったムーヴァーは素直に謝った。それに対し、プレシラは、わざとらしく溜め息を漏らしつつも彼を許す。
二人の間に確かな信頼関係があるからこその展開と言えるだろう。
そんな風にして二人が喋っている間も、向こうの通路からは何やら声のようなものが聞こえてきていた。もっとも、二人の喋り声のせいで完璧には聞こえないのだが。
「あ、そうだ。キャロなんとかって聞こえましたよね。もしかして、キャロレシアから誰かが来たんですかね?」
「そうね。それは少し思っていたの。何とかレシアという音を聞いたから」
「だったらそうですよ! いや、絶対!」
ムーヴァーは胸の前辺りに置いた拳を上下させ、妙に高いテンションで声を発する。
彼の振る舞いを注意するプレシラは若干困り顔。
「駄目よ、ムーヴァー。騒がないで。静かにして」
「あ、そうでした。すみません」
「もう。他人の話をすぐに忘れるんだから。困るわよ」
「はっ、はいっ……。ごめんなさい……」
周辺には誰もいない。が、もし誰かが通りかかったとしたら、プレシラとムーヴァーは非常に仲が良いと認識したことだろう。もしかしたら、仲が良いなどではなく、恋仲を疑ったかもしれない。二人は幼い頃からの親しい友人というだけなのだが、周囲から誤解される可能性は決して低くないだろう。
その時、向こうの通路に女性の姿がはっきりと見えた。
ちなみに、その姿を捉えたのはムーヴァーの瞳であって、プレシラが見たわけではない。
「え……。今の……キャロレシア王妃じゃ……」
ムーヴァーの顔面が硬直する。
「何を言っているの?」
「いや、今、キャロレシア王妃の姿が見えて……」
ロクマティスの民は、キャロレシア王妃の外見を知っている。王の妻だ、大抵顔くらいは皆に知らされているものだ。王女だったセルヴィアとは訳が違う。だから、ムーヴァーも、そこにいた女性が王妃であること気づいたのだ。
「キャロレシア王妃ですって?」
プレシラはムーヴァーの発言を信じきってはいなかった。いや、むしろ、疑いの心の方が大きいくらいだった。今の彼女は、まだ、七割くらいは信じていないような顔つきをしている。
「間違いない。あれは確かに、キャロレシア王妃でした」
「そんなことがあり得るかしら。仲が悪いのに。そんな要人が、わざわざ敵国へ来るかしら」
ムーヴァーのことをまだ信じられていないプレシラである。
「それはそうですけど……」
「見間違いではないの? 似ているだけではない?」
「な、なぜそんなに疑われるんですか!?」
「信じられないようなことを言い出すからよ」




