episode.81 母親と王女と
母親は私とリトナの関係を少しばかり誤解しているのかもしれない。
これまでに起きたことのすべてを知らないからだろうか? ……いや、だとしても、そんな誤解をするとは考え難い。だとしたら、母親がこんなことを言うのは、わざとのことなのだろうか。意図があっての発言なのだろうか?
「その人、セルヴィアさんのお母さん?」
「えぇ。そうよ」
「ふーん、そうなんだー」
どうでも良さそうな顔つきで述べるリトナの華奢な手を、母親が突然握る。
これには、さすがのリトナも驚いたような顔をしていた。
「セルヴィアとこれからも仲良くしてちょうだいね!」
「う、うん……?」
「セルヴィアはね! ずっとあまり友達がいなかったの! でも本当は優しい子よ。だから! これからも仲良くしてあげて!」
母親は凄まじい勢いで言葉を連ねる。
病み上がりの人間とはとても思えないような活発さだ。
「は、はい……。分かりました……」
「ありがとう! お友達が優しい方で安心したわっ」
「ま、まぁ……リトナ……よく優しいって言われるから、って、え……? あれ……?」
いつもは心を乱す側のリトナだが、今は乱される側になってしまっているようだ。母親の凄まじい勢いでの発言に、彼女は思考能力を半分くらい奪われているようだった。案外、猛烈に迫ってこられることには慣れていないのかもしれない。
「良かったわね、セルヴィア! こんな友達ができて!」
母親の意識が、リトナから私へと移る。
「母さん、あの……彼女はまだ、友達とは……」
友達になることを拒否したいわけではない。むしろ、できるなら心を通わせ友人になりたいくらいだ。けれども、既に親しい友達になっているかと考えると、はっきり「なっている」と述べる自信はまだない。
「お菓子を食べてお茶をして、それを他に何と言うの!?」
「彼女は一応、敵国の王女よ」
そう言うと、母親の表情が急に固くなった。
「え……」
それまでの母親の顔面は、あり得ないくらい緩んでいた。が、今は、緩みのゆの字も存在しないくらいの真剣かつ緊張感のある顔つきになっている。言わない方が良かっただろうか、と、少しばかり後悔しそうになった。
「そうなの……? でも、それならどうして、こんなところに……?」
母親の表情は徐々に恐れの色を帯びてゆく。
じっくり見なければ気づかないだろうが、唇も微かに震えている。
「えー怖がりすぎー。リトナ、そんなに怖くないしー。ひーどーいー」
リトナは片手でブルーグレーの長い髪を掻き上げながら、やや低めの声でそんなことを述べる。ただ、その声は怒っている時の声ではなさそうだったので、私は内心安堵した。今のリトナは、怒っているのではなく、冗談を言っているつもりなのだろう。
「お友達なのではなかったの……?」
「えー、何その言い方。セルヴィアさんとはちゃーんとお友達みたいなものだけどー?」
リトナは少しばかり不愉快そうに頬を膨らます。
今の彼女が不愉快さを抱いているとしたら、共感できないことはない。敵国の王女であることは事実だとしても現在は平和的に関わっている、それなのに恐ろしいものを見るような目で見られたら、誰だって良い気分にはならないだろう。
「ところで。セルヴィアさん、一つ聞いてもいい?」
僅かに座り直すような動作をして、リトナは尋ねてきた。
「えぇ」
「お母さんのお名前、何ていうの?」
これまた唐突だな、と思いつつも、話を止めるわけにもいかないので乗っておく。
「母の名前?」
「そうそう!」
「メルティアよ。メルティア・キャロレシア」
ロクマティスの王女に私が自ら母の名を伝えることになるなんて、夢にも思わなかったことだ。
そもそも、私がこんな立ち位置に在ることとなること自体、微塵も想像してみなかった。私はいつまでも王女として生きることになるのだろう、と、当たり前のように思っていたから。
「ふーん。ま、結構可愛い名前じゃないっ」
「娘が言うのも何だけど、初めて言われたわ」
ファンデンベルクはまだ母親の後ろに立っていた。
ちなみに、扉は既に閉まっている。
「メルティアさん! リトナ、娘さんにはいつもお世話になってます!」
リトナは母親に積極的に絡んでゆく道を選択した——のかもしれない。
「え……あ、あぁ、ごめんなさい。失礼な態度を取ってしまって、ごめんなさい。ええと、貴女は……リトナさん、だったわね?」
「そういうことー」
「敵国の、なんて言ってしまって……ごめんなさいね。リトナさん」
「気にしてない気にしてないー」
こうして、リトナと母親は、どさくさに紛れて知り合いになったのだった。
その日の晩、王の間と内側で繋がっている私の自室に母親がやって来た。
室内にいるのは、私とリーツェルとファンデンベルク、三人だけ。
「ねぇ、セルヴィア。急に来てしまったけれど、少し構わないかしら」
「何か用事?」
髪はほどいてしまったし、今は服も寝巻きに変えてしまっている。それゆえ、女王の威厳など欠片もないような状態だ。いや、もちろん、普段から威厳なんてそんなにないのだけれど。
「聞いた噂のこと、伝えておきたくって」
「噂?」
「ロクマティスがもうじきここへ攻めてくるかもしれないって噂よ。聞いた?」
「何それ、聞いてない」
これまで様々な報告を受けてきたけれど、そんな噂については耳にしたことがない。
たとえ根拠のない噂であっても、どこかで多少は耳にしそうなものなのだ。噂は極秘事項ではないのだから。それすらもないというのが、不自然で、不気味。明らかに何かがおかしい、と捉えざるを得ない。
「そのような噂は僕も耳にしたことがありません」
唐突に話に入ってきたのはファンデンベルク。
「そうなの?」
「王女もご存知なかったのでしょう。僕もです」
「まだあまり有名な噂じゃないのかしらね」




