episode.75 餌やりに緊張しすぎて
ファンデンベルクは改めて小さい粒をつまみ、それを黒い鳥の口もとへと差し出す。すると、黒い鳥は、そのつぶらな瞳でファンデンベルクをじっと見つめた。お菓子をねだる幼い子どものような目つきだ。それからしばらくして、ファンデンベルクは粒を鳥のくちばしにゆっくり近づけていく。その数秒後、黒い鳥はあまり大きくないくちばしで粒をくわえた。
「僕はいつもこのような感じでやっています」
「スムーズね」
「最初は上手くいかないこともあるものです。けれど、慣れれば上手くなります」
ファンデンベルクにも鳥と上手くいかない時代があったのだろうか。今の彼だけを見ていたら、あまり想像できないけれど。
「ではどうぞ」
手袋をはめた親指と人差し指で粒を掴んだまま、恐る恐る手を鳥に近づけてゆく。脅かさないよう、慎重に。鳥が嫌がっていないかを定期的に確認し、気をつけつつ、手と腕を動かす。
……駄目だ、どうしても手が震えてしまう。
緊張感のせいだろうか。あるいは、別の原因があるのだろうか。理由ははっきりしない。が、確かなのは、手が小刻みに震えてしまっているということ。それだけは、決して変わることのない事実なのである。それも、意図せず震えるから、余計に厄介だ。
しかも、やたらと手が震えているせいで、鳥に怪しまれてしまっている。
そんな目で見ないで、可愛い鳥さんなのに……。
そう言いたくなるような表情をされてしまっていた。
「どうしました」
「手が……手が、震える……」
「大丈夫です。落ち着いて下さい」
「そ、そうね」
落ち着いて下さいと言われて落ち着けるなら、どんなに楽だっただろう。
「心を落ち着けて、ベッドで寝転がっている時のような気持ちで、接してやって下さい」
「分かったわ」
鳥と仲良くしてみたい。いや、仲良くなんて贅沢は言わないけれど、鳥と交流してみたい。その思いに偽りはない。が、いざこうして対面すると、あり得ないくらい緊張してしまう。こうして鳥と向き合うと、人と接するより難しいような気すらしてくるから不思議だ。
「穏やかな心で接して下さい」
「努力するわ……」
一度深呼吸を行ってから、再び視線を鳥へと戻す。
緊張感はまだ残っている。けれども、一旦間を空けたことによって、少しは心が軽くなった気がする。手の震えも段々落ち着いてきた。
「その感じで差し出していただければ」
「分かったわ」
ゆっくり慎重に、でも力を入れすぎないよう意識して、粒をつまんでいる手を鳥の方へ伸ばす。
すると、黒い鳥は粒を受け取ってくれた——脚で。
「脚!? 器用ね!?」
思わずそんなことを言ってしまう。それも、妙に大きな声で。だが、ファンデンベルクも黒い鳥も、私を責めることはしなかった。反応なしだ。
「ありがとう、鳥さん。受け取ってくれて」
そう言って、一人微笑む。
求められたからではない。単に、自然と微笑んでしまっただけである。黒く柔らかそうな鳥と向かい合ったら、こちらの心もみるみるうちに柔らかくなる。
「ファンデンベルクも、ありがとう」
「僕ですか」
「鳥さんと関わらせてくれてありがとう」
「いえ。たいしたことはしていません」
貴重な経験をさせてもらった、という意味で、ファンデンベルクには世話になった。
「心が休まったわ」
「力になれたのなら良かったです」
ファンデンベルクはなんだかんだで心優しい。日頃は素っ気ないようにも見えるけれど、そっと寄り添っていてくれる。そういうところは嫌いではない。
彼の心の内、そのすべてを読み取ることは、私にはできない。それに、出身のこともあるから、彼は私にそれほど良い感情を抱いてはいないかもしれない。
でも、それでも、彼は傍にいてくれる。
それだけでもありがたい。
その日の晩はなぜかとてもよく眠ることができた。その訳は不明だが、もしかしたら、寝しなまで鳥のことを思い返していたからかもしれない。
それにしても、ファンデンベルクが飼っているあの黒い鳥はとても愛らしかった。近くで見ると、今までとはまた違った魅力を感じることができたように思う。ただ、私が妙な動きをするものだから、変に警戒させてしまったかもしれないけれど。
翌日は朝から雨だった。
近頃、心なしか、雨降りが多いような気がする。
もちろん、この国とて雨が降らないわけではなかった。だが、徐々に増えてきているような気がしたりしなかったりで、何とも言えない気分だ。
窓の外の空は厚い雲に覆われ、灰色に塗り潰されている。そして、次から次へと降り注いでくるのは、雫。水晶よりグラスより透明なそれは、窓枠を激しく叩く。情熱的な演奏のように、窓や窓枠を打っている。
「おはようございます、王女」
朝一番に挨拶してくれたのはファンデンベルク。
いつもより少し機嫌が良さそうだ。
「おはよう。何だか調子が良さそうね」
服はもうおおよそ着替え終えている。が、髪はまだまとめられていない。それゆえ、まだ身支度の途中である。完璧に仕上げるには、もう少し時間が必要だ。
「はい。昨日は鳥を可愛がっていただけて嬉しかったです」
「喜んでもらえたなら良かったわ」
鏡の前で髪をとく。
ちなみに、今はまだ素手である。なぜなら、厚みのある手袋を着用していると髪を触りづらいから。毛を上手く掴めないことがやたらと増えてしまうと、苛立ってしまう。だから、ある時から、髪の手入れは素手で行うことにした。
どうせ、この手に宿る力は私には影響を与えない。
「それに……感謝しているの。私もとても楽しかったわ」
櫛の隙間をすり抜けて、金の髪がはらりと重力に従う。その光景を至近距離から見つめていたら、何だか切なさを感じてしまった。
それはまるで、人の命の儚さを表しているかのよう。
思えばいつもそうだった。誰かが命を落とす時、私はいつも何もできない。気づけば失っていて、すべてがこの手のひらからすり抜けてゆく。
「楽しんでいただけたなら何よりです。……王女? どうしました?」
「あっ……ごめんなさい。無視してしまって」
「いえ。それは構わないのですが、手が止まっていましたよ」
「そ、そうね! 早くしなくちゃ!」
じっとしていると、つい、前向きでないことを考えてしまう。でも、いつまでもそんな思考に負けているわけにはいかない。母親のこともありようやく希望の光が見えてきたのだから、憂鬱になっている場合ではない。




