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76 残務

 こうして、大奥二百余十年の歴史も終わりを告げ、


 ―― なわけもなく、終わりどころか、これからが正念場!



 箱根駅伝でたとえるなら、山下りの六区。

 芦ノ湖から小田原中継所までの、約二十一㎞。

 標高差八四〇m、最速一〇〇m十四秒、高速の山下り。

 足裏がむけ、シューズの中が血だらけになる苛酷なコース。

 全身にかかる負担。

 ラスト三キロのゆるい下りが、上り坂に感じられる壮絶な疲労。

 止まりがちな足を懸命に動かす。

 仲間に母校の襷をわたすまで!


 え? なに言ってんだか、さっぱりわからない?


 うーん、つまり、ボロボロになっても、最後(ゴール)までいくしかない、みたいな?



 広敷向をでた俺たちは、上御用部屋にむかった。


 時刻は七つ、申刻(十六時半ころ)


 焦熱地獄なみの陽ざしもいくぶん弱まり、ぬるい微風(そよかぜ)がやさしくほほをなでる。


 戸外から城内に入ると、明度の変化に虹彩も反応しきれず、視界がぼんやりする。


「肥後守」


 うす闇にうかぶ不気味な笑顔。


「これより御前に伺候なさるのですか?」


「う、うむ」


 オッサンの威圧に、思わずビクビク。


「さようにおびえずとも、よいではありませぬか?」


 先刻とはちがい、ふだんどおりのおだやかな態度だが、するどく光る双眸が俺を(あぶ)りまくる。


「お、おびえてなど~」


 声……完全に裏返ってるし。


「ふふふ、かわゆいですなぁ」


 余裕かましまくりな腹黒オヤジ。


 くそっ、コケにしやがって!


「復命なさるのでしたら、それがしも同座いたしまする」


 一方的に宣言する塩大福。


「同席してもいいかなぁ?」じゃなくて、「するからっ!」?



「な、なれど、わたしの一存では。公方さまのお許しが……」


「誤解はとけたはずですが?」


 男雛風|(まなこ)から放たれるシビアな一閃。


 誤解ぃー???


 あんた、ついさっきまで正真正銘完璧に大奥(あっち)サイドだったじゃないか!


 だから、俺たちは警戒して、ずっと水面下でがんばってたんだぞ ―― ホモ認定にも耐えて!


 それを、誤解だと!?


「だが御意も得ず、そなたをともなうことは……」


 あれ、なんでビビってんだ、俺?


 こんなゴリ押し、ビシッと断ったれ!



「いえ、まいります。今後、それがし抜きの(はかりごと)は一切やめていただきます!」


 峻厳な口調で、ピシャリ。

 まちがっても「NO」なんて言えない空気だ。


 どうやら塩ちゃんは、ボクらが自分にないしょで策動したことにキレているらしい。


「あ、相わかった」


 え゛っ、なに言っちゃってんの、俺!?


 うろたえる会津侯のかたわらで、許諾(オーケー)の回答に満足そうな閣老。

 

 どうやら思った以上に、自らの手で上得意さまを葬り去った罪悪感と喪失感から、精神(メンタル)が消耗しているらしい。


 オヤジに抗う気力もなく、俺は中奥にある御小座敷をめざして、悄然(とぼとぼ)と歩を運んだ。




 報告を待っていた家定は、俺を引ったてる阿部の姿に目を見はった。


「なにゆえ、伊勢が?」


「少々誤解がございましたようで」


 呆然とする主君に、阿部はイケしゃーしゃーとほざく。


「なれど肥後守も得心なされ、これよりはそれがしも合議にくわわることと相なりました」



 物問いたげな視線をなげてくる公方さま。

 真横からの威嚇に、涙目で見かえすことしかできない俺


 すっかりオッサンの気魄にのまれ、判断は家定(ボス)に丸なげすることにする。



「さようか。ならば、その方にも骨をおってもらう」


 事ここにいたっては、そう言うしかないよね、家定さん。


 すいません、こんな愚臣(ヘタレ)で。


「はっ」


 一方の阿部は芝居がかって平伏。


「して、こののちどうなさるおつもりですか?」


 さっそく切りだす敏腕宰相に、家定は了承するようにうなずいてみせる。


「まず、領事館づとめの話を大奥内に周知させ、できうるかぎり自ら去るようしむけるのだ」


 上司の許可のもと、段取りをしぶしぶレクチャー。


「あれはよき策でしたな」


 片頬だけで笑うオッサン。

 ハンパない冷徹さだ。


「日ごろから付届を得、十分うるおっている者どもには、かなり有効かと」


会津(うち)はその収賄側(オネーサマがた)のおかげでうるおってたんだけどね)



 大奥へのワイロは、各大名家・御用商人などから口利き料として贈られるものだが、贈賄先は上級幹部だけでなく、外部との折衝が多い『御表使』『御右筆』の中堅職員にもおよぶ。


 ウハウハの役得でしっかり貯めこみ、今後の生活に困らないやつは、あの脅しで辞めていくと見こんでいるのだ。



「なれど、奥女中には口減らしのため奉公にあげられた娘も少なくございませぬ。この者らは帰る家もなく、なかなかに手ごわいですぞ?」


 はいはい、あんたに言われるまでもなく、そこらへんのことは織りこみ済みですよ。



 大奥解体作戦の第一段階は、幹部連中プラスαを自主退職に追いこむ。


 これで、抵抗勢力中枢(うるさがた)を事前に掃討しておくのだ。


 実力者たちの退職は、イコールその部屋方(陪臣)の失職を意味するから、ここで相当数が片づく計算だ。


 部屋方など御目見以下の奥女中は、富商・豪農の娘が多い。


 こいつらの雇用形態は有期契約(年季奉公)。


 大奥の給料は、最低の御半下(おはした)クラスでも民間よりはるかによく、しかもタダで花道・茶道・ビジネスマナーが習える。

 奥づとめは庶民の花嫁修業兼結婚までの腰かけとして大人気なのだ。


 この年季奉公組は、もともと数年で辞める前提なので、クビになっても反発はそれほどつよくないはずだ。


 しかし、問題なのは、大奥をでたくとも、行き場もカネもない中堅以下の直奉公グループ。


 こっちは、一生奉公の覚悟で就職したビンボー旗本御家人のお嬢さまがたなので、ちょっとやそっとじゃ動じないツワモノぞろい。

 この作戦における最大の課題は、こいつらの処遇なのだ。



 ってことで、ここからが、俺たちの組織改革の真髄だ!


「つぎに、二の丸、および桜田御用屋敷にも、先ほどと同じ通達をだす」


「二の丸、桜田にも?」


 二の丸と桜田御用屋敷には、去年亡くなった家定パパこと家慶の側室・古参女中たちが収容されている。


 大奥では、将軍の御手がついたオネーサン、いわゆる『汚れた者』は、子どもがいようといまいと全員強制出家させられ、死ぬまで飼い殺しになる。


 御手付は、アネゴら『お清の者』とちがい、病気になっても宿下がりはゆるされず、御用屋敷内の療養所で一生をおえる決まり。


 でも、オネーサンたち尼ちゃんとアネゴら永年勤続者には、現役時代と同額の手当が生涯支給されるので、この年金負担が幕府財政上かなりイタイのだ。



 ということで、今回の作戦では、現役だけでなく過去の奥女中たちもリストラ対象にくわえたわけで、暴れん坊・吉宗のオリジナルを、嘉永版ではさらに進化させていただきました。



「よって、こたび公方さまの特赦により、本丸大奥のみならず二の丸・桜田屋敷の者にも宿下がりが許される」


「比丘尼たちに宿下がりを!?」


(ふっふっふ、おどろくのはまだ早いよ~)


「なお、その折には御手付の者もお清の者も、以後、婚姻は勝手とする」


「こ、婚姻、勝手!?」


 江戸幕府開闢以降、多くの老中を輩出してきた譜代の名門・阿部宗家当主正弘公。


 加判の列(老中)レギュラーの阿部ちゃんも、いままでの常識をくつがえす、この大胆な方針転換に絶句する。


(おほ、勝った!?)


 毎度毎度、俺の神経を逆なでしやがるクソ慇懃無礼な塩大福が、完全にハニワ化してる!!


 ははは、やった~~~。


「さよう。わが父・慎徳院さまがみまかられてより一年以上。もはや、ご落胤騒動もなかろう」


 家定もハイテンションで補足説明。


 大奥解体が現実化し、よっぽどうれしいらしい。



 さて、将軍没後、御手付を軟禁状態にするにはワケがある。


 これは、徳川血統の正当性をまもるための措置なのだ。

 DNA鑑定がない時代、こうでもしないと、うまれた子どもが将軍の胤だと証明するのはむずかしいからだ。


 なぜなら、死去後すぐ奥さんたちを放流すると、将来、将軍実子を名乗るアヤシイやつがポコポコ出現しかねない。


 そうなったら、天一坊事件のようなご落胤騒動がおきるおそれもありうる。


 社会の安定のためには、しかたないっちゃーないんだが、未亡人の幸福とかはガン無視の制度だ。

 でも今回は、ヨッシー病没から十三ヶ月も経ち、その心配はすでになくなった。



「いままで不自由な暮らしを強いてきた者たちを、そろそろ解き放ってやろうではないか?」


 ご落胤のおそれなどまったくない家定は、スマイル全開。


「御……意」


 各方面でお盛んだった先代ヨッシーの側室には、二十代のオネーサンも少なくない。

 なので、このまま一生尼ちゃんじゃ、合計特殊出生率(女性の出産可能年齢の間、一人が一生に産む子供の平均数)的にもったいない。


 江戸は男女比が極端にかたよった地域で、その要因は都市人口の半分をしめる武士の存在だったりする。


 江戸は、参勤交代の単身赴任ヤローどもと、直参男子であふれかえるサムライ街。

 そこへもってきて、数年に一度おこる大火で、建設作業員のニーチャンどもがつねにスタンバイしているという状態で、ようするに、江戸は必然的にオスが集まる構図になっているのだ。


 そんな女っ気のない生活でムラムラがたまると、オス的にいろいろアブナイので、幕府は公娼タウン・遊廓をわざわざつくったほどだ。


 だから、貴重なオネーサンたちをムダにしてはいけないんです。


 ということで、この大奥解体により、現役と卒業生に結婚のチャンスをあたえ、個人の尊厳・幸福追求権をまもりつつ、人口政策にも寄与するという、とんでもスバラシイ国家戦略を考えたわけ。


(ホント、われながら感動するわ~)


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