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183 証人

長らくお待たせしてしまって、本当に申しわけありませんでした。


やはり、家族全員在宅勤務というのは、かなりキますね。


ホントやりにくい…… (ノД`)・゜・。


 まったく足さばきを感じさせない滑るような高速移動で接近してきたネーチャンは、背後に真っ黒なオーラを漂わせつつ、 


()()()()()()()()


 上空から執拗に念押しされ、再度硬直する俺。



(たしかに、ヤることヤってれば、デキてもふしぎじゃないけど……)


『すでに愛妾(御手付き)がいるなら、(あんた)は時々(薩摩屋敷(こっち)に)通ってくれるだけでいい』なんて、耳ざわりのいい言葉で縁談をゴリ押ししてきた薩摩は、いざ祝言を挙げてみれば、ムリヤリ会津藩上屋敷(本宅)に押しかけてきたあげく、ほぼ毎晩、ガチムチ()女中が()御殿にまで出張ってきて、同衾を強制してくるので、ほかのオネーサンと仲よくなるチャンスなど皆無。


 だから、成婚から半年も経たずにオメデタというのも、ありうるっちゃありうるわけだが、そのうち一ヶ月半は京都出張だったことを考えると……なんという的中率の高さ!


『オスとしてだいじょうぶなの?』と心配になるくらい淡泊な容さん(ハード)に、こんなすんばらしいポテンシャルが隠されていようとは。

 見直したよ、容さん!!!

 


「懐妊――「祝着至極っ!」


 無反応な夫に業を煮やした妻からの、三度目の妊娠報告を全力でさえぎる。

 

 と……、


「祝着、ですと?」


 瞳孔の開ききったアバタ面が、超至近に突きだされる。


「そ、そうではないか。正室のそなたが懐妊したのじゃ。両家にとって、これほどめでたいことは ――「イネが、申すのです」


「イ、イネ?」


 突然の話題転換と、ただならぬ殺気に思考も停止する。


「イネが申すのです。子が宿った当初は、ささいなことで流れる恐れがあるゆえ、しばらく伝習所への通所はひかえたほうがよいと」

 

「ああ、なるほど」


 イネは、元オランダ商館付き医官フィリップ・F・B・フォン・シーボルトの娘。

 父のシーボルトが、いわゆる『シーボルト事件』で離日したあと、イネは父の門弟・二宮敬作に養育されて彼の薫陶を受け、さらに別の門弟・石井宗謙からも産科医としての技術・知識を学んだという。

 

 ようするに、イネはこの時代的にはじゅうぶんな医学知識をすでに持っていて、御一といっしょに桜田学問所に通っていたのは、ナリさんに姫のサポートを頼まれたためと、さらなる知識を求めてのこと。


 そのイネがそう言うのなら、おとなしくしたがうべきだろう。


 それに、あっちの世界でも、デキ婚した従姉が、親戚のオバチャンたちに、

「妊娠初期は流産しやすいんだから、家事なんて全部ダンナにやらせりゃいいのよ! あんたは、上げ膳据え膳で安静にしてなさい!」と、吹きこまれてたし。



 てなことを、ボーッと考えていると、


「なれど!」


「ヒィッ!」


 盛大なシャウトに、チビリそうになるボク。


「わらわは、イヤでございます! ようやく異国の医官からじきじきに医学を学べるようになったのです! いま通所をやめてしまえば、二度とかような機会がめぐってくることはありますまい!」

 

 今期、医学伝習所で教鞭をとっているのは、オランダ商館付き医官のファン・デン・ブルーク。

 彼は、医学だけではなく、化学分野にも造詣が深く、最近は日蘭/蘭日辞典を作りはじめているらしい。


「だがな、御一、妊娠初期はムリをすると流産しやすいというはまことじゃ。こたびはイネの進言どおり、通所を控えたほうがよいのではないか? 伝習所は今期のみで閉所するわけではない。出産を終えた後、再度入所いたせ」

 

 いくら元いた屋敷よりこっちのほうが近いとはいえ、和田倉から築地の医学伝習所までは二里弱。

 妊婦が毎日駕籠に揺られて往復するのは、たしかにリスキーだ。


 そう考えたのは俺だけではなかったようで、教場内の家臣たちも俺の言葉にウンウンうなずいている。


 ところが、当の妊婦はシニカルな笑みを浮かべ、


「父も兄も、みなそう言うのです。『こたびのみ』『いまだけの辛抱』と。しかし、その約束が守られたことは、一度たりともございませんでした」


「なんだと?」


「殿もお聞きおよびでしょうが、わらわの縁組はお相手の不祝儀により、何度も破談となりました」


 つねに鉄壁だった能面が、わずかにゆがんだ。


「たび重なる破談に、心ないウワサまで流され、わらわは父に『もう縁組はイヤだ』と訴えました。

 なれど、父は『これが最後じゃ。万が一、破談になったら、二度と縁談は持ちこまぬ』と言いながら、その約束は反故にされつづけ……ゆえに、殿とて……」


(そういうことか)


 御一は、新郎(二名)・婚約者(五名)の相次ぐ急死により、不吉な女・『妖奇妃』とおもしろおかしく言いはやされ、内心ひどく傷ついていたらしい。


 それをナリさんがなだめすかし、五番目の婚約を強引に調えた際、御一を懐柔するために、輿入れするまでの期間限定で、桜田学問所で学ぶことを許可したのだ。

 だが、ヤツは娘を医師にさせるつもりなどなく、通所は単なるガス抜きだった。


 御一は、女医を容認する男ならと俺との結婚を決めたわけだが、これまで肉親に何度も裏切られてきたせいで、俺のことも完全には信じ切れないのだろう。



【 妊娠出産にともなうキャリアの中断と、復帰への不安 】 


 それは、育児休業制度が導入された二十一世紀の社会でさえ課題となっていること。


 俺としては、目標にむかって努力している妻を応援したい気持ちはあるけれど、かといって、流産する可能性がある以上、できれば通所は控えてもらいたい。


 しかし、過去の経験から、周囲の言葉をかたくなに拒んでいる御一を納得させるのは容易ではない。

 いったい、どうすれば……。



(そうだ!)


 

「のう、御一。そなたは、病に苦しむ女子どもが安心して受診できる医師になりたいのであろう?」


 おだやかな口調で、そう問いかければ、


「さようでございまするが……」


 しぶしぶ認める医学生。


「ならば、多くの女子が命を落とす因となる出産を、みずから体験いたせば、いっそう患者に寄り添った医療を施せるに相違ない。こたびの懐妊は、当家としてはむろんのこと、そなたにとっても僥倖と言える」


 この時代、十人に一人以上の女性が出産時および産褥期に死亡しており、生まれた子どもも乳幼児期に亡くなることが多かった。


 御一が、女性のための医者をめざすなら、当然、産婆では手にあまる異常分娩などにかかわることも増えるはず。

 そんなとき、自分自身も出産を経験していれば、わずかな異変にも気づきやすいだろう。


 そして、ここからが本題。


「ときに、お産は一年中、昼夜を問わず起きる。いくら優秀なそなたでも、ずっと不眠不休で治療にあたるのは不可能。高い志をもつは見事だが、現実にはそなたひとりですべての産婦・病人を診ることはできぬ」


「……はい」


「であれば、そなたがいますべきは、後進を育て、その者らと力を合わせ、病める女子どもを救う(いしずえ)を作ることではないのか?」 

 

 噛んで含めるように言い聞かせると、


「後進!?」


「うむ。そこで提案なのじゃが、今期は伝習所を休学し、そなたにはこれまで蓄積した知識 ―― 医学のみならず、オランダ語、究理(物理)・舎密(セイミ)(化学)などを、当家の子女たちに教えてはくれまいか? わたしは、会津の娘らにも、そなたのような学びの機会を与えてやりたいのじゃ」


 在府藩士の多くは単身赴任だが、江戸詰の中には家族を帯同している家臣もいる。


「わらわが、御家の子女らの教授に?」 


「さよう。それとて、出産後、通所ができるまでの間でよい。その後は後継の蘭学者を探し、講義をつづけさせるゆえ、そなたはふたたび伝習所にて医学を究めよ」


 まぁ、そうなったら、イネに引き継ぎを頼んでみるか。


「まことに再度の通所を許可していただけるのですか?」


「うむ。口約束では心もとないと申すのであれば、誓文を書いてやろう。この儀、ここにおる全員が証人じゃ」

 

「証人――「「「しかと、この耳で!」」」


 奥方さまの苛烈な視線(ビーム)を浴びた一同は、一瞬にして赤ベコ化し、コクコク首を振る。


「なれど……」


 ここまで譲歩してやったのに、なおもウダウダ言う妻に、温和なボクもさすがにイライラ。


「それに、江戸はあと半月もせぬうちに大地震に見舞われる。そうなったら、通所どころではあるまい!」


「地震!?」


 ヤケクソ気味にたたきつけられた超予言に、目を点にするネーチャン。


「昨年は、伊賀上野、東海、南海、豊予海など、各地で大地震が頻発したであろう? 

 目下、わが邦は地殻の活動期に入っておるゆえ、近々この江戸にても直下型地震が発生するはずじゃ」


「なぜそう言い切れるのですか?」 


「理の当然のことよ。この日ノ本は四つの地殻の境界線上にあり、地質学的には、この四プレートがぶつかり合うて、国土は特有の弧状を形成しておる。 

 そして、大陸プレートの下に海洋プレートが沈みこむ断層運動こそが地震発生のメカニズム。よって、わが国は世界有数の地震多発地帯なのじゃ。昨年の連動状況をみれば、つぎは江戸だと予想するは容易なこと」


 これは、去年、対英仏交渉時に、寝返りかけたオリバーを引き留めるためフカしたプレートテクトニクス論もどきの二番煎じ。

 理系の御一なら、好奇心を刺激されるにちがいない。


「殿、そのお話、もそっと詳しゅうっ!」


 ほ~ら、食いついた。


「では、のちほど、奥にてあらためて」


「はい!」


 俺のぶらかし(丸め込み)戦術にみごと引っかかった妻は、来たときとは真逆のリズミカルなスキップで、大野の役宅を後にした。



(……しめしめ……)

 


 休学を納得させるためにブチ上げた私塾主宰プラン。


 だが、じつは、これには裏がある。


 それは ――  来るべき会津侵攻に備え、女だけの銃隊設立の第一段階なのだ!


 幕府瓦解後、旧幕府側のシンボルとしてスケープゴートにされた会津藩。

 その悲惨な郷土防衛戦の中でも、白虎隊とならんで、娘子(じょうし)隊(婦女隊、娘子軍とも)のエピソードも、会津の悲劇を象徴するものだ。


 ざっくり説明すると、慶応四年八月、誤報を信じ、鶴ヶ城外に出てしまった武家の妻女ら二十数名の娘子隊は、侵攻してきた新政府軍と越後街道(会津街道)で戦闘状態に入ったが、リーダー格の中野竹子が銃撃を受けて戦死。竹子を失ったことで、実質解隊したあと、生き残ったメンバーは、なんとか入城に成功して籠城戦を支えたという。


 この娘子隊結成の際、幕末のジャンヌダルクこと山本八重も参加を打診されたが、使用武器で意見が合わず、入隊しなかった。


 そうなのだ!

 

 娘子隊は薙刀で戦った。

 薙刀術は、江戸時代、武家の娘たちの基礎教養として普及し、一方、鉄砲は軽輩の得物というイメージが強く、女の身で砲術(鉄砲・大砲など火器をあつかう武術)を習う山本八重は変人あつかいされていた。

 八重は鉄砲で戦うことを選び、竹子たちとは別行動を取ったのだ。


 しかし、言うまでもなく、薙刀は敵と至近距離で対峙する。


 だが、鉄砲なら、離れた場所から攻撃できる。

 男にくらべ腕力体力の劣る女性は、後方からの援護に徹するべきなのだ。


 火器をあつかうには、理系の知識が必須となる。

 なぜなら銃砲は、火薬量・配合の割合・射角などで、飛距離・破壊力が変わってくる。

 化学・物理の知識がないとダメなのだ。


 御一には女医育成と思いこませたが、真の狙いは理系女子を量産すること。

 うまくすれば、十数年後には山本八重レベルのスナイパー小隊ができるかもしれない。

 保守的な会津の保護者連中も、講師が奥方さまなら、反抗しづらいだろう。

 ちなみに、娘子隊の中野竹子も、江戸常詰藩士の娘で、この和田倉藩邸で生まれている。

 

(となると、会津でも、女子専門の砲術教室を開くよう、命令を出さなくちゃ)



 俺は、妻の姿が消えた開口部の闇を眺めながら、国許での反発の大きさと、それを慰撫する労力を想像し、そっとため息をついた。





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[一言] > プレートテクトニクス論もどきの二番煎じ。 具の少ない味噌汁に起きる、ベナール対流/マランゴニ対流と 湯葉鍋か、味噌汁に麩でも使って『古事記』あたり引用しつつ そして、天地創造でのジュ…
[良い点] 更新をお待ちしておりました。 これで嫡男誕生となれば会薩同盟は強固になり、譜代大名からの不信感が高まりそう。 [気になる点] 嫁さんをぶらかしたのは良いけど、プレートテクニクスなんて唱えた…
[良い点] わーい(^ ^)おかえりなさい岩槻先生♪ 平常運転な主人公ヤケクソからのどうしてこうなった?な展開サイコーです! [気になる点] 半月後に地震が来る!噂社会で歪んでいるこの国なら「会津公が…
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