181 宝暦治水事件
9/4 ちょっと加筆しました。
宝暦治水事件とは、十八世紀半ば、薩摩藩が幕府から命じられた河川改修工事の過程で多くの藩士が自殺、または病死した事件のこと。
(えーっと、あれは木曽川・長良川・揖斐川の分流工事で……)
必死に記憶を掘り起こしていると、
「当家は、わが領国とはまったくかかわりのない濃尾の川普請を命ぜられ、家老の平田靱負以下五十二名が自害、三十三名が病で落命する結果になった。もっとも、ご公儀をはばかって、表向きは全員病死ということになっておるがな」
俺の心を読んだかのように、硬質な声が詳細を補足する。
「ご公儀を……はばかり……」
そういえば、藩士らの自害は、幕府が金がかかる難工事を命じただけではなく、工夫としてやとった地元の百姓たちに相場より割高な賃金を払うよう強要したり、現場周辺で蓑やワラジ等の必需品を定価より高く売りつけるよう指示を出したりといった数々のイヤガラセに対する抗議行動だったとか。
だが、当時は今よりはるかに幕府権力は強かった。
外様ナンバーツーの薩摩といえども、正面切って幕府にたてつくことはできず、逆にイチャモンをつけられないよう病死あつかいにしたのだろう。
「当家が負担させられた経費は四十万両以上。あれから現在にいたるまで、借入金返済にどれほど苦労しておるか!」
「四十万両!?」
戦時でもないのに百名近い死者と巨額の工事費負担!?
そりゃ、幕府を恨むはずだわ。
「おそらくかような展開になると思うたゆえ、すなおに同道なさいと申しあげましたのに……ヘタに逆らわれるから……」
背後の拘束具が、耳元でブツクサ。
どうやら大野はこうなると踏んで、俺を制止していたらしい。
――あいかわらずサトリ妖怪さんは慧眼でいらっしゃる。
ぼやいているうちに怒りが再燃したのか、ナリさんら薩摩側からはすさまじい殺気がただよってくる。
しかし……いくら徳川連枝だとはいえ、宗家の代わりに薩摩の怨嗟を受け止める義理はない。
それに、会津だって薩摩同様、幕命で長年海防をやらされたせいで借金まみれなのだが、悪感情に支配されている連中にはなにを言ってもムダだろう。
だいたい、そういうハメにおちいらないようにするために江戸留守居役がいるんじゃないか!
四十万両もかかる大工事なんて、ふつうは複数藩で請け負うもの。
だからそういう情報は、いくら幕府が隠したって事前に水面下で流れるはずだし、当時薩摩藩には綱吉・吉宗の養女だった竹姫が嫁いでいて、まだ存命だった。
そんなに太いパイプが幕府とのあいだにあったにもかかわらずそれを活かしきれず、難工事を下命されてしまったのは自分たちの怠慢のせいだ。
無関係な会津にやつあたりするんじゃねーよ!
(でもなぁ……)
道中はまだはじまったばかりだし、なんといっても島津斉彬は俺の義父。
ここで舌戦になって、関係が悪化するのはあまりよろしくない。
かといって、なんの瑕疵もない俺が、幕府代表として頭を下げるのも癪にさわる。
(だったら……)
「ようするに、島津は徳川よりうまく天下を統べることができる、とおおせなのですね?」
「なっ、なんだと!?」
想定外の返しに絶句する義父。
「だって、そうではありませぬか。たしかに濃尾は薩摩の知行ではないとはいえ、これより向かう桑名は三川の河口部。薩摩も参勤で利用する東海道の――三川の氾濫で大きな影響を受ける社会インフラの整備がまちがいであったとおっしゃるのですから」
「いや、わしが言いたいのは、さようなことではなく……」
「またまた~! 当代一の英主と名高い義父上が、もはや変えようのない過去の遺恨をグチグチとあげつらうわけがございませぬ~。おそらく川普請の一件を例に挙げ、国家運営の大計をお聞かせくださるおつもりでは?」
怒りの矛先をかわすには、論点を大きくずらせばいい。
薩摩は積もり積もった恨みのはけ口を、将軍の血を引く容さんにぶつけて憂さばらしをしたいだけなんだから。
「…………」
論点をずらしすぎて話を明後日の方向にぶっ飛ばしたせいか、オッサンは完全に沈黙。
(くっくっく、固まってる固まってる)
では、さらに得意の口先三寸でもうひと押し。
「東海道は物流の大動脈にございますれば、宝暦の治水は国策として必要不可欠な普請。たしかに、それを薩摩一藩が請け負うたは不憫と存じまするが、今後は国土整備の費用負担をどう工面し振り分けていくのか、指揮命令系統を一元化しにくい御手伝普請という制度の是非、大規模災害後の復興事業、あるいは危険区域への防災工事を藩単位ではなく、オールジャパン的観点から取捨選択すべきではないかなどなど、取り組まねばならぬ課題は山積しております。義父上はさような懸案に対する一家言をお持ちなのでしょう?」
「社会いんふら?」
「大動脈とは?」
「お、おーる……ぱん???」
薩摩芋どもがコソコソささやきあっているが、いちいち説明してやるのもめんどうなので聞こえないフリをする。
ちなみに、木曽三川治水工事は明治になってからも行われ、いちおう完成をみる。
そのときは、お雇い外国人、オランダ人土木技師ヨハネス・デ・レーケらの指揮のもと当時の最先端技術を駆使して、十年以上の歳月と巨額の資金を投入し施工された結果、流域の水害は激減する。
薩摩藩は、本来は尾張藩や桑名藩がやるべき大規模工事を無関係な自分たちがムリヤリやらされたと思いこんでいるだろうが、廃藩置県後にもこうした工事が行われているところを見ると、この地域の治水対策は国として必要だったのだろう。
なにしろ、江戸と上方をむすぶ大幹線である東海道の桑名・宮間は海路(七里の渡し)で、渡海による長距離移動のため、悪天候の際にはしばしば事故が起き、難所のひとつに数えられている。
ほかには、東海道の脇往還・佐屋路の佐屋宿~桑名を結ぶ三里の渡しというルートもある。
ただし、こっちは七里の渡しにくらべるとかなり遠回りになるのだが、海ではなく川越えなので乗船時間も短く、難破のリスクが少ないため、佐屋路を選ぶ旅人も多い。
余談だが、三里の渡しで使われる佐屋川・鰻江川は、あっちの世界では明治の木曽三川分流工事で廃川となったので、あと六十年ほどでなくなってしまうかもしれない。
明治期、東京~大阪間をつなぐ鉄道敷設の際、工費節減の都合上東海道本線は脇街道である美濃路ルートで造られたため、宮(熱田)から岐阜方面に逸れてしまうが、鉄道ができるまで桑名~宮はけっこう重要区間だったのだ。
と、そのとき、
「おそれながら」
突如、ナリさんの後ろから声があがった。
「む?」
音源のほうを見やると、同年くらいのニーチャンから強烈な眼光を浴びせかけられた。
「……そなたは?」
「はっ、奥小姓、肝付兼戈ち申します」
すばやく片膝をついたニーチャンは、ぶっとい眉毛の下の目をギラリと光らせた。
「なんじゃ? 申したきことあらば、遠慮のう申すがよい」
「では、おうかがいいたします。肥後守さまは、わが殿が将軍になってもよかとお考えと?」
…………しまった。
さっき俺が言った『島津は徳川よりうまく統治できるんだね?』は、取りようによっては、『徳川よりうまく統治できるなら、俺は島津が将軍になるのを認めるよ』と解釈できなくもない。
やべ~、そうくるとは~!
一気に形勢逆転や~~~!
「う~、それは~…………」
薩摩側から照射される猛烈な圧に、滝汗ドバドバ口内カラカラ。
「殿っ、これ以上よけいなことをおおせられますな!」
歯ぎしりとともに繰り出される諌止の言葉。
とはいうものの、ここはなにかそれらしいことを言って取りつくろわないと終息しない雰囲気。
「さ、さよう、徳川による統治も二百五十年を越え、そろそろ諸制度の見直しが必要な時期になってきたのも事実。義父上にはそのあたりの知見もあわせてご教授いただきたい」
切り口上気味にそうたたきつけると、
「ならば、わが殿がすぐれた案を提示され、なおかつ、そいを実行する手腕があるち認められれば、天下人になれっと?」
ニーチャンに執拗に切りこまれ、目が点になる。
(はぁ? なんでそうなるんだよ!?)
一連のやりとりがいい加減かったるくなってきた俺はついヤケクソになって、
「それには、島津が徳川よりうまく統治ができると確信が持て、さらに、けっして内乱を起こさず、すみやかに政権移譲がなされるというが絶対条件じゃ! なぜならば内乱となれば、わが国を蚕食しようと虎視眈々と狙っている異人どもにつけいるスキをあたえてしまい、また政権交代の混乱に乗じて異人どもが――グェッ!」
「……殿、ちょっと黙りましょうか?」
諍臣の警告が耳朶を直撃。
背後から回された両腕に締めあげられ、肋骨がミシミシ鳴る。
「わが殿は疲労のあまり意識が混濁しているようにございますれば、ただいまの言はなにとぞお忘れくださいますよう」
「あ、相わかった」
さすがのニーチャンも、大野の殺人ビームに封殺されフリーズ。
「殿、お気をたしかに。本日は次の桑名で宿入りいたしますゆえ、もうひと息にございまするぞ」
冷気まみれのいたわりの言葉に、俺は涙目でコクコクとうなずくのみ。
で、でもさ、今はまだ徳川の求心力がそこそこ健在だから、内乱を起こさずに政権移譲するなんてどだいムリな話だろ?
将軍直属部隊『旗本八万騎』や大名の約半数を占める譜代大名連中はいうまでもなく、同じ外様の前田・伊達らが唯々諾々と島津の下風に甘んじるはずがない。
毛利だって、現時点では薩摩に与する可能性はゼロだ。
となれば、内乱必至!
島津幕府構想も机上の空論。
盗れるものなら、盗ってみろ、てなもんだ!
かくして俺たち一行は四日市を発ち、三里八町先にある桑名に向かった。
桑名に着くやいなや、薩摩藩士たちが眠る海蔵寺に連行され、非業の死を遂げた御霊に手を合わせた。
ムダな抵抗はしないという大人の判断である。
それからはナリさんも過度な休憩はひかえてくれて、九日後、俺たちは無事江戸に着いた。
そして――――長旅を終え、疲労困憊の俺たちを待っていたのは、大政参与罷免という予想外の通告だった。




