178 皇女和宮
更新が遅くなってしまい、本当にすいませんでした。
「いやじゃー! いやじゃー!」
部屋の片隅から湧きあがるいとけない悲鳴。
「放してたもー!!」
悲痛な叫びとともに、几帳が大きく揺らぎ、中からちいさな塊が転がり出てきた。
突如出現した物体――萌黄色の狩衣風上衣に紫の袴をはいた四、五歳くらいの男の子は、近衛の姿をみとめると、
「近衛のじい! 助けてたもれー! いじわるな女子が、麿をいじめるのじゃー!」
髪を下げ美豆良に結った子どもは、涙やら鼻水やらでビチョビチョの顔を近衛の指貫に押しつけて、ヒシとしがみつく。
(あららら、お高そうな袴に鼻水がベッチャリ……)
「宮さま!?」
内心ドン引く俺とはうらはらに、近衛は子どもの異様なまでのおびえようにアタフタ。
と、そこへ、
「これ! 資宮! 『いじわるな女子』とはなんじゃ!? 叔母君と申せ! 叔母君と!」
近衛たちのやりとりを見守っていた俺らの前に、鮮やかな色彩をまとった新たな塊がはい出てきた。
「和宮さまっ!」
アネゴが、十歳くらいと思われる下げ髪の女の子に、あせったように呼びかける。
「「「和宮……さま?」」」
「ぶっ、無礼もの! 見るでない!」
和宮と呼ばれた少女は、真っ赤になった顔を汗衫の広い袖で隠しながら、こちらをするどい目でにらみつける。
(そういえば……)
平安時代の貴族は、男は無帽の頭を、女は顔を見られることを、まるでパンツ一丁姿をさらすレベルで恥じたとか。
(だとしたら、いくら時代がちがうとはいえ、これはあまりよろしくない状況では?)と思ったら、
「宮さま! はしたのうございまする! 疾く几帳の内に戻られませ!」
案の定、アネゴによって、絹のカーテンの奥に押しこまれる。
「わっ、わらわは悪うない! おとなしく抱っこされぬ資宮が悪いのじゃ! せっかく仲良うしてやろうと思うたのに!」
「うぎゃ~!」
少年は、几帳の奥からとどろく怒声におびえて、さらに号泣。
「あの者は、麿のほほや髪を引っぱるから、キライじゃー!」
たしかに、その美豆良の片方はほつれかけて、ボサボサになっている。
「ちがう! 逃げようとするゆえ、たまたま髪をつかんでしもうたのじゃ! ほほは……どれくらいビヨ~ンと伸びるか試しただけではないか!」
「「「…………」」」
必死に言いわけをする少女に、全員目が点。
ややあって、
「近衛さま……」
なんとか立ち直ったナリさんが、事態打開のため声をかけるが、
「いやはや……なんとも、お見苦しいところを」
答える近衛もかなり困惑気味。
おそらく近衛が席を外しているときに一連の騒動が起こり、近衛自身も状況を把握していないのだろう。
このドタバタの背景が気になるっちゃー気になるけど…………いまはそれどころじゃない!
あることに気づいた俺は、近衛をガン見しつつ、
「右大臣さま。もしや、こちらの御子は?」
「さよう。御上の一の宮であらせられる資宮さまにございます」
やっぱり!
この顔面大洪水少年こそ、目下皇位継承権第一位の資宮理仁殿下!
会津の将来を左右する切り札にして、徳川版錦の御旗っ!
(そういうことなら、さっそくアピールしなきゃ!)と判断した俺は、その場に素早く座りこみ、
「お初におめもじつかまつります。わたくしは、奥州会津の領主、源容保にございます。以後お見知りおきくだされ」
いまだ近衛の袴に付着している子どもに向かって深々と一礼。
ちなみに、容さんの苗字は、公的には『源』ということになっていて、公文書などにはこちらの姓が使われる。これは徳川将軍家も同じだ。
「会津?」
皇子はベチャベチャの顔をこちらに向けて、コテンと首をかしげる。
「では、あの赤牛のせんべいをくれた者か?」
「はっ、赤牛せんべいを献上いたしました会津中将にございまするっ!」
赤牛せんべいこと、『べこコボサブレ』――会津銘菓として開発をすすめていたものの、奥羽越列藩合同物産展に間に合わなかったあの『べこコボサブレ』が、ここへきてやっと商品化できたのだ。
とはいえ、この開発にはすごく苦労した。
なにしろ、物産展では仙台藩や秋田藩がひと足早く洋風焼き菓子を売り出したので、相当な差別化をしなければ、先行商品を模倣したと批判されるのは必至。
追いつめられた俺たちは、家定にダメもとで泣きついて、御用牧場のバターを大量に融通してもらい、これを生地に練りこむことで独特の風味とサクサク感を出すことに成功し、ようやく秋田藩の『そうもうクッキー』、仙台藩の『びすけっと』を凌駕する菓子が誕生したのだ。
というのも、去年締結した日蘭和親条約で、オランダからは軍事はじめ炭鉱開発・農業等、多岐にわたる技術支援を受ける取り決めをした。
それにより、オランダ人の指導のもと、御用牧場で良質のバターやチーズが量産できるようになり、その条約交渉の功を盾に、サダっちにバターの下賜をねだったのだ。
御用牧場は安房嶺ヶ岡にあり、馬や白牛の改良飼育をおこなう幕府管理の牧場。
ここは、戦国時代に里見氏の軍馬飼育用放牧地だった所を、徳川が受け継ぎ、吉宗の時代に国産馬と外国種の交配や、インド産白牛の飼育・酪農をはじめ、現在に至っている。
その御用牧場で搾乳した牛乳からは『白牛酪』という乳製品が作られ、滋養強壮薬として珍重されているが、西洋人の口に合うバターやチーズなどはいままで作られていなかった。
そこで、オランダからさらに乳牛を輸入して頭数を増やし、また乳製品を作る作業小屋も新たに建て、農業技術者を招き、本格的に西洋風の牧場経営をはじめたのだ――技術提供の見返りに、生乳・バター・チーズはオランダ領事館に優先的にまわすという条件で。
なにしろ、オランダ人はあのせまっこい出島で乳牛やブタを飼い、西洋野菜を栽培するくらい、ずっと食材にこだわりつづけてきたやつらだ。
それが、長崎から遠く離れた江戸でも、乳製品がふんだんに手に入ると聞き、この依頼をふたつ返事で引き受けてくれたのだ。
そんなこんなで、大量に作られるようになったバターのおかげで、未来人も納得の欧風サブレが完成し、そして今回、その自信作を朝廷工作用献上品として持ってきたわけだ。
「かの焼き菓子は、当家が試行錯誤のすえに作りあげたる自慢の一品。お気にめしていただければ、幸いに存じます」
「うむ、あのせんべいはうまかった! また食したい!」
むふふ、やっぱガキんちょには菓子のワイロが効果絶大!
「さようにございますか。なれば、今後は折々に届けさせましょう」
「楽しみにしているぞ!」
すっかりご機嫌が治った宮さまは、いまだ涙の残るご尊顔で、花がほころぶように笑った。
でも、せんべいって……あのバターたっぷりサクサクサブレと、カッチカチの瓦せんべいをいっしょにするな!
「これ! わらわを無視するな! そなたらを呼んだは、この和宮ぞ!」
うっかり存在を忘れきっていた御方から、猛烈な抗議が上がる。
「……これはしたり」
そう言やぁ、こいつに呼びつけられて、ここに来たんだっけ。
「して、いかなる御用にございましょうか?」
問いかける声が、思わず二オクターブほど低くなる。
きっかけはよくわからないけど、会津の命運をにぎるかわゆい坊やを泣かせた時点で、和宮は有罪確定。
俺はなにがあっても、未来の婿の味方だ!
「そ、そなたが姉小路の知り合いと聞いたゆえ……話す機会を作ってやったのじゃっ!」
俺の冷ややかな態度にビビったのか、少女の声がわずかにふるえる。
「さようにございます」
几帳の前で和宮(が出てくるの)をガードしていたアネゴが、大きく首肯する。
「ときに姉小路、なぜそなたが和宮さまとともにおるのだ?」
ったく、ヤバいヤツ、連れてきやがって!
ホント、なにしてくれるんだよ、アネゴー!
「じつは、和宮さまの母君・観行院さまはわたしの姪にあたるのです。宮さまは、勅命によりわが実家にてご養育申しあげておりますゆえ、自然と近侍するようになりまして。
こたびは、町衆のウワサをきっかけに肥後さまのお話をいたしましたところ、和宮さまも『会ってみたい』とおおせになられまして、こちらにお連れしたしだいにございまするぅ」
内心激怒な俺にむかって、悪びれることなく、のほほんと説明するオババ。
「そうじゃ。『明日、近衛の屋敷から、江戸一番の美丈夫が参内する』とみながウワサをしておったし、姉小路もそなたのことを『あれほどキラキラしき男は都にもおられませぬ。光の君を彷彿させる美貌』などと褒めそやすゆえ、一度会うてやろうと思うてな」と、几帳の中からもエラそーなコメントが。
どうやら和宮は、たんなるミーハー根性で押しかけてきやがったらしい。
クッソ迷惑な!
てか、光の君?
それって、光源氏のことだろ?
褒めそやす?
ディスるのまちがいだろ?
とにかく俺は、あんな下半身ユルユルの糸目下ぶくれ男なんかじゃない!
「それにしても、そなたらはよう似ておるな。兄弟か?」
「そなたら? 兄弟?」
俺をとことん不愉快にさせる女宮は、どうやらアニキと俺が兄弟だと勘違いしているようだ。
まぁ、それについては、俺も最初ふたごかと思ったくらいそっくりだから、ムリもない。
「いえ、筑前守は従兄にございまする」
「従兄弟? まことか!?」
しつけーな。ちがうって、言ってんだろ!
「恐れながら申しあげます。肥後守の母君は、わが父・加賀守の同母妹。正真正銘、従兄弟の間柄にございます」
アニキは、いつものように金粉オーラをばら撒きながら、おっとりと加勢。
「ふーむ、実の兄弟ではないのか」
なぜか考えこむ宮さま。
「ときに、そなた、妻子は?」
質問の矛先があきらかにアニキにシフトした。
「わたくし、でございますか?」
唐突に振られ、とまどう貴公子。
「むろんそなたじゃ!」
「はい……妻も子もおりまするが、それがなにか?」
アニキの正室は久留米藩主有馬氏の姫だが、去年生まれた女児――今度、俺が養女にもらう子は、たしか側室腹だったはず。
つまり、妻(複数)+子で、齢二十六の大名家世子としては模範的ともいえる。
一方、意味不明な質問を投げかけた少女は、
「口惜しや……しかたない、こちらで手を打つか……」
生絹の布の向こうで、なにやらブツブツ。
「ならば、肥後、そなたはまだ独り者であろうな?」
「いえ、つい先日祝言を挙げましたが?」
さっきからなんなんだ?
質問の意図が、まったくわからない。
「さよう、肥後守の室は、わが一の姫にございまする」
連行されてきたものの、ずっと蚊帳の外に置かれていたナリさんが、ここぞとばかりにしゃしゃり出る。
「くぅ、そうであったかっ!」
「ひぃ~~~」
和宮の恨めしげなうめき声に、再度資宮の目に涙の膜が張る。
「筑前、そなた、肥後以外に従兄弟はおらぬか? ただし、未婚の者じゃぞ!」
「未婚の、従兄弟?」
もはや理解不能な生物と化した少女に、アニキもタジタジ。
「……と、おおせられましても……」
アニキの父方祖父――容さんの母方祖父でもある前田斉広――は、その生涯で四男八女をもうけ、アニキの母方祖父、つまりオットセイ将軍・徳川家斉は、二十六男二十七女をもうけた。
なので、いきなり未婚の従兄弟と聞かれても、対象人数が多すぎて即答できないのだろう。
「犬千代さま、たしか、西ノ丸さま(慶福)は和宮さまと同い年にございますれば、まだ御簾中さま(正室)はいらっしゃいません」
アニキが額に脂汗をうかべながらウンウンうなっているので、気の毒になって、ついついフォロー。
西ノ丸さまこと家定の養嗣子・慶福ちゃん(10)はアニキの父方従弟で、その養父の家定も同じく従兄。
ムダに子だくさんだったオットセイのせいで、このころの大名家は家斉の子孫だらけなのだ。
「ああ、そうでしたね!」
晴れやかな笑みをたたえるアニキの周囲には、いつもより五割増しの金粉が飛び交う。
「っ、尊いっ!」
なぜか、キラッキラの笑顔に向かって合掌する姉小路。
「そうか、西ノ丸か……よしっ!」
怪しげな気合とともに、はげしく波打つ垂れ布。
「…………」
あ、あれ?
も、もしや……なんかまずいフラグ、立てちゃった、とか?
次話は、「ナリさん 容さん 東海道中膝栗毛」です。
なるべく早くお届けしたいと思います。




