176 種痘
「疱瘡は命をおびやかす恐ろしき病。たとえ病が完癒しても、身体にはみにくきアバタが残り、その後の人生に大きな影を投げかけます。なれど、今日ではそれを予防する手だてがございます。よって、みなさまには種痘を受けていただきたいのです」
今回の種痘の目的は、帝の崩御とともに政情が激変するリスクを回避するため。
あっちの世界では、孝明天皇は京都守護職・松平容保に絶大の信頼を置いていた。
その会津が、千人もの大軍を擁していた帝の忠臣が、あっけなく失脚し、朝敵に落とされた契機は、佐幕派の帝の死だった。
孝明天皇の死因については毒殺説などもあるが、公式には天然痘による病死とされる。
また毒殺説にしても、天然痘に罹患して体が弱っているところに一服盛られたというもの。
どちらにしても、天然痘に罹ったことが崩御につながったのはまちがいなさそうだ。
会津的には、日本史上最悪の貧乏クジ――京都守護職就任はなんとしてでも固辞したいが、歴史の強制力でムリヤリ押しつけられる可能性もある。
俺としては、今回の縁組で会津が朝敵認定される事態を阻止するつもりだが、頼みの綱の資宮が病気で夭折してしまったら、ジエンド。
だったら、せめて天然痘くらいは予防しておきたい。
そうはいっても、このころの医学ではまだ予防法どころか治療法すら確立していない病気も多い。
もし第一皇子が天然痘以外の病で亡くなったら、バックに攘夷派の中山一族がつく第二皇子がつぎの天皇になる。
今のところ、この世界の帝と松平容保のあいだに濃密な信頼関係が構築されるとは思えないが、万が一、あっちと同じように会津が京都守護職になってしまったとき、反幕府勢力に担がれた幼帝より、交渉の余地がある成人のほうが対処しやすい。
つまり、孝明天皇には生きていてもらわないと困るのだ。
とはいえ、
「種痘いうんは、ほんまは牛痘いうんやろ?」
「畜生から取った物を体に植えるんか!?」
「そないなもん体に入れたら、牛になってまう!」
「絶対にイヤや!!!」
まぁ、そうなるわな。
いまだ犬張子の人形や赤絵が『疱瘡神除け』としてまかり通っているこの時代、牛痘を接種すると牛になると信じている人は多く、西洋医術に対する不信感・抵抗感もかなり強い。
いや、日本だけでなく、牛痘発見者ジェンナーの母国イギリスでさえ、当初は「牛痘で牛になる!」と言われて、普及させるのに相当苦労したとか。
ましてや、穢れを厭う公家たちに牛痘など……。
だが、ここはなんとしてでも説得しないと!
「牛に? ははは、まさかさような流言を本気にされているのですか?」
思いっきり明るく笑い飛ばし、
「かくいうわたくしは昨年、筑前守はおととしに牛痘を接種しましたが、牛になどなっておりませぬ」
「「「え? 筑前はんも?」」」
なぜかアニキのほうをガン見する公家ども。
「まことにございまする」
またもやムダに金粉を振りまきながら同意するアニキ。
「わたくしの兄弟姉妹、みな接種いたしましたが、今日までなんの障りもなく、息災に過ごしております」
「「「筑前はんのような美丈夫が受けても大事ないとは……」」」
おい、なんでアニキ限定で感心するんだよ!?
いろいろ腑に落ちない点はあるものの、公家側のムードはかなり軟化。
「施術については、大坂の蘭方医・緒方洪庵というこの道の権威が担当いたしますゆえ、ご安心ください」
帝への種痘は、上洛前、サダっちと話をしているときに思いつき、その場で緒方の幕府奥医師採用と、帝の御前に伺候できる官位をお願いしてきたのだ。
「なんで種痘で官位が?」と思ったあなた!
このころは、帝の前に出るには、無位無官じゃダメなんです!
それは人間にかぎった話ではなく、享保年間、暴れん坊吉宗さんがベトナムからゾウを輸入した際、当時の天皇・中御門さんから「朕も見たい!」とリクエストされたものの、天皇の上覧には官位が必要だったので、しかたなくゾウに『広南従四位白象』の官位があたえられ、ようやく上覧が実現したそうな。
みなさん、ゾウに官位っすよ?
ましてや、じかに触れる医者なら、なおのこと。
そんなこんなで、俺は大坂に立ち寄ったとき、緒方にこのことを説明し、京への出張依頼をしておいたのだ。
緒方は、種痘が例の迷信などでなかなか普及しないことに悩んでいたこともあり、この要請をあっさり受諾。
あとはこのままモールで、一気に押しこむだけ――――と思いきや、
「あかん! あかん! 種痘は針で種を植えるんやろ? 玉躰に対したてまつり憚り多いことや!」
「「「せ、せや、せや!」」」
鷹司の言葉に、われに返る公家たち。
「「「玉躰に傷をつけるなんて、とんでもないこっちゃ!」」」
イイ感じで誘導されかかっていた空気がガラリと変わる。
ちっ、往生際の悪い。
でも、この反論は想定内。
バッチリ理論武装してるもんね!
「その禁忌の法的根拠は?」
「「「は!?」」」
「玉躰に傷をつけてはならぬと、いかなる法度で定められているのですか?」
「「「……法度……」」」
苛烈な眼圧に口ごもる一同。
「千百年ほど前に制定された養老律令では、鍼医は宮内省典薬寮に置かれた医官でした。申すまでもございませぬが、鍼は体に刺して用いるもの。また、高倉・後宇多両院が鍼灸治療を受けたという記録もございます。ならば、いつ玉躰に傷をつける治療法が禁忌とされたのでしょう?」
「そ、それは……」
じつは、種痘接種を思いついたあと、「ちょっ、待て! たしかあっちの世界で、天皇が手術を受けるってなったとき、『玉体に傷がナンチャラカンチャラ!』って騒がれてなかったっけ?」とひっかかり、そのへんの事情を調べておくよう大野に命じておいたのだ。
これにはさすがの大野も手に余り、窮余の一策で林大学頭に相談したらしい。
林は昌平坂学問所門下生総動員でいろいろな文献をリサーチしてくれて、その調査結果が後発の大野によって無事届けられたというわけだ。
それによると、鍼はかつては天皇にも施されていたノーマルな治療法だったが、室町時代、廷臣のあいだから「玉体に傷はー!」な意見が出はじめて、しだいに鍼や灸のような外傷をともなう医療行為はおこなわれなくなったんだとか。
ようするに、天皇の体に傷をつけてはいけないとはっきり定めた条文はなく、この禁忌はいわば俗信のようなもの。
だから、種痘だろうと開腹手術だろうと、否認できる法的根拠はなにもないっ!
玉体問題はこれにて一見落着!
ホント、持つべきものは頼れるブレーン!
林さん、これからもよろしく!
……ではあるが、牛痘に対する一般ピープルの忌避感は無視できない。
あまり強引にやると、あとあとまで恨まれる恐れもある。
そこで、
「ならば、牛痘を直接接種するのではなく、一度ヒトに移植したものを再移植してみてはいかがでしょうか?」
これは明治天皇のエピソードを拝借した妥協案。
明治天皇は牛の膿疱を直接体に入れず、一度女官に接種させてから移したと聞いたことがある。
この方法なら、いちおう「畜生のケガレがー!」にはならないんじゃないか?
こんな画期的提案にもかかわらず、ジト目の公家たち。
本当は、天然痘をより完璧に予防するため、その家族にも接種してもらいたいところだが、早くも廷臣段階でコレ。
種痘の輪を広げるには、みんなに迷信や不合理な旧習に惑わされない知識と判断力を持ってもらわないと無理だろう。
で、俺は考えた。
公家たちの外国に対する嫌悪感を薄める方法を。
そして、今後おこるであろう京での擾乱を軽減する一石二鳥の秘策を!
「とは申せ、なじみのない施術を受けるのは不安でございましょう。よって、こたび京にて西洋学問所を開設し、異国への理解を深める場を提供したく存じます」
「「「西洋学問所!?」」」
強引すぎるこじつけに目をかっ開く諸氏。
「はい、これは昨年江戸に開所した学問所の分校にて、英語・フランス語・オランダ語等異国の言葉と、希望者には別途、医学・究理・舎密学の講義をおこないます」
「「「異国の……」」」
力説する俺とはうらはらに、公家たちのテンションはダダ下がる一方。
たしかに、攘夷――異人排斥のメッカで「レッツ スタディ フォーリンランゲージズ♡」なんて、ムチャブリにもほどがある。
それに、すでに京都には『学習院』という公家子弟用の教育機関がある。
これは例の光格天皇が構想し、今上の御世に実現したものだが、儒学の中でもちょっとヤバめの陽明学や古学、尊王思想のベースになった国学なんかを取り入れたせいか、しだいに尊王攘夷運動の基地化していく。
早い話、松下村塾が長州における攘夷志士製造所なら、学習院は攘夷公家養成所。
だからこそ、早い段階で学習院に対抗できる官立学校を造り、佐幕派公家を量産しておかなくてはならないのだ!
けれども、小さなコミュニティで天皇に寄り添って生きてきた公家たちに、徳川が造った学問所、それも外国語や科学を教える教場に足を運ばせるのは容易ではない。
よほど魅力的なナニかがなければ……公家たちの心を動かすナニかが。
「この学問所において優秀な成績を修めた者で、なおかつ人品骨柄に優れた者は、その身分によらず、課程修了後は官吏に登用していくつもりでございます」
「「「登用!?」」」
公家たちの声が上ずる。
「わが邦は異国にくらべ、武備において大きく遅れをとっており、列強に伍する軍事力を持つまではマンパワ……(ゲフンゲフン)……人的資源で外圧に抗しようと考えております。そのためには、数か国語をあやつり、異人と対等に渡り合える、肝のすわった優秀な外交官がいくたりも必要なのです」
「「「異人……渡り合う……?」」」
一瞬盛りあがった朝廷サイドはふたたび消沈。
なんのこれしき! プレゼン続行!
「ちなみに、昨年、在米領事となった幕臣は、役料として五千石を支給されております」
「「「ご、五千!?」」」
オッサンたちの目の色が変わる。
俺は去年、吉田松陰を追い払うため、在米領事館設置を決めたが、そのとき領事の役料は遠国奉行の役料(※三千石)を参考にして五千石と定めた。
公家は位こそ高いが、家禄は低い。
廷臣一の高禄は近衛家の二千八百石だが、堂上家百三十八のうち千石を超える家は十にも満たず、その一方、百石以下は三十二家もある。
だから、近衛家の二倍ちかい五千石という役料には、食指が動くはず。
公家の登用を提議したのは、これこそが攘夷運動抑止につながると判断したからだ。
さっき『学習院は公家子弟用の教育機関』といったが、じつはこの説明は正確ではない。
正しくは、『学習院は子弟への教育費捻出がむずかしいビンボー公家世帯を対象にした教育機関』で、摂家など高所得家庭は自宅に教師を招いて教育するので、ここには通学させない。
よく公家は世間知らずだといわれるが、それは二百五十年間幕府がそう強制してきた結果。
大坂夏の陣で豊臣氏を滅した徳川家康は、帝と公家たちに今後政治には一切タッチせず、和歌や香道・蹴鞠など芸能だけに専念するよう命じた。
少ない家禄。そして、何事も世襲によって受け継がれ、限られたポストは奪い合い。
中でもとくに悲惨なのは嫡男以外の男子で、いい婿入り先が見つからなければ、一生実家で飼い殺し。
収入がないから独立もできず、当然妻も子も持てず、たとえ兄弟が早世して運よく当主になれたとしても、大人数を食わせるほど豊かではないので、庶子などは密かに近隣の農家に里子に出される始末。
努力しても栄達できる道もないため、人生そのものに望みが持てず、現実逃避で遊興におぼれ、借金づけになって譴責処分を受ける者も後を絶たない。
とにかく公家は不遇なのだ。
学習院にはこうした低所得層の子弟が通っている。
そのうえ、唯一の学問の場で講じられるのは古くさい儒学と国学だけ。
この時代もとめられる知識――外国語・西洋医学・兵学等はここでは学べない。
あっちの世界では、幕末の京都で長州人は人気があった。
それは、やつらが都で盛大に金を落としたからだ。
ビンボー公家は長州がばら撒いた金で潤ったが、きっと心のどこかではつねに不安だったはずだ。
「こんなあぶく銭、いつまで手に入るかわからない」と。
だったら、気まぐれに金を渡すのではなく、ニーズの高い知識を与えて、安定した就職口を斡旋し、収入プラス生きがいを提供したらどうだろう?
それでもなお公家たちは『攘夷』を叫び、幕府に反抗するだろうか?
この世界で覚醒してから、俺はずっと考えていた。
どうしたら会津を救うことができるかを。
そして、気づいたのだ、公家たちは本心で攘夷を望んでいたわけではないのだと。
その証拠に、朝廷は薩長とともに徳川に攘夷を迫り、ついに大政を奉還させた。
だが、新政府は政権を奪取したとたん、攘夷どころか国を挙げて西欧化を推進したが、ほとんどの公家はこれを黙認した。
安政五年、日米修好通商条約締結時には百人ちかい廷臣が抗議行動を起こしたが(廷臣八十八卿列参事件)、慶応四年、鳥羽伏見の戦いの直後、イギリス・フランス・オランダ三公使の天皇謁見に異を唱えたのは大原重徳ただひとり。
ようするに、大多数の公家にとって『攘夷』とは、単なる政治闘争の口実にすぎなかったのだ。
あるいは、たまりにたまったフラストレーションを解消するための絶好のネタだったのかもしれない。
だとしたら、将来に対してなんの希望も持てない現状を変えてやれば、あっちの世界のような激烈な攘夷運動は起こらないんじゃないか?
――さて、この試み、吉と出るか凶と出るか――
明治時代になっても攘夷を叫びつづけた数少ない公家、ブレない漢・大原重徳氏のエピソードは、閑話に上げております。
よろしかったらそちらもどうぞ。




