165 天下の台所
品川を出航してから四日目、オランダ船は大坂湾天保山沖に投錨。
下船する俺とナリさんを、甲板に並んだプレ伝習生たちが手を振って見送る。
やつらはこのまま長崎まで行き、十三日後に出航する江戸への定期便に乗り換えて帰府する予定で、俺たちはその帰り便に拾ってもらうのだ。
大坂下船組は、黒船から薩摩藩所有の小早船に移乗し、町の中心部に向かう。
小早船とは小型の軍船のことで、いま乗っているのは船体を漆で塗りあげた塗小早というタイプ。内装も豪華なこの船はおそらく藩主用なのだろう。
ただし、ナリさんなど西国大名が参勤交代で国許~大坂間を移動するときは、供の数もケタちがいに多いので、もう一回り大きい関船の御用船を使うようだ。
金箔やら絹やらがふんだんに使われたゴージャスな船内から外をながめる。
気分はすっかり遊覧観光だ。
蘭船から見えた天保山が右手に流れていく。
山の下、船着き場周辺には小屋掛けの茶屋や料理屋がいくつも建ちならび、人通りも多くにぎわっている。
天保山は安治川河口に築かれた人工の山で、いまから二十四年前の天保二年、川の浚渫工事で出た土砂を積み上げて造った築山だ。
できた当初は、安治川入出港の目印にされていたため、『目印山』と呼ばれていたが、やがて築造された時の年号から『天保山』と呼ばれるようになった。
しかし、かつては二十メートルほどあったこの山も、今では半分以下の高さになっている。
去年、ロシア軍鑑ディアナ号が二度にわたって大坂湾にあらわれ、とくに二度目は盛大に空砲をぶっ放したため、危機感を抱いた大坂城代がこの山頂に砲台を建設し、そのときに上の部分が大きく削られてしまったからだ。
(……俺のせいか?)
たしかに、周囲を石垣で囲まれた小高い丘の上には、旧式砲が並び、砲口を河口方面に向けている。
船は多くの船が行きかう安治川河口から上流にさかのぼっていく。
軽快にすすむ船中からのんびり風景を楽しんでいると、
「なにゆえ(ゲボッ)駕籠で来なかっ……(オェェェップ)たのじゃー!」
ゲッソリやつれた顔で、迎えの家臣に八つ当たりするオッサン。
「申しわけございませぬ。なれど、参勤の折はつねに船にて藩邸入りなさいますゆえ、こたびもつい……」
薩摩の大坂蔵屋敷は川沿いにあるので、薩摩藩主は御座船のまま直接屋敷に出入りしているらしい。
「義父上、あまりお話をなさいますな。ますますご気分が悪くなりますぞ」
ったく。こんな言いがかりをつけられちゃって、気の毒な。
てか、船旅は慣れているはずなのに、なんでこんなにひどい船酔いを?
蒸気船と和船じゃ、ゆれ方がちがうわけ?
「義父上はご不快ゆえ、少々気が立っておられるのだ。そなたらの落ち度ではない」
いちおうフォローしておかないと。
だれかが切腹することになっちゃかわいそうだし。
「「「……婿君……」」」
薩摩藩士たちがウルウル眼で俺を見つめる。
「こたびは家臣ともども世話になる。よしなにのう」
「「「もったいなきお言葉!」」」
感涙にむせぶ薩摩隼人のみなさん。
じつは今回、俺たち主従は大坂・京の薩摩藩邸に寄宿することになっている。
上方に屋敷を持たない会津側は、いつものようにどこかの寺に宿泊依頼を出そうと思っていたのだが……、
「晴れて親子となったのに水くさい! 薩摩屋敷に泊まればよいではないか!」
義理のオヤジがしつこく誘ってくるので、しかたなく顔を立ててやったのだ。
そうこうするうちに、薩摩藩蔵屋敷に到着。
土佐堀川沿いに建つ藩邸は、門前がかなり広い空地になっており、そこから幅広い石の階段が水中まで伸びていて、木製の桟橋は石段中央に設けられている。
おそらく、領国から船で運んできた米俵や荷物などをここから搬入するのだろう。
広場には主君を迎えるために、おおぜいの侍たちが待機していた。
小舟から投げた艫綱が桟橋の杙に巻きつけられるのと同時に、家臣たちが船の縁をつかんで、ゆれないように押さえつける。
停泊した船内からは、まず両脇を支えられたナリさんが降り、俺たちもそれにつづく。
薩摩藩士たちが作る花道をゆっくり歩いていると、
「肥後守さま」
出迎えの列から、大坂なまりの声が湧いた。
「む? そなたは?」
「大坂西町奉行所与力・鈴木勘十郎と申します。侯の案内役をおおせつかっております」
そう名乗った男は、三十代半ばくらいの裃姿の侍。
大坂奉行は江戸から派遣される旗本が就任するが、それ以外の役人は現地採用なのだ。
「おお、そうか。忙しい中すまぬな」
「ときに、ご依頼の儀にございますが、明日は奉行所に商人どもを呼んでおります。また別儀については、かの者が今日明日は他出しておりますゆえ、明後日に」
「それでかまわぬ。差配、かたじけない」
そう言って、かるく頭を下げると、鈴木はじめまわりの薩摩藩士たちからどよめきが起きる。
大老クラスの超VIPにしては謙虚すぎる態度に、みな狼狽しているらしい。
ふふっ、こっちは神奈川宿で即売会やって以来、下士どころか町人にだって頭を下げる日本一腰の低い殿さま(自称)だ。
こんなんで、グッズや特産品がバンバン売れたり、厄介な交渉が円滑にすすむなら、いくらだって下げてやるわい!
今回の出張は、言うまでもなく朝廷工作がメインだが、じつは大坂でもやっておきたいことがいくつかある。
そのことをサダっちに相談したら、老中を通じて京都所司代や大坂奉行所など関係各所に、現地での案内とサポートを命じておいてくれたのだ。
同行する薩摩側も別個に急使を送ったようで、ピッタリのタイミングで迎えの船を寄こしたのもそのためだろう。
「明日、迎えのものを差しあげます。どうぞ今宵はゆるりとなさって、旅の疲れをお取りください」
大坂奉行所与力は好意的な口調でそう告げた。
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翌日、約束どおり迎えの侍がやってきた。
昨日とは反対側の門――こちらが正門らしいのだが――の前には数頭の馬が用意されていた。
「肥後守さまは乗り物は苦手とうかがいましたゆえ」
「お気づかいいたみいります」
薩摩藩重役に、小姓頭の浅田が、俺に代わって礼を述べる。
「お気をつけて」
準備万端ととのった馬に乗り、陸路で奉行所をめざす。
大坂西町奉行所は、薩摩屋敷から見て東の方角、大坂城の傍にあるらしい。
馬でポクポクすすんでいくと、道行く大坂町人のみなさんが一様にお口をアングリ開けてこっちをガン見してくる。
「なんなのじゃ?」
たしかに江戸にくらべると、大坂はすごく武士が少ないっていうけど、そこまでめずらしくもないよね?
「侯があまりに麗しいゆえにございましょう」
ああ、なるほど。神奈川宿のときと同じか。
ならば……、
「みな、もうかっておるか~?」
天下の台所・大坂にふさわしいコールとともにニッコリ笑って手を振ってやると、
「「「キャーーー ♡」」」
「「「お゛お゛ーーー ♡」」」
黄色&野太い悲鳴がそこかしこで上がる。
「殿、これは脈アリですな」
浅田が熱っぽい目でささやく。
「うむ。念のため商品を持参しておいてよかったわ。商人たちとの話が終わったあと、わが会津産品の取次店でも募ってみるか?」
「それがよろしいかと」
「「これでまたガッポガッポじゃな、ぐっふっふっふっ!」」
前はあんなに温厚でおとなしかった浅田だが、いつのまにか大野カラーにドップリ染まっている。
恐るべし! 大野の汚染力!
それとも、人生の墓場 = 結婚の影響か!?
輝かしい未来と、浅田のダークな将来に思いをはせているうちに、目的地に到着。
庇のふかい正面玄関から中に入り、案内されたのは三間つづきの座敷。
畳廊下から、一番奥の部屋に入ると、はるか向こうの三之間には商人たちがギッチリ詰めこまれていた。
「これでは話ができぬ。苦しゅうない、近う寄れ」
畳に額がつくほど頭を下げていた商人たちは互いに顔を見合わせてコソコソ。
「ええい、早うせぬか、時が惜しい!」
かるくキレると、ようやくモゾモゾ動きだす。
全員が適当にばらけたのを見計らって、本日のテーマ『大坂商社』設立を提案する。
じつはコレ、あっちの世界で、当時の勘定奉行・小栗上野介忠順が発案した『兵庫商社』構想を丸パクリしたもの。
慶応三年(1867)、小栗は日本初の株式会社『兵庫商社』設立の建議書を幕府に提出した。
これは、神戸開港にともない、大坂の商人たちから集めた百万両の出資金をもとに『コンパニー』を作り、開国以来ずっと外国商人たちに食い物にされてきた利権・富を自分たちの手に取り返し、対等な商取引ができる環境をととのえようとしたものだ。
というのも、日本側は小資本の商人たちが連携を取らずに、互いに競い合って取引をしていたため、大資本の外国商人にいいように踊らされ、損失を出すケースが多かったからだ。
また、海外の商取引のルールを知らない個人商店では、代金の踏み倒し、商品を渡さないといったトラブルが発生したとき、対処がむずかしく、泣き寝入りすることも少なくなかったらしい。
そこで、まだ通商条約をむすんでいない今の段階で、海外取引を視野に入れた共同出資会社を作っておけば、いざ開国となったとき、スムーズに対応できると思ったのだ。
ちなみに、この兵庫商社設立は坂本龍馬の海援隊よりも早く、ちまたでよく言われる『海援隊は日本で最初の株式会社』というのはまちがいだ。
「出資というのは御用金のことでございますか?」
二之間に移動してきたオッサンがおずおずと聞いてきた。
御用金というのは、幕府や藩が御用商人などに命じて出させる臨時の賦課金――税金のこと。
「いや、ちがう。出資金は公儀が吸い上げるわけではなく、これを資本として商売をするのだ。そして、もうかった利益は出資額に応じて配当されるゆえ、大きくもうかれば出資金以上の金が戻ってくる」
「「「配当???」」」
イマイチ会社の仕組みが呑みこめないようすの商人たち。
「そうだな……少々ちがうが『富士講』や『伊勢講』と似ているかもしれぬな」
富士講・伊勢講というのは、江戸時代、庶民にとって遠隔地への旅行は費用面でかなりむずかしかったので、講というグループを作って少額ずつ金を出し合い、集めた金で代表者数人が富士山や伊勢神宮にお参りにいくというもの。
とはいえ、金だけ出して行けないのでは不満がつのるから、代表者はくじ引きで決められる。一度行った者は次回からくじを引けなくなるので、最終的には参加者全員に還元されるという仕組みだ。
「『講』はみなで出し合った金で旅をするが、商社は出資金で個人ではできぬ大きな商売で巨利を得たり、公共事業に投資し、長く配当金を受け取ることも可能だ。また、共同の会社を作ることで、わが国の商人同士が競い合うことも少なくなるゆえ、価格競争となって不当に買いたたかれる恐れもなくなる」
「しかし、お武家さまがたに金を預けて失敗なさったら……そもそも商いを知らぬ方々が異国との取引ができるのでしょうか?」
恰幅のいい壮年の男が苦言を呈した。
「なにを申す? この組織はそなたら商人自身が役員をつとめ、運営していくのだ。また、横領・使い込みなどがないよう、複数の者が相互に監視し合い、取引についてもみなで定期的に集まり、合議のうえ決めるのだ」
「「「てまえどもが!?」」」
「さよう。ゆえに、わたしはわざわざこの大坂に足を運び、商売に長けたそなたらに話を持ちかけたのだ。商才のない武士が百万両もの金を預かったとて、またたく間に溶かしてしまうからな」
「ご公儀がもうからぬならば、なにゆえこのような話を?」
今度は別の商人がいぶかしそうに聞いてきた。
「むろん、この日ノ本のためだ。異国はわが国にはない最新兵器を持ち、今後も強硬に開国を迫ってくるであろう。わが国土が侵略されぬためには、異国と同じ、いや、それ以上の武器を持ち、非道なおこないに対しては徹底抗戦する姿勢を示さねばならぬ。とはいえ、それにはまず交易によって富をたくわえ、模倣すべき最新の技術を買い、それをもとに改良品を作るのだ。つまり、外国商人どもにわが国の富を不当に持ち出されては、国が疲弊し、軍備をととのえる原資そのものがなくなるというわけだ」
「「「なんと……」」」
「ゆえに、そなたらに頼みたい。この国のため、その商才を貸してほしい。これは国を守る戦いなのだ!」
で、ここで頭を下げて、と。
「「「ひ、肥後守さまー!?」」」
二十八万石の親藩大名に頭を下げられた商人たちは大パニック。
――てなことで、『大坂商社』設立案は無事承認されたのであった。




