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158 悲運の姫君


「つかぬことをたずねるが…………ここは、美濃守の屋敷ではないのか?」


 はげしい動悸に耐えつつ、おそるおそる切りだすと、


「いえ、ここはわが島津の下屋敷、『渋谷屋敷』にございます」


 にべもなく一刀両断するネーチャンは、高密度のアバタさえなければ、かなりな美形。



 ――『()()島津の下屋敷』――



 その言葉に、いままでバラバラだったピースが収斂(しゅうれん)し、みとめたくない最適解として迫ってくる。 



 ――『ここ数年、姫は渋谷の下屋敷にて暮らしておる』――



 渡航前のあわただしい会津藩邸に、ムリヤリ押しかけてきた迷惑な二大名(オッサンたち)

 そのとき語られた縁談相手の情報が、いまさらめいて思いだされる。



「島津だと? それはおかしい。わたしは美濃守の家臣と名乗るものに連れてこられたのだぞ?」


 恐ろしい現実から目をそらしたくて必死にあらがうが、心中に形成されるゆるぎない確信。



 ――『姫は今年十九。庶出ながら、わしの初めての娘』――


 ――『姫さまのご生母は薩摩一の美女』『姫は母親似』――


 ――『いまを去ること五年前、()()()は祝言間近に疱瘡(ほうそう)(かか)られ、さいわい一命は取り留めたものの、顔にひどい痘痕(あばた)が残られた』――



「それに、そなたは学問所入所の際、黒田家縁者として届けが出ておる。しかるに、『わが島津の屋敷』とは、いかなることか?」


 

 ――渋谷にある薩摩屋敷――


 ――二十歳はたち前後の、『御()』という名の姫君――


 ――ひどいアバタで損なわれた美貌――



 いまさら言っても(せん)ない繰りごと。

 わかってはいても、言わずにはいられない。



「美濃守は、わしの年の離れた異母弟(おとうと)じゃ」


 当人を差しおいて、しゃしゃるフレデリック。


 その顔にうかぶ酷薄なほほえみが、導きだした答えの正しさを裏づける。


「よって、御一にとって美濃守は、わしと同じ曾祖叔父(そうそしゅくふ)。ゆえに、黒田家縁者というはけっしてウソ偽りではない。それに……」


 ニヤリ


 ジジイの笑顔がどす黒く染まる。



「御一が薩摩のものではないとは、ひとことも言うておらぬ。くわえて、『黒田』は、御一の母の家名。たばかったわけではない」


「な、なれど、なにゆえ、薩摩の姫ということを隠した!?」



 いくらボンヤリな俺だって、薩摩の姫と言われたら、すぐに気づいたし。


 薩摩の姫――すなわち、『いままで二度嫁ぎ、いずれも新郎が急死し、実家に出戻った。後年、数家との縁組がととのうものの、相手すべてが祝言前に病死または事故死。そして、とうとう五人目の許嫁が身まかり、うちつづく不祝儀に、いつしか『一の姫の婿として名を記された者は、一年以内に命を落とす』とうわさになり、ついたあだ名が【妖奇妃】』の、あのデス●ノート姫――俺の婚約者(仮)だと!



「なにゆえ、じゃと?」


 ジジイは、テンパる俺を見すえ、小ばかにしたように鼻をならした。


「しかたがないではないか。心ないウワサから御一を守るため、われら親類一同、薩摩守に協力したのじゃ」


「心ない……ウワサ……」



 ――ギクリ――



 おそらくそれは、ついいましがた俺が思っていたこと



 奇妙な偶然が重なった不幸の責を背負わされた娘。


 本人にはなんの罪もないのに、夫や婚約者たちの死因とされた悲運の姫君。



「……なるほど。そうであったか」



 たしかに。

 向学心に燃えて学問所の門をたたいても、そんな無責任なウワサのせいで、イヤガラセを受けるハメになったら、勉強に集中できないどころか、ヘタをしたら居づらくなって、退所することにもなりかねない。


 それでなくても、このまえの騒動では女子部のやつらにアバタのことをあげつらわれ、イヤミを言われていたのに。


 学問所の女学生のほとんどは元奥女中。

 長年せまい女の園で暮らしていたあいつらは、ウワサ話が大好きで、とくに他人の不幸は蜜の味。


 もし、そんなやつらに、御一姫の正体がバレたら……。



「もしや、わらわのせいで、なにか迷惑をかけたのか?」


 アバタにうずもれたネーチャンの眉が0.2ミリほど、へにゃりと下がった。


「いや、さようなことは……」



 …………最低だ。


 俺だって、むかし同じような目に遭って、イヤな思いをしたのに。


 この()の痛みをおもんばかるより先に、なんの根拠もないオカルト話にビビッて、亡命し(バックれ)ようとしていたなんて。



「むしろ、迷惑をかけたのはこちらだ」


 そうだ。

 この子が身分をかくしてまで入所し、学ぼうとしていた西洋医学を、男子部の都合ばかりを優先して、履修困難にしてしまったのは俺だった。


「こたびの学問所改変では、そなたには多大な迷惑をかけてしまった。しかも、事前になんの相談もせずに……配慮が足りず、申しわけないことをした」


 あらためて向き直り、畳に手をつき、ふかく頭を下げる。


「肥州殿!?」

「肥後殿!?」


「このうえは、関係各所と協議し、女子も医学伝習所に入れるよう取り計らうゆえ、いましばらく待ってはもらえぬか?」


「女子が伝習所に!?」


 切れ長の目が0.5ミリほど見開かれる。


「まことか? まことに、わらわとイネも受講できるのか?」


「約束する。この松平肥後守の名にかけて、その儀、かならず実現させる」



 だよな。

 最初からこうすればよかったんだ。


 女子部のふたりが不利益をこうむることに気づいた時点で、医学伝習所にかけあっていれば。


 そうしたら、むこうだって誘拐めいた手段をつかってまで、強制連行したりはしなかったはずだ。


 きっと、この子は学問の道を閉ざされると悲観するあまり、オランダ語の師匠である親戚のジジイに頼んで、俺にじか談判しようと思いつめたんだ。


 だから、俺が拉致られたのは、縁談うんぬんではなく、今回の不当な処遇を訴えるためで……いわば自業自得。俺自身の怠慢がまねいた結果だ。


 だって、ツンデレ池田が言ってたじゃないか。


『薩摩藩奥向き全般を取り仕切っている祖母・弥姫が、縁組につよく反対しているから、まず見こみはない。早めにほかをあたったほうがよい』


『当の姫も縁組をいとうている』と。


 この縁組をゴリ押ししてきたオヤジの印象が強すぎて勘ちがいしてたけど、今回のことは俺の『落ち度』についての異議申し立てだったんだ。



「医学伝習所にて学べるとは。よかったのう、御一」


 慈愛にみちたまなざしが、能面姫にそそがれる。


「はい、これで長年の夢がかないまする」


 ネーチャンはキラキラした眼で熱く語る。


「父上は学問をすることはみとめてくださいましたが、医師になることは許してくださいませぬゆえ」

 

「あとは肥後殿を説得するだけじゃな。侯は開明的ゆえ、望みはあるぞ」


「いえ、肥州殿ははじめから女医容認派でございます。もはや障害はありませぬ」


 口角を1ミリも上げ、うれしそうに笑うネーチャン。


「それは、まことか?」


「はい、以前、お考えをお聞きしたことがございます。

 侯は、『女子には、女子特有の病も多いが、医師はみな男ばかりゆえ、女子は具合が悪うなっても、体を見せるのを恥じて受診をためらう。ようやく受診するころには手の施しようがないほど、病が進行している。女医の育成は今後の大きな課題。医学を修めた女子が医師になれぬは大損失』とおおせでした」


 ジイサンは、能面娘をまじまじと見つめ、


「なんと理解のある婿殿じゃ。そなたにとってはこれ以上ない良縁であったな」



 ……ん……?



「こたびこそは生涯添いとげとうございます」



 ……んん……??



「そうか、そうか、ようやくよき夫君にめぐり会えたのう」 



 ……んんん……???



「はい。それもこれも、フレデリックさまや美濃守さまがたの後押しがあったればこそ。かたじけのうございました」


「なんの。そなたが嫁げば、わしも気軽に会津屋敷を(おとな)える。これまでは人目をはばかり、なかなか会えなんだ旧友が、肥後殿の侍読をしておるゆえ、今後は頻繁に会えそうで楽しみがふえたわい。思わぬ収穫じゃ」


「「ほんによかった、よかった」」



 ……んんんん……????



江戸時代の屋敷・庁舎には、基本、表札はついていません。

なので、切り絵図などをもっていなければ、パッと見、誰の屋敷かはわかりません。


時代劇などでよく見かける『南町奉行所』ドーン!な看板は大ウソでございます。

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