157 さまよえるオランダ人
「相わかった……ヘンドリック殿」
突きぬけた自己紹介をされた俺は、とりあえずジジイに迎合することにした。
だって、アブナイ人を刺激するなんて怖すぎる――とくに、多勢に無勢というこの状況下では。
「あいや、遠慮のう『フレデリック』とお呼びくだされ!」
ぎらつく目で乞われ、不承不承、
「で、では、フレデリック殿……」
「むふふ、すなおな御方じゃ。よき親類づきあいができそうじゃのう」
じいさんは満足そうにニタニタ。
くそー!
なんで俺のまわりには、こういうやつばっか集まるんだ?
容さんから、ヤバい人を引きよせるフェロモンでも出てるのか?
……ん?……
ちょっと待て。
ジジイ、いまなにか妙なことを……。
「……親類づきあい?」
この逝ってるジイサンと俺が?
は? なんで?
「まぁ、それは奥で茶でも飲みながら、おいおいと」
ジイサンは岩石っぽい顔をほころばせつつ、俺の背後を取った。
「い、いや、わたしはここで……」
「さようにつれないことをおっしゃられるな。このままお帰ししては、わしが叱られてしまう。ここはひとつ、年よりの顔を立てると思うて、な?」
「しかし……でも……やはり……」
必死に抵抗するも、ジジイは年のわりに強力で、容赦なくグイグイ押してくる。
なんだかんだしているうちに、気づくと、いつのまにか式台の上に乗せられていた。
「これ、客人がお見えじゃぞ!」
老人が声をかけたとたん、ひかえていた一団が俺たちを取り囲み、退路を断つ。
団子状態のまま中に連れこまれた俺たち主従は、蠕動運動にも似た連携誘導によって屋敷の奥深くへと招じられ、入側のドンづまりにあるニ間つづきの座敷に通された。
床前の上座をゆずられ、しかたなく着座すると、間をおかず茶菓が供される。
同様に、ニ之間に収容された近習たちの前にも、和菓子セットがさくさく置かれていく。
ふと、開け放たれた戸外を見ると、入側・濡れ縁ごしにひろがるのは手入れの行き届いたうつくしい庭園。
ゆるやかに傾斜する庭の端には、風情ある松の古木が一本、晴天の空をバックに、青々とした梢を初夏の風にゆらしている。
「なかなかよい庭でござろう?」
ボケーっと見入っている俺に、なぞのジジイは得意げにほほえみかける。
「ふむ。とくにあの松の枝ぶりはみごとじゃな」
「あれは、千両の値がつくといわれる銘木『常磐松』にござる。さすが肥後殿、お目が高うごさるな」
「ほう、常磐松とな。眼福眼福」
ズズッ。
「薫風の中で喫す茶は、ひときわうまいのう」
(((殿っ!)))
二之間からのするどい視線を感じて見やると、
(なにをノンキに茶など召しあがっておられるのですかーっ!?)
身ぶり手ぶりで叱咤してくる野村くん。
(ここは敵地ですぞ! さっさと逃げる算段をなさいませ!)
おっと、いかんいかん。
ボクったら誘拐されてきたのに、まったりくつろいじゃって。
「あー、フレデリック殿、せっかくの歓待ではあるが、じつはこのあと、予定があってな。そろそろ暇申しを……」
「予定?」
ギロリという擬音語つきの眼光に、ビビりなボクはすくみあがる。
「ぅ、うむ、じつは屋敷で侍読が待っておるゆえ、急ぎ帰らねばならぬ」
「侍読? その御歳で?」
「ま、まことじゃ! かつての侍読に再度師事し、オランダ語を習うておるのじゃ!」
――なんで見ず知らずのジジイに責められなきゃいけないんだ?――
割り切れない気持ちで、ひたすら抗弁をつづけると、
「オランダ語!?」
シワに囲まれた鷹眼が異様な光を放つ。
「ふむ、その侍読の名をお聞きしたい」
――し、しまった!――
自らオランダ名を名乗るヘンタイおやじに、俺はなんという地雷ワードを!
まずい……逆鱗にふれて、ブチ切れられたら、俺たちの命はない!
「も、元三河田原藩家老・渡辺崋山、および、その知人にて沢三伯と申す蘭方医だが……」
「なに!? 渡辺に、高……ゲフンゲフン……沢じゃとーっ!」
もしや、不俱戴天の仇同士だったのか!?
いきなりアウトかーっ!?
「ギャー! ゆるせー! 知らなかったのじゃー!」
「「「ギャー! 殿がーっ!!!」」」
接吻寸前まで接近するジジイに、隣室からも悲鳴があがる。
「なにやら盛大に思いちがいをしておられるようだが、崋山と長え……ゲフンゲフン……三伯はわしの知己じゃ」
「な、なんじゃ、存じておるのか?」
思いっきりのけぞって距離を取り、四方に視線をはしらせ、逃走路をさがす。
「存じているもなにも、ふたりとは、はじめて長崎で会うて以来、三十年ちかいつきあいがある。そうであったか、崋山らが肥後殿に蘭語をのう……」
なぜか、ひとり遠い目で感慨にふける自称オランダ人。
「やはり、こたびの儀は、宿縁ともいうべき紐帯であったか……なれば、全力で支援せねばのう」
ジジイはワケのわからないことをつぶやきつつ、俺の羽織のたもとをギュッとにぎりしめた。
「……逃すまいぞ」
え? いまなんて?
と、そのとき、
「フレデリック大叔父さま」
ジジイの名を呼ぶコントラルト。
「おお、御一」
ジジイは、びっしり刺繍がほどこされた豪華な打掛を見あげて、ニッコリ。
このまえ学問所で会ったネーチャンは、今日はマガレイト&海老茶式部の女学生ルックではなく、吹輪髷+振袖・打掛という完璧なお姫さまスタイル。
ちなみに、吹輪髷とは、髷の中にちいさい鼓を入れてふくらませ、前髪には何本もの鎖が下がるド派手なビラビラ簪や花簪、飾りつきの笄、櫛などを盛りに盛った武家の姫君の髪型だ。
「首尾はいかに?」
「まもなくこちらに」
「それは重畳。なれば、ささ、肥後殿のとなりに」
満面の笑みで迎え入れたジイサンは、俺と自分の間をたたいてみせる。
「ときに……そなたらはどのような間柄なのじゃ?」
仲良く並んですわるアバタ娘と猫背のジジイを見くらべながら、思わず質問。
「御一はわしの玄姪孫にあたる姫じゃ」
「げんてっそん!?」
なんじゃ、それ!?
はじめて聞いたわ!
「つまり、わしの兄が御一の曽祖父にあたるゆえ、わしは御一の曾祖叔父となる」
そうそしゅ……?
瞳孔開きまくりの俺に、微動だにしない能面から視線が飛んでくる。
「フレデリックさまはわが曾祖叔父なれど、いささかややこしゅうございますゆえ、当家では便宜上、父より年長の方々はみな『大叔父』と呼んでいるのです」
「さ、さようか」
玄姪孫とか曾祖叔父とか、複雑すぎて関係性がまったくわからん。
「とは申せ、御一はわしにとっては、かわゆい一番弟子。のう、肥後殿、いく久しゅうかわいがってくだされよ?」
「……はぁ?」
「フレデリックさまは、わらわのオランダ語の師なのです」
ニコリともせずに補足説明する能面姫に、ジイサンは、
「ところで御一、わざわざ背の君がお運びくだされたのじゃ。化粧くらいいたさぬか」
すっぴんのアバタ顔を見ながら、あきれたように諭す。
へ? 背中がどーしたって?
「よいのです。肥州殿は、白粉・眉なし・お鉄漿を好まれませぬゆえ」
「ほう、そうなのか?」
ふたりは『?』まみれの俺をおいてきぼりにして、楽しそうに語りあう。
「はい、そのうえ侯は、『痘痕をムリに隠そうとせぬ潔さは、まことにすがすがしい』とまで言うてくださいました」
「ははは、そなたら、いつのまにさように睦まじゅうなったのじゃ?」
相好をくずすジジイに、ネーチャンは能面のまま、大きくうなずき、
「同じ学問所に通うておりますゆえ」
「おお、そうであったな」
なに言ってんだ!
一度しか話したことねーだろ!?
「いやいや、なにを申される。われらはけっしてそのような仲では……」
意味不明な誤解を解こうとしかけたとき、
(((殿ーっ!)))
目の端に、あわてふためく家臣たちの姿が飛びこんできた。
「なんじゃ?」
(((あ、あれを!)))
二之間から送られる近習たちのジェスチャーは、ある一点を指ししめしていた。
「む?」
それは、座敷の長押に取りつけられたキンキラゴージャスな釘隠し。
「釘隠しがどうした?」
(よーくご覧ください!)
野村の懸命のサジェスチョンにしたがって目をこらすと……、
「ぐぇっ!?」
ど、どーゆーこと!?
ぶっとい長押につけられた精巧な金細工の釘隠し。
その中央に青金で象嵌されていたのは、丸に十字マーク――薩摩島津家の家紋だった。




