156 青山百人町
彦根藩邸裏で左折した駕籠は、大名屋敷が建ちならぶ小路を縫うように進み、ほどなくいかつい櫓門の前で速度をゆるめた。
どうやら、赤坂御門から郊外に出るつもりらしい。
赤坂門は、安政二年から二百二十年ほど前、筑前福岡藩主黒田忠之によって枡形の基礎部分が築かれ、その後、数年かけて櫓や門が造られ完成した。
ここは三十六見附――首都防衛ための監視所――のひとつで、江戸と相模国の霊山・大山をむすぶ大山道の起点。
さっき、誘拐団リーダー・加藤は、「青山の下屋敷に」といっていたが、赤坂門を出てちょっといけば、そこはもう青山だ。
なんでも、江戸時代初期、青山なんちゃらさんという家康の功臣が、赤坂から渋谷にいたる広大な屋敷地をもらい、それにちなんで一帯は『青山』と呼ばれるようになったとか。
その後、青山さんは改易され、土地も収公されたので、ほかの大名の下屋敷や寺院、百人組・御先手組の組屋敷などが建つことになったが、いまでも大名に復活した青山宗家や分家の屋敷が点在する。
赤坂御門内外は、大山道終点にある大山寺に詣でる白装束のグループであふれかえっていた。
大山講の「六根清浄」の掛念仏と、リンリンいう鈴の音で騒々しい人ごみに強引に割りこむコワモテ軍団。
監視所である赤坂門には、門内と桝形内の二か所に番人詰め所がある。
「「「お助けく――(フガフガ!)」」」
番所に駆けこもうとした会津の家臣を、ゴリマッチョ二人が拘束し、引きずっていく。
そんな修羅場を茫然と見送る番人は、警備を担当する大身旗本の家臣たち。
殺気だつ誘拐団一味はヘタレ番人に制止されることもなく、大山道最大の関門をあっさり通過。
門を出た駕籠は、下の町家にむかってゆるやかにつづく土橋を高速で下っていく。
橋の左右に見える水面は、右(西側)が弁慶堀、左(南側)は虎ノ門までのびるひょうたん型の溜池で、ここが土橋になっているのは、右と左で水位に差があり、橋に穿たれた管で水位調整をしているためだ。
溜池から右の堀へ落ちる滝音がとどろく中、駕籠は広い土橋を渡りきり、大山街道に入る。
窓外を流れる風景は、町家街から寺院と旗本屋敷が軒を連ねる武家地にかわる。
(ここは……)
見おぼえのある街並み――たしか、ここはこのまえ奥羽越列藩イベントで駒場野に行ったとき通った道。
これをもうすこし行くと富士見坂(宮益坂)があり、その先の道玄坂で脇道に入り、北西方向に十四、五町(約1.5㎞)行けば駒場野だ。
――む?――
外側は地味だが、内装は金箔をふんだんに使ったキンキラな豪華絢爛空間の中で俺は首をかしげた。
それまで青山百人町のメインストリートを西進していた駕籠が、辻番所が建つ大名屋敷の角で向きを変え、小路に入っていったからだ。
おそらく、ここは宮益坂のちょっと手前。
右はどこかの藩邸の長屋塀、左側は幕臣宅が密集するエリアを進んだ駕籠は、小路の突きあたりに建つ大きな屋敷門に吸いこまれていった。
鍵の手にまがる道の角に開口部がある屋敷地は、入り口が極端にせまく、奥に行くほど広くなっているらしく、門の正面は両側までいっぱいに建物が建ち、左右は高い塀で囲まれている。
見たところ、逃げるとしたら背後の正門を突破するしかなさそうだ。
駕籠が玄関前に横づけされるとすぐに、外から天井部分が撥ねあげられ、戸が引かれた。
と、
「「「殿ぉ~!」」」
ガチムチの後ろから、ヘロヘロになった近習たちが転がり出てきた。
「そなたら、なにか無体なことをされてはおらぬか!?」
パッと見、ケガはしていないようだが、いちおう確認のため聞いてみる。
「われらは無事にございます。それより、殿は?」
どうやら重い両刀を差して長距離を走ってきたので、完全に疲労困憊なようす。
これでは、いますぐ血路をひらくのはムリだろう。
となれば、あとは藩邸からの救援がくるまでは、なんとかこの人数でできるかぎり持ちこたえるしかない。
「わたしは大事ないが――「肥後守さま、こちらへ」
悲愴な決意をする俺に、厚顔無恥な誘拐犯の頭は、エラそうにうながす。
「ことわる! かように無礼な招きに応じるいわれはない!」
「「「さようにございます!」」」
俺の周囲を囲む会津武士たちはすでに刀の柄に手をかけ、臨戦態勢。
「いささか乱暴なふるまいであったことはお詫び申しあげます。なれど、こたびは肥後守さまにも落ち度がございましょう?」
俺の抗議をあっさり躱す加藤。
「落ち度だと?」
「ふざけるな!」
いきりたつ近習。
――落ち度――
やはり、事前通告なしに共学化したことへの報復らしい。
それにしても……これはちょっとやりすぎだろ?
「たしかに、こたびは少々行きちがいがあったことはみとめるが、不服があるならば、まずは書状で訴えたうえ、談判を申しこむが筋で――」
「おお、これは肥後殿。かくも遠きところまでお運びいただき、恐縮千万」
突如、七十台半ばほどのちっこいジイサンが出現し、対峙する俺たちの間に割って入る。
「わしは当家の縁者にて、フレデリック・ヘンドリックと申すもの。以後、よしなに」
「「「フ、フレデ……?」」」
え……どっから見てもコテコテの日本人ヅラなんだけど?
それに、ウチワみたいなヘンな家紋つきの羽織はかなり上物で、それなりの身分ぽいし、黒田さんの親戚なら、当然日本人だと思うが……?
「と、とは申されるが、そなたは美濃守の縁者なのであろう?」
目をおよがせる俺に、ジイサンはゴツイ顔をしかめ、
「いや、見目はいささか和人に似ておろうが、心は生粋のオランダ人、フレデリック・ヘンドリックでござる!」
なぜか執拗に主張するジジイ。
「…………」
――コレ、マジで逝っちゃってる人だ――




