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155 桜田門外の異変

 黒田さんのお宅――福岡藩上屋敷は、学問所を左に出て二ブロックほど行き、桜田御門(外桜田門)前を左折した四軒目。

 学問所とは同じ外桜田エリアにあるので、のろい駕籠でも四半時(三十分)程度で到着……するはずだった。



 ひさしぶりの駕籠にゆられつつ外をながめれば、おだやかにいだ日比谷堀にうつる吹上御庭のゆたかな緑と、木々の下に見えかくれする石垣の濃淡さまざまなモザイク模様――一幅の絵画のような風景が窓外をゆっくり流れていく。

 みじかい距離なら、たまには駕籠も悪くない。


 しばらく行くと、右前方に外桜田門の高麗門が近づいてきた。


 その門前はちょっとした広場(広路)になっており、ここを起点に日比谷方面、霞が関方面、半蔵門・麹町方面へと道が分岐する。


 広場に差しかかったあたりで、角の豊後杵築藩邸の並びに、定之丞が住む広島藩上屋敷の赤い御守殿門が見えてくる。


 福岡藩邸は、広島藩邸の南隣――霞が関の坂をはさんだ向かい側だ。



 と。

 駕籠は桜田門の辻を曲がらずに直進。

 皀莢さいかち河岸(※ =三宅坂)のゆるい勾配を上がりはじめる。

 

「「「……道がちがうのではないか?」」」


 異変に気づいた会津藩士たちに動揺がはしる。

 これは霞が関ではなく、半蔵門へ行くルートだ。

 

「加藤殿!」


 ご学友兼護衛の小姓・野村十兵衛くん(22)が気色ばんで叫ぶ。


「これは霞が関に行く道ではござらぬ!」


「ああ、うっかり申し遅れまして……こたびは上屋敷ではなく、青山の下屋敷にお招きするよう言いつかっております」


 しれっと答える男。


「青山だと!?」

「ならば、なにゆえ最初からそう言わぬのだ!?」

「うろんな!」

「「「乗り物を止めろっ!」」」

 

 はげしく抗議する会津家臣団。


「やんごとなき御方をお待たせするわけにはまいりませぬゆえ、ご容赦くだされ」

 

 俺だって、正四位下のやんごとなき御家門大名だぞ!


「どういうつもりだ!?」

「なにをたくらんでいる?」

「「「ええい、ひとまず止まらぬかっ!」」」


 だが、駕籠の両脇をかためるゴリマッチョどもは逆に足を速める。



 そうこうしている間にも、行列はどんどん霞が関から離れていき、手前に井戸がある大きな赤門の横を通過する。



(井戸のある赤門……井伊の屋敷か)



 彦根藩上屋敷表門脇にある井戸は『桜が井』とよばれ、『江戸七名水』のひとつとして有名だ。

 また、道の反対側の堀端、番屋の裏手には『若葉の井』、別名『柳の水』といわれる井戸があり、こちらも七名水で、どちらも冷たくておいしい水だそうで――って、『江戸名所図会』的ナレーションやってる場合じゃねーよ!



 彦根藩邸は高台に建っている。


 表門は敷地内で一番低い場所にあるので、門の左右は人の背丈の二倍ほどもある高いナマコ壁を築き、その両端には強固な石垣を組んでいる。そして、この石垣は上に行くにしたがってだんだん低くなり、最上部あたりでは腰の高さほどになる。


 こうした構造は傾斜地に建つ大名屋敷共通のもので、坂沿いの敷地を拝領している広島藩邸・福岡藩邸も同じように正面側は堅固な高石垣や壁をもうけ、高低差のある石垣で屋敷地をぐるっと囲んでいる。


 また、どこの藩邸も周囲には塀をかねた二階建ての長屋をもうけており、これは江戸勤番武士用の官舎となっている。 

 


 俺たちがモメはじめると、その勤番長屋の窓がしずかに開けられた。


 かなりな人数が事のなりゆきをひそかにうかがっているようだが、だれひとり出てきて仲裁しようとはしない。


 ヘタに介入して厄介ごとに巻きこまれたら面倒だと、見て見ぬふりをしているのだろう。



 そういえば、あっちの世界で彦根藩主の大老・井伊直弼が襲撃を受けたときも、現場周辺の各藩邸ではこんなふうに暗殺の一部始終を息を殺してこっそり見守っていたらしい。


 桜田門前の番所の役人も、諸藩の家臣たちも、襲われているのが政府要人だとわかったうえで、助けに行くどころか、制止することもなく傍観していたのだ。


 結局、幕府の瓦解を必死で食い止めようとしていた大老が斃され、のちに彦根藩が減封など不当な処分を受けたためテロの有用性が証明されてしまい、事件以後、日本はテロリストが跋扈する血なまぐさい時代となった。


 そして、井伊大老暗殺の六年半後――慶応三年十月、徳川幕府は大政を奉還し、武士の世は終わりを告げる。


 明治になったとたん、武士たちは三百年ちかく付与されていた数々の既得権をはく奪され、たんに戸籍上の区分として『士族』という呼称をたてまつられるだけの存在になりはてた。


 おそらく、井伊の遭難を見殺しにした多くの侍たちも、倒幕後の身分制度改革で苦しい生活を余儀なくされたにちがいない。


 つまり、一時の保身を優先した武士たちは、最終的に自分で自分の首をしめたのだ。



 そしていま……井伊の家臣たちもまた、俺たち主従を見殺しにしようとしている。



「村岡! 森! 大野!」


 野村の緊張をはらんだ声があたりにひびきわたる。

 

「藩邸に走れっ! 殿の御身が危ないっ!」


「「「はっ!」」」


 複数の足音があわただしく遠ざかる。


「「「加藤さま……」」」


 緊迫する事態に、敵方も若干ビビり気味。

 おそらくほとんどの者は、詳細を知らされずに連れてこられたのだろう。


「急げ! 会津が手勢を率いてもどる前に突破するのだ!」


「「「はっ」」」



 駕籠がすさまじい勢いで動きだす。

 

 その直後、体が大きく傾き、内壁につよくたたきつけられた。


 どうやら彦根藩邸裏で左折したらしい。



「痛っ」


 したたかに打った右腕がジンジンしびれる。


「「「殿!」」」


 耳ざとく聞きつけた小姓たちが悲鳴をあげる。



 ったく、なんちゅーひどいマネを!


 大老格の大政参与を拉致――完璧なテロじゃねーか!


 場所的にも、まさに『桜田門外の変』!


 ……てことは?



 ――福岡藩、徳川幕府に叛すっ!――


 ――軍師官兵衛の末裔すえが、二百五十年の雌伏をかなぐり捨て、ついに起つ!――


 ――幕末動乱の幕開けっ!――


 

 でも、なんでいまなんだ?


 あっちの桜田門外の変が起きたのは、安政七年(のちに万延と改元)=1860年――いまから五年後。


 それに、あの事件は、井伊が安政の大獄で水戸藩関係者を多数処分したために恨みをかって、過激派に襲撃されたわけだが、俺はなんで狙われたんだ?


 たしかに、あっちの世界でも黒田は討幕側についたけど、それは最終局面ちかくなってからだ。


 あっちの井伊直弼みたいに大獄やったわけでもないのに、なぜ?


 そこまで恨まれるようなことをしたおぼえは……、

 

 

 っ…………ま、まさか?



 学問所を共学化したせいで、御一姫が不利益をこうむったからか!?



 えぇー!? 


 そんなことぐらいでーっ!?


 いままでノーマークだったけど、福岡藩も水戸や長州みたいに、ためらいなくテロに走るヤバいやつらがゴロゴロしてる藩だったのかーっ!?



 ひぇー! 

 徳川に最初に反抗するのが、長州でも薩摩でもなく福岡とは、予想外ですぅ!

 

  

 じ、じゃあ、まさかまさか……拉致られたあと監禁されて、共学化撤回要求を突きつけられ、それが容れらなかったあかつきには……、


 あっちと同じように首チョンパ ☛ 首級で華麗なパスまわし ☛ 江戸城大手門ゴールポスト下へのあざやかなトライ ☛ 正確なコンバージョンキックにより二点追加!


(……途中からなんかちがくね?)



 ギャーーー! 

 痛いのはイヤーーーッ!



 てなことで俺は、いまごろになって、『いかのおすし』、


 ――知らない人にはついて【いか】ない

 ――知らない人の車(駕籠)には【の】らない

 ――【お】お声を出す

 ――【す】ぐ逃げる

 ――まわりの大人に【し】らせる


という、小学校の安全教室で教わった防犯標語を、絶望感つきで思いだすハメになったのであった(涙)。 

容さん、大ピンチ~ (/ω\)


(CS放送の「銀英伝」で、先週ロイエンタール氏が謀反しちゃったので、ついつい触発されてしまいました)

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