150 第一回 奥羽越列藩合同防災訓練 ⑤
ガクブルしているうちに、いつのまにやらスタート地点にご帰還。
「さて、そろそろ……」
そうつぶやいたとたん、CRCメンバーがきびきびと各藩兵のあいだに入って整列させ、出走準備もバッチリ完了。
相変わらず、デキる子たちだ。
ところが、
「恐れながら」
「む?」
見ると、打ち合わせで何回か会ったことのある仙台藩留守居役が俺の前に。
「いかがした?」
「わが白軍は軍議がつづいておりまして、いまだ競技開始の態勢がととのいませぬ」
「軍議とな?」
ああ、そういえば、あっちは組分け後、ずっと話しあってるだけで、アップらしいことは全然してなかったっけ。
「なにがあったのじゃ?」
「はぁ、それがその……先陣争いを……」
「「「先陣争い!?」」」
思いがけないアナクロワードに、周囲の男たちもビックリ仰天。
「はい、紅白対抗駆けくらべの儀にて、いずこの藩を先頭にして並ぶかで紛糾しまして……」
「「「なんと」」」
思わずそちらのほうに注意をむければ、イヤでも耳に入ってくるガナり合いの声。
「なるほど、あちらは仙台・米沢・秋田・津軽・南部・越後高田といった大藩ばかり集まりましたからな」
神出鬼没の般若が、俺のとなりで毒々しい笑みをうかべる。
こいつは俺たちがアップをしているあいだ、物産展会場設営のため、別行動をとっていたはずだが?
「ふむ、いずれも名門を自負するだけに、たがいに誇りをかけた意地の張りあいでゴタゴタしているのじゃな?」
ちなみに、伊達さんはいちおう総大将という肩書だが、それは名前だけの名誉職で、仙台藩自体は他藩と同列。特別あつかいは一切なしだ。
「あれをまとめねばならぬとは、大将の本多さまもほんにお気の毒な」
般若の言葉に、思わずそちらを見やれば、
「おお、見てみい! 越中守が青い顔で胃をおさえておるぞ!」
白軍大将・本多越中守は、ギャーギャー騒ぐ輪の外でグッタリしている。
「「「まことにお気の毒な」」」
クジによる組分けの結果、有力大名がそろってしまった白軍は内部分裂を起こしたようだ。
まさに、これこそが俺が一番危惧していたこと。
もし、このままなにも対策を講じなければ、十数年後、あっちの世界のような歴史になって、俺たちの領地が侵攻された場合、いくら兵数が上回っていても敗北はまぬがれない。
同盟軍として統一した行動を取って数の優位を活かせなければ、あっちと同じように各個撃破されるのは目に見えている。
そのために今日の訓練を企画したわけだが、想定していたことが実際に起きたらしい。
「白軍に引きかえ、わが軍は会津・庄内以外はすべて十万石以下。最大の会津が内藤さまを補佐しているのですから、やりやすうございましょう」
「そなたは恵まれておるの~」
ニッコリ笑って背後の内藤をふり返れば、
「…………」
なぜかジト目でにらまれた。
……なんで?
「ふう、しかたない。わたしが行って話をしよう」
「そうなさいませ」
大野にうながされて、ポテポテ歩いていくと、
「室町以来の名門の当家が!」
「いや、当家のほうがさらに古く!」
「なんの石高で申したら、文句なくわが藩こそ!」
「「「当家こそ先陣にふさわしい!」」」
いかめしい火事装束のオッサンたちは、口からツバを飛ばして大激論中。
陣笠についた家紋を見るに、どうやらモメているのは藩主同士ではなく、重役たちらしい。
その証拠に、ちょっと離れたところでは、総大将の伊達が家臣たちに囲まれてボンヤリ座っている。
あらら、かわいそうに、伊達さん。
「これこれ、やめぬか~」
手甲まで装着した完全装備のオッサンたちの中に分け入る俺は、足軽以下の軽装 ―― 先日のマラソン大会と同デザインの絹製町火消風ランニングシャツ&パンツだ。
ただし、今日のユニフォームは、背中に会津葵紋が白く染め抜かれているオリジナルだが。
いうまでもなく、豪華なコスプレオヤジどもにくらべ、こっちのほうが断然走りやすく、さっきのジョグも、会津勢はブッチギリで速かった。
「そなたら、いつまでわれらを待たせる気じゃ? こちらはアップも終わり、すぐにでもはじめられるのじゃぞ!」
「なれど、当家としては、先陣の誉れをゆずるわけには」
「なにを申される! ふさわしきはわが▲▲家で」
「いや、尚武の家▽▽家が」
「「「ワーワーギャーギャー」」」
「ええい、静まれ、静まれっ! これ以上話し合うてもラチがあかぬ。かくなるうえはクジで決めよ! 冬馬!」
「はっ」
懐からすばやく紙と矢立を取りだした能吏は、あっという間にクジを作りあげる。
十五本の線の下に番号を振ったあみだクジは、オッサンたちが上に藩名を書いたあと、俺が横棒を書き加えれば完成だ。
じつは、わが紅軍もこれで出走順を決めたのだ。
「さぁ、好きなところを選べ!」
一番年かさのオヤジにクジを差しだし、強い口調で命じる。
「「「いや、しかし……」」」
往生際の悪いオヤジどもは、まだゴネる。
「いいかげんにせぬか!」
温和なボクさえもキレかかったとき、
「みなさま、ここはひとつ、会津侯のお顔を立ててはいかがでしょう?」
すずやかな声が割りこんできた。
「「「摂津殿?」」」
美々しい火事羽織をまとった少年は、唖然とする大人たちにむかってかるく会釈し、
「われら奥羽諸藩は、蝦夷の一件では侯に大きなご恩がございます。その方の言を無下になさるは、忘恩のふるまい。こたびは侯の仲裁を受け入れませぬか?」
十六歳とは思えない冷静な説得に、オッサンたちは急におとなしくなる。
しかし、
「蝦夷?」
なんのこっちゃい?
「はい、昨夏、わが庄内はじめ、会津・弘前・盛岡・秋田・仙台の六藩に、蝦夷地分領支配および警備の幕命が下った折のことにございます」
「ああ、あれか」
どうやらカタバミくんが言っているのは、去年、幕府が東北六藩に命じた屯田兵派遣命令のことらしい。
俺が登城拒否して抵抗した非情な幕命は、庄内など奥羽の五藩にも下された。
突然降ってわいた命令に、各藩はほとんど準備らしい準備もできぬまま、数百の家臣を蝦夷に送った。
中でも、会津・仙台・秋田・弘前の四藩は、約五十年前、ロシアによる略奪 ―― 文化露寇のときも、幕府から樺太・蝦夷地の沿岸警備を命じられ、出兵したことがある。
このときは、戦闘による死者は出なかったものの、寒さとビタミン不足による浮腫病、船の難破などで多くの藩士が命を落とした。
だから今回も、各藩は犠牲覚悟で家臣を送りだしたのだが、
「ロシアは不凍港がないから、冬は襲来しないよ~? それに、日露和親条約むすべば、おたがい友好国になるんだから、簡単に侵略とかはないでしょ~?」
と、俺が外遊前に、サダっちにそう上申しておいたため、蝦夷警備隊はきびしい冬をむかえるまえに撤収した。
だって、ロクな建築資材も持たせないで、極寒の地に送り出すなんて、人道的にマズいだろ?
現地調達しろつーても、ヨシや端材くらいしか手に入らなそうだし、そんなので作れるのは、せいぜい掘っ立て小屋程度。それじゃ、酷寒の中で野宿するようなものだ。
というわけで、今年四月、再派遣することになったわけだが、今回の派兵ではわが藩兵には、耐熱レンガや板ガラス(輸入品)など、この時代でも手に入る建材を大量に持たせてやった。
まあ、この建材も二十一世紀の建物にくらべたらはるかに劣るだろうが、壁を厚くすれば、そこそこ寒さは防げるはずだ。
この耐熱レンガは、横浜に外国人居留地を造ることが決まり、洋館特需がくると見こして、対米・対蘭和親条約締結直後、会津藩内の窯元に作らせた試作品。
レンガ製造については、おととし(嘉永六年)、韮山代官・江川太郎左衛門主導で築造がはじまった反射炉の耐火レンガを参考にさせてもらい、韮山に人をやって作り方・積み方などを教えてもらったのだ。
そして、その製造法を藩内全窯元に伝えて量産化をめざしたのだが、最初のころはうまく焼けず、品質もまちまちだったため、規格外品が大量にでてしまった。
藩は、レンガ作りを強制されてブーブーいう窯元さんたちをなだめるため、全品買い取りを約束していたので、藩の資材倉には出荷できないレンガが大量に貯まっていた。
そこで今回、行き場のなかった不良在庫を兵舎建設用に当てたわけだが、陸路仙台港まで運んだところ、仙台藩のやつらに積み荷を聞かれたので、もろもろ説明してやると、「うちもほしい!」と言い出した。
意外にも、ワケアリ品の引き取り手まで見つかるというオマケまでついたこの事業、おかげさまで、現在、アンテナショップとならぶ会津の貴重な収入源となり、ウハウハ状態!
だから、俺にしてみれば、恩を売ったというよりは、「まいど!」感がつよくて、『蝦夷の恩』とかいわれてもピンとこなかったのだ。
「「「……うむ、言われてみれば……」」」
神妙な顔でうなずくオッサンたち。
「たしかに、蝦夷の件では、会津侯のおかげで助かった」
「当家も人死に覚悟であったが」
「なれば、ここはそのご恩に」
「うむ、当家はクジでかまわぬぞ」
「わが藩も異存はござらぬ」
かくして、白軍の先陣争いはめでたく解決したのであった。




