144 小金井橋
すいません、また終わる終わる詐欺になってしまいました!
この前、分割したのに、またチョロチョロ書き足して、8000字超えてしまい、再々分割しました。
次回こそ、終わりにします!
0時更新予定です。
青梅街道は橋場の辻で江戸街道(=現東京街道)・立川街道(=鈴木街道)とわかれる。
この先、街道はほぼ一直線となり、つぎの馬継場である小川宿、箱根ヶ崎宿を経て、青梅宿にいたる。
ただし、ゴールの小金井橋に行くには、橋場から半里ほどのところにある寺の角で曲がり、青梅街道から離れ、南に転進しなければならない。
給水所を出、高度をます陽光に背を焼かれながら進んでいると、左前方に寺らしき建物が見えてきた。
おそらく、あれが左折ポイントの黄檗宗・野中山円成院なのだろう。
寺が近づくにしたがって、応援とはちがう人声が上がっているのに気づく。
騒ぎの発生源とおぼしき中華チックな赤い山門の方をうかがうと、門脇の沿道に人だかりができている。
どうやら倒れている黒装束の男を観衆が取り囲み、手当をしているようだ。
黒装束 ―― うちも農民隊もユニフォームは黒だが……よかった、忍者コスプレの方だ。
(脱水症か?)
脱水症は、真夏でなくても起きる。
たとえば、気温の高い日にきつめの運動をすると、当然、体温は急上昇する。そうすると人体は汗を出して、その蒸発時に生じる気化熱で体温を下げようとする。
こうした自己防御システムで身体は守られているわけだが、このときの発汗で失われた水分・電解質は、その都度きちんと補給しておかないと、脱水症を引き起こしてしまう。
脱水症を発すると、軽度では筋肉の痙攣・ひどい倦怠感・頭痛・めまい・吐き気などを引き起こし、さらに重度になると意識喪失し、悪くすれば命を落とすこともある。
だからCRCでは、走路三~四キロごと六ヶ所に給水所をもうけ、スポーツドリンクもどきを用意しておいたのだ。
とはいえ、こんな季節はずれの暑さでは、うちだって安心はできない。
再度気を引きしめ、俺は視線を前に戻した。
寺院角の往来には、旗を持ったオッサンが待機していた。
マラソン大会運営を任された韮山代官所から派遣されたスタッフ ―― 走路員だろう。
その誘導にしたがって、四つ角を左折し、両サイドに畑地がひろがるホコリっぽい隘路に入る。
木立の点在するこのあたりの畑地は、『野中新田』と呼ばれている。
野中新田のある江戸西部一帯は武蔵野台地に属し、もとは多摩川が造った扇状地で、そのうえに粘性の高い関東ローム層がぶ厚く堆積してできている。
多摩地域は多摩川流域や、段丘の縁端・崖線下流では水利が得られるが、そこから離れた高位地域は水の便が悪くて耕地には適さず、なかなか開発できなかった。
承応三年(1654)、幕府の命を受けた玉川庄右衛門・清右衛門兄弟は、爆発的にふえた江戸市民の飲料水を確保するため、多摩羽村から四谷大木戸までの四十三キロを、わずか八か月という短期間で掘りぬき、神田上水につぐ大規模上水道・玉川上水を完成させた。
当初、この上水は飲料用として引かれたが、享保期以降盛んになった新田開発ブームの中、農業用水にも分水がみとめられ(野火止用水・千川上水など)、多摩地域は江戸近郊の食料供給地として生まれ変わった。
野中新田も享保期に開墾され、発展した農地のひとつで、この開発にはさきほどの円成院もふかくかかわっている。
緑豊かな畑地の中を南進していると、前方にこの道と直角に交わる小路があらわれた。
これは先刻、橋場の辻で青梅街道からわかれた立川街道だ。
二街道の辻を越え、はるか右前方にゴールの柏屋横にある海岸寺の屋根が木立のあいだに遠望できるようになれば、そろそろ最後の難関、ラスト二キロのアップダウンがはじまる。
と、またもや道端で行き倒れている忍者を発見。
だが、こっちはさっきの忍者より重症らしく、まわりに集まった農民たちが、
「おい、しっかりしろ!」
「だいじょうぶか?」
「医者を呼べ!」などと口々に騒いでている。
(あれ、もしや、ちょっとヤバい感じ?)
お百姓さんたちのあわてぶりに事態の深刻さが伝わってくる。
こうなると、さすがにスルーするわけにもいかない。
やじ馬たちをかき分け、横臥する男の横にひざをついて観察する。
蒼白な顔
荒い呼吸
意識朦朧
かなりマズイみたいね。
「風が通る木陰に寝かせて、着衣を脱がせろ。全身の汗を絞った手ぬいで拭いた後、額・首筋・腋の下・股のつけ根をじゅうぶん冷やしてやれ。手の空いているものは、ウチワや扇で体温を冷ますのじゃ。もし飲めるようなら、水と塩を与えよ」
矢継ぎ早に指示を与えると、まずお百姓さんがふたりがかりで男を沿道脇の木の下に運びこむ。
ほかのやつらは、近くの民家から水の入った桶や手ぬぐい、塩壺、ウチワなどを持って駆け戻り、かいがいしく介抱をはじめる。
着こんだ装束を解かれ、濡れた手ぬぐいやウチワで体を冷やされた男はしばらくすると薄く目を開けた。
これなら、あとはみんなにお任せしてもだいじょうぶだろう。
じゃあ、ボクはレースに戻らせていただきまーす。
ところが、
「ぅう……そろそろ行かないと……」
かすれる声でつぶやき、立ち上がろうとする総彫りニイチャン。
「これこれ、ムリをするでない。そなたはこのまま棄権いたせ。ほれ、そなたら、もっとしっかり扇がぬか!」
飛脚をなだめつつ、お百姓さんたちにダメ出し。
クーラーがないんだから、人海戦術で体感温度を下げなくちゃ!
「いえ、そういうわけには。なんとしても小金井橋まで行かねば、お咎めが」
「ならぬ! これ以上ムリをいたせば、命にかかわる! そなたの仲間もすでに数人棄権しておる。脱落者はそなただけではない。いまはなにより体を愛え」
「し、しかし、ご老中さまが……」
塩大福め、どんな言葉で飛脚たちを脅したんだ!?
スポーツマンシップの『ス』の字もねーな!
「体調不良のため、やむなく途中棄権するはいたしかたなきこと。恥じる必要はない! 恥じるべきはムリな要求をせし者じゃ!
心配ならば、そなたらがこのことで不当な譴責を受けぬよう、この肥後が取りはからおう。
なにしろ、日ノ本初のマラソン大会で死者を出しては、今後の大会開催・選手育成にも支障が出るでな」
「「「「えぇっ、あなたさまが!?」」」
「「「あの大政参与の!?」」」
「「「肥後守さまっ!?」」」
俺の名乗りにパニクる民間人諸君。
「うむ、わたしが請けあうゆえ、安心して休め。そこな百姓ども、このものの介抱、しかと頼んだぞ」
「「「ははっ!」」」
てな感じで、後事を託して競技に復帰。
行く手はなだらかな下り坂。
この坂を下りきれば、道はゆるやかな上りに変わり、その坂をあがったところがゴールの柏屋だ。
柏屋は小金井橋のたもとにある花見茶屋で、お花見シーズンともなると、店では、二、三十人もの人を臨時に雇い入れ、酒・寿司・里いもや早掘りタケノコの煮物・鮎料理・だんご・菓子などを用意し、ガッポガッポ稼いでいらっしゃるという(……うらやましい……)。
ということで、
(よっしゃ、ここからだ!)
覚悟していた高低差は、大野にマッサージしてもらったせいか、ふしぎなくらいまったく苦にならない。
重力による加速もくわわり、大きなストライドで駆け降りれば、左右の景色が飛ぶように流れていく。
快調に坂道を下り、つぎは上り坂……、
「「「「容保さま~」」」」
後方から聞こえる複数の呼び声。
「本多、大久保、水野、内藤……?」
下りてきたばかりの坂上で、同じユニフォーム姿の野郎どもが大きく手を振っている。
(あれ? あいつら、たしか第三集団じゃ……?)
つーことは…………俺は松平たち第一集団に置いていかれ、給水所でまったりしているあいだに、いつのまにか第二集団にも抜かれ、敵の忍者をかまっているスキに第三集団にさえ追いつかれたのか!?
じゃあ『ゴールでみんなを迎える』じゃなくて、『ゴールでみんなに迎えられる』になるわけ!?
いや、いくらなんでも、それじゃ、あまりにもカッコ悪すぎだろ!?
呼びかけを振りきるように、全力でスパートをかける。
「「「「お待ちくだされ~、ともにゴールテープを~!」」」」
やつらも残る力をふり絞り、ガチで追い上げてくる。
「イヤじゃー!」
「「「「なにゆえ、そこまで意固地に~?」」」」
さっきより声が近づいている。
くそっ! 軟弱なボンボンのわりには底力あるな!
「チーム最下位には、なりとうないのじゃー!」
「「「「われらも同じでごさいまする~!」」」」
あー、また詰めてきやがったー!
「「「容保さま! ラスト三町(約327m)にございまするぞーっ!」」」
前からは、松平たちの熱いコールも。
はげしい息づかいが背後にせまる。
「意地でも行かせるかー!」
―― ゴーーール ――
晒し布を継ぎ合わせたゴールテープが宙に舞う。
タイムは、手もとの時計で二時間三十五分。
「(ぜぃぜぃ)……待たせたな……(ハァハァ)」
精一杯ミエを張り、悠然とほほえみつつ片手をあげる。
「「「「容保さまーっ!!!」」」
俺を中心とした歓喜の輪ができる。
そこに後続のランナーたちもつぎつぎにくわわり、もみくちゃにされる。
「みな、おるな?」
ざっと見まわしたところ、全員そろっている。
ということは……。
「わが方の勝利じゃーっ!」
「「「おおっ!」」」
「「「やった!」」」
「「「飛脚に勝った!」」」
「な、なぜですか? われらは上位を独占しましたぞ!」
ふんどし一丁で寝転がっていた裸族たちがはね起きる。
「われらは全員完走したが、農民隊は失格となった者がおるでな」
「ま、まさか……」
「おれたち飛脚が」
「お侍に!?」
力なく崩れ落ちる八体のカラフルボディ。
視界いっぱいにひろがる満開の桜並木
足元を流れる玉川上水の清流と白い梢のかなたにそびえる霊峰富士
まるで勝利を祝うかのごとく舞い散る花吹雪
仲間とともにかみしめる達成感




