140 号砲
今回はスポ根仕立て……(のはず)(@_@;)
ゴーン ゴン ゴン ゴーーーーーーン
三打の捨て鐘につづき、明け六つを知らせる鐘声がひびきわたる。
時の鐘は、最初に『捨て鐘』という前触れを三つ撞いて人々の注意を引いてから、時刻をつげる鐘を撞く。
このとき、捨て鐘と時報を区別するため、捨て鐘は一打目を長く、二・三打は短めに連打し、すこし間を開けてから、本番の鐘を時の数だけ撞くことになっている。
江戸市中には時の鐘が十カ所ほどあり、まず上野寛永寺の鐘が最初に鳴らされ、つぎは市ヶ谷八幡の鐘が、そのつぎは赤坂成満寺、つぎに芝切通しと、前の捨て鐘を合図にして各鐘撞堂が輪唱のように時を告げていく。
寛永寺の時の鐘からややあって、半蔵門に近い赤坂田町の鐘が鳴りはじめる。
と、
ブォォォー ブォォォー ブォォォー
ドォーン ドォーン ドォーン
ジャンジャンジャンジャン
時の鐘とともにわきおこる大音響。
(うっせーなーっ!)
近隣のみなさまにご迷惑なレベルの、陣貝(=ほら貝)・戦鼓(=陣太鼓)・銅鑼による騒々しい三重奏は、もちろん仙台藩大応援団によるもの。
お気持ちはうれしいんですけど、時の鐘がすっかりかき消されちゃってるんですが!
これじゃヘタすると、最後の鐘の直後に撃たれるはずの号砲も聞こえないじゃないか。
ったく、もうちょっと考えて応援してくれよ……(ブツブツ)。
「くっくっく」
埋没しがちな時報を拾うおれの耳に、不快な音が忍びこんできた。
となりのぽっちゃり忍者が、なぜか俺を見つめてニヤニヤしている。
「なにがおかしい?」
もしかすると、わざとレース前にイラつかせて、ペースを崩そうと企んでるのか?
うん、あの腹黒ならじゅうぶんありえる。
(けっ、だれがそんな見えすいた手に!)の怒りをこめ、 徳川セレブが作れる一番怖い顔で睨みかえすと、
「万にひとつも負けるとは思っておられぬようですな?」
以前よりシャープになった頬に刻まれる、クソ意地悪いほほえみ。
「たしかに、あの日 ―― 侯が勝負を挑まれたひと月半前に、遠足勝負をしていたら、それがしに勝ち目はございませんでした。
なれど、それがしとて、戦ともなれば数千の家臣を率いて戦う大名。勝負を前にして、なんの手も打たず、無為無策のまま四十余日を漫然とすごしていたとお思いか?」
「なんだと!?」
多少絞ってきたとはいえ、どう見ても長距離走には不向きな小DEBUが、するどい眼光で俺たちをねめまわす。
「数刻後、勝利の美酒に酔うのは、はたしてどちらでしょう……ふふふ、たのしみですなあ」
そう言い捨てたオッサンは、視線を西に ―― ゴールの小金井方向に転じて、ほくそ笑んだ。
「そなた……いったい、なにを?」
「双方、位置につかれい!」
不安にふるえる俺の声は、江川太郎左衛門の招集にかき消された。
―― ゴーーン ――
五番目の鐘が、早朝の大気をふるわせる。
「いざ」
江川がピストルを空にむけて構える。
―― ゴーン ――
―― BANG ――
明け六つ最後の時報と同時に、快晴の空に号砲が鳴りひびき、日本初のマラソン大会=『徳川幕府主催 御府内・小金井間 御遠足競走 ―― 別名:走り競べの儀』の幕は切って落とされた。
「っ!?」
想定外の事態は、スタート直後におきた。
半蔵門を起点とした、甲州・青梅各街道の共通区間は、麹町の町人地を通り、四ツ谷御門にいたる。
その町家街を貫く大通りを、十二人の忍装束が駆け抜けていく。
俺たちCRC全員を置き去りにして。
「そんなバカな……」
見る見る遠ざかる集団。
それを呆然と見送っていると、複数の影がおれの横をすり抜けて離れていく。
「ならぬ! ついていくなっ!」
メンバーの一部が、敵のハイペースにパニクり、設定タイムを無視して追走しはじめたのだ。
―― だめだ! あれについていったら、確実につぶれる! ――
「逸るな! 落ちつけっ!」
スタートから七百メートル地点。
道はゆるやかな右カーブとなり、農民隊の姿はすでに目視できない。
懸命に呼びかけた甲斐があり、男たちは徐々にペースを落とし、集団に吸収されていった。
「みな、惑わされるな! あのようなペースで走っては、小金井どころか、田無までも持たぬ!」
「くっくっく」
はるか後方から、人の悪い嘲笑がわいた。
「肥後守ご自慢の歩兵部隊も、案外大したことはございませぬな」
「なにっ!?」
「この勝負は総合着順によって決します。それがし個人では侯に勝つことがかなわずとも、味方の多くがそちらより先に到着すれば、わが方の勝ちにございまする」
(―― ! ――)
たしかに、あっちが一位から十二位までを独占すれば、主将の大福が最下位だったとしても、タイムでの逆転がない以上、勝敗はゆるがない。
積年の恨みを晴らすどころか……。
「わたしが伊勢守に個人的に勝利したとて、勝負そのものには……」
「「「負ける!?」」」
あちこちから悲鳴があがる。
「それにしても、解せぬ」
いくら相手は農民ばかりで、武士中心のCRCにくらべて運動能力がすぐれているとしても、ここまで離されるのはあまりにも不自然だ。
なにしろ、おれたちCRCは去年発足してから約一年弱、曲がりなりにも長距離に特化した練習を積んできたのだ。
なのに、昨日今日はじめたやつらが、なぜ?
「あっ!」
ま、まさかっ!?
「あやつら、飛脚ではございますまいか?」
横を走る松平も同じ結論に達したらしい。
「「「飛脚!?」」」
周囲から湧く怒声。
「「「卑怯ではないかっ!」」」
「たしかに卑怯だ。だが……」
事前の取り決めで、俺はユニフォームに関する条項をみとめさせた。
なぜなら、ランパンがないこの時代、長距離走に適したかっこうといったら、飛脚スタイル ―― 上裸&ふんどしルックしかない。
だが、俺たち武士がふんどし一丁になるわけにもいかず、大会規約に同一チーム同一ユニフォーム着用義務を強制したのだ。
わがCRCが不利にならないように。
だが、俺は『飛脚のようないでたち』は禁じたが、『飛脚そのもの』を選手登録することは想定していなかった。
「しまった」
読みが浅かった。
またしても、俺は……。
「「「容保さまっ!」」」
「「「いったい、どうすれば?」」」
重くなる空気。
重くなる足取り。
暗くしずんだ俺たち十三人は、団子状態で四ツ谷御門を通過した。
スタートから約三キロ
四ツ谷大木戸が見えてきた。
大木戸といっても、このころには木戸はなく、左右に高い石垣があるだけ。
その手前には高札場があり、今日の大会の告知も見える。
四ツ谷大木戸は、信濃高遠藩内藤駿河守の下屋敷横にあり、この屋敷跡は二十一世紀には『新宿御苑』となっている。
大都市江戸のライフライン・玉川上水はこの屋敷地に沿って流れており、この敷地内の巨大な池は、江戸の水がめとしての役割も担っている。
四ツ谷大木戸から先は江戸四宿のひとつ、甲州街道最初の宿場『内藤新宿』。
青梅街道は、大木戸から約一キロ弱の内藤新宿西端『新宿追分』で甲州街道と分かれる。
―― 半蔵門からおよそ一里(四キロ)、約二十五分 ――
手元の懐中時計で、所要時間を確認する。
(……遅い……)
今日は設定タイム別に三グループに分かれて走ることになっていた。
だが、スタート直後に忍者軍団に置いていかれ、動揺をしずめるために、つい全員いっしょにここまで来てしまったのだ。
でも、そろそろタイムごとにばらけて前を追って行かないと、ペース配分がおかしくなる。
完全に明けきった晩春の空に、『毘』と『龍』の軍旗がひるがえる。
米沢藩上杉家の大応援団だ。
「給水はこちらでございますぞ!」
沿道から、竹筒を持った侍たちが大声で呼ばわる。
「草鞋の切れた方はおられぬかー!?」
こちらでは手にしたワラジを大きく振っている。
「みな、給水をしておけ。喉が渇いておらぬなら、口にふくんでうがいするだけでもよい」
「「「はっ!」」」
メンバーはつぎつぎに竹筒を受け取り、口に当てる。
給水といっても、じつは竹筒の中に入っているのはただの水ではない。
中身は、水に塩と砂糖で味つけして煮出した液体 ―― スポーツドリンクもどきで、言うまでもなく、汗とともに失われる水分・ミネラルを補給して、脱水症状を防ぐための特製ドリンクだ。
これは俺が指示して作らせ、奥羽越各藩に沿道一里ごとに担当を決めて、ワラジとともに託しておいたもので、米沢藩は最初の給水所を受け持っているのだ。
ふと見ると、軍旗の下に鷹狩風コスチュームの、いかにも殿さま然としたオッサンが佇んでいる。
三十代半ばのその人は、おそらく米沢藩第十二代藩主上杉弾正大弼斉憲さんだろう。
朝も早から、よもやのVIP御出座応援。
さすが、『義』に厚い上杉家!
「弾正大弼さま、かたじけのう存じまする」
ふかぶかと頭を下げれば、鷹揚な笑みをたたえてうなずき返してくれる。
(やだ、ちょっと泣きそう)
傷んだ心に、上杉さんのやさしさがジワジワしみてくる。
つぎに、
「ご一同、かたじけない!」
米沢藩士諸君に向かって、声のかぎりに叫べば、
「「「エイ、エイ、オー!」」」
力強い声援が返ってきた。
そして、
ブォーン ブォーン
ジャンジャカ ジャンジャン
ドン ドン ドーン
給水の間中奏でられる、仙台藩とは微妙に異なる応援。
その音色に、なぜか身の内からフツフツ湧いてくる熱い闘志。
上杉さんの背後にたなびく二旈の旗は、北方の守護神で、戦の神・毘沙門天(多聞天)をあらわす『毘』の旗と、もうひとつは流麗な筆致で書かれた『龍』の旗。
この文字は『懸かり乱れ龍』と呼ばれ、全軍突撃の合図として用いられているものだ。
―― 北方の守護神、戦の神、全軍突撃 ――
越後の虎、越後の龍、越後の獅子……軍神・上杉謙信!
「みな、もはや勝敗は慮外じゃ。
かくなるうえは、おのおの最後まで最善をつくそう。
かの謙信公もわれらの戦いぶりを照覧あるぞ!
軍神の目に恥ずかしくない戦をしようではないか!」
「「「はっ!」」」
「「「エイ、エイ、オー!」」」
沿道の米沢藩士までもが、『謙信』の名に反応して、鬨の声をあげる。
「では、これよりは事前の取り決めにしたがい、走力別小集団に分かれる!」
「「「おー!」」」
「なれば、わが友よ」
「「「と、友?」」」
男たちが息を呑む。
みな、身分差のある俺から友呼びされたことに衝撃を受けたらしい。
「だれひとり欠けることなく来たれ! わが友よ、かの地でふたたび相まみえん!」
「「「容保さまっ!」」」
「「「かならずや参じまするっ!」」」
かくして、いったんはパニックにおちいったCRCは、米沢藩給水所でなんとか復活し、見えない敵の背を追う決意を固めたのであった。




