136 桜田学問所 女子部
八つ半(午後三時)
ドーン ドーン ドーン ドーーン
四時限目終了の太鼓の音が学舎内にひびきわたる。
この学問所では、午前二コマ、午後二コマ、計四コマの授業がおこなわれる。
男子部は午前中に外国語の選択必修、午後からは文系・理系の選択コースにわかれ、俺のような文系は語学を、理系は医学・科学を学ぶ。
外国語が選択制になっているのは、俺や家臣たち、蘭学者などのように、すでに特定の言語については一定レベルに達している学生もいるので、全員が全課程を履修する必要がないからだ。
理系授業は、CRC監督で蘭方医の村田良庵と奥御医師・松本良順、オランダ人のフリして不法入国しているドイツ人の商館付医官が担当している。
(どうでもいいけど、入国管理ゆるゆるだな!)
また、女子部は男子部とは逆に、午前中に選択コース、午後は外国語となる。
これは講師数が ―― とくに、理系蘭学者が不足しているためだ。
この時代、蘭学者の多くは蘭方医なので、優秀な蘭方医は診療で忙しいうえに、私塾を開いていることも多く、講師依頼を出してもなかなか応じてもらえない。
そういう意味では、今朝、渡辺崋山に紹介された沢という蘭方医……しばらくようすを見て、使えそうなら学問所に引っぱるか?
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本日の授業も終わり、いよいよ練習開始!
「みなのもの、いざ!」
読本と帳面をしまって立ち上がると、
「「「おーっ!」」」
瞬時にルームメートからCRCチームメートに早がわりするヤローども。
よしよし、今日もヤル気満々だな。
江戸の町名主で記録魔の斎藤なんちゃらさんによると、江戸では、立春から二十六、七日目あたりから梅が咲きはじめ、桜はそれから三十数日たったころに開花するらしい。
つまり、プライドをかけた大勝負まで、あと一ヶ月ほど。
そろそろ最終調整と、出走メンバーを決めなければいけない時期なのだ。
そんなこんなで、われらアスリート軍団は教場を後にし、玄関にむかった。
むさい男子部の学び舎には似つかわしくない金箔キラキラの廊下を通り抜け、遠侍に出る。
と、
「あなたはいつも「輪を乱し「自分勝手「協調性「たまには「ひとの話「何度申しあげれば「なにかおっしゃって「ちょっとまだ話は」
「「「キーキー! ギャーギャー!」」」
耳ざわりな怪音を発する一団が、昇降口の土間のど真ん中(シャレではない)を占拠している。
やかましい集団の正体は、十人ほどの海老茶式部たち。
海老茶式部とは、海老茶色の袴を着用した女学生のことで、明治・大正期に流行った、いわゆるハイカラさんルックだ。
ちなみに、海老茶色は葡萄蔓の実の色で、ワインレッドに近い。
じつは、このハイカラさんコスプレは、ボクが提案した桜田学問所女子部の制服なのですっ!
ところで、江戸時代は身分によって、いでたちが全然ちがいます。
つまり、ひと目でその人の身分がわかるようになっているのです。
髷も武家と町人ではまったくちがうし、着物の素材も身分によって変わってきます。
たとえば、農民は絹を着物に使っちゃダメとか、雨の日に傘をさすのも一定以上の身分に限られるとか、とにかく身分ごとに細かい決まりがあるのです。
ここの学問所には、大奥から異動してきた寮生のほか、一部の女子や男子学生のように自宅から通学する学生もいます。
通学生は授業料さえ払えばその身分は問わず受け入れているので、大名・直参、豪商・豪農など、あらゆる身分の者があつまってきます。
そこでボクは、「身分をこえて集う学生に、この学問所独自の制服を着せることで、統一感と一体感を持たせよう!」と考えたのです。
とはいえ、すべて指定するのではなく、基本の形だけを決め、素材は自由にさせました。
だって、身分もさまざまなら、経済力もさまざま。
上絹を指定しても、用意できないひともいますし、逆に、きっちり木綿指定をしたら、大名家や豪商からクレームがきかねません。
ということで、当学問所では、男子部はオールブラックの羽織袴に、冬はバンカラ風マントを着用。
女子部は、小袖と女袴に、髪は下げ髪にリボン、または、あっちの世界で『マガレイト』とよばれる太い三つ編みにリボンをつけたヘアスタイルを提案しました。
女袴というものは、襠(股の部分)なしのスカート状の女性用袴で、これならトイレでも困りません。
なんでも最近では、その形状から行燈袴・提灯袴などとも呼ばれているそうです。
そして、この袴の利点は、男性の野袴や馬乗り袴のような背中の腰板がなく、すとんと落ちるシルエットは優美なのに、着つけは楽で、小袖の裾がはだけても袴で見えないので安心です。
また、成長して丈がみじかくなった着物も袴でごまかせるので、手持ちの着物を利用しつつ、新しいファッションを楽しめます。
ああ、そうそう、本来なら、紫色の袴の女子学生は海老茶式部ではなく、紫衛門というらしいのですが、めんどうなので、ここではすべて海老茶式部と呼んでいます。
さらに、髪形についても、下げ髪やマガレイトは従来の丸髷や銀杏返しとはちがい、髪結に行かなくても、自分でチャチャっと簡単に結うことができるので、時短&経済的です。
こうして制定された学問所独自のファッション ―― とくに、女子部の海老茶式部は、『学問所風』として江戸中でもてはやされ、いまでは吉原の遊女から商家のお嬢まで、みんながこの恰好をマネたリボンつき下げ髪・袴姿が大ブームとなっております。
さて、なんで俺がこんなに学問所女子部の制服にこだわったかというと、これには深ーいわけがあるのです。
ぶっちゃけ、これは去年取り組んだ大奥解体のアフターケアの一環なのです。
相当難航すると思った大奥解体は、意外にもすんなり運びました。
でも、時間がたつにつれ、じわじわ不満が出てくることはじゅうぶんありえます。
なにしろ、いままでは公費でゼイタク三昧だったのに、しんどい外国語履修やら、自立にむけたスキルアップやらで、いきなり競争社会にブチこまれたわけですから、不平不満がたまるのも時間の問題。
そこでボクは、突き上げをくらう前になにかできることはないかと考えました。
ピコーン!
「斬新なファッション導入でごまかそう!」
ほら、受験者数が減った私立高校とかで、有名デザイナーの制服に一新したとたん、志願者数がアップしてウハウハなんて話、よく聞くでしょ?
アレですよ、アレアレ。
画期的な制服をうちの学問所のウリにすれば、江戸中の話題になります。
「海老茶式部イコール知的女性」
「時代の最先端は下げ髪と袴!」
「これぞハンサムウーマン」
……みたいな?
すると、これが大当たり!
学問所の桜の徽章をつけた海老茶式部の女学生は、いまや江戸っ娘あこがれの的♡
これには女子部のオネーサマがたも大いにプライドをくすぐられ、大奥解体のクレームなんて一件もあがってきません。
ボクの狙いどおり、「ガス抜き作戦、大成功!」です。
それにボク個人としても、オネーサンがたを刺激しないよう、われら会津主従は質素な黒木綿を着用しています。
木綿の羽織袴はうちがビンボーなこともありますが、リストラで年収が大幅ダウンしたオネーサンたちに目をつけられないためでもあるのです。
―― めでたし、めでたし ――
それはそうと、眼前の海老茶式部によるバトルは、ますますヒートアップ。
「迷惑じゃのう。あそこに陣取られては外に出られないではないか」
もう、やるならソコじゃなくて、校舎の裏にでも行けや!
こっちは、一刻でも早く練習に行きたいのにぃ。
まぁ、通ろうと思えば通れなくはないのだが、あんな修羅場には近づきたくないというのが本音だったりする。
―― 女子のイザコザにかかわると、絶対ロクなことにならないし。
(こんなことなら、昇降口は男女別にするべきだった~。なまじ出会いのチャンスを増やして、「寿退所促進~」とか、たくらむんじゃなかった)……と後悔しつつ、なりゆきを見まもる俺。
「二対八。通学生対寮生ですな」
背後の親衛隊長がボソッとつぶやいた。
たしかに、見たところ、ふたりの女子をその他大勢が取り囲んで攻め立てているもよう。
「通学生? では、あれが黒田家からきている女子か?」
たしか、女子部の通学生は筑前福岡藩からの二名のみ。
いわれてみれば、かなり高価そうな小袖を着ている女と、その侍女らしき娘が、白塗りのケバいオネーサンたちに囲まれている。
ところで、この学問所には大名家から入所している学生が数人いる。
庄内藩酒井家のカタバミくんや、上田藩主で老中の松平忠優の息子ふたり、同じく老中の三河西尾藩主・松平乗全の弟などだ。
そして女子は、黒田家縁者のふたりだけ。
女子部はほとんどの学生がもと大奥にいた奥女中。大奥がなくなり、しかたなく学生になったオネーサンたちは、ほぼ全員寮生だ。
この時代の大名家女子はあまり外出はせず、教育もすべて屋敷内でおこなわれる。
こうして学校に通うのはめずらしい事例なのだ。
(……俺も利ちゃんに勧めたけど、あっさり拒否られたしね)
さすが蘭癖。やっぱ、ただものじゃねぇな、黒田さん。
でも、縁者って……?
母親の身分がめちゃくちゃ低くて、あまり公にしたくない庶子か?
だから、通学をゆるしたのか?
「松平」
「はっ」
心なしか憂いにみちた表情で向きなおる風紀委員長。
「ほれ、風紀委員の出番ぞ。仲裁してまいれ」
「……しかし……」
さっきカタバミくんをビシビシ糾弾していた男とも思えない歯切れの悪さだ。
「どうした? かようなときこそ、そなたの腕の見せどころじゃ。疾く治めてみせい」
「なれど……」
風紀委員長はますます顔色を悪くしながら、モジモジ。
「じつは私……生身の女子は苦手でして……」
「なんだと!?」
「はあ、女子は錦絵のお豊しか受けつけませぬゆえ……」
おまえもか!
どうなってるんだ、お豊会は?
二次オタばっかじゃねーか!
なんか急に、塩大福を祝福したくなってきたわ。
「ですから、ここはひとつ、容保さまが仲裁の労を……」
「バカを申すな! かようなドロドロギスギスの修羅場に、わたしのように繊細な貴公子が入ってゆけると思うか?」
「なれど、殿、どうやら諍いの因は、かの遠足勝負らしゅうございますぞ?」
「なにっ!?」
森粂之介の指摘を受け、耳をすましてみれば、
「来たる遠足には、あの『葵の君』さまがお出になられるのですよ?」
「わが学問所の朋輩をみなで応援しなくてどうするのです!」
「みな打ちそろって沿道に立ちならび、声援を送ろうと誘っておるに、断るとは」
「協調性がなさすぎます!」
……口論の原因って、それかよ。
「やはり、ここは容保さまでなくては治まりませぬ。なにとぞ」
調子こいた風紀委員長が、グイグイ押しつけてくる。
「いや、わたしは女子部に応援要請などしてはおらぬぞ?」
たしかに奥羽越諸藩には沿道支援頼んだけど、それは今後の軍事同盟につながると思ったからで……。
女子部なんて、怖くて足を踏み入れたことも、話したこともないのに、なんで???
「「「早くなさらぬと、鍛錬する暇がなくなりますぞ!」」」
今度はほかのCRCメンバーまでもが、虎穴に入れとうながす。
言い忘れたが、風紀委員長もチームメートのひとりだ。
くそ、最大のウィークポイントをついてきやがってー!
あー、もー、しょうがねーなぁ。
「あ~、これこれ、いがみ合うてはならぬ~。仲ようせ~い」
こうして俺は、心ならずもドロドロの紛争地帯に歩を進めたのであった。




