135 三奪法
大野宅を追い出された俺たちは、大忙ぎで会津藩邸正門・表大御門を出、学問所に向かった。
和田倉御門正面にある塩大福の屋敷を呪いをこめて一瞥したあと、馬場先掘を右に見ながら、八代洲河岸沿いに南進する。
掘の反対側に建ちならぶ屋敷群 ―― 複数の老中・若年寄役宅、岡山藩邸、林大学頭邸、定火消御用屋敷、ツンデレ宅、古河藩邸の横を通り、日比谷御門にたどり着く。
十五間×四間(27.3m×7.28m)の、櫓門としてはやや小ぶりな城門から枡形に入ると、前方に広がる日比谷堀の水面が春風に波立ち、陽光を反射してキラキラかがやく。
まるで湖上に浮かんでいるような対岸の大名屋敷をながめつつ、広場左手にある高麗門をくぐる。
桜田学問所は、日比谷御門のすぐ横。
ちなみに、学問所の西隣は、毛利本家の長州藩上屋敷。
そのさらに西側には、上杉氏の出羽米沢藩邸。
また、学問所南側は、肥前藩鍋島家の上屋敷だ。
枡形門は外側に高麗門がくるので、俺たちは日比谷御門の内側から外に抜けたことになる。
つまり同じ外様大名でも、櫓門内にあるツンデレ喬士郎の鳥取と岡山の両池田家、土佐藩山内家・阿波蜂須賀家・肥後細川家などは譜代あつかいで、高麗門外に屋敷がある毛利・上杉・鍋島・定之丞の広島藩浅野家・福岡藩黒田家・薩摩藩島津家は、「おめーら、バリバリ疑ってるからな!」な仮想敵認定されているのだ。
そして、日比谷御門外の反徳川勢力を見張るため、譜代トップの井伊家が桜田門外の高台からにらみをきかせているというわけだ。
ギリギリの時間に到着した会津藩主一行は、男女共用の玄関から中に入った。
この先は男女別で、男は左、女は右側に学舎が設けられている。
大奥から移築した高級材で造られた式台を上がり、遠侍から伸びる廊下を進む。
最初の分岐を曲がり、一時限目の講義が行われる教場を目ざす。
ほかの学生たちはすでに着席しているようで、うす暗い廊下を歩くのは俺たち主従のみ。
かつて奥御殿で使われていたみごとな襖を鑑賞しているうちに、最奥の講義室に到着する。
俺の属する『い組』の今日の授業は一限がフランス語、二限がオランダ語で、どちらもオランダ商館長・苦ちぃ、じゃなくてJ・H・ドンケル=クルチウスが講師をつとめる。
源氏物語の一場面が描かれた優美な襖を開けて中に入ると、さいわいオッサンはまだ来ていなかった。
これで遅刻でもしようものなら、宿題倍増の刑に処せられるところだ。
こうして、俺の桜田学問所での一日がはじまったのである。
*************
二コマ連続のハードな授業でヘロヘロになったところで、ようやく待望のランチタイム。
いつものメンバーとお志賀特製キャラ弁をひろげる俺の耳に、そのか細い声はしのびこんできた。
「あ、あ、あの……ひ、肥後守さまっ!」
ふり返ると、丸に片喰の紋をつけた少年が、緊張した面持ちでこっちをチラ見している。
ちなみに、片喰(酢漿草とも)とは、日本各地に自生するちょっと見クローバーに似た雑草のこと。
カタバミは繁殖力が強く、いったん根づくとなかなか駆除できないしぶとい植物だからか、家運隆盛・子孫繁栄のシンボルと見なされ、武家の家紋としてよく用いられる。
「ひ、ひひ昼を、いしょ、いっしょにいただいても……よろ、よろしいでし、しし、しょうかぁーっ?」
少年は盛大にカミながら、必死に訴えてくる。
「昼?」
見ると、カタバミカミカミくんの後ろには、弁当らしき包みを持った近習たちがずらり。
「わたしは別にかま――「ちょっと、そこのきみっ!」
逆サイドからするどい声が飛んだ。
音源の方向に目をむけると、そこには険のあるまなざしで仁王立ちする白皙の美青年ほか七人の侍。
「『きみ』とは、わたしのことか?」
「そうだよ、ほかにいるかい?」
百数十年後に生まれていれば、まちがいなく銀縁メガネをかけているであろうその青年は、刺すような眼で少年を見すえた。
「なにか用か?」
さっきまでカミカミしていた子どもとは思えぬ冷静な返しだ。
「『なにか』だと? きみはあきらかに規約違反をしておきながら、開きなおるのだな?」
「違反?」
少年がいぶかしそうに眉をひそめる。
一気に険悪化する空気など意にも介さず、エア銀縁氏は冷笑でそれに応える。
「この桜田学問所は『三奪法』が適用されている。しかるにきみは、『肥後守』という世俗の官名で呼びかけていた。風紀委員長として看過できない」
言うまでもないが、三奪法とは、すべての学生はその身分・学歴・年齢を越えて平等に就学する場を得、実力のみで評価されるシステムのことで、この桜田学問所では設立当初から、これを導入している。
もとは五十年ほど前に広瀬淡窓が創立した私塾・咸宜園ではじめた教育理念なのだが、階級制度がガッチリ構築されているこの時代に、官営学校で学生の意志・個性を尊重するという方針は暴挙にひとしい試みだ。
そして、風紀委員や生徒会など、学生による自治組織が置かれているのもこの方針にのっとっている。
「なるほど、迂闊であった」
カタバミくんはすなおに非を認めた。
「ならば、松平さまとお呼びしよう」
「ふっ、大名・直参が多数を占めるこの学問所に松平姓が何人いると? その証拠に、かく言う私も松平だ」
『泣く子がだまるどころか失禁するまで追い詰める』と恐れられる鬼の風紀委員長さまは、わずかに口角をあげてせせら笑う。
「では、なんとお呼びすれば?」
カタバミくんから絶対零度の冷気がただよいだす。
「われらは『葵の君』とお呼びしている」
やめれ、そのこっ恥ずかしい二つ名は!
「松平隊長」
いつもより低い声で呼びかければ、ふり返る男の顔がみるみる朱にそまる。
「な、なんでございましょうか?」
背筋を伸ばして俺に向きなおる松平をにらみつける。
(っ、怒った顔もステキ……)というつぶやきは、聞こえなかったことにする。
「そなたはわたしのなんだ?」
「はっ、親衛隊長でございますっ!」
「では、親衛隊とはいかなる組織か?」
「はっ、お仕えもうしあげる御方が日々快適に過ごされますよう、環境をととのえる組織にございます」
「ならば、なにゆえわたしの禁じた呼称をいまだに使いつづけておる? わたしはそのいかにもBL小説王道学園もの的呼び名はキライじゃと言うたはずだが?」
(おい、『びーえる』ってなんだ?)と、室内がざわめくが、教えてやる気は一ミリもない。
「諱でよいと、何度言うた?」
「なれど、それではあまりにも、おそれ多く……」
「わたしがよいと言うておるのだ。わが命に従えぬなら、親衛隊などいらぬ! 即刻解散せよ!」
「し、しかし、私は大野殿より侯の身辺警護および支援を委託され――「従うのか、従わぬのか?」
「……従います、容……保さま」
「それでいい」
鷹揚にうなずいてみせると、松平隊長はうるんだ目で俺を見つめ、一礼して去っていった。
親衛隊 ―― これまた腐臭プンプンの一団がボクにつきまとっているのは、すべて大野氏の差し金によるものです。
近習歴十四年余で留守居役に栄転した大野氏は、ボクが通学をはじめるにあたり、懇意の団体に支援をもとめました。
懇意の団体とは、自分が副幹事をつとめる、あの『お豊ちゃんを見守る会』のことです。
いうまでもなく、この会の目的は『一民間人の美少女・お豊ちゃんを見守る』ことにあり、入会資格は『お豊ちゃんが好き』なら誰でもOKなので、身分・年齢を超えたヤローどもの集りとなったのです。
てなわけで、ここには大野氏のような江戸詰の陪臣から、大身旗本の厄介やら、若き赤貧御家人、大店のボンボン、神の手をもつ職人や豪農、あらゆる階層を網羅する人財がそろう結果となりました。
そして、『お豊会』幹部である大野氏は、近侍できなくなった自分の代わりに主君の学園生活をサポートしてくれる助っ人を、定例会で募りました。
そこで名のり出たのが、会員で桜田学問所風紀委員長でもある松平氏ほか数名の学生でした。
でも、ボクとしては、森粂之介くんはじめ会津藩小姓組のメンバーもいっしょに通学するので、護衛兼補助員は必要ありません。
なので、「そんな親衛隊もどきのヘンなニーチャンたちは要らん!」とお断りしたところ、
「『親衛隊』……親しく衛る隊? すばらしい! その名称、いただきます!」と、松平氏はエア銀縁をかがやかせて大よろこび。
どうやらボクは、この時代の日本にはなかった名詞をうっかり伝播してしまったようです。
完全に墓穴を掘ってしまいました。
そんな感じでズルズル発足した団体だったわけですが、お豊一筋だったはずの隊員さんたちは、日に日にボクの美貌に魅了されていき、あろうことか名実ともに容さま親衛隊と化してしまったのです。
そのあげくが例のBL臭い二つ名 ―― 『葵の君』。
日本の高校なのになぜか金髪碧眼の美形が出てきて、あんなことやこんなことをする妄想世界的ニックネーム……ホント勘弁してほしいです。
それに『お仕えする』とかほざいてましたけど、コレって三奪法の精神に反してるんじゃないでしょうか?
広瀬淡窓先生がバケて出てきそうな気がします。
あれ? なんの話だっけ?
「(げふんげふん)きみ、よかったらここに座りたまえ」
フリーズしている少年に引きつった笑みをむける。
「あ、あああ、ありがとうごっ、ございままますぅ」
さっきまで鬼の風紀委員長と丁々発止やりあっていたカタバミくんは、またカミカミ状態にもどっている。
なぜだ? なんか引っかかる。
「きみは、たしか、新入生だったね?」
「は、ははいっ! 酒井忠仁と申します!」
丸に片喰の酒井……庄内藩左衛門尉家か。
となりに座って弁当を食べはじめる少年をさりげなくチェック。
違和感の根拠を見きわめないとヤバイかもー!、な警戒心がムクムクわきあがる。
(……えーと、会津侯の弁当は今日も大野源吾と同じ、と)
背後で妙なつぶやきが聞こえた。
たしかに俺と源吾のお志賀謹製弁当は、弁当箱のサイズから弁当包みまでいっしょだが……?
「ときに、そなたの菜はなんだ?」
相手の意図がわからないので、手近な話題をふり、ようすをうかがう。
「フナの甘露煮と大根漬けにございます」
「ふむ、フナか。ちゃんとタンパク質を摂取しているとは、感心じゃのう」
(((タンパク質!?)))
後ろで複数の男たちが一斉にメモを取る音がした。
ふくらむ一方の疑心を察したのか、風紀委員長が再度近づいてくる。
「タ、タタンパク質とは、なん、なんでございますか?」
カタバミくんが食い気味に聞いてくる。
「生物を構成する成分のひとつで、動物にとって大事な栄養素でもある。それにしても、いい照りじゃのう。フナは好物か?」
(((え? え? ちょ、ちょ待って! 生物? 成分? 栄養素ってー!?)))
カミカミくんの家臣たちがパニックにおちいる。
「……と、もも申しますか、わが藩の、かっ、抱え屋敷が錦糸堀の傍にありありまして、よく釣れるものですから」
イライラした視線を家臣団に投げかけるカタバミくん。
「ほう、釣りか。好きなのか?」
「す、好きというか、わが庄内藩では釣りは『釣道』と申し、武芸の一環とみなされており…………よろ、よろしかったら、一度拙宅にお運びくださいませ。さすれば、わたしも父にやいのやいの言われず……」
「む? いまなんと?」
「い、いえ、なんでもございませぬ!」
瞳孔が開き、かわいそうなくらい蒼白になっている
「そ、そういえば、わが父が十五年ほどまえに釣りあげた一尺三寸(約40cm)のフナの摺形がございます。ぜひお目にかけとうぞんじます」
摺形とは魚拓のことらしい。
「一尺三寸? それはフナではなく、なにかほかの生き物ではないのか?」
俺の認識では、フナは10cmからせいぜい20cmくらいの淡水魚だ。
なのに、40cmって……?
それはフナじゃなくて、メタボなコイとかだろう?
「それとも、外来種か?」
(((が、外来種とは?)))
またもや背後からテンパる気配が。
「い、いぃ、いえ、フナでまちがいございませぬ。『釣りは、フナにはじまりフナに終わる』と申し、フナは釣りの基礎でございます」
「ほー、そーかー?」
「も、もももし、ご興味がおありでした「ない!」
俺、一か所にじっとしてるのって、すごく苦手なんだよね。
「そ、そそそうですか?」
ガックリ落ちこむ少年。
「と、ときに、こちらの大野殿は大野冬馬殿の養子とうかがいましたが?」
「ほう、そなた冬馬を知っておるのか?」
「むろん。大野冬馬は最重要観察対象……」
「なんだと?」
源吾はキャラ弁を食べる箸を止め、ほぼ同年の男をねめつけた。
「いかなる目的で養父上のことを? 養父上になにをする気だ?」
「たしかに、さきほどからコソコソかぎまわるような……さては伊勢守側の手の者か!?」
粂ちゃんも疑いのまなざしを注ぐ。
「「「農民隊の間者だ!」」」
決戦間近ということもあって、一気にヒートアップするクラスメートたち。
なにしろ、この学問所はCRCの牙城なのだ。
「ち、ちが、わ、わわ、わたしはなにも!」
「「「若さまっ!」」」
今度は、カミカミくんの近習が一斉に立ち上がる。
「「「若さまを間諜呼ばわりするとは、ゆるせん!」」」
互いに柄に手をかけ、一触即発状態。
「みな、おちつけ!」
風紀委員長はいきり立つ男たちを睥睨し、
「当学問所はご公儀支配、刃傷沙汰となれば、ただではすまぬぞ!」
松平氏の一喝で全員小刀から手を放す。
にしても、怪しすぎねーか、庄内藩?
※ 琵琶湖固有種のゲンゴロウブナは40cmくらいのものもふつーにいます。




