133 同盟
今回、大野氏の隠された性癖が明らかになります。
以前からウワサされていた●モ疑惑は完全に払しょくされるものと期待しておりますが……もしかすると、ホ●よりもっと深刻かもです (@_@;)
「「おお、冬馬ではないか!」」
渡辺と椿の歓呼にむかえられた大野は、すばやく草履を脱ぐと手前の十畳間に入り、一礼した。
あいかわらず「おまえはどこかの作法の家元か!?」といいたくなるくらい、ほれぼれする挙措だ。
「崋山先生、椿山先生、ごぶさたいたしております」
「ひさしいな」
椿がほほえみかける。
「それにしても、かつての囲み屋敷がいまでは大野の役宅とはのう」と、感慨ぶかげに室内を見まわす渡辺。
「ついなつかしゅうて、ご母堂の迷惑もかえりみず、足しげく通うてしまって……すまぬな」
「いえ、母は客好きですので、【先生がたは】どうぞ、ご遠慮なく」
おい、【先生がたは】ってなんだよ!?
あいかわらずイヤミなやつだな!
現在大野が暮らすこの役宅は、以前、渡辺の謹慎所 ―― 『囲み屋敷』として使われていた。
いまから十五年ほど前の天保十年十二月末。
蛮社の獄で捕えられた元三河田原藩家老・渡辺定静(崋山)は、国許での蟄居を言い渡された。
しかし、主君の三宅康直は、渡辺を国許に送ることをためらい、その身柄を徳川連枝の有力者である松平容敬にゆだねた。
罪人をあずかることになった会津では、和田倉上屋敷地内にあった役宅を改築して囲み屋敷を造り、謹慎者を受け入れたのだ。
天保十四年九月、老中・水野忠邦が失脚したことで、幕府側ではそれまでの政策等が見直されることとなり、翌十五年、容パパはじめ多くの人の減刑嘆願活動が実って、渡辺は赦免されて帰郷したらしい。
役目を終えた謹慎所は役宅として再改修されたが、以前罪人が住んでいた家=縁起が悪いと避忌され、たびたび空き家になっていた。
そして、昨秋、その空いていた役宅を借り受けたいと申し出たのが、江戸留守居役に抜擢されたばかりの大野だった。
留守居役や江戸家老のような江戸駐在員 ―― 『定府』藩士は、国許から家族を呼んで同居することをゆるされる。
(ただし、一定以上の身分の者)
そんなこんなで、初出仕以来ずっと単身赴任状態だった大野は、外遊後、家族とこの役宅で暮らすようになった。大野にとっては、十五年ぶりの肉親との同居だという。
「しかし、たびたび訪うておるが、冬馬とここで会うのははじめてだな」
渡辺が慈愛に満ちた目で大野を見る。
どうやら容さんだけでなく、大野も渡辺の愛弟子らしい。
「はい、目下、殿の遠足勝負の件で忙しく……本日も早朝から表御殿で打ち合わせがありまして、これより外回りにでかけます。ここには弁当を取りにもどっただけでございます」
「なんだ、ひさしぶりに会うたゆえ、ゆっくり話がしたかったのだが」
椿も未練たっぷりなようす。
大野は元侍読のじいさんたちにかなり気に入られているようだ。
「申しわけございませぬ。こたびの勝負、殿にはなんとしてでもお勝ちいただかなくてはなりませぬゆえ、われら留守居役一同周旋に奔走しておるのです」
「遠足勝負の話は耳にしておるが、なにゆえそこまで?」
大野の鼻息の荒さに首をかしげる元侍読たち。
「なにゆえ? むろん、憎っき伊勢守に一矢報いるためにございますっ!」
つねに冷静沈着なスーパー能吏が目を血走らせ、拳で畳を打った。
「それがしの……いや、われらのお豊を奪ったあの淫乱中年に鉄槌を下してやらねばなりませぬっ!」
「落ちつけ、冬馬」
涙目で興奮する家臣の肩をポンポンとたたく。
「そなたの気持ちはようわかる。そなたや、その同士らの無念、かならずやこのわたしが晴らしてくれようほどに、いまは職務に専念いたせ」
「それがしとしたことが……申しわけございませぬ」
「気にするな。江戸の男あこがれの美人を強引に側女にしたあのエロオヤジが悪いのじゃ。そなたが憤慨するのもいたしかたなきこと」
「……殿……」
お志賀似の端整な貌がクシャッとゆがんだ。
「ほれ、涙を拭け。そなたらしゅうないぞ?」と、懐紙で目元を拭ってやれば、
「……なにとぞわれらの仇を……」
さっきまでのイヤミな態度はどこへやら。すがるような目で俺を見あげる。
かつて会津日新館一の俊才とたたえられた明晰な頭脳、藩内きっての剣豪で、多くの者に愛されるさわやか青年・大野冬馬。
ところが、今回の騒動で、なんと大野の知られざる一面を見ることになろうとは。
あ~、さてさて、大野には亡父が決めた許嫁がおりました。
ですが、去年容さんが危篤状態におちいり、大野は蘇生を祈願して神仏に願掛けをしたのです。
『今後一切女犯を断つかわりに、主君を助けてくれ』と。
その願いが神に通じたのか、主君はめでたく覚醒し、大野は誓を守るため、十六年越しの婚約を解消しました。
で、その許嫁というのが、さっきお志賀とともに台所にいたお佐和なのです。
婚約解消した大野でしたが、お佐和は結婚を先延ばしにされたせいで ―― 「殿より先に妻帯することはできぬ!」というつまらない理由で ―― このころとしては適齢期を相当すぎていました。
大野はそのことにひどく責任を感じて、お佐和と部下の浅田忠兵衛の仲を取り持ったのです。
そして、このままでは無嗣断絶になる大野家は、罪滅ぼし第二弾として、お佐和の末弟・源吾を養子に迎え、跡取りにしました。
ちなみに、この姉弟と大野家は遠縁の間柄だったりします。
これで後継者問題も解決……とはいうものの、容さんのせいで、一生オネーサンとイチャイチャできなくなるのは申しわけないと思い、あるときボクは、
「願掛けなど気にせず、妻を娶り、母に孫を抱かせてやれ」と命じました。
すると、大野氏はじつにすがすがしい笑顔で、
「いえ、それがしにはすでに、お豊という心の妻がおりますゆえ、ご心配なく」と返してきやがったのです。
「お豊?」
「向島の桜餅屋の看板娘にございます」
なんでも、この娘は錦絵に描かれるほどの美人で、大野はこの娘のファンだそうで。
そのうえ、大野氏は『お豊ちゃんを見守る会』という団体の副幹事もしており、ときどき開かれるファン交流会でお豊ちゃんについて熱く語り合うのが、最高のよろこびなんだとか。
しかし、ほかの会員が生身のお豊が好きなのに対して、大野氏は『錦絵に描かれたお豊』が ―― つまり、【二次元のお豊】が好きだということが判明しました。
大野氏によると、
「じつのところ流縁になってホッとしているのです。それがしは永遠に穢れることのない画中のお豊に操をたてておりますゆえ ♡」
ほほを染めながらそう告白されたときは、全身に冷水をあびたような気がしたものです。
謎です。
こんなに完璧な男が、なぜ二次元オタクなのか。
となると、それほどまでに『お豊LOVE』な大野が、昨夏、権力にものをいわせて、お豊を側室に迎えた塩大福を憎悪しないわけがありません。
(純粋な恋愛結婚なら、ファンのみなさんも祝福したそうですが)
今回の遠足勝負が決まり、藩邸に持ち帰って報告すると、だれよりも熱心に動きはじめたのは大野氏でした。
いわく、「殿に敵を取っていただくため、粉骨砕身死ぬ気で働く! われらのお豊を奪った罪を贖わせてくれる!」
ありがたい宣言でしたが…………鳥肌が立ちました。
(あれ? また、話し方、ヘンじゃね?)
「して、奥羽越諸藩はいかに?」
かたき討ちに燃える男に状況を聞く。
「はっ、おおむね好意的な返事が。なれど……」
「なにか?」
「庄内が、『なにゆえ久保田と弘前、新庄を除外するのか、得心のゆく説明なくば賛同できぬ』と」
「おろかな!」
「また、仙台も助力を申し出たものの、『三春にも声をかけてやってくれ』といく度か打診がございました」
「三春じゃと!?」
「さらに、長岡は藩主・備前守(牧野忠雅)さまがご老中であられるゆえ、わがCRC、農民隊どちらの側にも味方はできぬとのこと。その際、『なにゆえ新発田を誘ってやらぬ?』と詰問されました」
「バカを申すな! なにをノンキなことを申しておるのじゃ、長岡は!?」
「もし、差しつかえなくば、いま冬馬が携わっておる任についてお聞きしても?」
渡辺が興味津々な顔で乗り出してきた。
おそらくまた俺がおもしろいことをはじめたと思って、好奇心をそそられたようだ。
「まあ、他言せぬのなら、多少は」
そう言って、大野にうなずいて見せると、
「お聞きおよびかと存じますが、このたびわが殿は老中首座阿部伊勢守と遠足勝負をなさることと相なりました」
「ああ、江戸中で話題になっておるのう」と、元幕臣の椿。
椿は生粋の江戸っ子なので、こと御府内に関してはかなりな情報通なのだ。
「なんでも、若さまと伊勢守が、半蔵門から青梅街道を小金井まで健脚を競い合い、くわえて、幕府歩兵部隊と新撰組のうちから選ばれし十二名ずつがともに走り、どちらが先に多く到着したかで勝敗を決するとか?」
(……幕府歩兵部隊だと?)
『CRC』名、イマイチ浸透してないな。
「さようにございます。しかし、ここで問題になるのは、走路となる多摩は、韮山代官江川太郎左衛門の支配地。
農民隊はその幹部が多摩出身者が名を連ね、発足当時は会津が関わっておりましたが、いまは韮山代官預り。つまり、敵地を走るようなものなのです」
「さよう。いくら長距離走は己との戦いとは申せ、疲労が蓄積し、足が動かなくなった折、背中を押してくれるのは沿道からの熱い応援じゃ」
「なれど、御府内から小金井まで、会津や幕臣たちの家人で埋めつくすのは容易ではございません。そこでこたび、奥羽越諸藩に助力をもとめたのです」
「しかし、なにゆえ奥羽越限定なのですか? 若さまには加賀藩、鳥取藩、広島藩など、有力な親戚筋もおられましょうに?」
椿先生、うちの相関関係までよくご存じで。
「奥羽越諸藩とは今後のため結束を強固にしておきたいのじゃ」
「「「今後とは?」」」
ジジイ四人が当惑したように俺を見る。
「たとえば、戦になったときなどじゃ。日ごろから連携を取っておれば、いざというとき諸藩と共同戦線を張れるであろう?」
「「「戦? いざ?」」」
いうまでもねぇよ、戊辰戦争 ―― いや、新政府軍による奥羽越侵略戦争に決まってんだろ?
いままで『戊辰戦争』と呼ばれてきたアレ。
でも、よく考えてみると、慶応四年=明治元年、戊辰の年にはじまったこの内戦は徳川政権を倒すことを目的としていた。
だとすると、その目的は慶応四年四月十一日の江戸城明け渡しで決着がついたはずだ。
いうまでもなく、本城を明け渡すとは、降服を意味するわけだから。
だが、新政府側はその後も戦争を継続した。
それはなぜか?
まず第一には、京都でのテロ活動を妨害された長州の、会津に対する逆恨み=私怨を晴らすためというものがよく知られているが、ほかにも大きな理由がある。
―― 江戸城開城で終わっては、論功行賞で与える褒美の原資が手に入らないから、だ。
ぶん捕るものがなければ、戦功があったやつらに褒美をやれない。
薩長はじめ、早い時期から新政府側に与していた西日本の大名や西郷・大久保・桂や公家たちクーデター首謀者が潤うためには、イチャモンをつけて、奥羽越の富をかっ攫う必要があったのだ。
その証拠に、戦後の論功行賞では、お手盛りで自分たちにどれだけゴホウビあげたか、見てみるといい。
また、収奪行為は、明治時代に起きた『尾去沢銅山事件』などにも如実にあらわれている。
そして、戊辰戦争以降、『白河以北一山百文』(「白河の関から北は、一山百文ていどのショボい荒れ地」の意)と、新政府サイドからずっと侮蔑され、卑下されつづけた東北地方。
俺は…………そんな歴史、絶対に認めない!
ってちょっと脱線したけど、ようするに座したまま食い物にされないよう、いまのうちから奥羽越諸藩の結束を強めておくため、このイベントを利用しようとしたのだ。
そして、協力してくれた諸藩とは優勝記念セールとして、奥羽越合同物産展を開催する予定で、これは去年、仙台藩主一門水沢邑主・伊達邦仲 ―― ゲンちゃんと約束した『会津・仙台合同物産展構想』を発展させたもの。
だが、東北諸藩の明るい未来を目ざす俺も、裏切り者にまで手を差し伸べてやる気はない。
その裏切り者というのが、久保田(秋田)藩、弘前(津軽)藩、新庄藩、三春藩、新発田藩などだ。
こいつらは、一度は奥羽越列藩同盟に加盟しておきながら、仲間を背後から討ち、その功で、この卑怯者どもは新政府から賞されたのだ。
会津はいうまでもないが、仙台や南部、長岡、二本松が大減封のうえ、多額の賠償金を課せられたのとは対照的に。
だから、裏切るとわかっているやつらを、なんで仲間に入れなきゃいけないんだ?
そんな事情で、裏切りリストに載っている藩以外の各藩に応援要請をかけたのだが、皮肉なことに、あっちの世界で裏切りによって痛手をこうむった藩ばかり、なぜか除外された藩の口添えをしてくるという妙な現象が起きている。
たとえば、庄内藩は久保田・新庄・津軽の裏切りによって背後を脅かされ、仙台藩は三春の寝返りで戦線を維持できなくなり、二本松藩の悲劇につながった。また、新発田藩の離反が新潟方面総崩れのきっかけとなり、長岡城下は焦土と化した。
「くそー! 裏切るくらいなら、最初から入んなつーのっ!」
「「「わ、若さま?」」」
なんだよ、そのイタイ人を見るような目つきは?
わかってるよ、なんの根拠もなく裏切り者あつかいしてるのは。
ここじゃまだ戦争は起こってないからな。
だがな、裏切られてからじゃ遅いんだよ!
しかし……。
庄内藩が入らないのは困る。
なにしろ、奥羽越列藩同盟で唯一連戦連勝だったのは庄内藩だけだ。
この東日本最強軍が味方になってくれないと、断然不利になる。
ちぇ、しかたない。
「相わかった。では、久保田・弘前・新庄・三春・新発田にも声をかけよ。ただし、先方から断られしときは、すぐに引け。ムリに誘う必要はない」
まぁ、こっちとあっちの歴史はちょっとずつ違うから、同じような事態になったとき、もしかすると裏切らない可能性もある。
それに、たとえ裏切られても、こっちの松平容保には予備知識がある。
どことどこがあやしいかはわかっているから、前もってそれに備えておけばいい。
てなことで、奥羽越列藩同盟はあっちの世界と同じメンバーで発足することとなったのである。
くそ!
江戸時代に二次元オタクがいたというのは史実でございます。
100文――ザックリな感覚で4文=100円として、2500円くらい




