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131 青梅マラソン


「これこれ、話はまだ終わっておらぬぞ?」


 辞去しかけた俺を、家定は苦笑をうかべて、呼び止めた。


「……申しわけございませぬ」


 しかたなく、また片膝をついて頭を下げる。


 これ以上ぶっ飛んだことを命じられる前にバックレようという気持ちが先に立ち、つい将軍の許可もえず退出しようとしてしまったのだ。


 ところが、家定はそんな非礼ミスを咎めることもなく、


「ふふふ、うかつなところは幼いころからほんに変わらぬな」と、くすくす。


「そこがまたかわゆいのだがな」


「「「――!――」」」


 まわりに控える奥小姓・書院番士・小納戸らが、はじかれたように俺をガン見する。

 

「……肥後守さま……」


 となりの江川はもとから大きい目玉をひん剥いてマジマジ。


 帰国早々の色小姓(稚児)上塗り発言……とんでもない爆弾を落としてきやがる。


「し、して……御話とは?」


 脱出し損ねた絶望感をヒシヒシと感じつつ、引きつった笑みで主君を見あげる。


「ははは、学問所は逃げはせぬ。さように急がずともよいではないか」


(ちげーわ! おまえから逃げたいんじゃ!)


 憎悪バリバリでねめつけるが、鈍感なオッサンは意にも介さない。


 その最高権力者(KYヤロー)がわずかに目くばせすると、黒漆に三つ葉葵紋つきの床几が後背にセットされ、将軍が腰かけると今度は右下から蒔絵の水筒がサッと差しだされる。

 さすが将軍近習軍団。

 会津うちもそこそこ訓練されているが、錬成度がケタちがいだ。

 

「ときにその方、伊勢と遠足勝負をするそうだな?」


「……相かわらず御耳の早いことで」


 ついさっきのことなのに、江戸城ココ、どんだけ忍者が徘徊してんだよ?


 にしても、俺を呼びとめてまで言うってことは、どうせ、

「まぁまぁ、ここはひとつ、予の顔を立てて水に流せ。伊勢は見てのとおりの太り肉(メタボ)ゆえ、許してつかわせ」だろ?

 

 だが、いくら将軍命令とはいえ、今回ばかりはゆずれない!

 恨み骨髄のあのクソ大福を、今度こそは大観衆の面前で完膚なきまでに叩きつぶしてやる!


「おそれながら! この儀、武士の面目をかけた勝負にございますれば、いかに公方さまがお止めあそばしても、取りやめるつもりはございませぬっ!」


 鼻息を荒くする俺の前で、サダっちは高らかに笑い、


「誤解するな。やめよなどと言うつもりはない」


「では?」


「いやな、ただ城のまわりを周るだけでは興がないと思うたのだ」


「興……とは?」


 毎度おなじみのイヤ~な空気感がただよいはじめ、妙な汗が噴きだす。


 緊張して見つめる先には、最高級蒔絵の水筒でまったり喉を潤す将軍さまが。


「じつはな、その方らが無事帰国したゆえ、褒美の宴でも開いてやりたいと思うてな」


「褒美の宴? いえ、さようなお気づかいは……」


 そんなのいらないから、早く帰らせろ!

 来たるべき決戦に備えてトレーニングさせろ!

 一刻も早く帰宅して、室内用マシンで基礎から作り直さなきゃならないんだよ!


「まあ聞け。先刻、その報告を受けた折、たまたま江川と新撰組について話し合うていてな。それで思いついたのだが……」


 全身に鳥肌が立つ。

 防衛本能によるエマージェンシーコ-ルだ。


「こたびの遠足勝負、その方と伊勢の勝負にくわえ、幕府歩兵部隊と新撰組にも速さを競わせてはどうか、と」


「わが【CRC】と【農民隊】を!?」


「昨冬おこなわれるはずであった駒場野における会津藩兵と新撰組による合同軍事演習は、そなたの外遊と年末に起りし大地震の影響で日延べになっておる。

 そこでな、そなたも無事帰国し、震災後の復旧も進んでおるゆえ、こたびは軍事演習ではなく、遠足勝負としてもおもしろいと思うてな」


 ちょ……待て。


 てことは、俺と塩大福のタイマン勝負プラス、CRC対農民隊 ―― 早い話、個人記録と立川予選会みたいなチーム合計タイム方式で勝敗を競うってことか?


 じゃあ、俺だけでなく、チーム全体の走力も上げなきゃいけないじゃないか!



 目をかっ開いたまま固まる俺の前で、ノンキに水を飲み終えた家定は、


「でな、その催しをかねて花見の宴を開き、そなたらをねぎらってやりたいのだ」


「花見をかねて、でございますか?」


 命がけの真剣勝負をなんだと思ってんだ、このインドア陰キャラ野郎は!?


「うむ。で、花見といえば小金井であろう?」


「はぁ!?」


 話があちこち飛び過ぎて、ついていけねぇわ!


「ご存じありませぬか? 小金井は江戸近郊一の桜の名所にございますぞ?」


 隣から韮山代官がささやいてくる。


「小金井とは、玉川上水上流の【あの】小金井のことか?」


 知ってるもなにも、じつは俺、ニューヨークに行く前は、小金井市にあった借り上げ社宅に住んでたからね? 


 小学生のころ、校外学習で小金井桜の碑も見たし、二十一世紀はガソリンスタンドになってる場所に有名な料亭があって、江戸時代はかなりな観光名所だったと教わったし。

 

 でも、江戸城ここからあそこまでだと、三十キロくらいあるぞ?

 ハーフマラソン(二十一キロ)からさらにハードルを上げてきやがって!

 ったく、競技に疎い陰キャは、これだから!


「さようにございます。かの地なれば、わが韮山代官所の管轄内。準備はそれがしが責任をもってお引き受けいたします」


 江川、おまえが大会主催者なのか!?

 韮山反射炉と、日本のパン祖だけじゃ飽きたらず、『日本初マラソン主催者』の称号まで持っていく気か!?


「どこを通るのだ?」


 栄光の肩書を奪われそうになり、ソワソワイライラ。


「小金井ならば甲州街道ではなく、青梅街道がよろしいかと」


 つまり『青梅マラソン』か。

 たしかに、青梅マラソンは三十キロコースと十キロコースがある。


 ……はからずも合ってるな。



「して、大手ま――大手門前を何刻に出立いたす?」


 青梅マラソン三十キロレースの優勝タイムは、一時間三十分強だが、路面やシューズ・ウェアの違いを考慮すれば、二時間から二時間半はかかるだろう。


「なにを申されますか。青梅街道ならば、大手門ではなく半蔵門にございます。卯刻(午前六時ころ)に出立いたせば、巳刻(十時ころ)すぎには着きましょう」



 青梅街道は、もとは江戸城築城で必要な石灰を青梅成木村から江戸へ搬送するルートとして、慶長年間に整備された。


 別名成木街道ともいうこの道は、内藤新宿内の新宿追分を起点とし、角筈・中野・田無・小平を通り、青梅へ至る。


 そこから大菩薩峠を越え、甲府の東・酒折村で内藤新宿で分岐した甲州街道と再合流するため、『甲州裏街道』と呼ばれることもある。


 この街道は甲州街道とちがって関所がないので、庶民の旅客はこっちの道を利用することが多かった……って、そういう話じゃねぇよ!



「大手町八時スタートではないのか!? スタートは箱根駅伝と同じにしようと思うたのにぃ!」


 心の叫びがつい漏れ出てしまった。


「「大手町? 八時? すたーと? 箱根駅伝???」」


 サダっちと江川が目をしばたいている。

   

(……もうやだ……)


 すっかりおなじみになった脱力感が全身を支配する。

 失意の底にしずむ俺に、オッサンどもの「?」に応えてやる気力はもう残っていない。


(……勝手にしろ……)


 どうせ俺がなにを言おうとも、最高権力者の意のままになるんだろ?

 なら、抵抗したってムダだ。


 俺は心のシャッターを下ろし、メンタル崩壊を回避することにした。


「かの地には世嗣時代に一度行ったが、そのときはあいにくの雨でな。こたびは晴天下での花見になるとよいな」


 上空からうれしそうな声が降ってくる。


「公方さまも御成りになられるのですか?」


 おめーは関係ないだろう?

 おとなしく江戸城ここで汚菓子やら汚料理やらを作ってろ!


「むろん。その方らと親しく杯を交わし、異国の話を聞きたい」


「……御意……」


 あんたが来たら、みんな緊張しちゃって、慰労の宴にはならないと思うけどね!


「その折、予は道々自転車で走ろうと思うておるのだ」


「…………」


 なんかまたヘンなこと言いだしてるし。


「公方さまは、会津献上の自転車が大そうお気に召され、晴天の折はこちらの小馬場でお乗りあそばされているのです」


 江川が俺の耳もとでこっそり教えてくれた。


(それでか!)


 さっき家定が、『ただ城のまわりを周るだけでは興がない』って言っていたのは、自分もこのイベントに参加するつもりだったからか?


 あれは、『城内のトラックをグルグル周るのには飽きた』『たまにはちがった景色の中を走りたい』ってことだったんだな!


 天守台前小馬場ここに案内されたとき、将軍こいつが乗っていたのはまぎれもなく会津うちが開発した自転車。


 これは、去年の梅雨時、戸外での練習ができないので、尚ちゃんやカラクリ儀右衛門さんに依頼して作ってもらったエアロバイクを応用して製作したもの。


 とはいえこの時代、まだ世界的にもゴムの加工技術自体あまり確立されておらず、自転車にチューブのタイヤを装着することは困難で、木製車輪に鉄の輪を巻きつけたものを採用している。

 当然こんな車輪では道路の凸凹がモロに伝わってきて、乗り心地はよくないが、ゴムは日本国内では取れないし、これから外国貿易が始まったら原料を輸入して、改良するつもりだが、当分はムリそうだ。 


 しかし、これを献上したのは、サダっちに乗ってもらおうと思ったからではなくて、今後改良版を売りだすときに、『将軍家御用達』ブランドがほしかっただけなのだが……まさかそんなに気に入るとは!


 まぁ、将軍さま用トラックなら、きっちり地ならしして凸凹もなくし、小石なんかも徹底的に除去しているだろうから、案外乗り心地も悪くないかもしれないが、外に行ったらそうはいかない。

 このせいで多摩のお百姓さんたちが街道整備に大動員されたりしなきゃいいんだけど。

 

 とはいえ……。


 自転車で日々運動するようになったためか、サダっちも以前にくらべると肌の張り・つやもいいし、声もデカくなっていることから、肺活量も相当増えたんだろう。


 ってことは、会津が献上した自転車のおかげで、心肺機能も強化されて、病弱だったあいつの体質改善・体力向上につながったのか?

 



 もしかすると、徳川家定の早世フラグを折っちゃったかも?



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