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130 韮山代官 江川太郎左衛門英龍


「よし、下城するぞ!」


 体中に力がみなぎり、すっくと立ちあがる。


「殿!?」


「金之助?」


 いきなりフル充電状態になった俺に、池田も浅田も目をパチクリ。


「喬士郎さまのおかげで、完全復活いたしましたっ!」


「ぐふふふ。どうだ、やっとわたしのありがたみがわかったろう?」


「はいっ!」


「よしよし。では、気をつけて帰るのだぞ?」


 ご満悦の池田は、らしくない言葉を残して、優雅に出ていった。



「……因幡守さま?」


 キラキラツンデレを呆然と見送る浅田。


 そんな家臣に、


「ええい、なにをしておる? 一刻も早く屋敷に帰り、トレーニングを開始するのじゃ!」


 矢も盾もたまらずうながすと、


「トレーニング!?」


 大きく見開いた目に、みるみる涙がたまる。


「では、また走る気力がもどられたのですね!?」


 亡命失敗後、俺はまさに廃人と化し、走るどころか一日中体育ずわりで固まっていたので、すっかり体力が落ちているのだ。


 帰府してからも、以前はあれほど意欲的だった朝練にも行かず、自藩開発したトレーニングマシンにすら乗らない主君を、家臣たちは陰ながら心配していたようだ。



「あぁ、よもや【あの】因幡守さまが殿の益になられる日が来ようとは……ありがたや、ありがたや……南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」


 小姓頭は池田が去った方向を遥拝。 

 温和そうに見えて、けっこう失礼なことをサラっと言ってのけるあたりは、さすが【あの】大野冬馬の後任だ。


「さっさと下城の支度をせぬか! 伊勢とのハーフマラソン勝負が決まったのじゃ! 走力を回復せねば!」


「伊勢守さま? 勝負?」


 そこで俺は、腹黒中年とハーフマラソン勝負をすることになった顛末を説明。


「よいか、あのようなメタボ中年に不覚をとるは、切腹レベルの屈辱じゃ! 

 たとえるならば、箱根駅伝三連覇と出雲・全日本の三冠をも達成した大学が、翌年の箱根では四連覇はともかく、シード落ちなどけっして許されぬのと同じこと。すみやかに屋敷にもどり、練習メニューを作らねばならぬ!」


「ちょっとなにをおっしゃられているかようわかりませぬが、とりあえず絶対に負けるわけにはいかないということだけは理解いたしました。なれば、全藩あげて殿をお支えいたします!」


「よう言うた、忠兵衛っ!」


「殿、お勝ちくだされっ!」


「相わかった。そなたのためにも、勝ってやろうではないか! そして、松平容保が阿部伊勢守正弘との戦いに勝利したは、浅田忠兵衛、そなたがわたしの勝ちを祈願したからじゃと周囲に吹聴してやるがよい」


「もったいのうございまするっ!」


「で、さっそくだが、こたびの儀、ひとまず町奉行ならびに目付の耳に入れておけ」


「はっ!」

 

 さっきは興奮のあまり、「いますぐ勝負を!」などと血迷ったものの、よくよく考えてみれば、いくら相手がメタボおやじとはいえ、俺だって外遊プラス体育ずわりで約四ヶ月間、ろくに練習していなかったわけで、いきなり二十キロも走ったら肉離れや痙攣けいれんを起こす可能性大だ。


 こうなったら、やはりここはいったん仕切り直して、ばっちり調整したうえで、あらためて勝負を申入れるべきだろう。

 万が一にも負けるようなことがあったら、CRC主将として仲間に顔向けができない。


 そして、江戸城周回コースともなると、大規模かつ長時間の交通規制が必要になる。


 あらかじめ町奉行に話を通しておかないと、あとあと面倒なことにもなりかねない。


 

 てな感じで、大会開催について打ち合わせをしていると、


「肥後守はいらっしゃいますか?」


 閉まった襖のむこうから声がわいた。


「おらぬ! たったいま帰ったわ!」


「おお、まだいらっしゃいましたか」と、無造作に開けられる襖。


「肥後守、公方さまの御召にございまする」


 全開した襖のむこうで裃姿の若い旗本がうやうやしく一礼。奥小姓だ。


「……げっ……」


「公方さまの御召!?」


 半眼でブータレる主君とはうらはらに、顔色を変えて平伏する小姓頭。


「はっ、急ぎ身支度をととのえ、奥にうかがいまする」


(こら、勝手に行くとか言うな!)と、眼光をするどくする主君など一顧だにせず。


 そんな浅田の返事を当然のように受け止めた旗本は、


「いえ、公方さまは天守台前の小馬場にいらっしゃいますので、このまま御納戸口から直接外にお出でください」


「天守台前小馬場……ああ、かつて大奥があったところでございますね?」


 しっかり確認をとる堅実な仕事ぶり。

 新小姓頭は、前任者からガッツリ叩きこまれているようだ。


「さよう。それがしがご案内つかまつりますゆえ、どうぞお支度を」


「承知いたしました。しばしお待ちを」


 かるく会釈を返し、ツンデレにぐちゃぐちゃにされたチョンマゲを結い直しはじめる近習。


 こうして、俺は家臣の手から奥小姓にさっくり引き渡されたのであった。




 若い旗本に先導され、奥仕切門を抜けて北進。


 天守台前の、かつて大奥があった場所は、みごとなくらいきれいサッパリ更地になっていた。


 思いおこせば、去夏、塩大福に大奥解体の実務を持っていかれてからは、俺はこの件には完全にノータッチで、殿舎跡地を見に来たことなど一度もなかったのだ。



 奥に進むにつれ、巨石で組まれた天守台がしだいに迫ってくる。


 その天守台まえには、楕円形のトラックができていた。

 これが小馬場なのだろう。

 馬場と呼ばれたその広場では、いま馬ではないものが時計まわりに走っている。

 新春の陽光に照らされて疾駆する物体には見覚えが……。


(……ウソだろ……?)


 俺は自分の目を疑った。


(よもや、あいつが……?)


 と、

 

「お久しゅうございます」


 横あいから、ふいに話しかけられた。


「これは……江川ではないか」


 首を突きだすような前のめりの姿勢で近よってくるオッサンには、《江川太郎左衛門英龍 韮山代官》のテロップがついた。


「元旦以降、体調をくずされているとお聞きし、心配しておりました」


 シワくちゃでホコリまみれの黒木綿の小袖&裃を着用したオヤジは、デカイ目を細めて、いたわってくれた。


 オッサンが言うように、今日は元旦以来の登城なのだ。


 帰りのオランダ船は、旧暦の十二月三十日午後に品川沖に投錨した。

 広州を出て以来ずっと体育ずわりだった俺は、その姿勢のまま駕籠に押しこまれて和田倉に移送され、明くる安政二年元旦払暁、こんどはリカちゃん状態で長直垂ながひたたれを装着されて、『年頭之御祝儀』 ―― 将軍への新年あいさつイベントにムリヤリ送りだされた。


 本当はそのあとも、一月三日の御謡初おうたいぞめ、一月七日の七種参賀(人日じんじつ・若菜とも)、一月十一日の御具足開おぐそくびらきなど、在府大名全員強制参加のイベントがあったが、俺は元旦に顔を出して以降、ずっと屋敷に引きこもって、すべて欠席。


 そのうえ、幕閣的には十一日の御用始ごようはじめ後は毎日登城しなければならなかったのだが、こっちもパスしつづけていたので、今日は四か月ぶりの政務復帰。


 本音をいえば、今日だって本当は来たくなかったのだが、塩大福に頼まれたツンデレと浅野が、朝わざわざ迎えにきたもんだから、屋敷中大さわぎになって、気づいたら追い出されていたのだ。


(くそ大福め、いまに見てろ!)



「肥後」


 病弱なあいつにしてはめずらしく、大きな声で呼びかけてきた。


「きたか」


 トラックの軌道からそれて接近してきた男は、悠然とほほえみつつ、奇妙な物体から降りた。 


 家定が手を放すと、近侍していた奥小姓がそれを受け取り、しずしずとバックしていった。


「直答ゆるす。面を上げよ」


 片膝を地につけ、頭を垂れていた俺と江川は、その言葉に顔を上げる。


「長らく登城せなんだゆえ、案じておった」


 しみるような笑みをうかべ、やさしげな目つきでじっと俺を見つめる。

 つい「やっぱ、こいつイイやつかも?」とだまされそうになる危険な笑顔だ。


「御心をおかけいただき、かたじけのう存じまする」


 しかたがないので、ふかぶかと頭を下げて、ひとまず謝意をのべる。


「又一が心労からくる病ではないかと申すゆえ、気になってな」


「又一が?」


「こたびの外遊については、かの者からすべて聞いた……その方、清にて腹を切ろうとしたそうだな?」


「……は……?」


 切腹? この俺が!?


「いや、その方みずから申すにはおよばぬ。目付の修理(岩瀬忠震)からも同様の報告を受けておるでな。

 その方が語学習得の台命を果たせぬことをひどく気に病み、ひそかに腹を切ろうと図ったものの、みなに止められたと。その方が登城できぬは、自責の念が嵩じるあまり病んでしまったのだと」


「自責の……念?」


「隠さずともよい。又一に叱られたのだ。その方を追いつめたは予であると。

 対米交渉の折、その方があまりに鮮やかに処理したゆえ、予は思いちがいをしていたのだ。外交など、その方にとっては容易たやすきものと。なれど、まことは見えぬところで懸命に闘っていたのだな?」


「御意」


 と、返事はしたものの、(すいません、なに言ってるか、全然わかりません)な俺はガン無視で、将軍は語りつづける。


「こたび、この短期に五つもの国と、かくも有利な条約を結びえたは、ひとえにその方の交渉術の巧みさゆえ。そして、どれも困難をきわめる折衝であり、一国の命運がかかった大事に取り組みながら、その片手間に語学習得など決してできるものではないと、又一が涙ながらに抗議してきた」


「又一が抗議を……」


(なるほど、そういうことか)


 たぶん、又一はじめ幕臣たちは、俺が亡命の理由にあげた『語学習得できなかったから、恥ずかしくて帰れましぇん』というのを脚色し、もっともらしい話をでっち上げて、かばってくれたのだろう。

 そうして、未遂に終わったとはいえ、極刑すらありうる公文書偽造の罪を、全員で口裏を合わせて隠蔽しつつ、俺が語学をマスターせずに帰った件でツッコまれないよう、予防線を張ってくれたようだ。


(……みんな……)


 あらためて仲間のやさしさに目頭が熱くなった。


 その表情を誤解したらしい家定は、


「そう己を責めるな」


 責める? だれが? 


「その方のせいではない。予がもの知らずであったゆえ、その方につらい思いをさせてしまったのだ。許せ」


 慈愛にみちたまなざしが潤んでいる。

 将軍家定、まさかのもらい泣き。


「それにな、その方自身もまことは語学習得を望んでいたにもかかわらず、外交交渉が難航したゆえ、その暇が取れなかったとも聞いた。その方のごとき志高き者なれば、そう思うのも道理。さぞや後ろ髪引かれる思いで帰国したのであろうな」 


「……御意」


 相当とんちんかんな解釈だが、せっかくみんなが弁護してくれてるし、ここは話を合わせておくしかないだろう。

 帰ってきてしまった以上、いまさら背任行為をとがめられ、減封・改易なんか喰らったら、目もあてられない。


「さもあろう」


 家定は予期した回答が返ってきたせいか、うるうる眼でウンウンうなずく。


「そこでな、伊勢と話し合うて決めたのだが、その方は今後、毎日登城せずともよいことにした。今日はそれを伝えとうて、ムリに登城させたのだ」


「なんと!?」


 おい、マジかー!?


「では、大政参与は罷免ということですね?」


 やった! 

 やっとこのパワハラ地獄から解放される!


 どうしたんだ今日は?

 さっきの破談といい、これといい、しあわせすぎて怖いわ。


 慣れない幸運に身ぶるいしていると、

 

「さにあらず」


「はっ?」


「その方の識見、幕閣として手放すわけにはゆかぬ」


「……とおっしゃられますと?」


「急な変事が出来しゅったいし、その方への諮問が必要になった折と式日には登城してもらうが、それ以外の月次登城と御用部屋への常駐は不要。なれど、参与は解任せぬ」


 式日とは七種・上巳・端午・七夕・重陽の五節句と、元旦の年頭拝賀、御具足開、氷室御祝、嘉祥、八朔、玄猪などのイベントディのことで、それぞれ由緒ある行事が取りおこなわれる日だ。

 一方、免除になる月二~三回の月次拝礼は、とくになんの用事もないのに将軍に顔を見せに行って帰ってくるだけ。たしかに、行かなくても大して影響はないっちゃない。


「ならば……わたくしはなにを?」


 なんか、いつもながらのイヤ~な展開。


「登城せぬ日は桜田学問所に通い、語学習得にはげめ」


「桜田!?」


 ザッブーンな冷水感。

 やっぱり、またヘンなこと考えてるし!


「学問所ではオランダ商館員らが講師をつとめておるゆえ、異人から生の言語を学べる。しかも、クルチウスはじめ多くの商館員はオランダ語のみならず、英語・フランス語・ドイツ語・ロシア語・スペイン語・イタリア語等、みな複数の言語に通じておるそうな。よって、その方の気がすむまで何ヵ国語でも存分に学ぶがよい」


 ニコニコと人のよさそうな笑顔で言い放つ最高権力者。


「ネイティブ講師陣……生の外国語……国内留学……」


「国内留学か? うまいことを言う、はっはっは」


『はっはっは』じゃねーよ! 

 なんなんだよ、それ!?


「その方の不在を補うため、大和と紀伊をあらたに入閣させたのだ。どうだ、これなら御用部屋の心配もなくなり、心おきなく勉学に打ちこめるであろう?」


 あっ!

 久世と内藤はそのための補充だったのか!?

 そこまで周到にお膳だてされたら、断るっつー選択肢なんて最初からゼロじゃねぇか!


「礼は不要」


(……だれが言うか……)



 かくして、約一年前、大学受験のため上京した俺は、はからずも異世界において進学の機会をあたえられることとなったのである。



某英雄伝説のパロディ箇所……わかりました?

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