129 朗報
上御用部屋からの呼び出しを受け、ほどなく隣の次御用部屋から、ふたりの若年寄が駆けこんできた。
「金之助!」
「金之助さま」
それぞれ備前蝶の家紋と、違い鷹の羽紋のついた継裃を着た外様大名で、ふたりとも将軍・家定の従弟だ。
「どうした? なにがあった?」
年上の備前蝶男 ―― 鳥取藩主・池田因幡守慶宗が血相をかえて問いただす。
「顔色がすこしお悪いような……だいじょうぶですか?」
やさしくいたわってくれる、違い鷹の羽紋の安芸広島藩主・浅野慶輝。
「喬士郎さま……定之丞さま……」
幼なじみたちの顔を見た瞬間、張りつめていた気持ちがゆるみ、ブワッと涙が。
「ぅぅ……ぅわーん」
不覚にも浅野ではなく、近くにいた池田にうっかり抱きついてしまった。
「ようわからぬが、かわいそうにのう、よしよし」
大野とはくらべようもないが、ツンデレに保護され、それなりに癒される俺。
密着する胸板のあいだで、懐中の封筒がカサカサ音をたてた。
これは広州を出発する直前、アメリカ商館の貿易商がこっそり俺にくれたもの。
なにやら察し顔のガイジンさんから渡された封筒には、十九世紀半ばのニューヨークを撮った数葉の白黒写真が入っていた。
それ以来どうしてもこれが手離せず、ときどき取り出してながめているのだ。
―― いまの俺には月よりも遠い、夢の残滓を。
「因幡守、安芸守のおふたりは、かような事態にそなえて入閣されておるのじゃ」
傍らからまた失礼なレクチャーが聞こえた。
今度は三河西尾藩主・松平和泉守乗全が、阿部にかわって新人を指導している。
「「なるほど、オコチャマ対策ですな」」
(……っきしょー……)
ムカムカしながらも、涙腺は崩壊しっぱなし。
「因幡守、安芸守」
後ろからよびかける松平伊賀守。
「お手数だが、肥後守を下部屋までお連れいただけぬか? いささか錯乱なさっておられるゆえ、しばらく休まれたのちに、下城なさったほうがよろしいかと」
「「承知」」
―― 納戸口 老中下部屋 ――
幼なじみたちに引きずられ、自分の下部屋にたどり着く。
「殿!?」
室内で待機していた小姓頭・浅田忠兵衛は、ふたりの若年寄とともに戻ってきた主君にビックリ仰天。
「うぐうぐ……うぐうぐ……」
「いったいなにが?」
滝涙の俺を受け取った浅田は、とりあえず主君をすわらせ、漆塗りの水筒をにぎらせた。
怒鳴ったあと喉がカラカラだった俺は、ついつい一気飲み。
「委細はわれらにもわからぬが、上御用部屋で具合が悪くなったらしい」と、池田。
「わたしたちが呼ばれたときには、すでにこの状態で……。落ちつきしだい、下城してよいとのことだ」
老中からの伝言をサクサクつたえる浅野。
「さようでございましたか。いろいろとありがとうございました」
「(うぐうぐ)……だから……(うぐうぐ)……こんなところ……(うぐうぐ)……帰りとうなかったのじゃー!」
空になった水筒をポイして、浅田の膝で再号泣。
「……異国でよほどつらい経験をされたのですね」
浅野がしんみりとつぶやく。
「しかし、なにゆえ金之助ばかりが、かような目に? やはりご公儀は、兄上似の金之助をネチネチいたぶって、かつての意趣がえしをしているのではないか?」
憤懣をブチまける池田。
「哀れじゃのう……金之助、わたしの胸で泣いてもよいぞ?」
「喬士郎さま~」
なんとなくノリで、浅田から池田に鞍替え。
「むふふふ、やはり金之助にはわたしがついておらねばのう」
頭上からやけに満足そうな声が。
「よしよし、もうだいじょうぶだ。わたしがついておるでな」
俺のチョンマゲが崩れるのもかまわず、わしわし擦りまくるツンデレ。
「(えぐえぐ)……あい……(えぐえぐ)」
「しかし、喬士郎さま、われらはそろそろ執務にもどらねば……」
「そなたは先に帰れ。わたしはしばらくここにいる」
上機嫌で拒否る池田。
「残業になっても、お手伝いいたしませんよ」という言葉につづき、襖の開閉音が聞こえた。
どうやら浅野は、従兄を置いてオフィスにもどったらしい。
「ふん、定之丞は存外つめたいのう。弟分が泣いておるというに」
また頭上からブツブツ。
「いえ、因幡守さま、どうぞ御用部屋におもどりになってください。ここはそれがしが」
意外にも池田を追い出しにかかる新小姓頭。
「なんの。むかしから金之助はわたしが面倒を見てきたのだぞ? 金之助が落ちつくまで傍にいてやりたいのだ」
「なれど、因幡守さまについては、前任の大野殿より、『殿はおちいさい時分、喬士郎さまにド突かれ、育徳園の池に落ちておぼれかけたゆえ、けっして目を離すな!』と申し送られておりますので」
「ド、ド突かれたとはなんだ、ド突かれたとは!? 人聞きの悪いっ!」
浅田のするどい指摘に、テンパる池田。
ちなみに育徳園とは、本郷の加賀藩上屋敷内にある庭園のことだ。
「あれは、金之助があまりにかわゆいゆえ、悪気なくそっと押したら、たまたま落ちてしまっただけで……断じてワザとド突いたわけではない!」
「「…………」」
おまえは『かわゆい』と押すのか?
「まぁ、落ちるだろうとは……(ごにょごにょ)……おぼれた金之助を救いあげたら、一生恩に着せられるなぁなんて……(ごにょごにょ)……それを無粋な大野がさっさと助けて……(ごにょごにょ)……すべて台なし……(ごにょごにょ)……おかげで父上や叔母上にこっぴどく叱られて……(ごにょごにょ)……それを申し送るとは……(ブツブツ)」
(……ガキのくせに、そんな真っ黒な企みを……)
反射的に身を離すと、ぐいっと強く引きもどされた。
(放せ! この殺人未遂犯め!)
俺たちふたりが無言の攻防戦を繰り広げていると、
「そのことがあった直後、大野殿は奥方さまから、『今後、決して傍を離れてはならぬ』ときつく命じられたのです。それがしも小姓頭として殿をお守りする責任がございます。殿からお離れください!」
(浅田くん……どうしたの? らしくないなあ)
なんでも浅田は、最近結婚が決まったらしい。
もしかすると、急に頼もしくなったのは、そのせいか?
やっぱ男は家庭をもつと、しっかりするもんだねぇ(しみじみ)。
「そうか、大野のやつめ、いつもわたしと金之助のあいだに割りこんでジャマばかりすると思うたが、叔母上の差しがねだったのか!」
「「……まだそんなことを……」」
「(げふんげふん)……それにしても、金之助は近年不幸つづきだのう。従兄として同情を禁じえぬわ」
俺たちのつめたい視線に気づいた池田は、あわてて話題をかえた。
「父君が四十半ばの若さで亡くなってより、次の年には母君が。昨年は自身が大病をわずらったかと思えば、美人の許嫁が身罷り……しまいには異国へ派遣されているあいだに、薩摩との縁組も流縁――」
「それはまことでございますかっ!」
滝涙も一瞬でふっ飛ぶ急展開!
「なんだ、いきなり?」
白皙の面が、おどろきの表情を張りつけたまま固まる。
「ですから、当家と薩摩の縁組が流れたという話にございまするっ!」
「うむ。残念ながら、そうなるだろう」
「それはたしかな情報なのですか? 当家の留守居役からは、そのような報告はまったく受けておりませんが?」
小姓頭が真剣な表情で確認。
たしかに、ヌカよろこびさせられたあとでガセだとわかったら、ただでさえ弱ってる俺のメンタルが全壊する。そこはしっかり確認しておかないと。
浅田くん、グッジョブ!
「ああ、そなたらも承知しておろうが、薩摩守の母君は、わが鳥取藩第六代藩主治道公のご息女・弥姫さまだ。これは、弥姫さまに近い者から聞いた話ゆえ、信用できよう」
「なるほど、池田さまは島津家とご姻戚でございましたね。では、なにゆえ当家にはまだ破談の申し入れがきていないのでしょうか?」
「なんでも薩摩守だけはいまだあきらめきれず、なんとか破談を避けようと画策しているそうだ」
ちっ、未練がましい。
「まことに破談となりましょうか?」
しつこく念を押す浅田。
いいぞ~、新小姓頭~、百点満点だ~。
「十中八九そうなるであろうな。弥姫さまは薩摩藩奥向き全般を取り仕切っていらっしゃる。この御方が縁組につよく反対しているのだから、まず見こみはない。早めにほかをあたったほうがよいぞ」
「「薩摩守の母君がつよく反対!?」」
つまり、もののけ姫の祖母が結婚をつぶそうとしているのか!
そして、ツンデレはさらに、
「それにな……言いにくいが、当の姫も縁組を厭うているらしい」
「「なんと、姫君ご自身も!?」」
なにそのすばらしい展開!?
どうしたんだ、ここへきて一気に追い風吹いてきたぞー!
タイムスリップ以来、一度も味わったことのない幸福感にソワソワワクワクする俺のようすをどう履きちがえたのか、池田は同情のこもった目で俺を見つめ、
「なんでも姫は、相手がつぎつぎに亡くなったうえ、心ないウワサまで流され、『もう縁組はイヤじゃ』とつねづね訴えていたそうだ。
それを薩摩守がなだめすかし、『つぎの許嫁が亡くなったら、二度と縁談は持ちこまぬ。一生実家で好きなことをして暮らせ』とまで言うて承諾させた最後の婚約者が昨秋急死してのう。
姫としては、今後縁談はないものと安心していたところ、父親が約束を反故にし、勝手に会津との縁談をまとめてしまったというわけだ。
ゆえに、祖母君も姫もこの縁組をかたくなに拒んでいるのだ」
「「そうだったのですか」」
「気を落とすでないぞ、金之助。そなたが悪いわけではないのだからな」
ツンデレがめずらしく素直になぐさめてくれた。
「お気づかい、かたじけのうございます」
あれ、朗報提供者のまわりに、突如、金粉がー!
「喬士郎さま……」
「なんだ?」
キラキラツンデレが不審そうに首をかしげる。
「今日ほど喬士郎さまが、好もしいと思えたことはございませぬ」
「こ、好も……!?」
色白の顔がみるみる朱にそまる。
「気持ちはうれしいが……わたしは先月、姫が生まれたばかりで……正室は先代の妹ゆえ、婿養子のわたしとしては立場上、そなたの求めに応えてやるわけには……ならば、人目を忍んでこっそりどこかで……いやいや、それは……だがせっかく金之助が……ああ、困った……」
わけのわからないことをつぶやいて、はげしく悩みはじめる池田。
「喬士郎さま! 元気が出てまいりましたっ!」
うれしさマックスで、つい強烈にハグ。
「お、おう! ようわからぬが、それはなにより!」
ぃやっほーい!
これで、もののけプレゼンツ・デスノ●トの呪いから逃れられるー!
安政二年 一月下旬
いやおうなしに再開させられた殿さまライフは、思いがけず幸先のいいスタートを切ったのであった。




